第9話
栃木で人を殺しまくっていた凄腕のスケバンが六本木にやってくる――そんな馬鹿な噂をレガリア通商の小口客経由で流したところ、あっさり食いついてきた。
噂の人物は平岡を名乗る男で、第一印象は渋谷辺りを彷徨く芸能事務所のスカウトといったところ。黒蜂がバーで飲んでいるところにやって来て、実入りの良い出稼ぎの話があると持ちかけてきたので、それに乗っかってホイホイついていった。
「いやほんと、君みたいな腕自慢の子にうってつけのバイトだから。保証するよ」
「そうなんですか」
助手席に座る黒蜂に、運転席の平岡か軽薄な態度で話しかける。
「それで、お店の人が言ってた噂って本当なの? 喧嘩の相手殺したとか、ヤンキーの玉潰しただとか」
「そこはまぁ、ご想像にお任せします」
「へぇ~、恐いなぁ!」
こういう人伝の武勇伝には曖昧に返事しておく方がリアリティが出るというもの。おかげで平岡はさっきから称賛しっぱなしだ。
車は東京港に入った。大井ふ頭に停泊する貨物船の近くで停まり、そこで降車を促された。
「船ですか?」
「そう。ほら、ついてきて」
タラップを伝って乗船し、船内を進む。やがて食堂に通されると、そこで平岡が次の指示を告げた。
「じゃあ古賀さんね、身分証出して」
「はあ……マイナンバーカードでも良いですか?」
「良いから、ほら」
さっきまでの媚びたような態度が嘘のように急かされ、バッグから財布を取り出す。マイナンバーカードを抜き取って差し出すと取り上げられて、食堂で待機していた他の男に渡される。
広い食堂には四人ほどが座っていて、見るからに真っ当な仕事をしていなさそうな身形だ。目つきも悪い上に全員揃って睨みつけてくる。女相手に威嚇なんかして恥ずかしくないのだろうか。
「座って」
平岡に命じられて、背もたれのない粗末なパイプ椅子に座る。すると黒蜂達の前に男が出てきて、早速用向きを話し始めた。
「皆さん、集まってくれてありがとね。私、張と言います。よろしく」
片言の日本語で名乗ったのは、禿げ頭の小男。ベージュのスーツを来た痩せ身で、卑屈そうな笑みを張りつけている。
「皆さんには広州に行ってもらいますよ。向こうに行って一〇万円、仕事したら一日当たり三〇万円。簡単な仕事ですから、安心」
「それどこ?」
先に集まっていたうちの一人が質問を投げかけた。
「中国よ」
「俺パスポートとかないけど」
「あぁ、要らないよ。私達特別なコネある。皆さんただで連れてってあげるよ」
質問した男は嬉しそうに「へぇ」と唸る。無料で海外旅行ができるとでも思っているのだろう。
「どのくらい向こうにいるんすか?」
別の男の質問に、また張が答える。
「三日、三日。とりあえず三日ね」
「とりあえずってことは、伸びる場合もあるんですか?」
黒蜂が手を挙げて訊いた。
「うん、現場次第」
「なるほど……仕事って、どんなのです? パスポートなしで渡航なんかしたら、犯罪だと思うんですけど」
食堂がざわつく。どうも先に来ていた四人は犯罪行為だという認識もなかったらしい。
「捕まったりしません?」
懸念を告げると、張はひそひそと中国語でやり取りを交わし始めた。聞き覚えのある訛りとフレーズ。だが何を言っているのかはよく分からない。
「ちなみに張さん、どこの人です?」
「あ?」
張は苛立ったような態度で作り笑いを向けてきた。
「中国って広いですから。北京とか上海とか、色々あるでしょ。それとも広州の人?」
「そうそう。そうだよ」
「いや、広州なら広東語喋るでしょ」
黒蜂が指摘すると、作り笑いが消えた。
「深圳に友達がいるから、ちょっと詳しいんですよ。張さんが喋ってるの、広東語じゃなくないですか?」
「あぁ、そうなの。でも、中国広い。広州も広い。言葉たくさんあるし、私の言葉話すのたくさんいるよ」
「そっか……」
納得したように頷く黒蜂に、張は畳み掛けるように答えた。
