斬刻のアルルタミラ

星咲水輝

斬刻のアルルタミラ

 世界は、まだここに在る。


 命と縁が織り成す輝かしき魔法の世界。

 その数多が鋼の残酷を心に宿し、未曽有の大戦災を乗り越えた先。


 今、再び物語の幕が上がろうとしている。


 なれば我々の選択は一つ──見届けよう。

 さあ、開演だ。





 夜空は暗く、されど直下の街は明るく賑わう。

 ここは《魔都ヴェルペルギース》。かつてはとこしえの夜に包まれていたこの都市だが、数年前の《大災害》により正しき時の摂理を取り戻していた。

 そんな都の一角、南部カーバロソ地区。物語は一つの店からはじめる。


「──うまいっ!」


 そこは活気ある食堂。喧騒の渦中、一人の少女が満面の笑みと共に舌鼓を打つ。金髪藍眼、髪は短く整えられているという端麗な容姿──だがその風体よりも、彼女が背負っている重厚な大剣のほうが視線を奪うだろう。その大きさは少女の身の丈ほどもある。唯一、柄に埋め込まれた黄金色の宝玉だけが凛麗に佇んでいる。

 小柄な少女には似合わぬ得物と豪放磊落な雰囲気。溢れ出るポジティビティは通りかかった給仕の女性も思わず足を止めるほど。


「あら、いい食いっぷりだね嬢ちゃん!」

「すげーうまいぜ、このローストチキン! あたしが言うんだから相当だ!」

「ん? 嬢ちゃん、鶏肉嫌いなのか?」

「ああいや、嫌いってわけじゃねえんだけど……お師匠が鶏肉大好きでな、よく食うもんで飽きちまったのよ」

「師匠、って……嬢ちゃんも魔女なのかい?」

「おうとも! 艱難辛苦乗り越えて、魔女のほうやらせてもらってら!」

「へえ、そりゃすごい! だったらほら、サービスのフライドチキンだ! もっといっぱい食って頑張んなよ!」

「おお! こいつぁ気前がいい! ありがとな、アネキ!」


 少女の笑顔は、その髪と眼の金色にも劣らない輝きだった。

 そうして賑やかな平和の時間が過ぎる──誰もがそう思っていた、刹那だった。


「タコス食いてえ!!!」


 突如、怒号が店内に響いた。盛況は一気に鎮まり、この場の誰もが恐怖・混乱・あるいは訝しみの視線を入り口に向けていた。

 聴衆の視線を一斉に集めたのは一人の女だった。見るからに粗暴そうな外見で、実際その印象は正しいものだろう。

 そんな中でも先程の給仕は毅然とした態度で介入者に相対する。


「ちょっと! お客か何だか分かんないけどね、うちにはタコスはないよ!」

「だったら買ってこいや!」

「いい加減にしなよ! 他のお客の迷惑になるんだ、やめな!」

「ア? 迷惑かけてンだよ! 見りゃわかるだろーがよォ!」

「こいつ……!」


 全く話が通じない様子だ。おそらく女の恫喝には意思や目的はない。何者かによる指示によるものだろうか。しかしそれではクレーマーよりもタチが悪い──中身も理由もないのだから。


「いいか、タコスだ! タコス以外は認め……ア?」


 不意に。女の前に立ちふさがる影があった。


「なんだ? チビ」


 それは先の少女だった。見下され、敵意と侮蔑の視線に晒されながらも、その体には剛毅が満ちる。


「チビ? あたしがか? 妙だな。あたしにはお前さんの方がちっぽけに見えるぜ」

「お前大物気取りか?」

「まさか! 今はまだ、見ての通りさ。だが──お前さんのような三下を退治するには充分だろ」

「ハ、ハハハ! お前面白えよ、面白え! アタシは魔女だ!」

「奇遇だね、あたしもだよ」

「だったら、格の違いを教えてやるよ」

「来な、三下」

「マブいぜクソガキ! 死ね!」


 女の拳が少女の顔面を狙う。

 その場にいた誰もが、息を飲み、目を逸らした。


「──あ?」


 だが、悲劇は起こらなかった。

 少女の右手が拳を軽々と止めていたからだ。


「チ……まぐれだ!」


 女は腕を戻そうとするが、がっしりと握られ、離れない。


「逃がしゃしねえさ」

「ッ」


 静かな、しかし怒気に満ちた声。それは反撃の狼煙だった。


「伝わるかい? あたしの感情が」

「何言って」


 直後、音が聞こえた。

 しゅうううう、と、何かが熱されていくような音。発生源は──少女が握る拳からだった。

 そして感覚は遅れてやってくる。


「熱──ッ!?」


 炎が身を焼くような痛み。余りの激痛に女は拘束を振りほどきながら飛び退く。


「ぐうあっ! てめえよく、も……」


 顔を上げた女の眼前には、黄金色に光る大剣の切先が突き付けられていた。


「……!」

「これ以上痛い目見たくないだろ?今のうちに失せな」

「ぐ……! てめえの顔は覚えたからな、クソガキ!」


 典型的な捨て台詞を吐くと、女はすぐ尻尾を巻いて逃げていった。


「……ふう。一件落着、かね」


 そして、静まり返った店内に、少女の吐息だけが小さく響いた。


「す……すごいじゃないか嬢ちゃん! あんなチンピラに立ち向かって、撃退までしちまうなんて!」

「いや、あたしは許しちゃおけなかっただけさ。それに、楽しい食事に水を差す輩は絶対許すなって、お師匠からさんざ言われてんだ」

「謙遜するね~。ならせめて、名前だけでも教えてくれないかい?」

「ようし! それなら任せときな!」


 その言葉を待ってましたと言わんばかり、少女はやる気を見せる。


「知らざあ言って聞かせやしょう! あたしの名は──」


 大げさに、仰々しく、見得を切るように──少女は名乗り上げる。


「あ、《斬刻のアルルタミラ》! 皆々様方、以後お見知りおきを!」


 その名はアルルタミラ。花形役者、堂々の登場である。




【斬刻のアルルタミラ】




 時は過ぎ、場面もまた移り変わる。

 深夜の森。命の息吹も鎮まる静寂の中、大剣を携えた魔女──アルルタミラは立っていた。


「腹ごしらえも充分。今日も一仕事いったろかね!」


 いかにもやる気に満ち満ちている様子。赤い魔石を大剣で砕き、焚火を起こす。簡易的なベースキャンプの完成だ。


「今日こそといいんだけど」


 その言葉の一節は、彼女の『任務』を暗に示すものだった。



 アルルタミラ。彼女は《魔女機関フォルガニンタ・マジア》の一員であり、《環境部門》所属の特派員である。その若さに見合わぬエリートめいた肩書だが、実態は師の手引きによって籍を置いているだけに過ぎない見習いだ。

