造形(つく)られる私という他人 IF
白明(ハクメイ)
造形(つく)られる私という他人 IF
「で、樹。あなたはどうしたいの? このままAI整形を続けていくの? それとも違った使い方をしていく? 判断しなさい。もう、あなたに残された時間は少ないの。今だって、ほら。太腿が爆ぜちゃったじゃない。このままだと内臓がむき出しになって死んでしまうかもしれないわよ。あなたはもう、気づいたんじゃないの? あなたにほんとうに必要なのは何かって」
最後通告が私に突き付けられる。わかってはいる。だけど、それを受け入れてしまったら、私が歩んできたこの数十年間はフイになってしまう。ここまで積み上げ、多くの人の称賛を得てきたのにそれを手離してしまうのには勇気がいる。手放してしまえば、私の元には何も残らなくなってしまう。地位も名誉も、そして美しさも。
これまで必死に美しさをずっとずっと追い求めてきただけなのに。ただ、美しくありたいと思っていたのに。こんな結末って絶対に嫌だ……。
「樹! いい加減にしなさい! あなたはもう、自然に生きるとの美しさをわかっているはずよ!」
その声が耳に届くと同時に私の右目が眼窩から転がり落ち、私も見つめていることを私の左目で見ていた。
―15分前―
「もう、終わりよ。樹。あなたは整形を繰り返し、変わっていくことが正義だと思っているみたいだけど、本質的には『変わらないこと』を選んだの。それはただの逃避でしかない」
突然訪問したケイは崩れていく私の身体を見ながらそう言い放つ。ベッドからスマホが滑り落ち、硬質な音が寝室に響く。スマホを掴んでいた樹の左ひじから手にかけてが、剥がれ落ち、床に落ちた。だが、樹は動じない。樹の視線はキッとケイに焦点が定められている。
「なんで、なんであんたがここにいるのよ! 私のことなんて放っておけばいいじゃない! あなたはそっち側のニンゲンでしょ! きっと私のこんな姿を見て笑いに来たんでしょ! イイから出て行ってよ!」
崩れ落ちた左腕を拾い上げ、ケイに向かって投げる。ケイまで届くはずもなく虚しく左腕は床に転がり、さらに爆ぜ、その肉片を床一面に広げる。その飛び散るようすは、さながら桜が散っているようにも見えた。
「会場であんなにもひどい姿で、罵声を浴びせられたのよ? こっちだって気になるわよ。それに体中浮腫だらけ。明らかに細胞がAI整形によって作られた身体と拒否反応を起こしているのは明白じゃないの。それにあなたの瞳の色と、目の周り。明らかに死相が浮かんでいたのよ。今は確かに敵同士かもしれないけど、かつての同僚じゃないの。心配するに決まっているわ。どんなにお互いが憎み合っていたって、命がかかっていれば、心配しないはずないじゃないの! セミナーが終わってすぐに飛んできたのよ!」
ケイは髪を振り乱し私に強いコトバを投げかける。こんなにも彼女が取り乱している姿は今まで見たことがない。
「心の持ちようなのよ。外見を一番気にしているのは、あなただけ! だれもそんなこと気にしていないから!」
ケイは私の両肩を掴みさらに顔を近づける。左腕があったと思われる場所が何だか、異様に熱い。
私はケイの言葉に私は驚きを隠せなかった。ケイ、あなたは何を言っているの……? 私の今までやってきたことを否定するつもりなの!?
