【書籍化記念SS】婚約破棄された研究オタク令嬢ですが、後輩から毎日求婚されています

nenono

短編 研究オタク令嬢フレデリカは実験がしたい


「フレデリカさん、今日も大好きです。結婚してください」




 魔道具研究室のドアを開けると、今日も後輩のエミール君から結婚を申し込まれた。

 金髪にブルーグリーンの瞳が印象的な彼は、まるで大型犬のように人懐っこい笑顔を浮かべている。



 彼はエミール・フィッツジェラルドという名前の若き公爵だ。隣国から短期留学として研究室にやって来ており、二十歳の彼は私より二つ年上だが、身分の関係で私が指導を任されている。


 私はフレデリカ・ローレンツ。この魔道具研究室で働く研究員で、侯爵令嬢だ。そして、つい最近、幼い頃から婚約者だったアーネスト殿下に婚約破棄されたばかりである。それからというもの、エミール君は毎日のようにこうして私に結婚を申し込んでくるのだ。



 あたかも飼い主が帰ってきたと、はしゃぐ犬のよう。


「結婚のことは父に聞いて」


 いつものように返事をし、自分のデスクに向かう。貴族同士の婚姻は家の当主同士が決めること。私に言われても決定権はない。


「はい。わかってます。フレデリカさんに会うと、想いを抑えられないだけなので」


 結婚の申し込みを断ったというのに、大型犬のようにニコニコしながら後ろをついてくる。自分のデスクにつき鞄を置いて席に座ると、彼も隣の席に座った。


「毎日結婚を申し込まれても、私に決定権が無いのは知っているでしょう? 何か別の方法を取ればいいのに」


 頬杖をつきながら言うと、彼はキョトンとした顔を向けた。


「別の方法ですか?」

「ええ」


「じゃあ、フレデリカさんが僕と同じ立場だとしたら、どうやって結婚出来るように攻略しますか?」

「私が私と結婚出来る方法を考えるの?」



 エミール君はニッコリと頷き、問いかけてくる。


「思考実験ですよ。フレデリカさんだったら、どんな手段を取ります? こういうことを考えるの好きですよね?」


「そうね……」


 頭の中で色々と考えてみる。自分だったらどうするか……こういう質問は楽しい。



「正攻法なら、前から言っている通り、私の父に結婚の契約条件を詰めたものを持って打診しにいく……でも、それ以外ってことよね?」


「ええ。僕はフレデリカさんの気持ちを手に入れてから結婚したいですから。だから、家の利益とか条件はなしでお願いします」


 彼も貴族の結婚は理解しているが、奇特にも私の気持ちを手に入れたいというのだ。



「じゃあ、最初の目標は私の気持ちをどうやって手に入れるか、ってことよね?」

「そうですね」


「気持ち……気持ち……」


 私は『好き』という気持ちが理解出来ない。だからこそ、彼は毎日こうして自分の『好き』を伝えようとしてくるのだ。



「気持ちとは脳の反応に過ぎないでしょう? とある感情を魔道具で作り出すことは……出来そうな気がする。そういう魔道具を作って……」


「…………精神操作や洗脳はなしでお願いします。僕は好きな女性にそんなことをしたくありません」


 ジトッとした目を向けられ、それ以外の方法か……と改めて考え直す。



「じゃあ、君と私の気持ちをリンクさせる魔道具を作って、君が好きだと思ったら同調するように……」

「それも精神操作ですって……。自分がそうされても平気なんですか?」


「んー、そういう魔道具があったら、被験者として試してみたいかもしれない」


「仮に僕がその魔道具をフレデリカさんに黙って使ったら、怒りますよね?」

「怒らないよ。そんな魔道具を作れたことに、むしろ感心するかもしれない。あ、でも他の人に使ったら怒るかも」


「え? フレデリカさん以外に使ったら怒るんですか?」

 エミール君は驚きつつも、どこか嬉しそうに目を輝かせる


「ええ。だって危ないじゃない。他人に使うのはダメ。だけれど、私相手だったら問題はないよ。むしろ楽しそうだから使ってほしい」


 研究者として、どんな物でも自分の身で試してみたい。ワクワクして返事をすると、エミール君は大きな溜息をついた。


「嫉妬とかではなく……、一応は倫理観があるんですね。少なくとも他人には、ですけど」


「失礼な。勝手に許可も得ず他人に使うなんて言語道断。でも、私だったらいいよ。どんな魔道具でも試してみたい。むしろ、魔道具で強制的に『好き』を理解出来たら手っ取り早いでしょう?」