 自身はいまいち把握していないものの、アルルタミラの師匠は魔女機関の中でもかなりの幹部である。

 ただ、具体性を知らないからこそ見据える目標としては相応しいようで。


「師匠すらも超えた《史上最大の魔女》になるっ!」


 というのがアルルタミラの野望なんだとか。



「ふう。流石に寒さが骨身に堪えるね」


 火に当たりながらメモ書きに目を通す。それはアルルタミラがつけてきた当任務の記録である。

 その内容はこの森──《ニーゼネシスの森》の異変調査。近日、ニーゼネシスの森を中心とした地域で数々の『事件』が起きており、それに重なるように不審人物の目撃情報も重なっているとか。魔女機関は《外道魔女マジア・ゲーウェン》の関与の可能性も視野に入れており、事実確認の為に先んじて環境部門の調査を行わせている。


「うん……うん……うん」


 めくり、めくり、メモは九枚目──それは九日の間、進展がなかったことを暗示していた。そして今日が丁度十日目となる。


「今日も何もなかったら、いよいよお師匠に談判だな……っと! それは終わってから考えればいいことだ!」


 メモを仕舞い、全身に力を籠める。例えどのような結果に終わろうとも、今この一瞬一瞬に全力を捧ぐ。それがアルルタミラの流儀なのだ。


「いざ! 任務開始!」 


 松明を掲げ、闇だけが広がる真夜の森に突き進む。

 往け! アルルタミラ! 君の王道はまだ始まったばかりなのだから!





 だが現実と時の流れはかくも厳しく空しいものであり。


「……あ、朝だ」


 はや数時間。事態は全く何も動くことがないまま、ただ朝日だけが昇り始めていた。


「うーん……これは、あれだね」


 自分自身に言い聞かせるように、アルルタミラは呟く。


「成果なし! 残念!」


 きっぱりと切り捨てた。こういう踏ん切りの良さもアルルタミラの立派な長所である。

 くるりと踵を返し、ベースキャンプへと歩き始めた。


「さ、撤収! お師匠にはなんて伝えるかね……」


 十日間の調査記録には『異常なし』という結論が克明に記載されている。これに目を通せば、魔女機関の幹部でも動かざるを得ないだろう。あとはアルルタミラがそれをどう伝えるか、だ。

 ただ「何もありませんでした」と真実を伝えるのは容易い事だ。しかしそれではアルルタミラの名が廃るというもの。


「なにか一つくらいは成果を持って帰りたいんだけどねぇ」


 考えを巡らせるも答えは出ない。当然だろう。ないものねだりをどれだけ繰り返しても、ないものはないのだから。

 そうしているうち、アルルタミラはベースキャンプに辿り着き──同時に、異変に気付く。


「……焚火が消えてる」


 ベースキャンプの目印、焚火の炎が消えていた。もちろんアルルタミラが消したわけではない。


「誰かがいるってのかい」


 空気が変わった。即座に警戒心を満たし、視覚・聴覚・嗅覚・そして直感を最大限に張り詰めて周囲を探る。

 そして反応を示したのは、聴覚──自分以外の『音』を捉えた。


「足音……こっちに来る」


 草を、土を踏む音。段々と音量を増す。アルルタミラは深く息を吐き、平静を取り繕いながら、音が来る方向をじっと見据える。 



 そして、姿を現した。


「──おや」


 一人の女性だった。

 深緑色のローブを纏い、年季の入った木製の杖を携えた、橙色の眼と髪の──


(魔女、か)


