六年前の月夜



「で?」

 不機嫌な声がレーテを睨みつけた。結局彼を追い出すことは失敗して、ハバリはレーテとともにベッドの上、シーツに広がる菓子を忌々しくも黙認することとなったのだ。

「なんでまた勝手に俺の部屋に?」

「報告に来たんだよ。災獣さいじゅう退治のついでに、最後の楔の起点を打ってきた」

「それがなんで俺の寝台蹂躙することになったのか説明しろって言ってるんだけど?」

 脇でいまだ寝そべる、精悍ゆえに苛立つ顔を見下ろす。長い黒髪が結ばれたまま、白いシーツの波間をしなやかに泳いで彩っていた。


「疲れてたからなぁ。ゴロゴロしながら小腹を満たしたかったんだよ」

「それで主の寝台を選択肢に選ぶなよ。床で転がってろ、駄犬」

「駄犬だからこそ、ご褒美しっかりしてねぇと働く気が起きねぇだろ」

「お前みたいな性根の歪んだのに、俺の領域を荒らされるのが本当に嫌」

 無造作に菓子に伸ばされた手をはたき落して、ハバリは彼の代わりにその指の先にあった一粒をつまんだ。レーテが仕事の帰りにどこぞで買いこんできたのだろう。ローストした胡桃に艶やかに溶かした砂糖を絡め、少し塩をまぶしてある。食事を必要としないハバリには食べ慣れないものであったが、思いのほか舌にあい、ふっと一瞬その顰められた柳眉が緩んだ。それに目聡く気づいて、レーテの口端がにやりと引き上がる。


「お前、文句いうわりに、俺に付き合うよな」

「別に付き合ってるわけじゃないけど?」

 苛立ち誘う余裕の笑みに、ハバリははじとりと冷たい視線を突き刺した。その指先にある胡桃菓子ゆえに説得力がないのは、ちょっとした間違いだ。大社おおやしろに繋がれていた時も、天空の城であまた世界を繰り返しながら悪夢に魘されていた時も、ハバリの側に誰かがいることはなかった。だから、こんなに長く隣に置くことになった相手は、彼が初めてで――そのせいで、少し最初に距離を見誤った。馴れ馴れしさを許してしまった。だから、勝手に付き合いがいいと主張してくるようになってしまっただけで、ハバリとしてはそんな彼の態度には一貫して不満しかないのだ。


(最初にもっときっちり、分からせておけばよかった……)

 のんびり横になったままのレーテの指先は結局ハバリの脇をかすめ、取った菓子を口に放り込んでいる。そんな不遜さを舌打ちとともに一瞥して、ハバリもがりりと胡桃をかじった。


 ハバリがレーテと出逢ったのは、六年も前になる。

 ハバリに世界転生に関与する力があるといっても、それは神のごとく無制限ではない。新たな世界のことわりに、ある程度縛られる。だから世界を滅ぼすために、ハバリは、この世界では聖女の力と希虹石きこうせきの力を手に入れる必要があった。


 聖女の力も希虹石の力も、元を辿れば同じもの。この世に己が望みを反映させる力だ。ただ、聖女の力は叶う前のソレ。要は未来への希望のようなものというのが近い。いくらでも可能性を秘めていて、だからこそ、この世の様々な事象に関与できた。人を癒し、大地を育み、あらゆる魔法を意のままとするのだ。


 一方、希虹石の方は、叶わなかった願いの成れの果て。誰かが抱いたが果たせなかった希望が、零れ落ちたモノ。強く望んだ力だけは籠っているが、なにかが成せたわけではない、破れた願いの塊だ。叶わなかったという負の念もあいまって、ただ存在するだけで、いずれ周囲の魔力を吸収し、人に害なす魔物に変わる。


(要は希虹石はエネルギーであり、燃料。それをできる限り多く集めて、聖女の力で御して 操れば、一瞬で世界を滅ぼす天変地異も引き起こせる)

 聖女の力は、聖女候補に力が宿る前に、ある程度ハバリの世界に関与する能力で奪い取ることが出来た。しかし一部はどうしても奪えず、本来の聖女のものとなってしまったのだ。ゆえに、アイトーンを通して奪う算段を組んだのである。


 そして希虹石の方は、集めるにあたって〈祝福〉による封印が必要だった。封じないと手元に置いておけないのだ。〈祝福〉ができるのは、難儀なことに数人の限られた者たちだけだった。世界が転生する時に、新たな世界の礎として取り込まれた物語。そこにおける『攻略対象者』にあたる者たちだけが、聖女の力を受けて封印を成せた。


(この世界がそんな余計なギミックを再現しやがったせいで、こいつに声をかけることになったんだよ)

 ちらりと脇を見下ろせば、しなやかで筋肉質な体躯は、横になって菓子を頬張っているだけなのに、艶やかな色香があった。くつろげた胸元と、夜に溶けるようななまめかしい闇色の肌のせいかもしれない。と、赤い瞳とばちりと目が合って、妙に晴れやかに笑いかけられた。いらっとハバリのこめかみがひくつく。彼は腹いせとばかりに、理不尽にレーテの脇腹に一発膝を入れ、いままさに彼が口元に運びかけていた胡桃菓子を掠め取って、ばりばりと噛み砕いてやった。