既に声にならない呻きを漏らしながら、私はケイのことを睨みかえす。
「そんなんじゃ、どんどん老いていっちゃう! 汚くなっちゃう! 私には時間がないの! もう、AI整形なしでは生きていくことができないの!」
ケイのコトバに既に私の心は動かされているのに、まだ素直になれない自分がいる。私のやってきたことだって、信じてきたことだって間違いだったとは思いたくない。だけど心の奥ではわかっている。自分の弱さを隠すためにAI整形を繰り返し行ってきたことに。
ケイが言葉を続ける。私の意志とは関係なく、その言葉が流れ込み、染み込んでくる。
「自分らしさという軸さえ持っていれば、容姿なんて関係ないのよ! いい? あなたはその容姿も含めてあなたなの! 仕事だって自由に選べばいい。住む場所だって、容姿だってどうだっていいの! 何よりも自分をしっかりと持って! それが本当の美しさなのよ! 外見にこだわった整形・改造はもうやめて、いまからもう一度、心の整形をしていこうよ! 私はありのままの樹が好きよ! ねえ、しっかりと私をみて、AI整形を辞めるっていって!」
ケイの私の両肩に込める手にチカラがこめる。それと同時に私の僧帽筋から肩にかけての肉と骨がズルリと落ちる。私はもう、痛みを感じさえしない。ケイの瞳を見つめながら涙が溢れてくる。ケイの心が、コトバが私に入ってくる。もう、私の心は決まっている。だけど身体が、どうしても動かない……。
身体が震えだし、立ってもいられずケイに身体を預ける。文字通り右脛が折れるに任せ、泣き崩れた。広い寝室に響く悲しみと鈍い音。それとともに無機質な嫌な音が後を追う。
「もう、終わりよ。樹。あなたは整形を繰り返し、変わっていくことが正義だと思っているみたいだけど、本質的には『変わらないこと』を選んだの。それはただの逃避でしかない」
ケイの発する言葉に頭を鈍器で殴られるほどの衝撃を受ける。ケイの話す内容は樹のAIデザイン整形を否定するもの。しかし、どこかしら、肚落ちできる考えであることをケイの言葉の中に感じざるを得なかった。
私は、自分の軸を持たず、外見に囚われ、次から次へと身体を取り換えてきた……? 樹は最近アタマの中を巡っていた思考に思い当たる。
「そうよ。いまさら気付いたの? あなたはずっと囚われ続けてきたのよ」
混乱しながらも樹は思う。自分が本当に求めていたのは、外見的な美しさや変化ではなく『変わらず、自分らしくあっていいこと』というケイのような精神的な美しさ。今までまったく向き合わず、逃げていたものではないだろうか? と。
私は混乱する頭に沸く考えの中に本当の自分を見たような気がした。
「じゃ、じゃあ……、私がこれまでやってきたことって……、一体何だったの……」
右目から涙と共に眼球がズルりと流れ落ち、垂れ下がった。
***
「でも、このワンピースが一番美しいのは伸縮しないこの素材を使った場合なんです!」
「そうは言ったって金がないんだ。商売なんだからさ。君だってわかっているだろう? これは仕事なんだよ」
私は美しくないモノは認めたくない。だって、それは完全なる正義だからだ。誰しもがそのために苦心し、そこに熱意を込める。だからこそ日は正義なのだ。だが、ある一定層に融通の利かない取引先がいる。こんな奴等には、こちらから辞退の連絡を入れてやる。しかし、それよりも早く三行半を叩きつけられたこともある。
会議室を出て、自席に戻ろうとする背後から声がかかる。
「あんた、そんなにクソ真面目な性格だから、美味しい契約を落とすのよ」
まったく、またアイツだ。私の失敗を笑いながらいじるのがコイツにとっては何よりの娯楽なのだろう。
「うるさいわね。私はあんたみたいにテキトーじゃないのよ」
じゃれるような声が出てしまった。そんな気持ちはさらさらないのに。目の前には同期のケイがいた。よく言えば自由。悪く言えばテキトーな性格で、いつも飄々と仕事をしている。見た目も美しく、私と同じくデザイナー部門の売り上げを牽引している。