「はぁ……。そんな方法でフレデリカさんの気持ちを手に入れても、僕はちっとも嬉しくないです。虚しいだけですよ」

 エミール君はガックリと肩を落とし、またも大きく溜息をついた。それと同時に始業の鐘が鳴り私達は会話を止め、今日の作業に移っていった。




                 ***




 しかし、朝何気なく話題にした魔道具が実際に作れるのではないかと考え始めたら、止まらなくなった。構造を思案しながら手を動かしていくうちに、現時点での技術で実現可能なものを思いつき、終業後に工作室で作業を進めた結果、ついに完成に至った。



「当初とは違うけれど……『嘘をつけない魔道具――通称正直者サークレット』が完成した」


 私は額に赤い魔石をあしらった輪型のサークレットを掲げて満足げに言った。それは装着者の意識に介入し、感情や思考をそのまま表出させる仕組みだ。




「正直者サークレット……ですか?」

 工作室で私と一緒に残っていたエミール君が、目を瞬かせ驚きの声を上げる。


「ええ。これはね、感情や思考を隠せなくする魔道具。本当は今朝話していた『感情を疑似的に作り出す魔道具』を目指していたのだけれど……」


 私は手の中のサークレットを眺めつつ説明を続けるが、エミール君は眉をひそめた。


「まさか、そんなの本気で作ろうとしていたんですか? 危ないじゃないですか」

 エミール君にジトッとした目で見られ、慌てて手を振って弁解した。


「だから安全性も考慮して、これに落ち着いた。今ある感情を増幅することは技術的に可能だったのだけれど、それだと危険が伴う。例えば、悲しみを増幅しすぎたら心を壊してしまうかもしれない」


「確かに……。どんな感情でも極端すぎるのは危険ですよね」


「そう。だから、抑制を外して思考をそのまま口に出してしまうだけにしたの。これなら嘘がつけなくなるだけだから、安全でしょう?」

 自信満々に説明する私に対し、エミール君はまだ腑に落ちていない様子だ。


「でも、それって言いたくないことまで言っちゃいますよね?」

「私が使うだけなら問題ないでしょう? ほら、試してみるから何か質問してみて」



 私は椅子に座り、正直者サークレットを頭に装着して、机を挟んで座っているエミール君からの質問を待った。


「フレデリカさんは、知られたくないことはないんですか? ……はぁ。嘘をつきたくなる質問がいいんですよね?」

「ええ」




 彼はしばらく考えた後、ニコリと笑いながら質問をした。



「僕のこと、どう思っています?」



「どうって? 優秀な後輩……かな? でもこの質問、嘘をつく必要がないでしょう?」

 質問の意図がわからず、首を傾げた。





「折角の機会を逃したくないじゃないですか。じゃあ次に、僕から『好き』って言われることをどう思いますか?」


「それも嘘をつくような質問じゃないじゃない。別段何も思わないというか、『お腹がすいた』と言われるのと同じ感じ……かな。そうなのだな、と思うだけ」


「お腹がすいた……ですか」


「そう。ただ、空腹は食べれば解消されるけれど、『好き』は結婚したら解消されるの? それがよくわからないし、私は解消する術を持っているわけではないし、どうとも出来ないな……と思っているかな? うん、そうだね。そう思っているよ」


「なるほど。……そういう認識」




 エミール君は納得したように頷いたが、私はいつもと違って思考と発言がリンクしていて違和感で疲れる。


「こんな質問じゃなくて、もっと言いにくいことを訊ねてほしい。あ、でも言っちゃいけないことは、なんだろ、なにがあるかな……って思考が言葉になりすぎて、発言が多くなってしまう。このままだと、自分の発言がうるさすぎる」


 私は正直者サークレットを外し、頭を軽く振った。自分が思考するそばからノンストップで漏れ出てしまうので、考えをまとめるのが難しい。思ったことをそのまま出してしまうのは、このような弊害もあるのか。


「ふぅ……。勝手に口から出るのは少し疲れるね。動作が旨くいっていることはわかったけれども」




 この魔道具を作ってはみたものの、何かに使えるわけではない。犯罪者に使えたら助けになるかもしれないけれど、悪用されることを考えたらこの場限りでお蔵入りにした方が良いだろう。


 単に知的好奇心を満足させるために作っただけだから、検証は終わりにしても良いのだけれど……。そんなことを考えて残念に思っていると、エミール君はちょっと考えた後、席を立った。