 容貌、そして溢れ出る魔力。それはこの女が《魔女マジア》であることをこれ以上なく物語っていた。

 アルルタミラは警戒心を更に高めながら、慎重に言葉を選び、ゆっくり口を開いた。


「──こんなところになんの御用だい? お姐さん」

「この焚火、君のだったかな」


 質問を質問で返す。それは即ち、対話の意志がないことの証明か。


「……ああ、そうだ。お姐さんが消してくれたのかい? ありがとうよ」

「「ありがとう」? そうじゃないだろう」


 アルルタミラの返答に対し、魔女は口調を強めながら言った。


「君が言うべき言葉は「ごめんなさい」だ。炎を森に放置して、火災が起こる危険性は考えなかったのか?」


 目を見開きながら詰め寄る。その光景こそ異様なものだが、しかし主張は真っ当なものだ。

 その根を張るような視線に晒されたアルルタミラの本能が告げる。『危険』だ、と。


「……そうだな、悪かったよ。今後は気を付けるさ」


 だからこそ、そうしてこの場を取り繕い、切り抜ける手を選んだ。それはきっと無難な選択だったのだろう。しかし──


「反省の色なし」


 魔女は冷酷に、力強く言い切った。


「どいつも。こいつも。そうやってこの場をやり過ごせばいいと。そういう魂胆が見え透けている」


 狂奔のボルテージは上がり続ける。


「愚かだ。極めて愚かだ! その場凌ぎで生きるものが、果たしてどこへ向かうと言う! 笑わせるな!」


 そして魔女は勢いのまま、杖で地面を力強く突いた。


「故に──私が終わらせてやるのだ」

「ッ」


 その言葉に言い知れぬ物を感じ取ったアルルタミラは──剣の柄を握り、抜刀と共に頭上を切り裂いた。

 直後、彼女の両脇で墜落の重低音が旋律を重ねていた。見ればそれは、幾重にも編み込まれた重々しい木の根。何の対処もしなかったのなら、潰されて終わっていたことだろう。


「なるほど。流石は魔女だな。即死を免れた者は久しぶりだ」


 アルルタミラは距離を取り、大剣を構える。熟考の余地も無い。目の前に立つこの魔女は──『敵』だ。


「お前さん……そのイカれ具合で分かったぜ! この辺で起きてる《ニーゼネシス連続怪圧死事件》の犯人だな!」

「そんな事件は初耳だが。まあ、状況整理をすれば、私以外に犯人はいないだろうな」


 悪びれもせず、ただ淡々と。隠す気もない悪辣、今回の事件に広がる闇をアルルタミラが認識した──そのとき、別の声が聞こえた。


「なんすかなんすかァー。アネゴ、有名人じゃないッスかァー?」


 それは魔女の後ろから聞こえ、やがて声の主も顔を覗かす。


「てか、今回はイッパツ耐えたんすねェ。どんなハリキリ野郎なんス──」


 アルルタミラには見覚えがあった。それは昨晩、刃を突き付けた顔と全く同じだったから。


「お前は……!」

「あ……ン時のクソガキ……!」


 剣吞とした空気がさらに広がる。最早猶予は消え去った。


「顔見知りか? ジャンクラップ」

「そんなモンじゃねッスよ! こいつッス、昨晩アタシに恥掻かせたクソガキ!」

「あたしが動かんでも恥の塊だったぜ、お前さんは!」

「ンだとコラァ……!」


 《ジャンクラップ》と呼ばれた鉄色の髪の魔女は今にも飛び掛からんとするほどに鬼気迫る。しかし『アネゴ』はそれを諫め、言った。


「逸るな。私もこの小娘を──森を蔑ろにする愚か者に粛清を下すつもりだ」

「なるほどォ、二人がかりで確実に潰す! ってことッスね!」

「お前がトドメを刺せたのなら褒美も用意してやろう」

「マジスか! っしゃ、俄然やる気が湧いてきた……!」


 臨戦態勢の魔女二人。真っ直ぐな悪意と殺意──それと対峙し、アルルタミラは身震いする。だがそれを武者震いだと己に言い聞かせ、啖呵を切る。


「そう簡単に……思い通りにゃさせねえよ! ここであたしが成敗してやらァ! 名乗りな、悪党ども!」

「《屑鉄の魔女ジャンクラップ》! これから死ぬテメエが覚える必要はねェけどな!」

「そうだな。《森の賢人フォーレスト》。そう名乗っておこう」


 フォーレスト。彼女は狡猾に、《称号》は伏せたまま。


「君の名前は? 死後ひと月の間は覚えておいてあげよう」

「《斬刻のアルルタミラ》──六文銭代わりに覚えておきな!」


 見得を切り、名乗りを上げ──そして、駆け出した。


「戦の心得、其の一。先じて手を打てば必ず勝つ!」


 小柄な体躯と大振りの得物。それに見合わぬ敏捷性で飛び掛かったアルルタミラだったが──敵は一段上を往く。


「叩ッ斬る!」

「させるかよ、クソガキィ!」


 アルルタミラとフォーレストの間に割って入ったジャンクラップ。その拳が振り下ろされる大剣を受け止めていた。


「何!」

「昨日は丸腰だったが──今のアタシは違ェぞ!」


 見れば彼女の両腕には無数の屑鉄が纏わり、さながらガントレットのような装備を形成していた。


「本気で命獲ったらァ!」

「く、お……!」


 魔力と膂力を滾らせ、大剣を押し返す。そして拳の連撃が襲い掛かる。アルルタミラは躱し、防ぎ、受け流し──どれも間一髪のところで直撃を免れているが、防戦一方。


「……へっ、武器に頼らなきゃ本気を出せねぇってのかい、お前さんは!」

「アァ!? どの口が──テメエも同じだろうが!」


 ジャンクラップの攻勢が勢いを増す。アルルタミラの啖呵が火蓋を切ったのだろう、まさに口は禍の元だ。 


「オラ、オラァ! どうしたァ、テメエの剣はデケえだけの飾りじゃねえのかァ!?」

「……! 今、馬鹿にしたな?」

「ア?」

「あたしの剣を馬鹿にしたなら──容赦はしねえよ!」


 アルルタミラの眼光が光る。ジャンクラップの拳と拳の隙を縫い、素早く剣を構え、力のままに振り上げた!


「ぐお──がああッ!」


 防御を構えるも、余りにも重厚な強打はその防御もろともジャンクラップを中空に撃ち上げてしまうほどだ。


「痛ってえなゴラァ!」

「ならすぐ楽にしてやらぁ!」


 このまま追撃を叩き込み一気に勝負を決する──アルルタミラのその目論見は、フォーレストが仕向けた無数の根が掻き消した。


「あんなのでも一応は弟子でね。ピンチなら助ける」

「あざす、アネゴ!」

「ち、一丁前に師匠ヅラかい……!」


 大剣を振るい、迫る根を一本一本斬り捨てていく。アルルタミラの剣は岩肌のような刀身でありながら斬れ味も申し分ない。


「お前さんにゃあたしの師匠を見習わせたいもんだ!」

「悪いが遠慮しておこう。私達の関係は唯一無二だから」

「その通り! テメエの身の上なんざ興味ねェんだよ」


 ジャンクラップがフォーレストの横に着地し、息を整えて肩を並べる。


「だから黙って殺される準備してろよ、クソガキャア!」


 怒号と共に駆け出すジャンクラップ。構えた右腕に更に屑鉄が集まり、奇怪な巨腕を形成する。


「ブッ……潰れろッ!」

「お断りだッ!」


 振り下ろされる巨塊。対するアルルタミラも大剣を振り下ろす──真っ向勝負を挑む! 大剣と巨腕、大質量同士のせめぎ合いだ!


「く、重い! だが……!」

「ぐお、ア……! 潰れろ、ガキャァ……!」


 意地と意地、エゴとエゴのぶつかり合い。強情に、両者は一歩も譲らない。

 張りつめた膠着、どこまでも続くとさえも思わせる。だが岡目八目のフォーレストは、確かな『変化』を悟っていた。

 それが、アルルタミラの仕込んだ一手だということにも。


「用心しろ、ジャンクラップ。仕掛けられているぞ」

「何のことッスか! 心配はいらねえ、こんガキすぐに圧し潰してやるッスよ……!」

「愚か者め」


 気付いていないのはジャンクラップだけだった。フォーレストは目を伏せ、一歩後退した。


「かける言葉もない」

「え……? アネゴ、マジで何言って」

「は、あ、あ、あ……!」


 静かな咆哮がジャンクラップの疑念を掻き消す。それが音量を増すのにつれて──刀身が、巨腕に


「は?」


 その光景を目に写し、ジャンクラップの動きは一瞬滞った。

 なれば、戦局は一気に傾き終わる。


「そらァあああああーーーーッ!!!」


 アルルタミラは足場が砕けるほどに踏み込み、全身の魔力と筋力を漲らせ、大剣を振り下ろす!


「お──」


 そしてジャンクラップの体は屑鉄巨腕ごと大地に叩き付けられる──戦局を読めず、己の力を過信した者の末路!


「────!!!」


 大剣が大地に傷を刻み、屑鉄が派手に砕け散り、囂々と轟く壊音! ジャンクラップは呻き声を上げることさえも叶わず頭から地に伏した! 最早身動きの一つもなく、完膚無きまでの敗北だ!