「本当にその神経質さ、どうにかしなさいよ。そうしないと、どんどん皺が増えるわよ。不細工はよけいに仕事が取れないわ」
ケイの軽口は、本音かどうか計り知れない。だが、どういう訳だかいつも癪に障る。
「うるさい! あんたこそテキトーに生きていたら、そのうち大きな失敗するじゃないの?」
本心では、ケイのことが嫌いだ。一つ一つの行動が癪に障るので視界にすら入ってもらいたくない。ケイは自分の軸を持ち、やりたいように仕事をし、文句だって誰彼構わず好き勝手にいう。こっちは周りにかなり気を遣っているにも関わらず、ケイはお構いなしだ。まあ、あんなにもテキトーだから、私が嫌っていることさえ気付いていないだろう。
そんな他愛ないやり取りの数日後、ケイは辞表を提出した。どうやらやりたいことがあるとのことらしいが最後の挨拶もせずに去っていったため詳細はわからない。最後まで愛想のない嫌な奴だった。
***
美しさは時代によって変化していく。私はその変化や新しい美に敏感に反応し、心を躍らせていた。季節ごとにネット上に映し出される最新の流行服を見ているだけで時間は、あっという間にすぎてゆくほどだった。
そんな服飾の世界も時代の波に押され変化してゆく。AIデザインの登場である。服飾デザイナー達の多くは、これによりほぼ廃業を余儀なくされた。
「やめさせていただきます」
デザイン部門の専務は樹の言葉に驚きを隠せなかった。
「この会社に将来がなさそうなのでやめさせてもらいます」
「そんなこと言ったって、今、君が抜けてしまったら……」
専務は必死に止めようとしていたが、その手を払いのけるように樹はオフィス部屋を飛び出したす。ケイだって自由に仕事をはじめたんだ。自分にも何がしたいのか分からないだってできないわけがない。これ以外に何かスキルがある訳でもないし、かと言っていきなり独立して稼げる程の自信はなかった。ライバルは多い。それこそケイだって。でも、これ以上あいつの顔を見ながら仕事するのはごめんだった。これからは自由な生き方をするのだ。樹は、家に帰るとすぐに転職先を探すため、PCを立ち上げた。
だが、樹の新しいことへの挑戦意欲、流行好きがここで功を奏す。樹はこの状況下で、前職の業界を苦しめていたAIデザインの世界に飛び込むことを決めたのだ。
AIデザインの領域は広い。ポスターやチラシなど小さな作品も扱うが絵画、映像などへの展開・進展は目まぐるしいものがあった。この進展は、意識せず日常を過ごしていたら決して追いつけないレベルのものだ。これらの変化や新しいものへの適応に、樹は難なく入り込んでいった。
樹は、次々にAIの新しい領域を吸収していった。AI領域の仕事では、さまざまなAIを連携させていくことで新しいツールとして進化させることができる。まるでTVゲームの世界のようではないか。新しいスキルとスキルをかけ合わせることで強くなっていく。まるで現実世界でゲームをしているかのような感覚に酔いしれながら、樹はAIスキルを向上させていった。
AIで自身の身体をデザインし、リアルプリンターで一部を製作する。さらに、家庭用AIドクターに製作した身体の置換手術の指示をする。樹はこれまでの学びからAIデザイン整形という新しい美容整形のあり方を生み出したのだ。
過去には病を罹ったり整形をしたりする場合には、医者の元に訪れ長い待ち時間を経てようやくに受診。その後の処置は翌週、または、翌々週へと引き延ばされるものだったらしい。そのために失われた命も少なくなかったとさえ聞く。しかし、一家に一台AIドクターが設置されるとそれらの悩みの多くは消失した。
さらに家庭内で外科的処置ができるとなれば、人はさまざまなことを試したくなるものである。それは、美容整形も論外ではなかった。一家に一台のAIドクターがいる生活は人類の平均寿命を延ばしただけでなく、人間の容姿を飛躍的に伸ばすことにも貢献したのだ。家庭で美容整形ができる。誰にも知られず、美しい身体を手に入れることができることは社会を一段と活気づけるものであった。
