最終話 僕、まだまだ逃げないとです。

「こちらでお待ちを、まもなく、ベールスモンド伯爵が参られます」


 案内された質素な客間、僕達は弾力のないソファに腰かけると、伯爵様の到着を待った。

 しばらくして入室してきた伯爵様は、以前見た時よりも随分とやつれていた。

 頬がこけ、全体的に覇気がなく、萎んでいるように見える。


「其方たちの噂は、いろいろと耳にしている」


 伯爵様はソファに深く座り込むと、いくつかの書面を手にしながら語り始める。 


「西の開拓村にて魔物を駆逐し、人々の命を救った。アラアマにて魔人、巨大魔獣を討伐し、港町壊滅の危機を救った。コム・アカラにて岩塩鉱脈を発見し、貧困に苦しむ村の財政を立て直した。長城を破壊し、何百年と冷戦状態であった、コム・アカラとドッグポーカーに和平をもたらした」


 全部、筒抜けだったのか。

 

「これだけの偉業を成した者が我が領内にいること、まこと、喜ばしい限りだ」

 

 書面をテーブルに置いた後、伯爵様は窪んだ眼孔の底から、鋭い視線を飛ばした。

 視線の先にいるのは、僕ではなく、シャランだ。


「だが、儂の嫡男であるソフランは、守られなかった」


 どこまでも重い言葉。

 客間の空気が凍る。


「ソフランの死、其方はその事実を伏せたまま、戦場から離脱した。旅の行く先々で賞金首として語られる自分の名を、幾度となく目にしたことだろう。そして見るたびに思い起こしていたはずだ。共に戦い、志半ばにして死んでいった我が息子のこと、数多の仲間達のことを」


「……はい」

 

「魔人王との戦いの後、生き残った者が五名ほどおった。その全員が、黄金の聖女の治癒を求めながら、女神様の下へと旅立っていった。あの戦いで生き残ったのは、今では其方一人だ」


 全滅。

 実際に対峙したんだ。

 魔人王ならば、それが可能だと分かる。


「故に、聞きたい。我が息子、ソフラン・マカドミア・アレグレッソ・ベールスモンドは、最後まで勇敢であっただろうか?」


 願いのような問いに、シャランは毅然と答える。


「はい。勇者ソフランは、最後まで勇者でございました」

「息子の、最後を知りたい」

「……ガーガドルフの魔法にて、一瞬で消え去ってしまいました。私の治癒も間に合わず、気づいた時には灰になり、崩れ去ってしまいました。勇者ソフランの敗北を悟った私は、他の仲間たちを見捨てて、一人逃げ帰ってしまいました。勇者を見捨てたこと、許されることではないと思い、伯爵様の想いを理解しつつも……私は、逃げることを選択してしまいました」


 「そうか」と一言残すと、伯爵様はソファに沈むように座り込み、天を仰いだ。


 沈黙、張り詰めた空気が心臓の音まで僕に響かせてくる。

 このままではシャランは何らかの処罰を受けてしまうかもしれない。

 そう思った僕は、沈黙の壁を、打ち破ることにした。


「伯爵様、彼女は逃げたと言っておりますが、実際には殺されていたのです」


 「ジャン」ってシャランが僕を止めようとするけど、これだけは伝えないといけない。


「……どういう意味だ?」

「少々、長くなります。まずは勇者と聖女、いえ、もっと遥か昔、魔人が人に仕えていた時代のお話から、今回のことを語る必要があるのです。なぜ、魔人王は侵略を開始したのか、なぜ、彼女を生き返らせたのか」


 魔人王から聞いた話は、全てが真実なのだと、女神イフリーナ様は教えてくれた。

 全ての魔人はかつて人間の味方であり、裏切ったのは人間の方なのだと。


 僕が知る全てを伝えると、伯爵様はテーブルの上に両肘をつき、指を絡めるように組んだ。

 

「歴史書がひっくり返るような内容だな。だが、その話が真実であったとするのならば」


 伯爵様は声のトーンを一つ下げ、僕を睨みつけた。


「主等を始末してしまうのが、一番手っ取り早く片が付いた、という意味でもあるのか」


 地の底から響くような声色に、恐怖を覚える。

 確かに、ベールスモンド伯爵の言う通り、僕達がいなくなれば魔人王の侵攻は止まる。

 目的となる僕達がいなければ、魔人王が攻めてくる意味がないのだから。


「其方の話は、聞かなかったことにしておこう」


 もう一度、大きくため息を吐くと、ベールスモンド伯爵はソファに沈むように座り直した。


「歴史書の編纂へんさんなどに、儂の貴重な時間を割きたくない。それに、知ったが最後、陛下は国内全ての聖女、勇者と呼ばれる者たちを処刑してしまうことだろう」


「聖女と勇者を処刑、ですか」


「何を驚く? 当然であろう? 今回、魔人王の襲来により発生した戦死者は、マルグリオッドの街の住民、討伐部隊を含め二千を超えるのだ。人命だけではない、街や街道、北東の流通経路全てが破壊されてしまった。被害額は判明しているだけでも金貨三千枚を超える。これだけの被害を聖女と勇者、たった二名を処刑するだけで回避できるのだぞ? 当然の選択ではないか」