「捕まるの心配もいらない。大丈夫。組織の人間だって話せば、逮捕されない。日本帰されて終わりね」
「んなわけあるかぁ」
適当な説明に思わずツッコミを入れて笑ってしまった。これで今まで騙せてきたということは、本当に馬鹿ばかり集めていたらしい。
「張さんさぁ、そんな嘘は良くないよ。広州で組織犯罪なんかやったら最悪死刑でしょ」
「は?」
「し、死刑!?」
他の四人がざわつく。顔を強張らせる張に、さらに黒蜂は続ける。
「それと張さん、何喋ってたか分かったわ。あんた福建語喋ってたでしょ?」
どうやら正解らしく、歯を剥いて睨んできた。橙華の部下に梅州市から流れてきた男がいて、たまに機嫌が悪いとぶつくさと福建語で愚痴をこぼしているから、辿り着けた。
ついでに言うなら、さっき聞き覚えがあるフレーズの意味は「クソアマ」だ。橙華の部下が美人局に遭った時に何度も言っていたフレーズだったが、ようやく思い出せた。
「あんたら
密入国を手掛ける福建のマフィアだ。人身売買をやっているも同然な上、合法的な経済活動もさほど大きくないとあって、幇主はまともに相手したこともないが、経済力は中国黒社会でも指折りの老舗勢力だ。
「日本に散々不法入国者送り込んできて、日本が落ち目になったら今度は日本人を使い捨ての駒として売り出す、と。どんだけ迷惑かけたら気が済むんだよ」
「何を言ってる、分からないよ」
「こいつらや先に送り込んだ奴らが警察に捕まれば、日当は払わずに済むわけだから、安いもんだよね。それで香港の誰にいくらで売ってるのか、興味深いよ」
図星だったらしい。張は顔を強張らせ、そしてこちらの素性を察したらしく、睨みを利かせて標準語で問い詰めてきた。
「何だ、お前?」
黒蜂は笑みを見せて、名乗ってやった。
「
名前が売れていながら顔は知られていない。そんな中途半端な知名度だと、名乗った途端に相手の顔が凍りつく。何度か経験があるが、毎度楽しくて仕方ない。
何より名前を合図に使っても様になるのが都合が良い。
銃声が廊下を伝って聞こえてくる。フルオートのけたたましい銃声。腕時計の盗聴器から突入の合図を聞き取った楊が、手下とともに船に乗り込んだのだ。
「おいおいマジかよ……」
銃声と喧騒に平岡や張が気を取られた隙に、黒蜂は立ち上がってパイプ椅子を掴んだ。
「ぐおっ!?」
扉のそばに立っている平岡めがけ投げつける。パイプ椅子が頭に直撃して倒れた平岡に、黒蜂はテーブルを飛び越えて駆け寄り、懐から銃把を覗かせる得物を掴んだ。
銃声が近付く中で張が叫んだ。撃てか殺せとでも叫んだのだろう、部下が拳銃を抜く。
黒蜂は部下に向けて平岡の得物を撃った。今時珍しくもないトーラスの自動拳銃。右手に当たって指を二本と拳銃を吹き飛ばし、張の部下は呻きながらその場にうずくまる。
続けて棒立ち状態の張へ迫り、喉と胸を銃口で突く。壁に背中をぶつけたところへ脇腹に拳を叩き込み、下がった禿げ頭を銃把の底で殴りつけると、張は足下に崩れた。
食堂の扉が開かれて、揚が手下とともに雪崩れ込んでくる。得物は呉のために整備しておいたクリスベクターとUMPだ。
「おぉ、さすが麗羽さん。いつもながら惚れ惚れする仕事ぶりですね」
何も考えてなさそうな楊の賛辞は聞き流して、
「怪我は?」
「全員無事です。敵は大体十人くらい殺しましたかね」
自慢げな報告に続けて、楊は珍しく真っ当な疑義を申し立ててきた。
「でもこれ、蛇頭と戦争になりません? 幇主の許しももらってないのに、大丈夫ですかね?」
「良いよ。14Kと勝手に戦争始めてもグーパンチ一発で許してくれたし、大丈夫」
それに大義名分はできそうだ。足下で伸びている張に、手下の男、それに平岡。証人になってくれそうな手駒は揃っている。
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