第11話

 貨物船制圧から一夜明け、まともな人間ならとっくに活動している時間になって、橙華からウェブ会議を開きたいと連絡が入った。


『何か幇主の様子がおかしいんだけど』


 十人分で良いから先に送ってほしいという無茶な要求を伝えられ、渋々明日の船に積むことを了承し、返す刀で蛇頭と戦争になりそうと伝えて嫌な顔をされ、そうして必要な事務連絡を一通り終えた矢先、橙華がそんなことを言い出した。


「おかしいって何が?」


『何かスマホ見てニヤニヤしてるの。警察とのやり取りだって、いつも自分でやりたがらないのに、自分でやるって言い出すし……』


『おかしいのは昨日の朝からよ。今日も早く出掛けたし。しかも私服で護衛なしよ?』


「その辺彷徨いてるとかじゃないの?」


『だったらいつもの格好で出歩くでしょ。ジーンズジャケットにチノパンでスニーカー履いてたのよ。あんな幇主初めて見たわ……』


 橙華と並んで一緒にカメラに映る銀雪が戸惑っている。黒蜂は心当たりを口にした。


「銀雪さ、橙華から新人刑事のことって聞いてる?」


『北京から来てる人のことでしょ。あんたが余計なこと話したのも知ってるわよ』


 そのことは咎めないでほしいと思いつつ、黒蜂は続けた。


「あの刑事、多分幇主の元カレだよ」


『はあ!?』


『はぁ~、なるほど……』


 すっとんきょうな声を上げる銀雪に、すぐに察した橙華。この辺は人生経験の差だろうか。


『ど、どういうことよ!? か、かれし、彼氏!?』


「そのままの意味。幇主がモールス信号みたいなの送って、それをあの刑事が読み取ってたから。多分その刑事と会ってるんじゃないの?」


 あの日わざわざ迎えに来てくれたのも、あの刑事にモールス信号で会う約束を取り付けるためだろう。さしづめ黒蜂が日本行きの飛行機に乗っている間に再会を喜び、そして連絡先を交換したのだ。


『情報収集って大義名分もあるからねぇ。言われてみれば幇主、今朝機嫌良かったわ』


 無茶振りをされた挙げ句に厄介な揉め事に巻き込まれたとなれば、機嫌が悪くなるところだろうに、ご機嫌で外出したならもう確定だろう。


「あの刑事が上官で、幇主は現場での補佐役みたいな感じだったんじゃないかな。それで付き合ってたとなれば、そりゃあ大恋愛だよ」


 武警を退役して表の会社で働いている人達によれば、幇主が退役した時の階級は一級警士。曹長辺りと考えると、周刑事との関係は若き指揮官と現場を知り尽くした頼れる叩き上げといったところ。まるで物語のような関係だ。運命のような再会で再燃するのも頷ける。


「幇主も女だからねぇ。うちが押し倒した時だって、まんざらでもなかったみたいだし?」


 冗談半分で言うと、


『無表情で殴ってたわよ』


『うん。死ぬんじゃないかってくらい凄い音した』


 しっかり見られていたらしく、二人揃って真面目に応じてきた。黒蜂は肩を落としつつ、


「で、どこに出掛けたの?」


『多分ビクトリア・ピークとかじゃないかな。九龍まで出掛けたら目立つし』


 幇主は香港住民によく知られている。さすがに縄張りの外を一人で出歩くほど、逆上せてはいないだろう。観光スポットに行く方が目立たずに済む、と判断できる程度には、理性が残っているはずだ。


「あの辺にカチコミかけてくる馬鹿はいないから、大丈夫だよ」


 安心させようとそう言うと、橙華も納得したように頷いた。


『ありがと、黒蜂。蛇頭の件は機嫌が良い時を見計らって報告しとくね』


「頼んだよ」


 ウェブ会議を終えると、黒蜂はノートパソコンを手に部屋を出た。


 ベトナム人が働く作業場を尻目に裏口から出て、隣に併設されたプレハブの事務所に入る。六畳ほどの部屋には禿げ頭に痣を作った張がいて、楊とその手下に見張られながら、コンビニのサンドイッチを食べていた。


