君の望む次の世界
それから六年間、ハバリはレーテと共にいる。
世界を繰り返し、千年をまどろみ生きてきたハバリには、泡沫のような
(――……生まれた時から、罪人……)
彼はそういう設定で人生を塗り固められ、それにふさわしく育てられ、生きてきてしまった。生まれてすぐに、鎖に繋がれる生贄とされたハバリと同じように。
(だから少し、少しだけ……)
きっと、彼との距離を見誤ったんだろう。
(ま、でも、本当にこいつは、憐れむ余地なく性根から腐ってたクズ野郎だったけど)
やることはやるが、言う言ことは聞かない。人は殺す、女は誑かす、ばくちは打つし、盗みも働く。息吸うように、明るい笑顔で悪事を重ねる。疑いなく、ハバリがあの
(ただ、けれど――……)
この駄犬は、いつも必ず帰ってきた。六年の間いつだって、ハバリの隣に帰ってきた。今まで誰もいることのなかった彼の隣に、よりにもよってするりと収まったのがこの男だった。
ちらりと見下ろした先。黒衣からのぞく首筋には、赤く首輪が刻まれている。魂の色も形も定まらぬ、赤子の時に彫られたもの。咎と罪を、小さな命に手前勝手な思想で植え付けた跡。
気づけば、ハバリの指先は、レーテの首筋に伸びていた。いつかの彼と出逢った夜に、彼が己でしていたように、白い指の腹が刺青を撫でる。
「――こいつが……」
「いきなりなんだよ、くすぐってぇな」
「こいつがなければ――君はどうなっていたんだろうと思って」
ぼそりと落ちた声はハバリが思ったより静謐で、だから真摯に響いてしまったかもしれない。
「もうちょっとましな奴だったかな」
「そうだとしたら――お前、俺を選ばなかったろ?」
取り繕うつもりで皮肉めかして口端を上げれば、そう赤い瞳に笑い返された。
「興味で世界を滅ぼせるようなクズじゃなけりゃ、お前の隣にはいられなかったんじゃねぇの?」
首筋に伸びていた右手を取り、そのひらにある傷跡を今度は褐色の指が撫でる。
「こいつの力を使って、お前はこの世を終わりにしたいんだろ? イジュスみてぇなこの世を憂いてこっちに来た奴は、結局この世界に未練があんだよ。だから最期までお前の側にいられんのは、俺みたいな奴だと思うぜ? 俺はいつ終わりにしちまっても惜しくない。お前以上に、な」
「俺も別に、この世をもはや惜しいとは思ってないけど?」
「目覚めてから六年もかけてんのに?」
「六年しか、かけてないんだけど?」
見解の齟齬だと冷たく返して、ハバリの手のひらはレーテの指先からすり抜けた。
「ま、それでもいいけどよ」
すんなり右手を逃がしてやったまま、のん気にレーテは胡桃菓子をつまむ。がりっと尖った歯が齧れば、飴のように纏われた砂糖の衣が、行儀悪くベッドの上に散っていった。それにハバリは露骨に眉をしかめる。だからもう一度、その口に運ばれかけた菓子を奪って食べてやった。
「それ、気に入ったのか?」
「君の食べ方が気に入らないだけだよ」
にやにや見上げるくつろいだ様に、憤懣と言い捨てる。
「なんで俺の寝台で食うんだよ。というか、君がまともなところで食べてるの見たことない」
図書室であったり、人のベッドの上であったり、およそ食べるに不適切なところでばかり、彼はだらだらなにかを口にしている。
「まともなところで食べてたら、お前寄ってこないだろ?」
自室にこもって食べてろよ、そう続けようとしたのを読んだようにさえぎられ、ハバリは虹色の瞳を見開いた。なにを言われたか、一瞬理解ができなかった。
「誰かと飯食って旨いの、お前が初めてなんだよな」
「そ……んなことのために、俺の寝台は汚されてるわけ?」
「一度起きりゃ、たいして寝ないくせに」
悔しくて、思い浮かんだのと別のことを口にすれば、気づいていないのかレーテはただおかしげに笑った。
「ちょっとした俺の楽しみぐらい、提供してくれてもいいだろ? 主様。どうせこれで終わりなんだし。俺の望みは今生で終わること。もう一度ゼロから生きるなんてごめんだからな。だからお前に加担してる。最期の思い出に世界は滅ぼせる。次はいらないっつう希望も叶う。いいことだらけだ。お前に出逢えてよかったよ」
これのおかげだとでもいうように、赤い首輪に指が這う。
「生まれてこの方、なにをどう楽しもうとしても味気なかったが、この六年はそれなりにおいしい思いをしたかもな」
月明かりに濡れた燃えるような瞳が、いつもどおりに笑ってハバリを見上げた。
「拾ってくれてありがとな」
その焔の色に、一時でも目を奪われた己が許せなくて、ハバリは顔をしかめてそっぽを向いた。
「……俺はいつも、お前なんか拾うんじゃなかったて思ってるけどね」
「最高だな」
満足げに笑う。その明朗さが気に食わなくてハバリは嫌味を込めて言ってやった。
「そうやっていつも悠長に構えてるけど、
「そんなことねぇよ。生きるって、そんなにいいもんじゃねぇからな」
「どんな設定でも?」
「ああ、だってもし恵まれた設定で、いい奴に生まれ変わっちまったんだとしたら、それもう俺じゃねぇだろ」
思いもかけない言葉に、ハバリは虚を突かれてレーテを振り向いた。そう考えることすら頭になかった。生まれ変わった後の人の在り方なんて、思考のほかだった。いくど世界を転生させようと、そこに生きる――かつて別世界で生きていた個の輪郭を辿ろうとしたことなどなかったから。
「だから、来世はいらない。生きるのももう十分」
