第47話 思いがけない事情

 急いで手当を済ませた私たちは、また国境目指して移動していた。さっき逃げた王国兵が援軍を連れてくる前に、国境を越えてしまうために。


 ……もし援軍がきたところで、おじさんが変身すればすぐに追い払えるような気もするけれど。


 そしてそのおじさんは、馬に乗って私の馬車に並走している。小柄だけれどがっしりとした、長旅にも向いた種類の馬だ。


「……そうだ、おじさん。さっきは助けてくれて、本当にありがとう。まさか、こんな形で再会することになるとは思わなかったけれど」


 身を乗り出して、おじさんに話しかける。話したいことも、聞きたいことも、たくさんあった。


「それと、どうして突然いなくなっちゃったの? 僕、寂しかったんだよ」


 小声でそう尋ねると、おじさんは申し訳なさそうな声で答えてきた。


「わしはただの狩人じゃ。いつまでもわしと関わっておったら、お主の未来に障りが出るやもしれんでな。いずれお主はどこぞに嫁いでいくのじゃし」


「あいにくと、そうやって決まった結婚からは全力で逃げたけどね。おじさんの教えがものすごく役に立ったよ」


「ふむ、それは喜んでいいのか、少し悩むのう」


「喜んで欲しいな。だって僕、感謝してるんだよ。おじさんのおかげで、僕はただ押しつけられるだけの人生から抜け出せたんだから」


 くすりと笑って、首をかしげる。


「……あとさ、もう一つ分からないことがあるんだけど……おじさんがここに来たのって、偶然? それとも何か、理由がある?」


「そうじゃのう……わしはお主のもとを去ってから、ずっと旅をしておったんじゃ。そうしていたら、イグリーズの町に聖女が現れたという噂を聞いてなあ」


 私の問いに、おじさんは考え込むようなそぶりを見せた。それから、唐突に関係のなさそうな話を始める。というかおじさん、聖女の噂を聞いてたのか。何だか恥ずかしい。


「特に当てのある旅でもなし、聖女とやらの姿を拝むのも面白かろうと、イグリーズの町に足を運んでみたんじゃよ。で、物陰から聖女を見ることができたのじゃが……いやまあ、驚いたのなんの。どうしてここにリュシエンヌがおるのじゃ、しかも男のなりで、と」


 その言葉に、今度は私が驚かされる。隣で手綱を操っているセルジュも、私たちの会話に聞き耳を立てているようだった。


「え、おじさん、イグリーズに来てたの!? 気づかなかった……」


「わしは人込みにまぎれておったから、仕方あるまい。長い狩人暮らしのせいか、人里でも、つい気配を隠す癖がついてしもうてのう」


 軽く苦笑して、おじさんはさらに続ける。


「それからずっと、わしはイグリーズにおったのじゃ。どうしてお主が男としてこんなとこにおるのか、なんでまた聖女なんてことになっとるのか、謎だらけじゃったからのう」


「え、でも一度もおじさんの姿は見なかったけど」


「隠れとったんじゃ。聖女様と知り合いだと知れたら、面倒なことになりそうじゃったしのう」


 隣でセルジュが、こっそり笑いを噛み殺している。うう、他人事だと思って。


「それにわしは、お主の師匠じゃぞ。弟子から逃げ回るくらい、簡単じゃ。イグリーズは大きな町じゃし」


 ちょっぴり得意げに言ったおじさんだったけれど、すぐにううむと小声でうなっている。


「ただのう……王宮の使者やら兵士やらがやってくるわ、聖女の奇跡とやらが起こるわ、しまいにはマリオットが独立するわ……日に日に、謎は深まるばかりじゃった。いっそ正体を明かして、マリオットの屋敷に乗り込んでやろうかとも思ったわい」


「うん……その辺の事情については、また後でゆっくり説明するよ。騒動のど真ん中にいる僕ですら、何でこんなことになったのかまだちょっと呑み込めていないし……」


 そうぼやくと、おじさんも同情するような目でちらりとこちらを見た。


「お主も大変じゃの。で、そうしてイグリーズで首をかしげておったら、お主たちがやけにせっぱつまった様子で町を出ていった。はて何があったのじゃろうかと気になったので、こっそりと後をつけておったのじゃよ」


「そうだったんだ……おじさんがいなかったら、たぶん僕たちは全滅してたかも。あいつら、本気で皆殺しにするつもりだったし」


「じゃろうな。あれほど露骨に殺気を放っておる兵士など、久しぶりに見たわい」


 深々とため息をついていたおじさんが、ふと前方に目をやった。


「ふむ、森がさらに深くなってきたのう。何が起こるやら分からぬし、少し偵察に出るとするか。リュシアン、何かあったら声を上げるのじゃよ」


 そう言い残して、おじさんは馬を走らせていった。後に残されたのは、私とセルジュだけ。道が狭いということもあって、マリオットの兵士たちは馬車の後ろを走っている。


 いつもなら、私たちはのんびりと世間話をしているところだろう。しかし今は、お互い無言だった。


 ……気まずい。


 二人きりになると、どうしてもあれを意識してしまう。セルジュの、あの言葉を。さっきまではおじさんと喋っていたから、気にせずにいられたけど。


 そしてセルジュも、いつになく無愛想だった。そっぽを向いたまま、赤い髪を風になびかせている。おそらく彼は、今さらながらに恥ずかしくなっているのだと思う。


 これ、どう声をかけたらいいんだろう。あの時は、私も必死だったし……半ば生きることをあきらめていたセルジュをどうにかして引き留めたくて、何でも聞くから、と答えてしまったのだけれど。


 この空気で、どうやってあの時の話をすればいいんだろう。「さっきの『お願い』って、何なのかなあ?」と正面切って切り出せたら、どんなに楽だろう。


 そんなことを思いながら、小さくため息をつく。そしてちらりと、隣のセルジュを見上げた。


 できることなら、すぐにでも聞いてみたい。彼が私に、何を望んでいるのか。それと……あの、恋心という発言について。


 女性が苦手なセルジュ、そんな彼のふるまいがぎこちなくなるのが嫌で、私はずっとリュシアンのままでいた。そうしているうちに、私にとって彼は、大切な友人のようなものになっていた。


 でもさっきの騒動で、気づいてしまった。


 私はずっと前から、彼のことを多少なりとも男性として意識していたのだと。結婚にも恋愛にも否定的だったせいで、自分のそんな気持ちに向き合えなかっただけで。


 ここからどうしよう。いつものように、リュシアンとして軽く話しかけてみようかな。そうしてさっきのことを、なかったことにしてしまおうかな。私はまだ、自分の感情にきちんと向き合う覚悟ができていないし。


 迷っていたら、かすかなうなり声がした。隣のセルジュが、何やらうめいている。


「……セルジュ? どこか、痛むの?」


 返事はない。気まずくてうつむくと、静かな言葉が降ってきた。


「……帰ったら」


 セルジュは、ひどく淡々と話している。


「……マリオットの屋敷に、帰ったら」


 その声がほんの少し震えているように思えたのは、気のせいではなかった。


「その時に、話す。先ほどの、ことについて」


 それきり、彼はまた黙ってしまった。私も何も言わずに、ただ風に吹かれていた。


 嬉しいような、落ち着かないような、そんな気分を抱えて。

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