 シャランが僕を止めようとしたことの意味を、ようやく悟る。

 確かに、僕達二人を消してしまった方が、国としての被害は少なく済む。

 落胆する僕を他所に、シャランは座ったまま、頭を下げた。

 

「ご配慮いただき、誠にありがとうございます」

「よい……ただ、今回の件、其方を無罪放免とするには、少々事が重すぎる」

「承知しております。私がしたことは敵前逃亡、軍ならば極刑だということも」

「良き覚悟だ。ならば、儂からの申し出を、受けて頂こうか」


 伯爵様からの申し出。

 執事が封書をシャランへと手渡すと、彼女はそれを受け取り、中身を取り出した。

 

「これは」


 息を飲み、目を見開く。


「我が嫡男、ソフランが残した、其方への手紙だ」


 勇者ソフランの手紙、でもこれは、黄金の聖女であるシャランへの恋文じゃないか。

 丹念に書き込まれた恋文は、どこまでも純粋に、シャランへの愛を綴る。


「息子は、ある日から急に、自分を勇者だと名乗るようになった。聞けば、吟遊詩人の唄を聴き、物語の世界では勇者と聖女は結ばれる、とあったそうだ。自分も勇者になれば聖女と結ばれる、そう信じ、幼き息子は剣を手に取り、鍛錬の日々を過ごし始めたのだ」


「しかし、私はソフラン様から、故郷に残してきた大切な人がいると、お聞きしておりましたが」 


「息子には、知り合いと呼べる女性がいなかったからな。面と向かって告白するのが恥ずかしかったのだろう。黄金の聖女の噂を耳にしてからは、その鍛錬は本腰を入れるようになった。剣術を極め、魔術を求め、勉学にも励んだのだ。全ては黄金の聖女と結ばれるため、たったそれだけの為に、我が息子ソフランは、魔人王へと戦いを挑んでしまった」


 魔人王へと戦いを挑み、そして敗北した。

 父さんも言っていたんだ、勇者ソフランは間違いなく強かったと。

 

「申し出というのは他でもない、我が息子、ソフランの想いを、少しでも受け取って欲しい」

「……ですが、私は」

「良いのだ。元々、誰が向かっても勝てる相手ではなかった。其方の無事は、我が息子ソフランの願いでもある。賞金首にしたことは謝罪しよう。だが、其方を傷つけようとは、微塵も考えていなかったよ」


 最初から、ベールスモンド伯爵はシャランを許していた。

 息子が愛した人を護りたくて、賞金首という方法を使ってでも、守ろうとしたんだ。

 

「本当に……いろいろと、ご迷惑をお掛けしてしまいました」


 深々と頭を下げ、顔を上げたシャランの瞳には、涙が滲む。

 僕が知らない、勇者ソフランとの旅を、思い出してしまったのだろう。


「良ければ、息子がどんな旅をしていたのか、聞かせて貰えないだろうか」

「はい、私の知っていることなら、全てお話いたします」


 その後は、まるでそこにソフランがいるかのように、二人は昔話を始めた。

 長い話は尽きることがなく、話の節目節目に、伯爵様は涙を拭う。

 途中から奥方様も加わり、シャランと三人で、亡くなってしまった勇者を語り合う。

 その姿を、僕は少し離れた場所から、一人眺めることにした。

 だって、間違いなく、僕がいてはいけない場所だったから。


「ジャン、こんなとこにいたんだ」


 夜空を見上げることが出来るバルコニーにいると、シャランが側に来てくれた。

 春季が来たとはいえ、まだ肌寒い空気の中、温かな飲み物を手にし、彼女は横に並ぶ。


「もう、お話はいいの?」

「うん。私の知っていることは、全部伝えたから」


 一口飲み物を口にすると、彼女は僕にも飲むように勧めてきた。

 受け取って、火傷しないように啜ると、口の中が甘さで蕩けそうになる。


「シャランはさ」

「……ん?」

「シャランは、勇者ソフランのことが、好き、だったの?」


 自然と、そんなことを口にしてしまった。

 なぜ聞いてしまったのか、自分でもよく分からない。

 相手は亡くなっているんだ、聞いたところでどうにもならないのに。


「それって、嫉妬?」


 バルコニーの欄干に寄りかかりながら、意地悪そうにのぞき込んでくる。

 いや、嬉しそう、かな? なんとなく、直視できない。


「あはは、ジャンってば、嫉妬なんかするんだ」

「嫉妬じゃないけど、なんとなく、気になっただけだし」

「ふーん? ……くふふっ」


 変なこと聞いちゃったかな。

 後ろで手を組み、僕を見上げていたかと思うと、くるりと反転して欄干に寄りかかった。

 夜の闇に溶けてしまいそうな黒い髪が、落ちるように風に揺れる。

 

