召しませ神様転生空間

製本業者

私は在る

「何だ、ここは」


さっきまで大学の帰り道を歩いていたはずなのに、気がつくと、真っ白な空間に浮かんでいた。何もない。ただの虚無。


「ひょっとして、トラックに引かれた?」


口にした瞬間、目の前に白髪の老人が現れた。突然の登場に、一瞬固まる。


「その通りだ」


老人があっさり答えた。


「えっ、マジで!? あ、てことは……」


ジジイを観察する。なんとなく威厳がある……気がする。多分気のせいだ。


「まさかとは思うけど……神様とか?」


「よくわかったな」


冗談で言ったつもりが正解らしい。いやいやいや、待てよ、これってまさか――。


「俺、死んだのか?」


「その通りだ」


「あー、やっぱり。んで、俺をどうするつもりですか?」


ジジイは何やら深刻そうな顔をして、重々しく一礼した――と思ったら、いきなり土下座。


「申し訳ござらぬ!」


「えっ、なにこれ。え、ひょっとして、事故じゃなくて神様の手違いとか?」


「まさにその通りだ」


「あー! テンプレ展開来たこれ! ひょっとして、他の人を巻き込んだ?」


「ご明察だ。悟りが早くて助かる」


「勝手に殺しておいて、何のんきなこと言ってるんですか! 生き返らせてください!」


「それがな、君の肉体があまりにも……こう、原形をとどめていなくてな」


「そこもテンプレかよ! 勝手に殺して勝手に無理とか、何言ってんですか!」


ジジイの頭をぽかぽか叩く。


「わ、わかった! 代わりに、異世界に転生させる!」


「異世界転生!? マジで!? で、どんな世界?」


「二つの選択肢を用意した。『剣と魔法のファンタジー』の世界か、『学園伝奇アクション』の世界だ」


「ええい、どっちも熱いじゃねえか……でも、やっぱり『異世界ファンタジー』で!」


「承知した。では、能力を授けて――」


「ちょっと待った! 勝手に殺しておいて、謝罪なしで送り出すとかおかしいだろ!」


ぽかぽかぽか。


「わかった! 何か特別な能力を与えるから、頼むからそれで勘弁してくれ!」


「わかった、期待してるぜ!」


「じゃあな」


パチ。


神の指が鳴ると同時に、彼の存在は消え去った。


 音と同時に、彼は……存在を含め、完全に消滅した。

 彼の言葉を遮るようにしてただ一度指をならしただけで、神を名乗る存在だけを残して、一切が完全に消え去った。光すらも。




虚無とも呼べる白い空間に、神はただ一柱、悠然と立っていた。先ほどの軽妙な振る舞いは完全に消え去り、その存在は全能そのもの。空間すべてが神の一部であるかのような絶対的な静けさの中、突然声があった。


「さて、サタンよ。これで満足か?」


その言葉に応じるように、光とも闇ともつかない曖昧な形をした存在が虚空から現れた。

同時に神々しかった姿は、相対的に陰りを見せる。そこにいたのはサタン――かつて神に抗いし者でありながら、今では神の配下としてその命に従う存在だ。


「主よ、今回もご期待には応えたかと存じますが……」


サタンはひざまずきながらも、わずかに冷ややかな口調で言葉を紡ぐ。その背後には、先ほど完全に消滅させられた若者の痕跡が微かに漂っているかのようだった。


「だが、主よ。お尋ねしたいことがございます」


「申してみよ」


神の声は厳かだが、どこか寛容さも含んでいる。それを感じ取ったサタンは、顔を上げて問いを投げかけた。


「人の中には、一見下心に満ちた者がいるように見えながらも、実は真の信仰を持つ者もいるのではないか、と」


神は答えず、ただ静かにサタンを見据えた。その沈黙に、サタンは言葉を続ける。


「例えば、ヨブのように敬虔で揺るぎない者は確かに存在するでしょう。しかし、主よ。大多数の者は、少しの誘惑や試練で簡単に墜ちる。先ほどの者のように」


サタンの言葉には挑発が込められている。神の意図を測りかねているのだ。


「それゆえ、申します。ヨブのような存在はむしろ例外であり、あの若者のように迷いや欲にまみれた者こそが、人の本質ではないかと」


神は深い沈黙を保った後、微かに微笑む。その微笑みには、人間には決して測り知ることのできない意図が込められている。


「サタンよ」


神の声が空間全体を満たした。その声には叱責でも怒りでもない、ただ全てを見通す力があった。


「お前はヨブの時と同じ過ちを繰り返しているな。人が試練に耐えるか否かを決めるのは、試みる者ではない。試練を与える者でもない」


「では、主よ。それを見極めるのは――」


「彼ら自身だ」


神の言葉にサタンは真っ直ぐに見据えた。その目には、全能の存在にふさわしい威厳が映っている。


「お前が言うように、一見下心に満ちた者が真の信仰を持つかもしれない。そして、そうした者が試練に耐えられぬならば、それはその者の責務だ。だが、私はそれを否定しない」


「……つまり、主よ?」


サタンは慎重に言葉を選んだ。


「つまり、お前の言う通り、迷える者の中にも信仰を持つ者がいるかもしれん。だが、それを確かめる責務は、私ではなくお前にあるのではないか?」


「私に、でございますか?」


サタンの目が微かに揺らいだ。その問いに神は肯定も否定もせず、ただ静かに続けた。


「迷える者を見出し、試練を与え、それでもなお信仰を保てる者を見極めるのが、お前の務めではないのか?」


サタンは一瞬言葉を失った。その背筋を冷たいものが駆け抜ける。神がこのような挑発をすることは滅多にない。


「……承知いたしました、主よ。しかし、改めて申し上げますが、こうした迷える者が信仰を保てる可能性は限りなく低いでしょう」


「低いか否か、それは結果として知ればよい。だが、お前が口にする以上、それを確かめる必要がある。そうではないか?」


「仰せの通りにございます」


サタンは再びひざまずき、頭を垂れた。そして、かすかな苛立ちを押し殺しながらも、敬意を示す。


「では、主よ。私は再び、この世界の中から探し出すといたしましょう。迷える者の中に、真の信仰を持つ者を」


神は何も答えなかった。ただその瞬間、まさに自らを真似て作った存在のごとく、にやりと笑ったのをサタンは感じ取った。

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