第14話「その手に触れる、肌と禁書と」

 ファミレスで昼食をはさんで、神保町へ。

 もちろん、店内でも愛念まりすはとびきり目立った。だが、彼女は優雅な所作で食事を終えて、化粧室で一度お色直しして、今は隣を歩いている。

 電車で行けばすぐだが、利好は秋の街を二人で歩きたかった。


「あっと、愛念さん」

「はい?」

「その、靴、大丈夫? その靴だと、あんまり長距離は歩けないんじゃ」

「大丈夫ですよ、利好さん。鍛えてますから!」


 にっこり笑って、愛念は細腕にちからこぶのポーズを披露してくれる。彼女は今、かなりかかとの高いヒールを履いていた。利好は詳しくはないが、この手の靴はひどく疲れるし、あまり長い距離を移動すれば靴擦くつずれの恐れもある。

 でも、愛念はまったく気にしていなかった。


「せっかくコスロリを着てるので、むしろ外を歩きたいくらいです。それに」

「それに?」

「私はヒールを履いてるときは、基本つねにつま先立ちなんですね」

「えっ」、疲れない?

「いえ、鍛えてますから! それに、こうしているととっさの反撃も余裕をもって動けるんです。祖母に小さいころから、そう教わりました」

「なんなの、その常在戦場じょうざいせんじょうっぷり。戦闘民族なの?」


 そう、時々愛念はミステリアスだ。

 長身に中性的な美貌、そして怪力と見事な格闘術。感性も鋭く、とても鋭敏な洞察力を持っている。本当にただのバーテンさんなのかと不思議に思うくらいだ。

 そして、その愛念がぴたりと歩を止める。

 振り向けば、彼女はほおを赤らめうつむいていた。


「あ、あの……利好さん。えっと」

「ん? どしたの」

「手を……手を、つないでもいいですか?」


 気恥ずかしそうに愛念ははにかんで、そっと白い手を差し出してくる。

 利好は瞬間湯沸かし器みたいにシュボン! と顔が熱くなった。

 ちなみに生まれてこの方、家族以外の女性に触れた記憶はあまりない。エリカやありすとは普通につきあえるが、物理的な接触は全くなかった。

 その利好が、手をつなぐ。

 妻とだから、なにも問題はなかった。

 だが、それはいってみれば初めての体験である。


「え、ええと、じゃあ……いっ、いいい、行きますよ! 愛念さん!」

「は、はいっ! ……や、優しく、お願いします」


 おそるおそる手を伸べ、愛念の手に重ねる。

 普通に握手して、それからつなぎなおして利好は隣に並んだ。

 見上げる愛念は耳まで真っ赤になっているのが見えた。

 そして、てのひらにあたたかなぬくもりがじんわりと浸透してくる。

 愛念の手は利好と変わらぬ大きさだったが、ひどく柔らかくてドキドキする。


「ほ、本当はですね、利好さん。恋人同士、夫婦同士とかは……腕を、組む、らしいです」

「ああ、うん」

「でもこう、わたし……無駄にでっかいので、ちょ、ちょっといいですか?」


 改めて手を放して、愛念が利好の腕に抱きついてきた。

 だが、そうすると愛念は少しかがまねばならず、ちょっと体勢的には不自然だ。じゃあ、逆にと利好が愛念の腕にぶらさがる。これはしっくりくるが、男女逆な気がした。


「なるほど。でも、手を繋ぐだけなら」

「は、はい」

「じゃ、じゃあ、ええと……もう一度」

「え、ええ」


 なんだか妙に緊張してしまうが、再び手に手を取って歩き出す。

 ちなみに、普通に手を握り合っているが……エロ漫画家の利好は耳年増で知っている。世の中には「恋人つなぎ」とよばれる手の握り方がある。作中でなんどか書いたこともあるし、手の甲側からやる逆恋人つなぎも嫌いじゃない。

 あくまで、えっちなシチュエーションの漫画での話である。

 実際には、普通に手を繋ぐだけで心臓が口から飛び出しそうだった。


「じゃ、じゃあ、行きますね」

「は、はいぃ……よ、よろしくお願いします」


 お互い身を寄せ、肩と肩が当たるか当たらないかの距離を歩く。意識しなくても、愛念の歩幅は不思議と利好の足並みについてきた。無理をしている様子もなく、カツカツと歩道のタイルをヒールが奏でる。

