第46話 予想外の再会
国境まであと一歩というところで、王国兵たちに追いつかれてしまった私とセルジュ。どんな手を使ってでも生き延びてやるんだと、覚悟を決めてナイフをぐっと握りしめた、その時。
何か大きな白いものが、私たちと王国兵の間に割り込んできた。びっくりした拍子に、構えが解けてしまう。
「と、虎だと!?」
「この辺りに虎が出るなど、聞いたことがないぞ!?」
向こうのほうから、大いに混乱した声がする。少し遅れて、私も理解する。目の前にある白いもの、これって虎だ。
白地に淡い茶色の縞模様の、とても大きな虎。年を取っているのか少々毛並みがぱさついているけれど、その下でうごめいている筋肉は張りがあって、とっても若々しい。
……って、冷静に分析してる場合じゃない! 虎がこっちに背を向けているうちに、逃げないと!
ナイフを構え直しつつ、隣のセルジュをちらりと見る。彼も険しい顔で、小さくうなずいてきた。
そうして二人で、じりじりと下がっていく。虎のおかげで、王国兵はその場から動けなくなっている。今のうちに、少しでも距離を稼ごう。
しかし次の瞬間、全く予想もしていなかったことが起こった。
なんと白い虎は大きな前足を振り上げると、王国兵たちをまとめて横になぎ払ったのだ。ちょうど、猫がおもちゃで遊んでいるような、軽やかで楽しげな動きだった。
でも何といっても、大きさが猫とはけた違いだ。王国兵は五人まとめて派手に吹っ飛び、地面に倒れ伏してしまった。
うめいているし動いているから死んではいないようだけど、骨くらいは折れているかもしれない。あの虎、ものすごく強い……。
あっけにとられていたら、白い虎がゆっくりとこちらを振り返った。セルジュが身をこわばらせて、私を背にかばう。
でも私は、なぜか怖いと思えなかった。ちょっと黄色っぽくなった白い毛、底知れぬ深さを感じさせる水色の目を見ていると、不思議なくらいの懐かしさがこみ上げてくるのだ。虎に出くわしたのは初めてなのに、どうしてこんな風に感じるんだろう。
と、またしても訳の分からないことが起こった。私たちの目の前で、虎がみるみるうちに縮んでいったのだ。
そうして虎が姿を消したあとには、白くてふわふわのたっぷりとしたひげを蓄えた、小柄な老人がぽつんと立っている。
「久しぶりじゃな、リュシエンヌ。いや、今はリュシアンじゃったかの」
「ティグリス……おじさん……? どうしてここに……じゃなくて、どうして虎がおじさんに!?」
おじさんに再会できたのはとっても嬉しい。でも、何がどうなっているのか分からない。
「ティグリス殿……といったか。助力、感謝する。俺たちは急いでいるので、失礼する」
ぽかんとしている私の手を引いて、セルジュが国境のほうに走り出そうとする。そうだ、今は再会を喜んでいる場合じゃなかった。
「リュシアン、お主の仲間たちを放っておいてよいのかのう? わしでよければ、加勢するぞ」
すると背後から、おじさんの声がした。二人で振り返ると、おじさんはふっくらとした頬を持ち上げて、おっとりと笑っていた。
それから、少し後。私とセルジュは、森中に響き渡る悲鳴を並んで聞いていた。
私たちからざっと状況を聞いたティグリスおじさんは、すぐに白い虎の姿になると森の中に突っ込んでいったのだ。
「……あれ、レシタルの兵以外の悲鳴も混ざっていそうな気がする……」
「そうだな。……こうしているのも何だし、馬車のところに戻るか」
「うん。もう、大丈夫そうだしね」
私とセルジュは、さっきまでの悲壮感が嘘のように、とてとてと馬車のあるほうに向かっていった。何となく、どちらも無言だった。
そうして馬車のところにたどり着いた時には、もう全部終わっていた。
レシタルの王国兵はみんな逃げていき、マリオットとソナートの兵士たちと使者は、みんな馬車のところに戻ってきていたのだ。呆然としながら、それでも手際よく傷の手当てをしている。
「た、助かった……が、何がどうなっているのか、分からん……」
「たまたま虎が、敵兵だけを殴りたい気分だった……なんて、そんなはずはないんだが」
「しかも、ばらばらに戦っていた私たちのところに順に現れて、私たちには目もくれずに去っていった……あり得ない……が、確かに起こったことだ……」
ティグリスおじさんの姿は見えない。まだ森の中なのだろうか。みんな混乱してるし、おじさんの口から説明してもらったほうがいいと思う。
「それにしても、こんなところでレシタルの襲撃を受けるとは……」
「規模からして、近くの警備部隊に見つかっただけ……だと思いたいが」
「だが行動が、少々不可解だ。どうしてただの商人を襲撃する?」
「まさか……な。もし俺の考えが当たっているとしたら、レシタルは予想よりずっとまずい状況に置かれているだろう」
そんなことを話し合っているみんなから視線を動かし、すぐ隣に立っているセルジュに声をかける。
「……みんな、軽傷でよかったよね。ほらセルジュ、君の傷も手当てするから、かがんでよ。肩の傷がよく見えない」
そう言ってセルジュの袖を引っ張ったら、彼はふっと視線をそらした。その頬が、かすかに赤いような。
「いや、これくらいなら大丈夫だ。汚れた傷でもないしきれいに切れているから、放っておいても勝手にくっつく」
照れている。そう気がついた時、いきなり心臓がどくんと跳ねた。国境を越えようと逃げていた、あの時のやり取りを思い出してしまったのだ。
えっと、確かセルジュはあの時、生き延びられたらお願いがどうとか言ってたような……いや、その前にもっととんでもないことを言ってた!
まずいまずい、早く忘れないと! 今は重要な任務の最中なんだし、心を乱されている場合じゃない!
「おお、リュシアン。この辺りをざっと見回ってきたが、もう誰もひそんでおらんようじゃ」
無言で焦り出したまさにその時、近くのやぶをかき分けてティグリスおじさんがひょっこりと姿を現した。のんびりとしていたみんなの間に、緊張が走る。
「わっ、みんな、大丈夫だから! この人はティグリスおじさん、僕の古い知り合いで、……さっきの白い虎だよ。僕もまだ信じられないけれど」
あわててみんなにそう呼びかけると、おじさんが進み出て一礼した。
「わしはティグリス、見ての通りの老狩人じゃよ。ただのう、実は獣人族でな」
その言葉に、どよめきがわき起こった。獣人族は人と獣、二つの姿を持ち、人にまぎれてひっそりと暮らしているのだという話だ。
もっとも、人前で姿を変えることはめったにないし、自分の正体を明かすことも珍しいから、どれほどの数がいるのかは知られていない。
「どうれ、お近づきのしるしに一つ」
おじさんがそう言ったとたん、ふわっとその姿が膨らんだ。まばたきするよりも早く、おじさんは白い虎に姿を変えていた。一声うなり、また元の姿に戻る。
「リュシアンが面倒なことになっとるようじゃし、ここからはわしもついていってよいかのう?」
そうしておじさんは、やはりのんびりとそんなことを言った。立て続けに色んなことがありすぎたからか、みんなは一瞬ぽかんとしていたけれど、やがて大きくうなずいていた。こくこくと、何度も。
みんなの顔にはまだ緊張の色があったけれど、それでもどことなくほっとしているのが感じ取れた。
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