「フレデリカさんはあまり嘘をつくタイプじゃないので、普通の質問じゃダメですよね。ちょっと待っていてくださいね」




 彼は研究室へ向かい、しばらくして手のひらサイズの四角い箱を持って戻ってきた。




「それは?」

「これはカードゲームですよ。前に他の人と遊んだことがあって、これなら嘘をつく場面を作れるかと。検証するにはちょうどいいでしょう?」

「……ゲーム。なるほど、その手があったね」


 私は他人とゲームをしたことがなかったので、思いつきもしなかった。勿論、ゲームのことは知っている。貴族同士のお茶会でゲームをすることがあるので、代表的なゲームの知識だけはある。





「ルールを説明しますね。まずは……」


 エミール君の説明によると、このゲームのルールは簡単だった。三枚の手札を持ち、合計値が相手より大きいか小さいかで勝敗を決める。一回だけ手札の交換が可能。勝負に負けそうだと思ったら降りてもいい。勝負に乗るか降りるかを決める先後は順番制。


「まずは慣れるために普通にやってみましょうか」


 早速カードが配られ、自分の手札を確認する。私の手札は五、十、十三。合計値は二十八。そこそこ強いのだろうか?


「僕は一枚手札を交換しますね」

 エミール君は自分の手札を一枚捨て、山札から新しいカードを取った。


「フレデリカさんは交換しますか?」

「そうだね……、一枚交換しようかな」

 私は五のカードを捨てて一枚引き抜く。新しいカードは三だった。交換しなければ良かった……と少し後悔した。


「勝負するか決めるのは……、じゃあ僕から決めることにしますね。僕は勝負します」

 自分の手札の合計値は二十六。最大値の十三が三枚揃ったら、三十九。そこまで高くはないが、まぁまぁ強い方だろう。そう判断して勝負に乗ることにした。


「そう……。なら、私も」


「このままじゃ面白くないので、何か賭けませんか?」

「賭けるの?」


「ええ。じゃあ、最初は軽いもので。僕が勝ったら、明日の昼食のお弁当を分けてください」

「そんなことでいいの? わかった。じゃあ、私が勝ったら……」


 エミール君に倣って何か要求しようと考えたが、これといった案が思い浮かばない。


「どんなことでもいいですよ」

「意外に難しいね……」


 顎に手を当ててウーンと悩んでいると、エミール君はワクワクした様子で待っている。



「あ、そうだ。この間採ったデータ整理、手伝ってくれる?」

「普通に頼まれればしますよ。でも、わかりました」

 エミール君はクスッと笑いながら軽く頷いた。



「じゃあ、勝負ね」



 お互いに手札を開示する。エミール君の合計値は二十七。私は二十六で、僅かに負けた。


「えっ! あの時手札を交換しなければ勝っていたのか……」


 たかが遊びなのに、負けると妙に悔しさがこみ上げてくる。特にもしかしたら勝っていたかもしれないので余計にだ。



「ギリギリですが僕の勝ちですね。じゃあ、明日の昼食分けてくださいね」

「……うちの料理人に頼んで、もう一つ用意してもらうことにするよ」


「ありがとうございます」

 エミール君はにっこりと満足そうに微笑むと、手札を回収して山札と合わせ、軽やかな手つきでシャッフルを始めた。




「次からが本番です。真剣度を増すために賭けの内容をグレードアップしましょう」

「グレードアップ?」


「ええ。僕が勝ったら、素材の在庫確認を代わってください。今月の当番が僕なので」

「それは地味に嫌な……。確かに負けられないね」


 研究室では月の終わりに、素材保管室の在庫を確認する当番制の仕事がある。どの素材を誰がどれだけ使ったのかを記録と照らし合わせる地味で煩雑な作業だ。


 正直これはかなり面倒くさいので、やりたくない。




「それに加えて、正直者のサークレットを装着してもらいます」

「えっ! そんなの、確実に負けるじゃない……」


「でも、こうでもしない限り、本気で魔道具の影響に抵抗しようと思わないですよね?」

「う……、確かに……」


 エミール君の言葉は理屈としては正しい。確かに、どれだけ魔道具が強制力を発揮するのか、実験するには適している。



「圧倒的にフレデリカさんが不利なので、僕が負けたらどんなことでも言うことを聞くという条件でどうでしょう?」


「どんなことでも?」



「ええ。例えば、望まれれば高価な宝石や……いえ、僕が所有している鉱山ごと差し上げます」

「鉱山ごと!? ……馬鹿馬鹿しい。たかがゲームでそんな大きなものを賭けるの?」


「だって、フレデリカさん勝てますか? 嘘がつけないんですよ?」


 フフンと挑発するような視線と自信満々の笑みに、ついムッとしてしまう。確かに、圧倒的に不利な状況だ。それでも、負けると分かっているゲームでどうにか勝ってやりたくなった。




