第10話

 中環セントラルに逃げ込んだ呉から会って話がしたいと連絡を受け、藍玫は橙華と護衛を連れて潜伏先のホテルに赴いた。


 金融街ファイナンス通り沿いに立つ外資系高級ホテルのスイート。背広姿の護衛を五人も同伴させていた呉は、藍玫達を部屋に通すなり、青ざめた顔で用向きを切り出した。


「商品の到着はいつになりますか?」


「何があったんですか?」


 場を温めるための雑談もなしに問い詰められ、橙華が質問で切り返す。縄張りの外へ逃げ込んできたということは、何か良からぬことが起きたのは間違いないとして、その内容を聞き出す必要がある。


「ついさっき、うちの事務所に日本のヤクザどもが乗り込んできたんです。機関銃を持った五人組ですよ! うちの人間が八人殺られて、十人は病院送りです。アーノルドも殺されてしまいました!」


 呉の手下は総勢五〇。一気に四割近い人員が戦線離脱を余儀なくされたということだ。


「日本人は常軌を逸している! あんなものを街中で売っていて、子供でも買えるだなんて、どうかしてます!」


 それに関しては藍玫も同感だった。日本では高校生にもなれば銃器所持の免許が取れる上に、アメリカでも禁止されているフルオートや三点バーストに対応した法執行機関向けの長物まで気軽に購入できてしまう。世界に冠たる銃の楽園。それが二十一世紀のあの国だ。


 そんな修羅の島国からやってきたヤクザ者に、いきなり本丸に乗り込まれたとあれば、顔面蒼白で錯乱するのも理解できる。


「君のところでまともに銃を扱える人間はあと何人いる?」


 藍玫がそう訊くと、呉はハンカチで冷や汗を拭いながら深呼吸を一つして、


「まともの基準によりますが、今残ってる手勢だとここにいるのと、向こうに残した三人の合わせて八人です。私も拳銃くらいなら扱えます。ニューヨークにいた頃護身術の指導も受けましたからね」


「なら取り急ぎ、十人分送ってこさせよう。長物は間に合わないかもしれないが、拳銃だけでも構わないか?」


「構いません。追加の手数料も言い値でお支払いします」


「今回はサービスしてやる。余計な出費が嵩んで大変だろう?」


 いつもなら何万ドルか払ってもらうところだが、傷口に塩を塗るのは趣味ではない。ここまで憔悴しているのだから、情けをかけてやるのが人情というものだ。


「助かります、王さん」


 藍玫の優しさに、些か表情が和らぐ呉。そこへ橙華が、


「一応確認ですが、羅さんはこのことをご存知ですか?」


 14Kにおける呉の兄貴分。一般企業に無理矢理当てはめるなら、直属の上司だ。話しているのが普通だが、それならこんなところへ逃げ込まず羅に匿ってもらっているだろう。


「向こうはもう気付いていると思いますが、何も伝えてません。ここへ逃げたことについては、何とでも言い訳できますが」


「話さないでおけ。あの男が中環まで来るのは不愉快だ」


「分かりました。王血幇の皆さんには、ご迷惑をかけないようにしますので」


 そんなことはできないと思うが、この手の揉め事には慣れている。妙な言いがかりに備えておこうと決めたところで、緊急の会合はお開きとなった。




 中環のホテルから自宅のある西環貿易中心大厦までは、車で十分ほど。四号線を道なりに進むだけで到着できる。


「幇主、気になることがあるんですが」


 補佐として同行させた渉外役の部下に運転を任せて、助手席から橙華が問いかけてきた。


「日本のヤクザって、三合会の拠点に詳しいものなんでしょうか?」


「呉の事務所が襲われたことが気になるのか」


 橙華は頷いてから続ける。


「ヤクザ達は日本語しか話せないみたいですし、地元民から聞き出すのは難しいと思います。まぁ、そもそも外国人に訊かれても答えるような人はいないと思いますけど」


「そうだな」


「となると、三合会に詳しい人間がヤクザと結託してるんじゃないでしょうか」


 三合会の諸派には日本の暴力団と取引をしている者もいる。あり得ない話ではないが、余所者を引き込んで代理戦争をさせるような大馬鹿者には心当たりがない。


 三合会というのは香港社会の癌であり、同時にある種の誇りでもある。彼らもその自負があるからこそ、未だ余所者に覇権を奪われることなく香港黒社会の代名詞たる存在であり続けているのだ。


 余所者を使って他の派閥を襲うなんて真似をすれば、その名前に傷を付けたも同然。確実に死で贖うことになる。そんな危ない橋を渡る必要があるほど、彼らは逼迫していない。


「警察か?」


「それか廉政公署れんせいこうしょ辺りかと」


 三合会でなければ、怪しいのは警察。だがこれも突飛な発想だ。抗争を引き起こして組織を弱体化させるなんて、対外情報機関のやり方だ。香港警察や廉政公署はそこまで狡猾ではないし、市民に危害が及ぶやり方を良しとしない。


 考えにくいが、少なくとも三合会に精通した協力者がいるのは間違いない。となれば、心当たりを一つひとつ当たってみた方が良いのだろう。


「警察の方は私が探ってみる。橙華は三合会の中を調べてみてくれ」


 スマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開く。


「え?」


 意中の人物とのやり取りを追加しようとした時、珍しく橙華が訊き返してきた。黒蜂と違って理解力も聞き分けも良いのだが、どうかしたのか。


「あ、いえ。分かりました」


 顔を上げた矢先、橙華は我に返ったように指示を受け入れた。疲れているのだろうと大袈裟には捉えず、藍玫はメッセージアプリの画面に関心を戻した。

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