かの戦艦は満ち足りているか

北国月光

かの戦艦は満ち足りているか


 1950年9月14日 戦艦"ながと"は大韓民国 全羅北道 群山市の沖合にいた。


 軽巡洋艦"さかわ"駆逐艦"ゆきかぜ""ひびき""よいづき"らを引き連れ海を進むその姿は、たった5年前に戦争に負けた国の軍艦とは思えない威容だったが、在りし日の聯合艦隊を知っている者であれば日本海軍の衰退を嘆き悲しむかもしれない。


 だが、"ながと"の艦長を兼ねる日本国海軍朝鮮派遣艦隊司令長官 兄原勇一少将の心境は違った。


 彼は、例えこれが翌日にここでは無いどこかに行われる上陸作戦のための欺瞞攻撃だとしても、帝国海軍時代に艦長を務めたこの戦艦に再び将旗を掲げ戦う事に満足していた。


「観測機より入電。位置宜シ、観測準備完了。」


「全艦打方初め!」


 後方を遊弋する航空母艦"かつらぎ""かさぎ"が発艦させたF4Uが頭上を飛び去るのを確認しつつそう指示すると、この戦艦と祖国、そして我が海軍の置かれた状況の奇妙さをふと自覚した。








 1945年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受諾、同年9月には戦艦"ミズーリ"艦上で降伏文書に調印してGHQの占領下に置かれることとなった。


 当然、大日本帝国陸海軍は解体され、海軍艦艇は復員船として各地の日本人を本土に連れ帰る任務に従事したのち、連合国に賠償艦として引き渡されるはずである。


 現にドイツの巡洋艦"プリンツ・オイゲン"は敗戦後アメリカ合衆国に引き渡され、1946年にビキニ環礁で行われた原爆実験の標的艦として使用されている。


 だが、帝国海軍の行く末は違った。共産陣営が大陸で勢力を伸ばしつつある現状を鑑み、地政学的に重要な位置の日本を有事の際の前線基地として活用しようと目論んだアメリカにより、GHQの主導のもと再武装、日本国海軍が成立したのである。


 更にGHQは日本海軍を通して、戦艦"長門"をはじめとする損傷艦艇の修理、改装工事と航空母艦"葛城""笠置"等の未成艦艇の再工事を民間の造船会社に行わせ、日本経済と海軍戦力の回復を同時に行うことを図った。


 戦車や小銃、ドクトリンに至るまで合衆国軍の濃い影響下に置かれた日本国陸軍、新設当初より貸与されたアメリカ製の航空機を主力とする日本国空軍(この事情は海軍の母艦航空隊も同じだが)と違い、海軍は艦名こそ平仮名に改称したものの、旧帝国海軍の血を受け継いだと言える。








 "ながと"の41サンチ砲が吼えるのは前大戦ぶりという訳ではなかった。彼女は艦隊司令と艦長を兼ねる兄原少将の元で、釜山橋頭堡に群がる朝鮮人民軍の陣地への艦砲射撃を幾度かこなしていたからだ。


 耳をふさぎたくなるような爆音とともに放たれた砲弾が、かつて確かに日本であった土地を切り刻み、日本人であったかもしれない兵士を吹き飛ばすのが、観測機を務めるS-51からよく見えた。


(長門と陸奥は日本の誇り、か)


 S-51の観測手、黒葉靖少尉はそれに思う所が無いわけではなかったが、それについて深く考えても意味が無いことを釜山の空で学んでいた。それに、もうここは日本では無いし、彼らは憎むべきコミュニストだ。


「スカイシーフ01より司令部。砲撃精度良好。敵沿岸砲沈黙。」


 ここからが正念場だった。朝鮮人民軍にしてみれば、朝鮮半島中部にまで出張ってきた日本の戦艦を撃沈、あるいは撃破することが出来れば大きな政治的得点になると考えるのが当然に思えた。


 真っ先に朝鮮人民軍が繰り出してくるのは群山市沿岸上空の航空優勢を確保するための戦闘機だろう。相手が例え旧式であろうとS-51では相手にすらならないだろうから、黒葉少尉が生きて帰れるかどうかは、艦隊護衛のF4Uにかかっている。