 六年前、悪夢のまどろみから目覚めてすぐに、ハバリは己が目的のための石集めに『攻略対象者』が必要だと知った。そのため、面白くもない甘ったれた恋愛物語を読みほどき、該当する者を探し出す羽目になったのだ。そうして白羽の矢を立てたのが、レーテだった。

 ハバリの目的は、結果として今の世界を滅ぼすことになる。それに否を唱えそうにない者が、彼だけだったのだ。彼はゲームでは劣悪な孤児院で育ったが故、世を恨み、暗殺者になった男であった。だから、まったく同じではなくても、近しい人生を歩み、世を厭うているだろうと考えたのだ。


 果たして彼との出会いはハバリの予想通り――それ以上に、血生臭いものとなった。彼の所在を探し当て訪れた先は、とある国の街外れにある、妙に豪奢な館の寝室だった。

 夜半遅くに沈みゆく月が、カーテンを開け放した窓から薄っすらと降り注いでいた。そのほの明かりが縁どる寝台の上に、ふたつの人影。血に濡れ倒れ伏す女性の裸体と、その上にまたがる目的の人物がいた。褐色の肌は一糸まとわぬ代わりに返り血に彩られ、その手元では銀色の短刀が月明かりを妖しく照らし返していた。つい数年前までは少年の齢であったろうにその名残はなく、均整の取れ引き締まった身体には、いくつもの古い傷痕があった。


『あれ? もうひとり愛人呼んでたのかよ? ほんと、節操のない女だったんだなぁ』

 言い逃れ出来ようのない光景を目の当たりにされてなお、低い声は踊るように呑気に笑った。

『悪いがこちらさん、見ての通りもう息がねぇんだ。抱いて金貰う予定だったんなら、その辺の引き出しから適当な宝石抜いて、』

『……俺が用があったのは、お前の方だよ』

 悪びれもなく人の化粧台を指し示す指先を遮って、ハバリは吐き捨てるように言った。けれど青年のへらりと愛想よく笑った顔は崩れない。

『へぇ、俺? 仕事中まで押しかけられるとは評判が広がったもんだ。いいぜ。どういう商談だ? なんでもやるぜ?』

 そう悠長に血を拭い、脱ぎ捨ててあった上着を羽織りながら、彼は聞いてもいないのに今日の仕事内容についてぺらぺらと話してくれた。


 ここはこの国の王子が愛人に与えていた邸宅らしく、いまベッドの上で動かなくなっているのがその当人だそうだ。放蕩者であった第二王子が、第一王子の病死によって王位が転がりこんだことにより、彼女が邪魔になって始末することにしたらしい。彼女も彼女で、王子にあれやこれやとせびりながらも、若く顔のいい男を好んで王子以外とも夜を楽しんでいたということで、どっちもどっちの恋愛ごっこだったようだ。


『この女、結構身辺には気をつけてたらしいんだけどな。男関係はだらしなくって、顔が良けりゃその警戒心も用をなさなかったんだよ。っつうことで、俺が頼まれたんだけどさ』

『やっぱりお前って、そういう暗殺が生業なの?』

『え? 別に違うけど? 金詰んで頼まれりゃ、何でもやるってだけで』

 にこにこと人好きのする笑みを浮かべながら、事もなげにレーテは言ってのけた。月明かりを纏って滑り落ちた黒髪の間、うなじに刺青があるのが薄闇に浮かんで見えた。咎人の証の赤い首輪だ。

 ハバリの視線に気づいて、長い指先がその刺青の痕をするりと撫でた。

『ああ、これ気になるか? 生まれた時に彫られたもんだから、下手を打ったわけじゃねぇよ』


 レーテが言うには、こことは違う彼が生まれた国には、罪人ばかりを集めて閉じ込めた、監獄のような村があったそうだ。そこに送り込まれた咎人たちは、死罪を免れられる代わりに、重い労役や後ろ暗く危険な仕事を課せられたという。

『それでも醜く生に縋るんだよ。滑稽だよな。だったら罪なんて、犯さなけりゃよかったのに』

 朗らかに、端正な顔は見惚れるほど翳りない笑顔を見せた。

『俺はその罪人の村で、罪人どもの子として生まれたんだ。だから、首にこいつがある』


 子は親の業に倣う、という考え方のある国だったそうだ。だから、罪人から生まれた子は、同じ罪人なのだ。ゆえに、生まれながらに咎人の烙印を刻まれ、育ちゆくにつれ、罪の償いと称して大人の罪人たち同じように、危険な仕事をあてがわれ、国にいい様に使われる。だからその村の子は、大方の汚れ仕事はなんでもできるようになるのだという。


『俺の村は、戦が起きた時に罪人の逃亡を危惧した国に焼き払われてさ。俺はそこを運よく生き残って自由になったっつうわけ』

 けれど幼い彼は今までやっていたことのほかに、生きていく術を知らなかった。だから結局、村に縛られていた時と変わらぬ事をして食いつないできたのだという。

『ま、生まれたことが罪だから、いまさら悪事を重ねてもどうってことねぇしな。世界を滅ぼす? 楽しそうでいいんじゃねぇの?』

 柔らかな月明かりの元、あっけらかんと笑ったその姿になにも返せぬまま、ハバリは彼を協力者として連れ帰った。


 それが六年前の――今日と同じような月の晩だった。満ちるに足りない夜の明かりが、おぼつかなくふたりを照らす。そんなありきたりな寂しい夜のことだった。







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