そんな新しい家庭生活を逆手に取った樹の提案は爆発的な人気を得ることとなった。さらに会社に隷属する働き方から、自宅で自分の自由になる時間でデザインをする働き方を促すなど、AIが発達した世の中らしいワークシフトをももたらした。
樹はAIで自らデザインし、整形・改造した自分の身体を画像、映像として発信していく。それだけでなく、積極的にリアルボディショーの場へと足を運んだ。すると、樹の発信は瞬く間に拡散され、その知名度が上がっていくのだった。樹はリアルショーだけでなく、SNSを活用することを忘れなかった。下火になったとはいえ、SNSの拡散力はそれなりに健在。これらの併用がこの時代にマッチした。我も我もと樹のAIデザイン整形に呼応するように、身体を改造する若者たちが後を絶たなかったのだ。
それだけではない。この取り組みが樹に莫大な収入を運んできたのだ。AI整形を求める者が皆、AIデザインができる訳ではない。当時、AIデザイン整形の教祖のように崇められはじめていた樹へ、注文や相談が殺到していったのは当然のことだろう。
こうして、たった数年で樹の名とAIデザイン整形は世界的に流行していったのである。
***
「樹、いつも悪いわね……。あなたには世話ばかりをかけて……」
「ミズキさん、そんなこと考えなくていいのよ。私が好きでやってるんだから」
樹はミズキの耳元に口を寄せ、気持ち大きな声で話しかける。
樹がミズキの元に通い出したのは5年前。樹の評判を聞きつけたミズキから右足のオーダーをもらったのだ。ミズキは高齢であるにも拘わらず、独りでひっそりと暮らしていた。そのことを知った樹は、右足のオーダーを受け、そのメンテナンスを名目に定期的にミズキに会いに来ていた。
「今日の食事はミズキさんのお口に合いましたでしょうか?」
樹はベッドに車椅子を近づけ、ミズキと視線の高さを合わせるため少しかがむ。ミズキの大きな瞳の目尻には無数の皺が刻まれている。足だけでなく、この部分にも整形・改造を勧めたのだが、ミズキは決して顔を縦に振ることはなかった。
「このままでいいのよ……。不具合はないもの……。それにこんなお婆ちゃんじゃなくて、若い人のために樹の力は使ってあげて……」
何度言ってもこのように返され、しまいには勧めることさえも樹は諦めた。
「えぇ、今日の肉じゃがもとっても美味しかったわよ。樹、腕を上げたわね」
ミズキの笑顔が樹には痛々しく感じられる。一番推していたアイドルであったにも拘わらず、このように感じてしまう自分が憎らしい。樹はAIデザイン整形をミズキにも受けさせ、その美しさを留めておきたいと思っていた。だが、そうさせてもらえないもどかしさと、悲哀に苦しめられていた。
「ミズキさん、ありがとうございます。じゃあ、ベッドへ運びますね」
そういって、ミズキの肩口に樹は右腕を回し、ふくらはぎに左腕を添える。ミズキの白く細い腕が樹の首元に巻きつけられる。ミズキは随分細く、軽くなってしまった。樹は腕の中にすっぽりと収まり、抱きかかえられるほどの重さになってしまったミズキの瞳を一度見つめたあと、車椅子から抱きかかえる。
この腰骨だってAI整形してしまえば、昔のように自由に歩けるようになるのに。樹はそんなことを考えながら、ミズキをベッドの上へと横たえる。
「今日は少し疲れたわ。思った以上に本を読んでしまったの」
ミズキはベッドに横たわり、腕を胸の前で組んだ。
「それはよかったです。今日はゆっくりとお休みになれそうですね」
樹は静かにミズキに向かって笑みをこぼす。薄い布団をミズキに掛け、ミズキの手を握る。
「じゃあ、おやすみなさい。よい夢を」
樹がそう言うとミズキは瞼を閉じ、静かに寝息を立てはじめた。樹は少しだけ自虐の念に苛まれていた。老いてしまったミズキに対して憐れむような感情を持ってしまった自分が許せなかったからだ。憧れていたミズキが美しさを失い、老いていく。AI整形さえすれば美しく、若さを保つことができるのにと樹は思う。
