炎に背を向けて走れ

ミクラ レイコ

炎に背を向けて走れ

 カインは、森の中にある城の前に立っていた。ギイという音を立てて、重い扉を開く。コツコツと足音を立てて歩きながら、カインは辺りを見渡した。品の良い調度品が廊下に置かれているが、ほこりを被っている。


 月明かりの中、目当ての部屋を見つけ静かにドアを開けると、そこには一人の少女……いや、女性がいた。


「久しぶりだな、エヴァ」

「……どうしてここに来てしまったの? カイン」


 エヴァは、ベッドの縁に腰掛けながら悲しそうな顔で言った。足には鎖が繋がれている。サラリと流れる銀色の髪と紫色の瞳が美しい。


「どうしてだって? そんなの決まってるじゃないか!……君の事を、愛しているからだ!」

「……来てほしく……なかった……」


 エヴァは、涙を流して呟いた。彼女の瞳には、黒い髪に黄色い瞳の男性が映っている。


         ◆ ◆ ◆


 カイン・フェレンツとエヴァ・ジルカは、かつて婚約していた。婚約したのは二人が七歳の時だったが、政略結婚を見据えた婚約とは思えないほど仲が良かった。


「カイン、そのジャケット、すごく良く似合ってる」

「エヴァも、その髪飾り、良く似合ってるよ」

「あ……ありがとう……」


 そう言って、エヴァは顔を真っ赤にした。そんな会話をしながらテラスでお茶をする二人を、メイド達は微笑ましく眺めていた。


 しかし、カインが十七歳の時、事件が起きる。

 カインが夜中に目を覚まし自宅のリビングに降りると、人の言い争う声が聞こえた。


「あなたのような者と繋がりを持つ事は出来ない! エヴァには申し訳ないが、カインとの婚約は無かった事にしてもらう!」


 そう叫ぶのは、カインの父親のルボル。ルボルが睨んでいるのは、エヴァの父親のラディムだ。


「あなたの正体は、警備隊に報告させて頂きます」


 冷静にそう言うのは、カインの母親のアレンカ。


「警備隊への報告はお待ち頂けませんかな。何も知らない娘が犯罪者の子として生きるのは可哀想だ」

「そんな事言って、自分の身が可愛いだけだろう!」


 ルボルがそう言うと、ラディムは溜息を吐いて呟いた。


「やれやれ、仕方ありませんな」


 それから、カインの両親の声は聞こえなくなった。カインはそっとリビングの扉を開けると、目を見開いた。


 カインの両親が床に倒れており、ラディムが二人を見下ろしていた。両親の首からは沢山の血が流れ出ており、もう亡くなっているのが分かる。カインは、振り向いたラディムと目が合った。


「おや、カインか。……何も知らないままなら見逃そうと思っていたが……」


 そう言うと、ラディムはカインの方に駆けてきた。ラディムの手がカインに届きそうになった時、派手な音を立てて窓ガラスが割れた。


「カイン、大丈夫!?」


 そう言ったのはエヴァ。彼女は、窓ガラスを割って部屋に飛び込んできたのだ。


「エヴァ、お前どうしてここに……!?」

「お父様がこんな時間に出掛けるのが見えたから、胸騒ぎがして来てみたのよ……カインは、絶対に殺させない!」

「お前……!!」


 エヴァは、十七歳の少女とは思えない力でカインを肩に担ぐと、窓から飛び出して行った。


「エヴァ、君は一体……」


 エヴァは、カインを担いで逃げながら言った。


「私達一族は……吸血鬼なの」

「……!!」

「ごめんなさい、父のせいであなたの両親が……」


 エヴァは、悲痛な表情で声を絞り出した。ガラス窓から飛び込んだ為、エヴァの腕や脚からは血が流れている。しかし、出血はすぐに治まり、エヴァが普通の人間でない事を思い知らされるようだった。


 それから、カインは親戚の家で身を潜める事になった。エヴァの話によると、カインの両親はラディムの正体に気付いた為殺されたのだろうとの事だった。

 ラディムがどういう手を使ったのかは分からないが、カインの両親の死とカインが失踪した事件は、犯人不明のまま有耶無耶になった。


 カインが親戚の家に身を寄せるようになってから、エヴァは全くカインの前に姿を現さなくなった。自分の父親がカインの両親を殺害したのだから、もうカインの側にいられないと思ったのだろう。