「私が勇者様に誘われて着いて行った理由、教えてあげようか」


 シャランが魔人討伐部隊について行った理由。

 治癒の力があるから、人の役に立てるから、とかじゃないのかな。


「ジャンがね、大人に見えたんだ」

「僕が、大人?」

「うん。だから、負けたくないって思ったの」

「なんだそれ、負けたくないとか、意味が分からないんだけど」


 僕の手の中にあった飲み物を奪うと、彼女は一口飲んで、その場に座り込んだ。


「意味なんて分からなくていーよ。でも、この前の女神様の叱咤で、それなりに自信もついたし。多分、もう同じようなことはしないと思う。それよりも、さっきの質問の答えなんだけど」


 ことりと、カップを床に置くと、彼女は立ち上がった。

 

「ご両親には申し訳ないんだけど。全然、好きじゃないよ」

「……そっか」

「良い人だったけどね。優しいし、頭もいいし、人から好かれていたし」

「それって、やっぱり好きだったんじゃ」

「強かったし、料理も出来たし、家柄も良いし。あれ? 好きだったのかな?」

「シャラン……」

「なんて、冗談だよ。これでも結構一途な女なんだよ? 隣に立ちたくて、頑張っちゃったんだからさ」


 隣に立ちたくて、頑張った。

 ……誰の?


「まぁ、そういうのは、全部解決してからにしましょうか」

「……まぁ、そうだね。僕達はまだ、逃げないといけないからね」


 女神様は言っていた、魔人王の言葉は、全てが真実だと。

 役目を終えた勇者と聖女は、神の手によって処分されてしまう。 

 敢えて女神様には質問しなかったけど、この部分も間違いなく、真実なんだ。


「逃げないとだし、追わないといけない」


 マーブルさんを追いかけて、大虐殺をする前に止めないといけないんだ。

 僕達の大切な人を、歴史に残る悪女にする訳にはいかない。

 

「じゃあ、さっそく」

「ええ、行きましょうか」


 僕達の逃走劇は、まだまだ終わらない。

 全てを解決するまで、どれだけの月日が掛かろうとも。




――――――――



 ここまでが、ジャンとシャランの物語と相成るわけじゃが。

 さてはて、魔人の王と呼ばれたガーガゴイルを、そう簡単に手懐けられるものかのぉ。

 マーブルの魔人化は我が授けた術式ではあるものの、あれは不完全極まりない。

 得意げに披露したところで、返り討ちにあいそうなものじゃがな。


 それに、ジャンとシャラン、それにマーブルは、未だ世界の神髄を理解しておらん。

 ベンスルー・コマネキクアの連中が何故、貴族共に反旗を翻さないのか。 

 守られていると思うのは、最下層に住まう魔法使いだけじゃ。


 あの国は、決して守られてはおらん。

 それどころか、列強の一つとして、我らの間では名が知られておる。

 マーブルとガーガゴイルが攻めたところで、無論、適うはずがないと思うのじゃがな。


 くくくっ、でもまぁ、それも良かろうて。

 あの二人がどこまでも強くなっていくのであれば、それも一興。


 最終的には、ジャンとシャラン、マーブルとガーガゴイルが手を取り合い、我に抗う形が最善なのじゃがな。


 そもそも、ジャンもシャランも、マーブルもガーガゴイルも、勝手な思い込みで動きおって。

 我ら女神が勇者と聖女を始末する? そんなことはない。あるはずがない。


 我ら神に出来ることは、人を魔人と戦える強さにまで引き上げることだけ。

 力を引き出された人間は、自分を超えた力で魔人と戦い、そして朽ち果ててしまうのじゃ。

 言い換えれば、それを神に殺された、と言えるのかもしれんんがの。


 そして、今回我が力を授けたのは、マーブルだけじゃ。

 勇者と呼べるのは、マーブルのみのはずなのじゃ。


 では、ジャンとシャランの力の源は一体なんなのか?

 そもそも、彼ら一族の魔人を屠る力を、一体誰が授けたのか。


 肉体が滅びることなく、かつ、魔人を超える力を与える。


「我の知らぬ神が、産まれ落ちているのやもしれんの」


 ラミアーが真っ先に服従を選択してしまうほどの、恐るべき何か。

 

「我も、旅立つ時が来たのかもしれんの」


 良かろうて。

 女神として振る舞うのも、飽いてきたところじゃ。

 ここからは、神としてではなく、人として旅をしてみようかの。


 あの、どこまでも逃げ惑う、ジャンとシャランのように。

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勇者を殺した人類最強の敵、魔人。生贄の烙印を刻まれた幼馴染の聖女と共に、石工職人の僕は解呪の為、長い旅に出る。自分の実力が、勇者以上であるとは気づかずに。 書峰颯@『幼馴染』12月25日3巻発売! @sokin

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