「あ、成敗!」


 勝者アルルタミラ。大剣を肩に担ぎ、見得を切りながら勝鬨を上げる。

 そしてその鋭い視線は、土煙の奥に佇むフォーレストをぎらりと見据えた。


「さあさあさあ、次はお前さんだぜ。腹ァ括んな!」

「愚か者を打ち倒した程度で調子づくとは、それ以下の愚か者のようだな」

「それじゃあ、そんなうつけに叩きのめされるお前さんはどの程度のもんだってんだ?」

「語る必要はないだろう」


 ジャンクラップは杖で地面を突く。


「理解できないほど格の差があるのだから」


 その言葉と共に、四方から伸びる鋭い根がアルルタミラを襲った。


「またこれか! 芸がないこって!」


 大剣が振るわれ、その全てが切り落とされる。ここまでは先程も見た光景だが──当然、完全なリプレイにはならない。


「無理にあれこれ手を伸ばせば、何もかもが中途半端な愚か者だけが残る。私は「これ」に専念して己を磨き続けている。それだけだ」


 波状攻撃は止まらず。斬り払った後から更なる数の根が伸び、アルルタミラの手を休ませない。


「それってつまり、自分が未熟者だって認めてるってことじゃねえのかい!」

「否定はせんよ。その通り私はまだ研鑽の途中だ──だが」


 斬り払えば、その倍の根が襲い掛かる。それを斬り払えば、またそれの倍。絶え間なく止め処なく、フォーレストの手は伸ばされる。

 消耗戦、徐々に不利。段々と息を切らすアルルタミラ、その剣筋も錆が見え始め、そしてついに。


「っ、しまった……!」


 一本の根が、その右足に巻きついた。そしてさきがけを許せば、後は早く。

 次々と根がアルルタミラに辿り着き、あっという間にその身体に巻き付いた。全身を絡め捕られたその様は鎖に留められた罪人の如く。


「ぐ──うあっ……!」

「このように、貴様のような愚かな未熟者を斃すだけの力はある」


 ぎりぎりと鈍い音が鳴る。根がアルルタミラを締め上げ苦しめている音だ。


「ゆっくり苦しみを味わいながら死んでいけ。愚か者の魔女よ」

「ぐ……お……!」


 止まらない、どころか強さを増していく痛苦──その中で、アルルタミラはなぜか吹っ切れたように笑みを浮かべ、そして叫んだ。


「──ああ、さっきの言葉は撤回する! 悔しいがお前さんの魔法、なかなかやるじゃねえか!」


 それは裏表のない称賛。快郎に、快活に。


「だから……あたしも魔法を使わせてもらうぜ」

「魔法?」


 フォーレストは目を細め訝しむ。


「そういえばまだ私には見せていなかったか。だが生憎、情報は得ている」


 そのまま視線を背後で倒れるジャンクラップに向けた。


「ジャンクラップから聞いている。貴様の魔法は──《炎熱》だと」

「……」


 どのような意か。アルルタミラは言葉を返さないまま、全身に魔力を漲らせ始める。


「それを使えば拘束から抜け出せると考えているのだろうが──だから貴様は愚か者なのだ」


 フォーレストもまた、アルルタミラの様子に気を向けることもなく、演説を続ける。


「「植物なら炎に弱い」。「燃やして脱出する」──そう考えているのだろう?」


 睨む。浅はかな考えを見透かしたぞ、と言わんばかりに。


「愚かな。あまりにも普及され尽くしたパブリックイメージだ。嘆かわしい……いいか? 健康に生育している植物は潤沢な水分を蓄えているものだ。そんな瑞々しい草木がそう簡単に燃えることはない。貴様の足掻きも無駄だ。今ここで死ぬ覚悟を──」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ長々と、聞いてもないことを。相当おしゃべりが好きなんだな、お前さんは」

「……何?」


 不快・苛立ちを隠すこともなく、フォーレストは剣呑に問い詰める。


「貴様ごときが。私に何を言いたい?」

「何も言わねえから、よく見ときな……!」


 そしてアルルタミラは、力む。


「はあ──ああああっ!」


 それからは、一瞬だった。

 バキバキバキと、激しい音を立てながら、アルルタミラの体に巻きついていた根が砕かれ、散らされ、千切れらていく。

 力のまま、魔女は鎖から逃れ、自由へと羽ばたいた。


「一丁あがり!」

「────な」


 その一部始終を見届けたフォーレストは愕然と。無理もない。己が長々と垂れた講釈が全て水の泡となったのだから。


「バカな! なぜ我が根が焼き切られる!? 我が魔力も混ざる根がそう簡単に燃えるはずが」

「なんだい、見てたのに分からねぇのか。こりゃ相当目が曇ってるみたいだな?」

「なぜだ……貴様は何をした!」

「何も。強いて言うのなら……あたしの称号を教えてなかったっけなぁ?」

「称号……!?」


 《称号》。それは全ての魔女に与えられる烙印であり、その魔女の特性や特質を表す聖痕。

 そう。アルルタミラが何をしたかと問われれば、姑息にも称号を名乗らなかったフォーレストに合わせ、同じように称号を秘匿していただけだ。


「あの時、か……!」


 因果応報ここにあり。フォーレストは身震いを振り払うように叫ぶ。


「ならば貴様は……貴様は一体何なんだ!」

「はっ! 知らざあ言って聞かせやしょう。あたしは──」


 その言葉を待っていましたと言わんばかりに。大げさに、仰々しく、見得を切るように──アルルタミラは名乗り上げる。


「《腐蝕の魔女アルルタミラ》だ!」


 新たな舞台に刻む込む様に、花形役者は真名を示した。


「そして、あたしの魔法は『酸』! 例えばほら、こんなふうに」


 足下から手のひら大の木片を取り上げ、握る手に魔力を籠める。

 すると、木片からしゅうううう、と焼けるような音が鳴り、硫黄色の湯気が立つ。これこそがアルルタミラの《腐蝕》の魔法だ。


「物体を腐食させて脆くさせ──あるいは砕く!」


 握り締める。まだ十分に硬いはずの木片が、砂のように粉々に散った。


「水分がどーだのは関係ねえんだよ。あたしは木も石も鋼も等しく砕く……あたしを止められるもんは存在しねえのさ!」


 捕われざる者は高々と宣言する。我ここに在りて、ただ自由にあると。


「ふざけたことを! その程度の魔法で何を偉そうに……!」


 吐き捨てるフォーレスト。しかしその言葉は虚勢からくる中身のない悪態でしかなく。だがふと、何かに気付いたかのように視線をアルルタミラから逸らし──その背後に向けた。


