第48話 予想外の再会がもう一つ

 再度進み出してからは襲撃もなく、順調に国境を越えることができた。ソナートの領地を走っているうちに、やがて目的地が見えてきた。


 そこには白銀に輝く、とても大きな木がそびえ立っていた。


 周囲の木々よりも遥かに高く、幹も太い。大人が何人も手をつないで輪になって、ようやく囲めるかといったような太さだ。びっしりと葉を茂らせたこずえが風に揺れて、きらきらと美しくきらめいている。


 前もってソナートの使者たちから話は聞いていたけれど、予想よりもずっとずっと見事だ。思わず姿勢を正さずにはいられないような、どことなく神聖な雰囲気が漂っている。


 そちらに近づいていくにつれ、少しずつ周囲の様子も分かってきた。よく見ると、木の根元に人が集まっている。ソナートの紋章が描かれた旗が、すぐそばではためいていた。


「ソナートの兵士……はいいとして、数、多くない?」


 声をひそめて、セルジュにささやきかける。話題が見つかったからか、私たちの間のぎこちなさは消えていた。


「確かに……予想の数倍くらいはいるな。というか、やけに豪華な身なりの兵士が……よほどの大物が、ここに来ているのか?」


「あれ、椅子が置かれてるね。ちょうど、あの豪華な人たちに囲まれるようにして……あ」


 身を乗り出して木のそばを確認していたら、とんでもないものがちらりと見えた。あまりのことに絶句していたら、セルジュが不安そうな声で尋ねてきた。


「おい、『あ』とか言ったきり黙るな。不安になるだろう。お前、何を見たんだ」


「……母さんがいた。あの豪華な兵士たち、たぶん王宮を守る近衛兵だ……」


 呆然とつぶやくと、隣から低いうめき声が聞こえてきた。


「お前の母……おい、つまりそれって、ソナートの王妃……どうしてまた、こんなところに……」


「そうだね。僕もびっくりだ」


「それと王妃の隣に、子供がいるようだが。銀髪の、十歳くらいの少年だ」


 今度は、私がうめき声を上げる番だった。


「……たぶんその子は、僕の異父弟のルイだと思う。ただあの子、ソナートの王太子なんだけど……」


 その時、二人がここにいる理由が何となく理解できた気がした。私は物心ついてからお母様と直接顔を合わせたことはないし、ルイは前から私に会いたがっていた。


 おそらく二人は、この機会を利用して、私に会いにきたのだ。お母様ならそれくらいやりかねない。


 そうこうしているうちに、馬車が木のそばまでたどり着いた。一生懸命厳粛な顔を作りながら、馬車から降りる。


 次の瞬間、お母様が駆け寄ってきた。そうして、私をぎゅっと抱きしめてくる。


「会いたかったわ、リュシアン!」


 そのあまりの喜びように、ちょっと鼻の奥がつんとした。


「うん、僕も。……ところで、どんな理由をつけてここまで来たの? 母さん、本当はここに来る必要なかったよね」


「ええそうよ。でもどうしても、あなたに会いたかったんですもの。堂々と、かつ肩肘張らずにあなたに会える、こんな好機を逃してなるものですか」


 お母様はとっても生き生きと、そんなことを言い放っている。青い目をきらきらと輝かせて。


「だから夫やみんなをまとめて説得して、ここでの交渉役を任せてもらったのよ」


 さらりと言い放ったその内容に、ソナートの兵士たちが身じろぎした。笑いをこらえているような、困ったような、とても複雑な顔だ。


 やっぱり『任せてもらった』というより『力ずくで役目をもぎ取った』とか、そういうのが正しいんだろうな。ついでに、『説得』じゃなくて『脅迫』とかだったりして。


 しかし当のお母様は周囲のそんな空気をものともせず、私の頬に触れてこちらを見上げてきた。愛おしそうに目を細めて。


「あんなにちっちゃい赤ちゃんだったのに、こんなに大きくなって……私より身長、高くなったのねえ。男の身なり、とってもよく似合ってるわ。うっかり惚れてしまいそう」


 軽やかに語っていたお母様の顔が、ふっと曇る。


「あなたを置いて出ていくのは、辛かった。でも、修道院には連れていけなかったから……本当にごめんなさいね、リュシアン」


「いいんだよ。母さんにも事情があった。それは分かってる。……要するに、あの父のせいなんだし、全部」


 私が赤子の頃の騒動、つまり父の浮気とそれに伴うお母様の修道院行きと離婚について、私は大まかなことしか知らない。


 父はそのことについて語ることはおろか、ほのめかすことすらなかった。ただ、「お前の母は死んだ」と言い張るだけで。


 そしてお母様も「あなたはまだ若いのだから、人生の暗いところをわざわざ知る必要なんてないわ」と言って、詳しいことは教えてくれなかったのだ。


「ああ、そのことなのだけれどね……そろそろ水に流してもいいんじゃないかしら? あなたもバルニエの家からは離れられたみたいだし、素直に幸せを追いかけてもいいと思うの」