「わかった。やりましょう」




 私は正直者サークレットを再び装着する。額の赤い魔石が淡く光り、魔道具が発動する感覚が伝わる。


「一応、万全を期してカードを切り直させてもらうよ」

「ええ。構いませんよ」


 そう言ってエミール君は笑みを浮かべ、私を見つめる。その余裕が悔しい。シャッフルを終えた山札から、私は慎重に三枚のカードを引き取る。


「じゃあ、僕も」


 エミール君も山札から三枚を取り、手札を確認する。その仕草をじっと観察してみるが、彼の表情からは何も読み取れない。


「表情を読もうと思ったけれど、何もわからないね……。あぁ、また口から出てしまう」

 思わず口を押さえるが、正直者サークレットの効果は容赦なく働き、考えたことが口に出てしまう。



「フレデリカさんの数字は二十より低いですか?」


 エミール君が何気なく問いかけてくる。その言葉に反射的に手札を確認すると、口が勝手に動いて答えてしまった。

「低い。……って、ズルイでしょう!?」


「では、今の手札の数字は右から順に?」


 さらに追撃の質問をされ、咄嗟に口を押さえる。しかし、正直者サークレットの力は絶大で、口が勝手にモゴモゴと動き始める。


「三、ムグッ……な、七、ご……」


 手札の数字を目に入れた瞬間、それが無意識に口をついて漏れてしまった。悔しさと無力感に襲われ、手を離し大きく溜息をつく。


「言いたくないのに……抑えが効かない。かなりの強制力がある。そうなるように私が作ったのだけれど。でも、手札は交換出来るでしょう?」

「ええ。出来ますよ」




 私は手札を全て捨て、新しい三枚のカードを山札から選び取った。そしてそれを伏せたまま、テーブルに置く。



「こうすれば、カードを確認できない。知らないことは何も言えないから、あとは運に任せるだけ」

「なるほど」


 エミール君は感心したように頷きつつ、相変わらず余裕の表情を浮かべている。その態度が逆に少し悔しい。


「余裕そうだけれど……そんなに勝算がある数字なの?」

「フフッ……、それはどうでしょうね? 勝負をするかを決めるのはフレデリカさんの番ですよ。どうしますか?」


 余裕たっぷりといった態度で、エミール君は私に問いかけてくる。



「今回の勝負は止めて、次に持ち越した方が……。でもブラフかもしれないし……」


 私は唇を軽く噛みながら、伏せたカードに視線を落とす。



「どうします?」


「……判断材料が少なすぎる。ただでさえ、私の考えが筒抜けになる状態で、出来ることといったらこれくらいしかない。でも、勝負を降りたら思惑通りに動かされたようで癪だし……、でもこれも計算済みの反応だったりする?」


