第三層:ポイズントード

第三層のモンスター、ポイズントードは毒を吐く小型犬ほどのサイズの大きなカエルだ。


じめじめした湿地帯であるこのエリアのどこかに生息し、エサを見つけると毒液を吐きつけて相手を弱らせ、捕食する。


問題は、人間をエサであるとみなし毒液を吐きかけてくること、その毒が人間に有効であることである。


一浴びすれば即死するほどのものではないが、浴びればかかった皮膚はただれて激しい痛みを呼び起こし、吸い込めば即効性ではないが運動能力の著しい低下を引き起こす激毒である。


毒液の発射速度はキャッチボール程度だと言われているが、顔にあたれば即座に失明の上、じきに動けなくなりカエルのエサになる運命を待つばかりとなる。


2層と同じように、右手にホーンラビットの刃角を握りながら、拾い集めた石を左手で水面に投げる。ポイズントードは水面を刺激していると出てくるらしい。


なかなか姿を表さないカエルを待ちながら、楓のことを思い出していた。




楓はカエルが苦手だった。




都心部から少し離れた場所に新しくできた保育所付きマンション、それに惹かれて僕の家族と楓の家族は引っ越してきたのだ。


マンションに併設された保育所で同い年の男女として巡り会った彼女は、明るく強気な女の子で、一緒に遊ぼ!と笑いながら、平然と僕が部屋の隅っこで時間をかけて積み上げた積み木をぶち壊すような豪快な女の子だった。


男の子とも対等にケンカするし、お気に入りの髪留めがとられようものなら、喚きながら下手人を突き飛ばす。


いつも隅っこで静かに遊んでいる僕とは正反対のタイプだった。


幼い僕には無敵のように思えたそんな彼女にも、弱点があった。




楓はカエルが苦手だった。



「ぬるぬるじめじめしてて気持ち悪い!」



小学校の帰り道、そう言って普段は僕の一歩前を歩く楓は、カエルを見ると僕の後ろに隠れた。



「僕にそっくりだよね。いつもカラッと元気な楓とは正反対だ。」



クラスの人気者である楓とは対照的に、教室の隅で1人静かにいつも読書していた僕は、自分と草陰でじっとしているカエルが重なって見えた。


そんなカエルが楓に拒絶されるのは、なんとなく心が苦しくなって、自虐することでその心を誤魔化そうとした。



「なにいってるの?全然違うわ。ぬるぬるしてないし、気持ち悪くない。知らないの?それに、カエルは嫌な声で鳴くのよ!」



キョトンとした顔をしてから楓は僕の手を取り、笑顔になって最後には唇を尖らせた。


コロコロと表情を変えながらいつも純粋に好意を向けてくれる楓のことが、いつからか僕は友達ではなく、女の子として好きになっていた。



「じゃあ、カエルからは、僕が楓を守るよ。」



「え?ほんと!?……ふふっ。ありがとね。」



意外そうに目を丸くした後に、穏やかな表情で前を向いて歩く横顔を見つめながら、あの日僕は誓ったのだ。彼女を守る騎士になると。




それから少しして、人類は夢を奪われた。


小学校最後の年。母さんが現実世界に帰ってこなくなり、クソ親父が悪鬼と化したことで、僕は身体的にも精神的にも追い詰められ、最低限の交流すら他人と取る余裕すら失った。僕と楓は必然的に疎遠になって行った。


中学1年。形だけ学校に通いながら父の修練に耐える日々の中で、母さんが衰弱の果てに亡くなった。


中学2年。クソ親父が超越者となったことで、身に覚えのない友人が大量に現れた。小学校からの仲じゃないか!親族が、大切な人がダンジョンに囚われたからお前の父に頼んでエリクサーを分けてもらってくれと縋りつかれては拒絶するしかない毎日を過ごした。時に逆恨みされ、暴力を振るわれることすらあった。


そんなこんなで楓との関係性を修復できないままでいる間に中学3年。楓は僕よりも早く15歳の誕生日を迎えた。


そして1週間前、母さんと同じように目覚めなくなった。


半狂乱になった楓の母親から聞いた。


ダンジョンで命を落としたのだ。


強制エントリーによるものか、自らダンジョンへと挑んだのか、今となってはわからない。中学に入ってから疎遠だった3年間を取り戻すことはできず、今の楓が何を考え、どう行動したのかはわからないのだ。


運動神経のよかった楓がうさぎに殺されるとは考えづらい。


フェザーバードに不意を突かれて傷を負ったとして、即死でなければ失血死する前に倒して門から出ることは難しいことではない。ベッドに飛び込めばダンジョンで負った傷は無かったことになる。


ありえるとすれば…


そう、ありえるとすればこのポイズントードに殺された可能性が高い。


こいつは初心者殺しとして悪名高く、実際に数々の高齢者や少年少女がこのカエルによって命を奪われてきたと推定されている。



「出てこいよ、クソガエル!」



沼地に向かって手当たり次第に石を投げながら叫ぶ。



「楓を返せよ!お前がやったんだろ!」



ダンジョンでは冷静さを失ったものから命を落とす。そんなセオリーが頭から抜けるほどに苛立ちを抑えきれない。



「よりによって、よりによってなんでカエルなんだよ。そんなのって、ないだろ。」



最悪すぎる運命の巡り合わせに、立っていられず膝から崩れ落ちた。



「守るって、約束したのに。僕は嘘つきだ。」



周囲もろくに警戒せず、膝をつく僕は格好の獲物に見えたのだろう。



「ゲコッ」



不快な鳴き声が聞こえたとほぼ同時に、背中に液体が触れたような感触と共に燃えるような痛みが走った。



「あああああっつ!?」



痛みの衝撃で立ち上がり、勢いよく振り向くと、茶色い40cmほどのカエルが第二射を放とうと口を膨らませているところだった。



「お前が!」



避けることも忘れて無我夢中でカエルに走りより、勢いのまま蹴り飛ばした。反動で毒液が右足にかかり、さらなる痛みが思考を鈍くする。



「あああああああああああ」



飛んで行ったポイズントードは動かないものの、まだ消滅していなかった。自由に動かない右足を庇いながら歩み寄り、激情のままに両手で真上からホーンラビットの刃角を突き刺した。



ポイズントードは破裂するように光輝くカケラへとなって姿を消し、緑色の毒液が入った瓶が描かれたカードへと姿を変えた。



「はやく、体が動かなくなる前に!」



毒液を2発くらい、多少は揮発した毒液を吸い込んでしまった僕はこのままでは動けなくなって死ぬ。生きて現実に帰るためには、またしてもいつのまにか出現していた門から例の部屋に戻ってベッドに飛び込むしかない。


茶色いカードを引っ掴み、これ以上毒液を吸い込まないように息をとめながら門へ向かう。


痛みに歯を食いしばりながら何とかベッドにたどり着くことに成功し、意識を失う直前に、息を止めるために口元に当てていた手が自分の涙で濡れていることに気がついた。


それが痛みの反射からくるものなのか、楓の仇らしき相手を殺したことで、改めて、失った楓に対する想いが溢れ出たことによるものなのかどうかは、僕にも分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕はいちおくえんガチャを引かない 空見夕 @soramiyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