「……まさか、その剣もか」

「おっ、気付いたかい」


 アルルタミラは目を輝かせて笑う。そして大剣を見せびらかすように、大地に突き立てた。


「ご名答! あたしの大剣──銘は《腐蝕大剣ザルファロロス》。こいつぁ剣でありながらあたしから溢れる魔力を受け止める『杖』でもあってね」


 黄金色の岩肌のような刃。アルルタミラはそこに拳を軽くぶつけた。


「そうして魔力が結晶化されて形成されるのが、この刀身ってなわけだ!」


 わずかな衝撃、刃の欠片が剥がれ落ちる。だが次の瞬間には、それを補うように刀身の内側から黄金色の魔力が漏れ、結晶化して新たな刃を形成した。


「あたしの魔力……つまり『酸』で作られたこいつにゃ、いかな防御も意味がねぇってことよ!」


 魔力の酸と大質量の刀身。二種の異なる『破壊力』が腐蝕大剣ザルファロロスの真髄だ。そして、その真価を発揮させられるのは《腐蝕の魔女》であるアルルタミラただ一人である。


「──さあ、まだやるかい? センセイ」


 挑発的に、黄金色の瞳と刀身を煌めかせながら、フォーレストへと迫った。


「…………」


 フォーレストは口を固く閉ざしていたが──ふっと息を吐き、そして笑った。


「やはり。愚かだな、貴様は」

「まだ言うか!」

「それが貴様の全てだろう? ご丁寧に、手の内を全て明かしてくれるとは」


 調子を取り戻したように、その舌は回る回る。


「このフォーレスト、手の内が全て晒された敵を潰すことなど造作も無い!」


 その宣言は威圧か、あるいは自己暗示か。


「我が奥の手を以て貴様を葬ってやろう」

「奥の手、ねぇ。お前さんさっき、ひとつの魔法に専念してるって言ってなかったかい?」

「黙れ!」


 アルルタミラの返す言葉を強引にねじ伏せ、フォーレストは視線を落とす──未だ足元で倒れ伏しているジャンクラップにだ。


「ジャンクラップ! いつまで寝ている、立て!」


 根で彼女の体を吊り上げ、その頬に平手で活を入れる。歪んだ師弟関係にアルルタミラは顔をしかめたが、彼女たちにとっては効果的なものであり。


「え……ア? アネゴ? おはようございます」


 目を覚ましたジャンクラップ。状況確認も許されぬまま、フォーレストが詰め寄る。


「奴を潰すために『アレ』をする! 用意しろ!」

「『アレ』を!? そこまでしなくても、アネゴならあんな奴……」

「意見は求めていない! 従え愚か者!」

「ウ、ウス!」


 フォーレストの恫喝を起点に、二人はそれぞれ魔力を充填し始める。

 当然、アルルタミラは。


「黙って見てる訳ねぇよな!」


 棒立ちの二人を一挙に仕留める好機と駆け出す。だがすぐに足を止め、ザルファロロスを振るった──背後にだ。


「こいつぁ……!」


 切り裂かれたのは屑鉄だった。言うまでもなくそれは、ジャンクラップの魔法によって呼び寄せられたもの。

 見ればどこから湧いているのだろうか、無数の屑鉄がフォーレストとジャンクラップの元に飛来し、そして段々と人型を成してゆく。

 大厄災の予兆であることは明らか。だがアルルタミラは流星群のように迫り続ける屑鉄から身を守るのに手一杯で、阻止に出向く余裕がない。


「まずい、か……!」


 焦燥。しかし、遅く。


「アネゴ! フレームは完成ッス!」

「上出来だ。ぞ!」

「ウス!」


 ジャンクラップの通達、そしてフォーレストの号令。それは『完成』の合図だった。

 二人は同時に飛び上がり、屑鉄の巨人の胸部に達する。

 次の瞬間。


「は──あああっ!」


 フォーレストが貯め続けた魔力を解き放ち、最大規模の魔法を行使する!

 その魔法は巨人の足元から夥しい数の根を呼び起こす! そしてそれらは互いに螺旋を描き絡まりながら、屑鉄の骨格へと巻き付き、していく!


「なんだってんだい、こいつぁ……!」


 仰ぎ、仰ぎ、うなじが首に付くほど見上げるアルルタミラ。彼女の瞳の中で、それは生誕の時を迎える。


〈────〉


 大地を激しく揺るがし、降り立った。

 巨怪──そうとしか形容できない、大木で編み上げられたおぞましき存在。聳える四本の腕に目を瞑れば上半身は辛うじて人型に見えなくもないが、それを強く支える四本の足が拭えぬ異形を知らしめる。

 その頭部に緑と灰の二色の光が灯り、画竜点睛を成す。そして、体内から声が響いた。


〈見ヨ〉


 それは確かにフォーレストのものだったが、重く深く濁り、正気ならざる者の声色を見せる。


〈コレガ、私ノ究極魔法──《樹怪巨人ガーガンカイン・ジャイガンテ》ダ!〉


 世界に己の存在を刻み付けるように、樹怪巨人は吠える。圧倒的な体躯から放たれる声圧にアルルタミラもひととき二の足を踏む──が、すぐに振り払い、睨み返した。


「……はっ! なんだい、えらく仰々しくしてたぁ割にゃ、ただデッカくなっただけじゃねえか」

〈タダ大キイダケニ見エルノカ。愚カ者メ〉

「だったら見せてみな! そのでかぶつでなにが出来──」


 アルルタミラの言葉は遮られた。なぜか? それは彼女が言葉を紡ぐ余裕を奪われたからに相違ない。


「──っ」


 彼女は跳んで躱していた。その眼前10センチのところに、巨大な樹の集合体が突っ込んでいた。


「こいつ……!」

〈速イダロウ?〉


 冷や汗が流れ落ちていく。アルルタミラをもってして、間一髪躱すのが限度だった。

 圧倒的な巨体から放たれる超高速の大質量攻撃。極めて極めて単純明快な脅威。フォーレストは熟考の果て、これこそが『究極』であると結論付けていた。


〈ドレダケ持ツ? 見苦シク舞ッテミセロ〉


 樹怪は攻め手を休めない。四つの腕から放たれ続ける拳は、俄に襲う夕立のようにアルルタミラを追い立てる。


「くッ! こいつァ、中々に骨の折れる……!」

〈マダ減ラズ口ヲ叩クカ。自分ガ置カレテイル窮地モ自覚デキヌ程ノ愚者ダッタヨウダナ〉

「はっ! てめえなんざその程度ってじゃ──」


 だがその言葉は途切れる。それは樹怪巨人が攻撃のリズムを変え──アルルタミラの退路四方を遮るように、四つの拳が同時に迫ってくる光景を目の当たりにしてしまったからだ。