 エミール君の問いかけに、思わず自分の考えを続けてしまう。この正直者サークレットは、つくづく厄介だ。


「ここまで彼が計算づくで動いているなら、何か大きな意図があるはず。でも、どうしても彼の言葉の裏を見抜けない……」


 そんな迷いすら口をついて漏れる状況に、私は思わず深いため息をつく。



「僕はどちらでもいいですよ」

 彼は相変わらず穏やかな笑みを浮かべながら問いかける。その笑顔が、挑発そのものに見える。



「……乗る。次に持ち越しても結局は同じことだし。ここで運を信じることにするよ」



 そう言いながら、覚悟を決めて彼をキッと見据えた。エミール君はその視線を受け止めると、満足げに、そしてどこか楽しそうに笑う。


「わかりました。じゃあ、僕も乗ります。勝負しましょう」

 エミール君はゆっくりと自分の手札を開示した。




「六……、三……、九」


「合計十八ですね」


 彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべながら、余裕たっぷりの口調だ。




「えっ? そんなに強くないじゃない……? ブラフだったの? 私が勝負を降りるように仕向けたかった?」


 考えが口をついて出てしまうが、一度深呼吸をして冷静さを取り戻す。そして、自分の伏せたカードに手を伸ばし、一枚ずつ引っくり返していく。


「八……。結構いい数字ね」

 まずは順調なスタート。次のカードは……。




「六……。これで十四。四以上で私の勝ちね」

「ええ。これは負けるかもしれませんね」


 エミール君は軽く肩をすくめながら言ったが、その表情はどこか楽しげだ。


「負けてもいいの? 負けたらどんなことでも言うことを聞くって話でしょう? 焦ったりしないの? 負ける確率が高いのに」



「僕は元々、フレデリカさんが望むなら、どんなことでもしますからね」


 彼の声は平然としていて、冗談か本気か判断がつかない。


「なにを……そんな冗談を言って……」


 私は訝しげに彼を見るが、彼の瞳はどこか深海のような静けさを宿している。



「宝石でも鉱山でも、フレデリカさんが望むなら何でも差し上げますよ。僕の全てをあげたっていい」



 柔らかく笑いながら紡がれる言葉。しかし、その瞳がほんの一瞬だけ暗く光ったのを見て、私は息を呑んだ。




「……冗談でしょう? ゲームを盛り上げるために? もう、考えるのは止める」

 軽く頭を振り、私は手元のカードに目を向け、最後の一枚を引っくり返す。



「…………二」


「あ。僕が勝っちゃいましたね。残念です」


「負けたよ」


 呟くようにそう言って、私は正直者サークレットを頭から外した。魔道具を外すと、頭が急に軽くなった気がする。それでも胸の奥には、勝負の敗北よりも、彼のあの言葉と瞳が焼き付いて離れなかった。



「検証は終わり。私が負けたから、君の素材の在庫確認を代わるよ」

「ありがとうございます。でも、僕も手伝います」


「それじゃあ、負けたことにならないじゃない」

「では、一緒にやってくださいってことをお願いにします」


「ええ……? それっておかしいでしょう?」

「僕が勝者なんですから、お願いを変える権利くらいありますよ」


「うーん。それなら? わかった」

 私は少し納得がいかない気持ちを抱えながらも、渋々頷いた。



「でも、僕が負けても良かったですけどね?」


 彼の言葉に、私は首を傾げる。最初から負けてもいいと思っていたような態度だったし、実際、彼の手札もそれほど強くなかった。彼の瞳に宿る静けさ。その奥に潜む感情は、掴み切れないものだった。



「なぜ? 君が考えていることがわからないよ」


「フレデリカさんが僕に何をお願いしてくれるのか、興味があったんです」


 彼のサラリと言った言葉に、私は思わず絶句した。




「そんなことのために?」


「それに、最初のゲームの時に軽いものは出してもらったので、多分それ以上の……フレデリカさんが表に出せる範囲の最大の望み。僕はそれが知りたかったんですよ」


「私がとんでもないものを要求したらどうするのよ……」

 呆れたように言うと、彼は軽く笑った。


「そんなことしないでしょう? だって、フレデリカさんは優しいから金銭的な損失になることは望まなかったはずです。じゃないと、流石にそんな賭けをしませんよ」


 エミール君はおどけたように笑いながら、使ったカードの片付けを始めた。


「優しいとかではないけれど……。確かに、それは望まないね」


 なんだ、彼はそこまで計算していたからこその『どんなことでも言うことを聞く』だったのか……とほっとした。




「フレデリカさんは検証が出来るし、僕も知りたいことが知れる。良い案だったと思いませんか?」

「確かに、悪くない案だったね。検証も出来たし、面倒な在庫確認も一緒にやることになったしね」


 私は少し肩をすくめ、片づけのために椅子を立った。


「そう言ってもらえると嬉しいです。ゲームとしても楽しめましたし」


 彼も椅子を立ち、片づけを手伝いながら満足げに笑った。なんだかんだ彼のペースに巻き込まれたような気がする。


「でも、次の機会があるなら、普通に勝負したいところね。今回は検証ということもあって、公平じゃなかったから」

「公平ですか? それは……ちょっと考え直さないといけませんね。僕が有利な条件じゃないと勝てる自信がありませんし」

「ええ? なんだ、また冗談なのね」




 呆れつつも、こうして冗談を交えながら言葉を交わしていると、なんとなく肩の力が抜けていくのを感じた。




「次に勝つのは私だから、覚悟しておいてね」

「フフッ、楽しみにしていますよ」



 彼の笑顔を横目に見ながら、片づけを終え、椅子を戻し、帰り支度を始めた。






 ゲームをするのも悪くない――。そう思えるほど、純粋に楽しい時間だった。



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