 秋葉原から神保町まではすぐだが、今日は少し長く感じられた。

 そして、こんなひと時がずっと続けばと思う。

 もう秋風は冬の気配を秘めていたが、日差しは暖かく空も雲一つない晴天だった。


「えっと、いきつけの本屋さんや古本屋をまわりたいんですけど」

「はい。わたしも本は好きで、仕事の休憩時間とかによく読みます」

「そうなんだ。僕ももっと読書を増やしたいんだけど、なかなか時間が。ちなみにどんな?」

「なんでも読みます。漫画の少年雑誌も読むし、追いかけてる連載もありますし。お、惜しがですね、いる漫画は必ずチェックしますね。あとは、推理物やミステリー小説を」


 どうやら愛念は連載派のようだ。

 ちなみに利好は単行本派である。

 今後の円滑な夫婦生活のためにも、ネタバレには注意して暮らさねばならないと思ったが、あまりネタバレを気にしたことがないので注意する必要はないだろう。

 利好はストーリーのあらすじがわかっていても、実際読む楽しみとは別腹の人間だった。


「っと、まずはこの店を」

「神保町って、本屋さん多いですよね。普段は来ない街なので、ふふ、ちょっと楽しいです」

「結構希少な本も出回ってて、資料探しなんかにも重宝するんですよ」


 馴染なじみの店に入ると、いつもの店主と目があう。互いに一礼を交わすと、老婦人の店主は再びうたたねするかのように目を閉じてしまった。

 古本屋というのが、利好は好きだった。

 独特のにおいが漂う中での、静かな静かな本の密林。

 多種多様なジャンルの書籍が並び、その中にお宝が眠っているかもしれないのだ。


「ちょっとあっちの棚、見てくるね。……愛念さん?」

「ああ、猫本のワゴンセールが……犬の写真集も。はっ! は、はい、ごゆっくり。わたしもいろいろ見て回りますので!」


 愛念はなんだか、入口のワゴンに並んでる特売品の写真集や絵本にうっとりしている。どうやら今日は、犬や猫の本のバーゲンセールをやっているようだった。

 そんな彼女の手を放せば、はやくまた繋ぎたいと心が疼く。

 なんだかいけない快楽を知ってしまったような、自分でもキモい興奮があった。

 初めて触れた異性の柔肌……今後の作品にこの経験は生かされるような気がした。


「さて、と……なにか掘り出し物はないかな」


 ここから先は、ダンジョン攻略に挑む冒険者の心境だ。

 この店は品ぞろえもよく、本の出入りが頻繁ですぐに店内の景色が変わる。若者の読書離れとか、紙の本が売れないとか世間では言われているが、神保町では古本屋同士の綿密なネットワークが古くからあり、欲しい本は大半が見つかる。

 ただし、値段は要相談というか、財布に聞いてみるしかないが。


「ふむ……そうそう、こういうのでいいんだよ。古本屋というのは、静かで、豊かで」


 今日はまだ、これといって珍しい本には出会えていない。

 ほかには客が2、3人いるが、あえて言葉も交わさずすれ違う。前を通らざるを得ないときに「すみません」とつぶやく程度だし、基本は互いに背中どうしてすれ違った。

 こういう時間は、利好にとってはこのうえないリラックスタイムだった。

 だが、突然愛念が漫画コーナーの方からやってくる。

 客たちは彼女を振り返り、そして二度見していた。

 ゴスロリのおっきな美女が……手にえっちな漫画本を握っていた。


「利好さん! こ、これっ! この本!」

「お、落ち着いて、愛念さん。しーっ……」


 ちなみに愛念と書いて「まりす」、本名である。ハンドルネームとかコスネームではないのだが、周囲にはどう聞こえたか。

 そして、そういう名前の人の本を愛念は差し出してくる。

 見慣れたそれに再会した瞬間、利好は懐かしさがこみあげてきた。


「この、有栖川ありすがわありすって、ありすさんの本名ですよね! これ、ありすさんの漫画なんじゃ」

「……そうだよ。あいつ、バカみたいな本名だからそのままペンネームにしてた」

「これ一冊で三万円ですよ……ど、どういうことでしょう。希少な名著なんでしょうか」

「あー、それはね。うん……とりあえず、もとに戻しに行こうか」


 狭い店内では、いささか愛念は窮屈そうだった。そんな彼女と、漫画コーナーでありすの単行本をもとの場所におさめる。

 久々に見たなあという懐かしさ。

 しぶとく生きる野の花を、除草剤がまかれた庭でみつけたような気分だった。


「あれがありすの、最初で最後の単行本。連載もあれだけでやめちゃったんだよね」

「ど、どうしてですか!? あ……あの、あまり売り上げが振るわなかったとか」

「うんにゃ? ただね。……っていうのが昔はあってね。都の政治家さんたちの中で、毎年一冊有害図書を選出するんだ。そして、それは発禁、絶版になる」

「え……どうしてですか? だって、えっ、ええ、え……えっちな漫画って」

「ちゃんと法令に従って描いてるし、ものすごーく細かい決まりがあって、みんな守ってる。隠すべきは隠し、幼女を書いても成人設定。……でも、有害図書って言葉はね」


 結果、当時ありすの出した単行本はすべて回収された。

 でも、時々こうして思い出したように高値で売られている。それはレア度が高いからもあるし、その金額を出してでも読むだけの価値があるからだ。

 面白い漫画だと思う。

 女性作家って時々、男が思いつかないような性癖やシチュを引っ張り出せるのだ。凄い傑作だと思うし、ありすには内緒で利好も本棚に一冊おいてある。

 でも、それをろくに見もせず有害図書と断じた人たちがいるのだ。

 今ではなくなったが、年に一冊必ず有害図書が指定されていた、そんな時代があった。

 愛念は言葉を失い呆然としていたが、そっとまなじりに浮かぶ光を手で拭うのであった。

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