「スカイシーフ01より司令部。大規模な爆発を視認。弾薬庫誘爆と思われる。」


「司令部了解。砲撃規定弾数マデ11斉射。観測継続サレタシ。」


 黒葉少尉は釜山で味わったものと同じ類の焦りを隠すように了解と返すと、目線を陸地の彼方にやった。前日の空爆の煙が燻る群山の市街地がかすかに見えた。


 まだ死ねない。こんな所で死ぬわけにはいかない。だが、海軍に入ったことを後悔はしない。できるはずもない。5年前まで敵だった米軍の走狗のように戦う現状に不満も抱いていない。嫁いだ農家に満州に連れていかれて、帰って来れずに寒い土の下で眠る姉。姉を殺した共産主義者が憎かった。1人でも多くあの世に送ってやる。そう思って生きてきた。


 "ながと"が備える4基の連装砲塔が新たな破壊を撒き散らす。兵士だったものが宙を舞う。ざまぁみろ。


 やはり"ながと"は日本の誇りだ。戦艦とはかくも素晴らしい兵器なのか。


 あぁ、満足だ。満ち足りている。"ながと"の艦砲射撃を特等席から見物できるこの立場は何物にも代えがたい。




 航空母艦"かつらぎ"から発艦したF4Uは、ちょうど"ながと"の直上を通り過ぎていた。眼下に見える回転翼機は"ながと"から発艦したS-51だろうか。


 F4Uを駆る東道衛中尉の任務は飛来する朝鮮人民軍の航空機から艦隊を護衛することだった。


 とはいっても、敵影は確認出来ないし、先行する隊も敵機を発見していないようだった。


 やはり敵さんは釜山になけなしの航空戦力を全て投入しているのだろうか。


 ふーん。まぁ仕方ないか。キルスコアは稼げないらしい。


 彼は旧海軍の雷撃機乗りだった。新生海軍の母艦航空隊になるにあたり戦闘機に乗り換えている。


 空軍ではなく海軍を選んだのは、レイテの海に戦艦"武蔵"とともに沈んだ父への義理立てのつもりだった。



 俺はこんなに幸運でいいのだろうか。特攻に行けとは最後まで命じられなかったし、あの戦争の後も飛行機を飛ばして飯を食っていられている。


 だが、沖縄の大地に眠る母と妹、弟はどう思うだろうか。戦闘機乗りになって3機撃墜の戦果を挙げたことは喜んでくれるだろうが、乗機が自らを惨たらしく殺した国の飛行機だと言えば何と言うだろうか。恐ろしさを感じると同時に、それでもパイロットであることを選んだ自分自身が嫌になってくる。


 だが間違いなくこの瞬間、彼は満足していた。


 空を飛ぶ素晴らしさは、他の何物にも変え難たく思えた。


 "ながと"が規定弾数を撃ち尽くした旨の報告を受けた兄原少将は、


「司令より艦隊全艦。砲撃終了、これより帰投する。対潜、対空警戒厳となせ。」


 そう大声で告げたあと、ふと思う。


 俺みたいな船乗りは"ながと"と戦えるだけで、それがどんなに地味であろうとも満足しているが、彼女自身はどう思うのか?かつての聯合艦隊は日本どころかアジアの各地に骸を晒し、守るべき国民は空襲で家を焼かれ死んだ。それでもなお彼女は海上にある。今やっていることは日本だった場所を艦砲射撃して二線級の兵士を殺戮しているだけ。満足はしていないだろうな。


 いや、どうだろう。"ながと"を初めとした朝鮮派遣艦隊の国連軍への参加は、日本に大きな政治的得点を生み出している。祖国のために生きているなら、彼女もそれでいいのかもしれないと思えた。


 その思考に至った刹那、兄原少将の脳内に忘れていた1つの事実が浮かび上がってきた。大韓民国の亡命政府は山口県に、つまり律令制でいうところの長門国にある。


「そうだよな、ならいいんだ。」


 その名を冠した浮かべる城に率いられた艨艟達は、水平線に近づくにつれて小さくなり、やがて見えなくなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かの戦艦は満ち足りているか 北国月光 @siozi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