「悪いね、張さんだけ残ってもらって」


 向かいに座った黒蜂が共通語で言った。手下の男は闇医者に連れていってやって、平岡はただの雇われスカウトだったから、居合わせたチンピラと一緒に解放してやった。責任者の張より有益な情報を持っていることはないだろうという判断だ。


「誰の指示で香港に半グレ送り込んでるのか、話す気になった?」


 向かいに座った黒蜂が共通語で訊く。


「話してくれたら、お昼は吉野家の牛丼にしてあげるよ」


 咀嚼して飲み込んだ張は、ペットボトルの水を飲んで咽を潤すと、ようやく口を開いた。


「拷問でもして聞き出せば良いじゃないか」


「拷問は意味がないからやらない。うちの幇主、下品なことしたら怒るしね」


「こんな甘やかしてて、話すと思うのか?」


「話さないなら別に良いよ。知らないってことだろうし、それなら用済みだから、うちらからあんたのボスに直々に引き渡してあげるよ」


 張の表情が強張る。仕事に失敗した上に無傷で解放されたとなれば、あらぬ誤解を招きかねない。最悪殺されることになるのは、蛇頭の残虐さを知っていれば想像がつく。


「もし話してくれたら、あんたが死なないように便宜を図ってやれるよ。例えば、あんたが何やらかして捕まったのかを黙っててあげるとか。うちも蛇頭と戦争なんてしたくないしね」


 個人的にはどっちでも構わないが、幇主が許してくれるか分からないから、そう言っておく。


「頼むから、本国には言わないでくれ」


 張は命乞いでもするかのような顔で言った。


「どこか大口の取引先がいるんでしょ。そいつ話してよ。そしたらうちらも口裏合わせてあげるから」


 これで元凶を叩き潰せば、銃を運び出す必要もなくなる。八〇〇万ドルが消えるのは痛いのかもしれないが、別に黒蜂の懐が痛むわけでもないから、気にすることはない。


「神奈川の、常田ときた組ってヤクザだよ」


 ようやく重い口を開いた張は、つまらないことに暴力団の名前を告げた。


「そこ三合会の誰かと仲良しとか?」


「知らないよ。俺だって香港のことはほとんど分からないんだから」


「何それ。使えな……」


 何が楽しくて日本のヤクザが、香港黒社会の抗争に福建マフィアを使って介入したがるというのか。そんなのは三合会のどこかとつるんでいるからとしか考えられない。


 そこへ楊が面白くない情報を付け加えてくれた。


「常田は三合会とつるんでないと思いますよ。親の佐久間一家がタイラー・ルンと揉めてから、今も出禁食らってるらしいですから」


 十年前まで香港黒社会に君臨していた三合会の事実上の首領だ。大陸のマフィアも怯ませるほどの苛烈な暴力性から、名前にかけて暴君龍タイラント・ルンと恐れられた人物で、黒蜂でも何度となく耳にしたことのある名前だから、よく知っている。


 それほどの人物から嫌われていたとなれば、香港でのビジネスは絶望的。そんな状況を打開するためのマッチポンプとして、半グレを送り込んでいるということだろうか。


「常田組って規模はどのくらい?」


「三〇人もいませんよ。親の佐久間一家全体でも、五〇〇人いかないくらいです」


「で、あんたいくらで仕事請け負ってるの?」


 楊の回答を参考に張に訊いてみると、


「前金で一億。それで一人頭三〇〇万の約束で受けてた」


「んなわけあるかぁ」


 昨晩と同じ感想を漏らしてしまう。昨今のヤクザがマッチポンプのために払うには大き過ぎる金額だ。そんなことをするなら新義安か和勝和にでも商談を持ちかけた方が早くて安上がりだろう。


「常田組の裏に何かいるね。結構でかい組織だわ」


 そう考えるのが自然だが、それがどこかは判然としない。親の佐久間一家かもしれないが、自分達で直接動いた方が早いはずだから、線としては弱い。


「もう本人達に聞きに行こう。沢良宜さんと来島さんに連絡して」


 結論付けると、楊が手下達に指示を出す。暴力団一つを相手にするとなれば、それなりに準備をしなければ。


「張さんには悪いけど、あと数日ここにいてもらうよ。帰らせると守ってもあげられないし」


 遠巻きに脅すと、張は押し黙って受け入れた。

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香港の雪豹 その辺からの物体ワイ @object_y

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