歌うように軽々と、形のいい唇は動く。火灯り色の瞳は、相変わらず楽しそうに細められていた。少なくとも、見た目だけは。
「人間に期待してねぇんだ、俺。だからお前ほど諦め悪くなれねぇの」
「俺も別に他人に期待はしてないよ。だから何度もやり直してる。なのにいつもクズが沸くんだ。そいつらが消えてまとも奴らだけが、」
「平和で幸せな世界を築けるように、ってか?」
闇色の肌の上、月明かりが寄り添う。笑みとともに首を傾いだはずみで、その耳元の金色の耳環が月光と戯れるように揺れ動いた。
「だから、ハバリ。お前はお優しいんだよなぁ」
赤い眼差しが柔らかな笑みを宿す。アランサスたちへは込めた皮肉が、そこにはなかった。選んだ言葉そのままの意味が、どこか切なさをはらんで、レーテの微笑みの端にかすか薫る。
「他人に期待してない? んなわけねぇよ。図書室の本を読んでりゃ分かる。何度やり直しても、お前、人間の作る世界に執着してんだもん。そこは絶対に設定から外さねぇ」
白亜の図書室に詰めこまれた前世の世界は、どれもこれも、人が紡ぎあげ、織りなすものだった。人ではないものが世を統べ、歴史を象る物語だって、どこかの世界では編み出されていただろうに。それを、次の世界の礎に選ぶことも出来たろうに。
「お前はいつだって、人の作る世界に希望を託してる。人が、よりよい世界を築くように、色んな設定で世界を繰り返してる」
呆然と己を見下ろすハバリへ笑って、レーテはその右手をとった。思いもしていなかったのだろう。自分が、人という可能性を希望し続けているなんて。それも当然だとレーテは思う。彼は確かに人が造り上げる世界を諦めきれずにいる。善き人々が作る美しい世界を。ただそれを実現しようする意思とやり方は、憎しみで彩られているうえ、実に独善的で、ひどく歪だ。だからこそそこが――レーテは心惹かれるのだ。己は彼が嫌う、悪い方の人間だから。
「俺はいいとは思ってるぜ? お前のその理想。結局どの世界も、お前の言うクズが沸いて、なかなかうまくいかねぇけどな。次こそ叶えばいいっつうのは、本気で一緒に祈ってやってんだ。だから余計いいだろ? ちょうどお前が消したい類の奴が、確実に来世はひとり消えるんだぜ?」
右手の穿たれた痕をレーテはなぞる。この傷と引き換えに彼が得た力の本当の意味は、レーテにはもちろん、ハバリ自身にもよく分からないものなのだろう。だが、とても――とてもではないが、レーテには善き力とは思えなかった。幽閉の鎖ほどけてなお、彼はこの力に縛られているのではないだろうか。
「レーテ……君にとって、この世界ってなんだったの?」
ふいにこぼれ落ちた呟きに、レーテはなぜる傷痕から視線をあげた。戸惑いを認められないがゆえに、不快を装うしかないのだろう。柳眉は寄せられ、虹色の瞳はレーテを睨みつけている。
レーテは唇に笑みを刻んだ。
「――もう二度と繰り返すのはごめんだが……お前と出逢えた世界、ってことにしとくかな」
真摯にもからかいにも取れる、いつもの響き。ハバリの眉はますます顰められ、その双眸はより忌々しげにレーテを映した。そこにさざめき揺れる光は鋭く冷たく、さながら冬の月明かりだ。白に、赤に、青に――遊び変わる瞳の色に、ふと気まぐれな興味で、レーテは彼の顔へ指先を伸ばした。
「なに?」
「いや、お前の瞳の色って、本来どんな色だったのかと思って」
不機嫌に身をよじったハバリに、純粋に尋ねる。出逢った時には聖女の力を取り込んでいたから、レーテは知らないのだ。なんとなくそれが惜しいような、つまらないような気が、かすか過ぎっただけなのだが。
その時、凛と空気が揺れた。白亜の城のうちすべてに痺れが走る感覚。異物が、紛れ込んだのだ。気配からして、場所は――図書室。
それだけで事態を察して、ようやくレーテは緩慢に身を起こした。にやにやと口端を引き上げる。
「思わぬお客人じゃねぇか。小鳥ちゃんが案内しちまったってとこか。で、この城ではどの程度暴れていいんだ、主様?」
「言っても聞かなそうな
待てを解かれるのを待つ駄犬を面倒げに眺めやって、ハバリは己が指先に視線を落とした。
「……まだ少し早いんだけどね。もうだいぶ、聖女の力と繋がってるから。ま、いまのままでも奪うには足りるかな。だから、いざとなったら相応に相手してやっていいよ。俺もちょっと――アイトーンの顔でも見に行こうかな」
「あ~あ、イジュスも不憫だな」
「こうなるって、ふたりには最初から言ってたよ。時期を早めたのはアイトーン自身」
うっすらと、ハバリの薄い唇は、柔らかく甘い笑みを描いた。
「彼女も、それなりの覚悟で来たんだろう? なら、応えてあげないとね」
******
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
毎日更新は、ストックが切れてしまったため、いったんこの回でお休みとなります。
次からはラストバトルの流れになるので、1月中旬以降には更新再開して、終わりまで行けたらなぁと思っております。
ので……再開しましたらまた引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。
転生王子はハッピーエンドをあきらめない かける @kakerururu
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