「おいおい、おい……!」


 即断の状況判断。回避は凡そ不可能。であれば、活路は一つ。


「う……りゃあああッ!」


 アルルタミラはザルファロロスを大きく振り被り、落ちる拳を撃ち返す。ひとつ、ふたつ、みっつ──だが、よっつめまでは。


「間に合わ……!」

〈間ニ合ワセヌ!〉


 衝突の轟音が森に響き、樹々を騒めかせた。その後に残ったのは不気味で残酷な沈黙。


〈……フ。奴モ所詮ハ、コノ程度ダッタトイウ訳ダ〉


 ゆっくり、じっくりと、己に楯突いた無知なる猿への制裁、即ち勝利を味わう。

 そして樹怪巨人は腕を戻し──訝しむ。

 何もなかったからだ。圧し殺したはずの蒙昧たる猿も、それが残した僅かな痕跡さえも。


〈消エタ……何処ニ?〉


 樹怪巨人は周囲を見回す。巨大な体躯は遠くまでも見渡せるが、それでもアルルタミラの姿は見当たらない。

 だが、ある意味でそれは当然のことだった。己の知と力に溺れ、精細を欠いた哲学者になど、神は宿らないのだから。


〈ドウイウ事ダ?〉


 ぴしり、と裂ける音がする。それが自分の躰から鳴ったことに、樹怪巨人は気付かない。

 やがて、そのまま。


「──しゃあああッ!」

〈何──!?〉


 突如、アルルタミラが樹怪巨人の顔前すぐに飛び出した。予期もせぬ顕現と急襲に樹怪巨人の反応は遅れる──となれば、それはただの木偶の坊だ。


〈貴様、何処カラ!〉

「んなことも分かんねぇのかい? 愚か者だ、ねェッ!」


 快活かつ見事な煽り返し。同時にザルファロロスが振り下ろされ、樹怪巨人の顔面部を深く切り裂いた。


〈グオオ、オオオオオ!!!〉


 視界を激しく裂かれ、樹怪巨人はよろめく。巨大な四本の足で重くたたらを踏む姿は、森を破壊せしめる野蛮な怪物に成り下がっていた。

 それと対照的にアルルタミラは軽く着地。そして、金色に輝く瞳できりと大見得を切る。


「どうでぇ! 樹のでかぶつも、かたなし!」

〈オノレ、愚者メガ! ドウヤッテ我ノ拳ノ直撃ヲ生キ延ビタ……!〉

「なんでい、まだ気付いてなかったのか。ほれ、自分の手を見てみな」

〈コ……レハ……!〉


 樹怪巨人が見下ろした己の拳。そこにはぽっかりと、小柄な魔女であれば隠れられるほどの穴が開いていた。


「そうさ! アタシの酸でくりぬいて、そこに隠れさせてもらってた! お前さんみたいなでかぶつにゃ、すぐ近くに隠れるのが一番効果的なのさ!」

〈フザケルナヨ……!〉

「あたしのこれがおふざけってなら、お前さんはそれ以下になるぜ?」

〈黙レ……! 次ハ、確実ニ仕留メテヤル!〉


 そう言って樹怪巨人は損傷個所の修復を始めた。しかしそれこそ、アルルタミラが最も欲していた「チャンス」だった。


「そっちがその気なら、此方も本気で行かせてもらう」

〈……何ダト?〉


 アルルタミラは、ザルファロロスの黄金色の刀身をがしりと掴んだ。砕いてしまうかと思うほどの強い力だ。刀身にも亀裂が入ってしまう。だがアルルタミラはただ真っ直ぐに。


〈何ヲシテイル……〉

「無粋だねぇ。黙ってりゃ、すぐに見せてやるからよ!」


 そして。



破却ブレーク・オフ──!」



 一気呵成、刀身の全てを砕き剥がした。

 黄金の欠片が花吹雪のように舞い散る。その内より出でたのは──すらりと伸びる、白銀色の刃。


「これが、あたしの剣──その本当の姿だ」


 二度・三度と空を切ったのち、アルルタミラは剣を構えた。

 それは先程までの重厚な大剣とはまるで異なる、細くしなやかな『太刀』だった。


「銘を、《蝕刀ザファロス》。斬れ味──とっくりと拝みな」


 その言葉だけを残し、アルルタミラの姿が一瞬にして消えた。


〈何! ドコニ消エ〉


 樹怪巨人がアルルタミラの姿を探し始めるよりも早く、その巨体がバランスを失い、傾き崩れる。


〈バカナ!〉

「まばたき、ひとつ。開いて結び、散るは石楠花しゃくなげ


 それは四本ある足のうち、右側二本が切り捨てられたからに相違ない。


〈速スギル……! ム……!〉


 あまりのスピードに狼狽える樹怪巨人。だがそれすらもスピードの中のアルルタミラにとっては隙以外の何でもなく。


〈グ、ア……?〉

「まばたき、ふたつ。ふらりと倒れ、うつつを抜かす」


 四本ある腕のうち、左側二本が切り捨てられていた。それは樹怪巨人が気付く間もなく、だ。


〈有リ得ナイ! 有リ得ナイ! 有リ得ナイ! コンナコトガ! 起コルハズ、ガ……!〉


 最早抵抗さえままならず、ただ現状への拒絶を籠めた恨み節を吐き捨てるしか、フォーレストに打つ手はない。

 そして、静かに終わりの刃は迫る。


「まばたき、みっつ。見やれば終い、その首ごとり」

〈ア──〉


 呻きさえも置き去りに、悲鳴など残させもせず、ただ白銀の刃は残酷に走り──首を、落とす。


「之にて」


 樹怪巨人だったものに背を向け、アルルタミラはザファロスを収めた。刀身から酸の魔力が漏れ、黄金の結晶が鞘のように刃を包む。

 大詰めは、とうに訪れていた。


〈アアアアア…………!〉


 怨嗟の慟哭。それを奏でながら、樹怪巨人の躰は急速に倒れて朽ち消えてゆく。

 やがて内より出でる、二つの影。


「…………」


 ひとつ。屑鉄の魔女ジャンクラップ。彼女は樹怪巨人の維持のために魔力を絞り尽くされており、既に意識を失っている。

 そして、もうひとつ。


「馬鹿な……! 我が究極魔法が、こんな矮小で愚かな魔女に破られるなど……!」


 フォーレストだ。ジャンクラップとは違い意識こそ保っていたが、その身体には無数の蔦が絡み、今もなお自由を奪う。彼女の語る究極魔法の代償なのだろうか。


「無様な姿だねぃ。決着は付いたってことで、いいか?」

「ほざけ! 私は負けてなどいない! 貴様など今すぐにでも殺してやるさ……!」