モニターの中のように。
***
皮肉なことにAIで整形・改造した樹の身体は、生物体にはマッチしないようだった。樹の意志に反して、デザインされた肉体は徐々に崩れはじめていった。
樹は恨めしそうに床に転がる右腕を見て思う。先日、注意喚起と表題された国家健康保険省から通達があった。そこには「AIデザイン整形・改造は生命の維持に対して大きな危険を孕んでいるために独自の判断で行わないように」と記されていたのだ。
もしかしたら人間という生命体にはAI整形は適用可能ではないと医学的に判断されたのではないか。樹の中に少しずつではあるがAIデザイン整形への疑問が生じてくる。だが、そんな小さなことで悩んでいる暇はない。こうしている間にも刻々と時間は流れ、樹の身体は醜く、年老いていく。樹は自分の美しさが徐々に損なわれていくことが許せない。まだまだ、ずっと美しく、若くいたい……。
私は無駄なことを考えず、自分の身体を整形するために製作し、取り付け指示をAIドクターに出した。
***
私は、霞ヶ関に来ていた。政府である健康保険省が主催する「AIデザイン整形の危険性に関する」セミナーに参加するためだった。自分のビジネスを国が邪魔しにかかっている。その状況を知る必要があると、ここまでやってきたのだ。虎ノ門ビルの3階に設けられた会場はAIデザイン整形で有名なインフルエンサーなど多くの人が来場していた。そんな中、人ごみの中にケイの姿を見た。
「ケイ、ケイでしょ!?」
間違えるはずがない。若干年を重ねているようには感じるが、彼女で間違いはない。
「あら、樹じゃないの。AI整形で随分有名になったそうね。ざまあないわね。樹。手を出した業界に問題があるんじゃ、大変ねぇ。それにその身体、随分いじってみるみたいね。あなたの命は一体どれくらいなのかしら?」
美しいケイは挑戦的に樹を見下ろした。
「その言い方は一体なんなの? それになんであんたがここにいるのよ?」
嫌味な言い方に反論するように樹もケイに強い言葉を返す。
「私はね、政府からAI整形の危険性について、警鐘を鳴らす広告塔になって欲しいって言われているのよ。この意味、あなたにはわかるかしら?」
ケイはイジワルそうに口の端をゆがめる。ケイは樹を憐れむような目で見ながらいう。
「私は身体のどこもAI整形をしたりしていないわ。そして美しい。これからの世界はAI整形なんかに頼らず、自然な美しさで生きるのよ」
ケイはそう言いながら悦に入っている。
樹はたまらずに叫んでいた。
「あんたなんかに私達みたいな、容姿コンプレックスの人のなにがわかるのよ! 昔からあんたのこと、すごく嫌いだったのよ!」
体調が悪いこともあり、思いつくままに叫んでしまった。ここが公共の場であるにも関わらず。ケイはその笑みをより深くする。
「あんたが私のこと、嫌いだってもちろん知っていたわよ。あんたこそ、気付いてなかったの? 私もあなたが、大っ嫌い! まったく、どこまで堅物なのかしら。だから、『美しさ』なんて移ろいやすいものに固執して、AIなんかを使って全身整形するのよ。まあ、もうあなたの身体は長く持たないでしょうけどね」
ケイの一言に樹の全身に粟が立つ。もう、この場に居たくない。気付くと私はビルを飛び出し、家へとタクシーを走らせていた。
***
「じゃ、じゃあ……、私がこれまでやってきたことって……、一体何だったの……」
私の右目から涙と共に眼球がズルりと流れ落ち、垂れ下がる。
「もう、どこにも力が入らない……」
私はかすれていく意識の中で、なおも考える。あんなにもこだわって製作し、改造してきた鼻が地面に落ちる。
「樹! もう時間がないの! 最後よ! あなたはどうしたいの? わかっているはずよ!」
ケイも涙を流しながら叫んでいる。ああ、あなたのコトバを私だってもう、きちんと理解している。