 私の頭をなでて、お母様は優しく言った。それからちらりと、私のすぐ隣に立っているセルジュを見ている。


「それこそ、誰かと恋をして結ばれて、平和な家庭を築くとか。素敵よ?」


 その言葉に、セルジュが真っ赤になった。


 まずい、さっきのあれがまだ尾を引いている状況で、そのせりふはまずい。明らかにセルジュが挙動不審に……もしかしたら私もおかしな態度になっているかもしれない。


 よし、速やかにごまかそう。


「ねえ母さん、それよりずっと気になってたんだけど……そっちの子、ルイだよね? 紹介してよ」


 私の意図を察したであろうお母様は、それでもすぐに話に乗ってきた。


「ルイ、お姉様……じゃなくて、今はリュシアンお兄様ね……にごあいさつなさいな」


「はいっ!」


 ずっとそわそわしていたルイが、元気よく答えて立ち上がる。


「初めまして、リュシエンヌ姉様……ではなくて、リュシアン兄様……ですよね」


 私が男装しているせいで、ちょっとこんがらがってしまっているようだ。そんなところも、たいそう可愛らしい。


「僕はルイ、いずれこのソナート王国を継ぎ、王となる者です。あなたのことは、いつも母様から聞いています。お会いできて、とても嬉しいです」


 そうしてルイは、胸に手を当てて礼儀正しくあいさつをしてくる。失敗しないようにと一生懸命になっている感じが、とっても微笑ましい。


 彼は私やお母様と同じ銀色の髪と青い目をしていて、顔立ちも私たちと似ていた。そんなこともあって、とっても親近感を感じる。


「初めまして、ルイ。会えて嬉しいよ。ただ、その……ルイ様と呼んだほうがいいのかな。君はソナートの王太子なのだし」


「いいえ、あなたは僕のたった一人のお姉……お兄様です。どうぞ、普通の兄弟として接してください。……あれ? 姉弟かな?」


「見ての通り、僕はちょくちょく男装するような変わり者だけど、それでもいいの?」


「はい! 兄様は普通の令嬢の枠にはまらない、自由で素敵な方だって、そうお母様から聞いていて……僕、ずっと憧れていたんです」


 どうやらルイは、すっかり私に夢を抱いてしまっているらしい。お母様にあれこれ吹き込まれた結果なのか、あるいはこの子も私やお母様のように少々変わっているのか。


 何となくだけれど、後者のほうかなという気がしないでもない。こうやってちょっと話しただけなのに、結構気が合いそうだなと、そんなことを強く思ってしまうから。


 そうやって私がルイと話し込んでいる隙に、お母様はセルジュをとっ捕まえて観察していた。大丈夫かな、セルジュ。


「あらあ……あなたがセルジュね? リュシエンヌから聞いてはいたけれど……ふーん……へーえ……なるほどねえ」


 お母様とセルジュの距離が、やけに近い。というか、お母様がじりじりと彼に近づいているのだ。妙なにやにや笑いを浮かべながら。というかお母様、彼は女性が苦手なんだって知っているはずなのに、一体何をやっているんだろう。


 一方のセルジュは、その場に踏みとどまったまま必死に視線をそらしていた。さすがに、隣国の王妃相手に後ずさりして逃げるような真似はできないと判断したらしい。頑張れ、セルジュ。


「女性が苦手らしいって、本当みたいね……ものすごく緊張しているし、さっきからろくに視線を合わせてくれないし」


「……隣国の王妃殿下を前に、そそうがあってはいけませんから」


 セルジュはどうにかこうにかそう答えつつも、さらに身を縮こめている。さすがにかわいそうに思えてきたので、そっと二人の間に割り込んだ。ちょっと女性らしく、しなやかな足取りで。


「お母様、あまり彼をからかわないであげて。そこそこ付き合いの長い私でも、こうして女らしくふるまったとたんぎこちなくなるのよ、彼は」


 そう言ってくるりとセルジュのほうを見ると、彼は真っ赤になってさらに目をそらしていた。いつもと違って、私ともろくに目を合わせられないらしい。まあ、襲撃を受けた時のあの一幕を思い起こせば、この反応は予想の範囲内ではあるけれど。


「というかセルジュ、さっきちょっと色々あったけれど、だからってその態度はどうかと思うわ」


「無理だ。恥ずかしいからな。そもそも、お前が魅力的なのが悪い。男装しているというのに、いやむしろ男装しているからこそ、華奢さが際立って……目のやり場に困る」


「……あなたの褒め言葉のほうが、よっぽど恥ずかしいわよ……」


「思ったままを言っただけだが」


「だから余計にたちが悪いの」


 そうやって騒ぐ私たちを見て、お母様はくすくすと笑っていた。ルイも目を丸くして、興味深そうに私たちを見守っている。


「まあ、合格かしらね。ぎこちなさは減点だけど、それを補って余りあるまっすぐさがあるわ。将来有望な、いい男ね」


 お母様はセルジュに歩み寄ると、まっすぐに彼を見上げた。腰に手を当てて、胸を張って。


「セルジュ、私の愛娘をよろしくね。泣かせたら承知しないわよ」


 口調こそ軽いけれど、その目はとても真剣だ。そんなお母様の気迫に押されたのか、セルジュも真顔でゆっくりとうなずいていた。


 それを見て、お母様は満足げに笑う。それから大きな木の根元まで歩いていって、くるんと振り返った。


「さて、顔合わせも終わったところで、本題に入りましょう。リュシアン、さっそくだけど、聖女の奇跡を見せてもらえないかしら?」

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脱走令嬢、男装の愛され聖女になる 一ノ谷鈴 @rin_ichi

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