 しかし、カインは一日たりともエヴァの事を思わない日は無かった。


 もちろん、エヴァが両親を殺した敵の娘だという事は頭では分かっている。でも、エヴァの笑顔を思い出す度、彼女への愛しさが募っていくのだ。


         ◆ ◆ ◆


 そして現在。カインは二十七歳になっていた。


「……私は自分の正体を隠したままあなたと婚約し、父が人を殺めるのも止められなかった……そんな私には助けてもらう資格なんて……」


 エヴァは、ラディムを裏切ってカインを逃がした事で、ラディムに幽閉されていた。


「君自身は、人を殺したのか?」

「いえ、いえ! 私は人を殺めてなどいないわ! 血を欲する時はあったけれど、いつも獣の血肉で我慢してた!……人間の生き血をすすって殺すなんて、出来るわけない……!!」


 エヴァは、苦しげな顔でそう言った。

カインは、穏やかな笑みを浮かべてエヴァに歩み寄る。


「だったら、僕が君を助けない理由なんてない。一緒に逃げよう、エヴァ」


「そんな事出来ると思っているのかな?」


 不意に第三者の声が聞こえた。振り向くと、そこにいたのは、不敵に笑うラディムだった。


「ラディム……!!」


 カインは、ラディムを睨みつけて呟いた。


「おやおや、カイン。いつから私の事を呼び捨てに出来るようになったのかな?……生きているかもしれないとは思っていたが、ここに忍び込むとは」

「……エヴァをお前のような殺人鬼の側に置いておけない。エヴァは連れていく」

「全く、エヴァの様子を見に来てみればこれだ。そんな事、出来るわけないだろう」

「……絶対にエヴァをお前から解き放つ」


 そう言うと、カインは懐から短剣を取り出した。そして、ラディムに向かって駆けて行く。


「ほう、そんな物で私を殺せると思っているのかな?」


 ラディムは刃を避けようともしない。カインの短剣がラディムの胸に深々と突き刺さるが、ラディムは表情一つ変えなかった。


「くっ……!!」

「残念だったな、カイン。吸血鬼はこれくらいでは死なない。お前はここで死に、エヴァもここで一生を終えるんだ」


 ラディムがそう言ったが、カインは口角を上げて応えた。


「僕が何の対策もなくここに乗り込んできたと?」

「なっ……!!」


 カインは、短剣をラディムの身体に残したまま素早くラディムと距離を取り、ジャケットから小瓶を取り出すと、それを床に叩き落とした。ガラス瓶は見事に割れ、中の液体が気化して室内に充満する。


「くっ……これは……!!」

「身を潜めている間、僕は薬の研究をしていた。そして、完成させた。吸血鬼を弱らせる薬をな!」


 カインを匿っていた親戚は、裕福だった為、カインに薬の材料となる薬草や実験器具を提供してくれた。


 カインは、懐から予備の短剣を取り出すと、再びラディムに向かって行った。ラディムは刃を避けようとするが、既に薬を吸ってしまっており、体が上手く動かない。

 そして、カインの短剣はラディムの心臓を貫いた。


「かはっ……!!」


 ラディムは、血を吐いて倒れる。カインを睨みながら、ラディムは呟いた。


「おのれ……せめて道連れにしてやる……」


 そして、手を伸ばして近くにある棚を倒す。棚に置いてあった燭台が倒れ、蝋燭の炎が床に広がっていった。


「逃げるぞ、エヴァ!!」


 カインは叫ぶと、エヴァの方に駆け寄った。そして、エヴァの足枷を繋いでいるベッドの脚を短剣で無理矢理壊すと、エヴァを背負ってドアの方を見た。


 炎は思ったより広がるのが速く、もうドアからは逃げられなさそうだ。エヴァは薬を吸ったせいであまり動けない。


「くそっ……!!」


 カインは窓に近寄り、下を覗き込むと、窓枠に足を掛けた。


「ここは二階だけど、下に植木があるからクッションになるだろう。着地に失敗したら少し怪我するかもしれないが、我慢してくれ」


 そう言うと、カインはエヴァを背負ったまま飛び降りた。


「いたたた……」


 カインは無事に庭に着地したものの、少し足を痛めた。顔を顰めながら足をさする。


「カイン、大丈夫?」


 カインの背から降りたエヴァが、ふらつきながらもカインを気遣う。


「ああ、何とか。……エヴァ、走れるか?」

「うん」


 二人は、門に向かって走り出した。エヴァは、チラリと後ろを振り返り呟いた。


「……さようなら、お父様……」


 そして、エヴァは再び前を見る。


「……ねえ、カイン」

「何だ? エヴァ」

「私の父は犯罪者であなたの両親の敵だけれど……それでも、私と共に生きてくれる?」

「当然だ。僕は君の家族が何であろうと、君の事を愛してる」

「……ありがとう……」


 エヴァの目には、涙が浮かんでいた。


 走り続ける二人の後ろで、炎が大きく揺らめいている。


 二人は二度と、後ろを振り向かなかった。

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