変化することを無理に止めず、あるがままに生きることは美しい。自らの意志をはっきりと持ち、心の美しさを手に入れていれば、外見はどうでもよかった。私はただ、ありのままの自分を認めるのが怖かったんだ……。樹は右目が床にゴロリと転がっていくのを左目で見ながら自分の本心に今さらながらに気付く。
今、考えれば納得がいく。だが、身体は崩壊していく。もう立ち上がることすらできない。もう、身体を改造・交換するなんてできようはずない。崩れ落ちる脾肉。皮膚が爆ぜ、その内側にしまわれていた筋肉も流れ出し、むき出しになった大腿骨の白さが部屋の静けさと今は同調している。
いま樹は、はじめて自分らしく、このままの姿でありたいと感じている。
「この姿こそが、私。そして本当はこのままでよかったんだ……」
微笑んで動かしたであろう唇はそこにはなく、歯列だけが並んでいた。
私は思う。本当の美しさであることに気が付いた、今ならわかると。代替や移り変わる身体ではなく、心を移り変えていくべきだったと……。
「樹! いい加減にしなさい! あなたは、生きたいの? それとも一時的な美しさの中にいたいの?」
ケイの声が一層大きくなり、私の耳に突き刺さる。もう言葉にはなっていないかもしれない。だが私はめいっぱいの声を張り上げる。
「い、いぎたぃいぃいぃ~!」
喉の奥から振り絞るように怒号にも似た音を発する。私の中に残っているものすべてを吐き出すように。
次の瞬間すごい力で後ろから首を掴まれた私は、意識を失った。
白い天井が見える。
ここが天国というものなのだろうか?
私が天国? これまで美しさを追求し、その愚かさに気付いた私が?
そっか。そのことに気が付けたから天国にいるのかもしれない。
もうちょっと早く本当の気持ちに気が付けていたら、少しは違った人生になっていたのかもしれないな。
「美しさ」に固執しなければ、もっといろいろなことを楽しめたのかもしれない。
美味しい料理、太陽が降り注ぐ南の島、笑顔のミズキと一緒に浜辺を走り回ることだってできた。
あーあ。人生損しちゃったなー。
まあ、私の人生なんてそんなに価値があるもんじゃないし、いいか。
「どうやら気が付いたようね」
どこからかケイの声が聞こえる。ここは天国なんじゃないの? ケイも一緒に天国に来たっていうの?
頭を振り、上体を起こす。
上体? 私の身体、崩れてしまったんじゃないの?
視界にケイの姿が映る。年齢を感じさせないスラッとした体形とツンと顎先を上げながら私を横目に見ている。
私は自分の顔に触れてみる。触れられる。私の両手が……、ある……。
「ケ、ケイ……。ここはどこなの? 私は生きているの? どういうことなの?」
思考が定まらない。崩れたはずの私の顔が、腕が、身体がある。そして、声が……、少し違う気がする。
「あなたが執着を手離して、もう一度生きる意志を示したから、いまがあるの。これからはその身体で生きていくのよ。
そしてあなたにはその義務があるわ。あなたに『そのままであること』をずっと言い続けた人がいたはずよ。自分に気付き、残りの人生をありのままに生きなさい。それが、その人からの最後のことばよ」
ケイのいっていることがわかるようでわからない。私に「そのままであること」を言い続けた人? なにを言っているのだろうか?
おもむろにケイが私に手鏡を投げてよこす。白いベッドの上に緑色のそれはまるで自分を早く手にしろと言わんばかりに私に訴えてくる。
「ちゃんとした医療機関で行った脳移植だから、拒否反応はないはずよ。しっかりと生きなさい」
そういうとケイはヒールの音を高く鳴らしながら病室から出て行った。
私は手鏡に手を伸ばし、恐る恐る覗き込む。
そこにはミズキの姿があった。
造形(つく)られる私という他人 IF 白明(ハクメイ) @lynx_hakumei
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