「あー、その辺でやめときな。負け犬の遠吠えは聞くに耐えねえ」


 大げさに首を振り、並び立てられた怨嗟を跳ね除ける。


「……ま、でもさ」


 金色の眼光がフォーレストの『命』を捉えた。その瞬間彼女の背筋が凍り付く。


「お前さんはこれまで罪なき人々の命を奪った極悪人だ。このままタダで済むたぁ思っちゃいないよな?」

「ッ……」


 そしてその冷たい声色にフォーレストは悟ってしまった。この後に起こる全てを、だ。


「貴様……まさか」

「そうだ。腹を括んな──」

「待て……待て──!」


 ザルファロロスを残酷に構え、振り被り、そして──


「成敗ッ!」

「ぐがっ……!」


 剣の腹で脳天を殴り付けた。渾身の力で振るわれる大質量の一撃、フォーレストは僅かな間もなく昏倒した。

 これこそがアルルタミラの流儀である。


「……好しッ! これにて任務完了! お天道様もご照覧かね! それじゃあ──」


 大げさに、仰々しく、見得を切るように──アルルタミラは宣言する。


「あ、一件落着ゥ!」


 花舞台、これにて幕引きである。





 それから。


 アルルタミラは魔女機関に任務完了の報告を行い、現場とフォーレストの事後処理を専門のチームに任せ、その場を去った。

 帰りがけ、任務を華々しく終えた自分へのご褒美にたくさんご飯を食べた。

 そしてその浮かれ気分のまま、彼女は自宅へと直帰したのだった──


「アルルタミラ、只今戻ったぜい!」


 豪放な大声が室内に響き渡る。だが、その場にあった一つの影は全く動じる様子なく。


「……」


 横向きに椅子に座り、アルルタミラに背を向ける──魔女。彼女こそ、アルルタミラの『師匠』であり、育ての親でもあった。


「……お師匠?」


 不気味なほど静かな威圧。後ろ姿からでも放たれるそれに、彼女は無意識のうちに声を震わせていた。


「──アルルタミラ」


 やがて口が開かれる。彼女の声は『残酷』の色に染まっていた。アルルタミラも察し、身を強張らせる。


「な、なんだ?」

「そこ座んなさい」


 彼女が示したのは正面の席。アルルタミラはこの指示の意味を知っている──『お説教』だ。


(う……やれやれ)


 腹を括り、言われた通りにする。おずおずと席に着き、続く言葉を待つ。


「報告は聞いてるよ」


 横を向いたまま、師は話を始めた。


「まずはご苦労様。今回の《ニーゼネシスの森周辺の異変調査任務》において、あんたは異変の元凶である外道魔女《林の魔女フォーレスト》を特定・発見した。十分な業績だよ」

「へへ、それほどでもねェさ! あたしにかかれば、な!」

「──で、それ以外なんだけど」


 言葉に宿る切れ味が、増す。


「私、言ったよね」

「な、何を?」


 首を傾け、視線をアルルタミラに向けた。銀色の左目と、銀と赤が手を取り合うように混ざる《灼銀色しゃくぎんいろ》の右目。その眼光が、鋭く掴む。


「「何を?」じゃないでしょ」


 怒りを水面下に滾らせた、余りにも尋常ではない様子。これこそアルルタミラの師匠にして──魔女機関最高幹部、《邪悪魔女マジア・ファルネス》の威容。


「自分の役目を間違えないようにって、散々言ったよね」


 振り返る。銀色の髪が靡き、双眸がアルルタミラを正面から捕らえた。


「ねえ? アルルタミラ」

「っ……」


 アルルタミラさえも息を吞む、残酷の化身。その名──《鋼の魔女アクセルリス・アルジェント》。

 かつて《残酷のアクセルリス》の名を冠し、世界に銀色の轍を残した強き魔女である。


「あんたの任務は『調査・偵察』で、もし外道魔女と遭遇したら即撤退して魔女機関に報告する。そういうきまりだったよね?」

「そう……だったか? んな細けえこと覚えちゃねェさ!」


 必死に虚勢を張るアルルタミラを意に介さず、アクセルリスは己の言葉を紡ぎ続ける。


「言ってみればあんたの行動は命令違反にもなる。保護責任者としてその理由を聞こうか」

「理由? そりゃ──目の前に外道魔女がのさばってるのに、それを見逃せるワケねェ!」

「ご立派だね。だからリスクも顧みず、報告もせずに命令違反して戦闘を開始したと」

「応よ!」

「あのね──」


 いよいよアクセルリスも我慢の限界だ。声を荒げてアルルタミラにぶつける。


「自分の立場わかってる!? あんたはまだ《見習い》なんだよ!」

「じゃあなんだ、みすみす見逃しゃよかったてェのか!?」

「そうだよ! 外道魔女は今のあんたには危険すぎる!」

「でもいいじゃねえか、やっつけたんだし!」

「結果論! もっと強い魔女が相手だったらどうなってたことか……!」

「それでもあたしは勝ってみせるさ! どんな相手でもかかってこいってんだ!」


 キリのない水掛け論だ。ヒートアップしていく口論は終わりなく高まり続ける──ように思われていた、最中。


「アルルタミラ」


 ふと、口を開いたアクセルリスには静かな冷徹さが宿っていた。先程までの熱気とは対照的な、不気味ささえ感じられる声色で。


「……なんだよ」


 虚を突かれ、アルルタミラもおずおずと返す。


「なんで殺さなかったの?」


 そんな彼女の無防備に、鋼のような言葉が刺さった。


「え…………なんで、って」

「敵はあんたのことを殺すつもりで襲ってきた」


 アクセルリスの嗅覚は真実を的確に嗅ぎ分ける。『生』と『死』のはざまを乗り越えた者の匂いを、だ。


「だったら、あんたも敵のことを殺すつもりで抗った。そのはずだよね?」

「それ……は」


 アルルタミラの言葉が詰まる。アクセルリスは尚も淡々と続けていく。


「結果はあんたの勝ちだったけど──それはつまり、敵を殺すこともできたってことだ。だけどあんたは敵を殺さず、生け捕りにして通報した。もちろんそれが悪いとは言わないよ」


 生か死か。命をやり取りする生存競争について、アクセルリスは一定の価値観を置いている。そんな彼女が突き付けるのは、選択への問いだった。


「でも私が聞きたいのはそんなことじゃない。正義とか悪とかはどうでもよくて──ただ『理由』が知りたいんだ」

「……理由」

「そう。アルルタミラが敵を殺さなかった理由。教えて」

「それ、は────」


 重く言い淀み、停滞する脳裏上、必死に打開の言葉を編み。


「……あたしが強すぎたから、だな! 殺すまでもない相手だったってことだろう!」

「違う」


 しかし、虚勢の言葉は一言で切り捨てられた。


「分かってるでしょ、アルルタミラ。その答えは違う──あんたの本心じゃない」

「っ……」

「今のは、この場をやり過ごすために吐いた戯言だよね」


 灼銀の眼差しは、アルルタミラの深奥を見透かしている。


「それじゃ先には進めないよ」


 数々の死線を乗り越えた残酷は、しかし子を諭す慈悲をもって言葉を続けていく。


「あんたはこの先どうなりたいんだっけ? アルルタミラ」

「あたしは……お師匠をも超える、史上最大の魔女になる」

「それがあんたの目標でしょ? だったらこれが最初で最後じゃない」


 より強く、より高みへ。目指す覇道に戦いの火は耐えることがない。


「今のままじゃ、いつか殺されるのはあんただよ」

「……ッ」


 師の口から語られる『死』。それは何よりも説得力と質量を得て、アルルタミラに重く圧し掛かる。


「まさかとは思うけど、死に急いでるわけじゃないんだよね?」

「当たり前だ! 進んで死にたがってる奴なんているわけねェだろ!」

「──それが聞けてよかった」

「そりゃ、死にたくはねぇさ……なら、どうすりゃいいんだ」


 弱弱しくも、しかし真っ直ぐな眼差しでアクセルリスに相対する。


「あたしには何が足りてねえんだ、お師匠……!」

「『残酷』だよ」


 きっぱりとそう言い切った。アクセルリスには、アルルタミラの全てが初めから見えていた。


「具体的には──生存競争において『相手の命を奪う』ということへの覚悟、と言っていいかな」

「命を……奪う」

「自分を殺そうとする相手を、自分も本気で殺しに行く。そのことを常に心に留めないといけないんだ」

「それがないと、どうなるんだ」

「覚悟が足りずに力及ばず、相手に殺される。あるいは──覚悟もないまま相手を殺して、ずっと後悔することになる」


 殺し合いにおいて、生と死の天秤は釣り合わない。そしてどちらに傾こうとも、そこには覚悟がなければならないのだ。


「その心構えを私は『残酷』と呼んでる」

「……それはどうやったら身に付くんだ」


 貪欲に、自らに欠ける力を取り込む意志。アルルタミラが放つその輝きに、アクセルリスは笑った。これだから、たまらない。


「心の持ちようだからね、明らかな指標はないよ。時間はかかるし、簡単に得られるもんでもない──なにしろ『命』に関わるんだからね」

「それでもいいさ。お師匠を超えるためなら必ず手に入れてみせる──あたしに足りない『残酷』をモノにしてやらァ!」


 決意は固く、一本に。揺らぐことのない芯こそ、何よりも負けないアルルタミラの強さ。


「なら、私が特別な修行を組んであげる。長く苦しいプロジェクトになると思うけど」

「構いやしねえさ、よろしく頼む!」

「いい返事! 容赦はしないから覚悟しときなよ」

「上等!」


 アルルタミラは剛毅に笑った。アクセルリスもまた、満足げに微笑んだ。


「──」


 そうしてふたりが顔を見合わせている中──アクセルリスの腹の虫が呻き声を上げた。それを境に一転、リラックスした声音に変わる。


「……ふう。柄にもないことするとお腹が減るや」

「だったらちっとは勘弁してくれねえか、おっかなくてしょうがねえ!」

「ダメだよ、必要な事だからね! はい、これでお説教は終わり」


 肩の荷が下りた様子。アクセルリスもまた、『師』として発展途上なのだ。


「ご飯にしよっか」

「あ、あたし外で食べてきてて……」

「私を超えるつもりなのに、その程度でお腹いっぱいだなんて……まさか、言うわけないよね?」

「……上等! 母さん、メシだー!」

「はいはーい!」


 呼び声に答え、待ってましたと言わんばかりに一人の魔女が姿を表した。その両手いっぱいに料理の載った皿を携えて。


「早っ!?」

「ふたりが大事な話してたから、準備して待ってたよ! ちょうど良かったみたいだね!」

「流石アディスハハ、私のことよくわかってるー!」

「えっへへー! どれだけ一緒にいると思ってるのさ!」


 彼女は《蕾の魔女アディスハハ・アルジェント》。彼女もまた魔女機関最高幹部《邪悪魔女マジア・ファルネス》のひとりであり、そしてアクセルリスの伴侶でもある。

 かつて忌まわしき過去をアクセルリスと共に乗り越え、決して砕けぬ愛を誓い合った、強き魔女である。


「まだあるのか? あたしも運ぶの手伝うぜ!」

「ありがと! じゃあお願いするね、あと10皿あるから」

「そんなにか!?」

「そんなに! がんばったアルルタミラのためだからね!」

「母さん……分かったぜ、あたしに任せとけ!」

「さすがアルルタミラ、頼りになるー!」


 そうしてアディスハハはキッチンに戻っていった。アルルタミラもそれに続く──直前で立ち止まり、アクセルリスに尋ねた。


「……そうだ」

「どしたのさ」

「お師匠は、いつから『残酷』を身に付けたんだ?」


 それはごく自然な疑問だった。アクセルリスがそれをいつどのようにして身に付けたのかは、今後のアルルタミラにとって参考になる。


「私? そうだね」


 アクセルリスは僅かに考え、そして不敵な笑みを浮かべて言った。


「生まれたときから」

「え」


 ゾッとした。さっきから変わらぬはずの微笑みが、この上なく恐ろしいものだと感じる。


「…………」


 しかし、アルルタミラは負けない。


「面白え……それでこそ師匠だ!」

「そりゃなにより」

「見てなよ。あたしは必ず──あんたを超えてみせる! 覚えときな──」


 朝は暗く、芽は若く、物語はまだ始まったばかり。

 この先どんな艱難辛苦が待ち構えようと、彼女が止まることはない。恐れさえも強さに変えて、自らの花道をしゃにむに走り抜けろ!

 拍手喝采のその先へ、幕切れのその向こうへ、いざ征け我らの花形役者──


「あたしは! アルルタミラだ!」



【斬刻のアルルタミラ おわり】

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斬刻のアルルタミラ 星咲水輝 @HoMi0205

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