第2話

 今から二十年前、私は中学生でした。

 当時の私は、あなたもご存知の通り、不登校児でした。いじめに遭っていたとか、クラスにうまく馴染めないなどの深刻な悩みがあったわけではありません。ただ学校がひどくつまらなかったからなのです。

 好きな男の子の話と昨夜のテレビ番組の話で持ちきりの会話や、トイレに連れ立って行く女子たちの謎の風習。プリントを丸めてテープでぐるぐる巻きにしたボールを使用して行う室内野球や、誰か一人をバイキン扱いして鬼ごっこを始める男子たちの幼稚さ。独り言のように淡々と行われる数学の授業や、生徒の人気が欲しくて無駄話に花を咲かせる理科教師の痛々しさ。ここぞとばかりに踏ん反り返る一学年上の先輩の態度。

 全てが吐き気がするほどに浅ましく、そして退屈だったのです。

 私の家族は母だけです。父の顔は知りませんし、幼い頃は仕事が忙しい母に代わって面倒を見てくれた祖母も私が十歳のときに他界。祖父も私が生まれる前には亡くなっていました。

 たった一人の家族である母は、仕事以上に私に関心を持たず、学校に行こうが行くまいかどうでもいいようでした。

 咎められないのならば幸いと、中学一年の夏から私は不登校を満喫していました。

 好きなときに眠り、好きなだけ本を読む生活をしている間に季節は巡り、私は自動的に二年生になりました。何の感慨もなく不登校を続ける私の元へ、新しい担任としてやってきたのが、八代先生でした。

 ひょろひょろしとした体躯の、何とも頼りがいのなさそうな男性。若そうなわりに髪の艶がなく、どこか草臥れている。最初はそんな印象を持ちました。

「君の担任になりました、八代です」

 そう言った先生の、弱々しくぎこちない笑顔と掠れた声が、そのとき妙に私の心を惹きつけました。

 もっと先生とお話しをしたいと思った私は、母が不在のため今日のところは帰るという先生を強引に引き止めて、家の中へと案内しました。

 私が出した一杯のお茶を飲みながら先生は、学校に来ない理由を尋ねました。何か嫌なことがあるなら先生に相談してほしい、という優しい言葉も添えて。

 教師としての形式上のセリフのようですが、去年の担任と違い、その瞳には心の底からの親身さが見てとれました。

 学校に行かない理由は誰にも話したことはありません。先にも書いた通りの、ありのままの気持ちを大人に伝えることは、何となく気が引けたのです。

 八代先生にも本当の理由を話すつもりはありませんでした。でも、この質問は先生の気を引くチャンスなのではないか、とも思いました。だから私は「学校に行こうとすると胸が苦しくなるんです」と涙を浮かべて一芝居打ってみたのです。すると、どうでしょう。すぐそばにティッシュがあるというのに、先生は胸ポケットに入れていたハンカチを差し出してくださるではありませんか。そのしぐさに紳士さはなく、私の涙にどうしたら良いものかとおろおろと戸惑う様子と、私の顔を覗き込む心配そうな表情が、たまらなく可愛く見えました。

 私はその後も闇を抱えた少女を演じ続けました。

 おかげで気を引く作戦は見事に成功を納め、先生は私を哀れに思われたのでしょう、週に一度は私を訪ねてきてくれるようになりました。

 プリントを持ってきては学校での出来事をお話してくださったり(この話題は少し退屈でしたけれど、先生が楽しそうに話してくださるので私は一生懸命聞き役をまっとういたしました)、勉強を教えていただいたりもしました。そういえばいつか、美味しいクッキーを持ってきてくださったこともありました。袋に入った小さなものでしたけれど、私、嬉しくて嬉しくてクッキーの袋についていたリボンを肌身離さず持っていたくらいです。

 私はいつしか先生に恋心を抱くようになりました。会えば会うほどに好きという気持ちは強くなるばかり。無邪気を装ってわざと先生の腕にしがみついたこともあります。そのときの先生の反応が満更でもないように見えたので、それが返って私に希望を与えていました。

 今思えば先生にとっては全て、私に学校に来てもらうための努力だったのかもしれませんね。

 でも私は不登校を続けました。

 先生に「学校に来る気はないのですか」と聞かれ、心が揺れたこともあります。だって、学校に行けば毎日先生に会えるのですもの。でも私が学校に行けば、先生にとっての私はどんな存在になると思いますか? 私は特別に目をかけるべき生徒ではなくなります。大勢いる生徒の中の一人、という薄い存在になってしまうのです。そんなの、嫌でした。二人だけのひとときを楽しめる今を、手放したくはありませんでした。先生の中の私は、私だけは、いつだって特別であってほしかったのです。

 ところがある日、私は自分だけが特別な生徒ではないことを知りました。私のクラスにはもう一人、不登校の生徒がいたのです。

 先生はきっと、私にしたのと同じような物腰の柔らかさでその子に声をかけ、私にしたのと同じようにその子に学校の出来事を話し、私にするのと同じようにその子の家に定期的に通っていたに違いありません。その事実を知ったときの胸を掻き乱されるような痛みと、身が焼けつくほどの怒り、あなたに想像できるでしょうか。

 その頃の私は、自宅の裏にある森で過ごすことが好きでした。子どもの頃は怖いと思っていた場所も、案外自分の味方になるものなのですね。

 濃密な緑の匂いに包まれて、パキパキと小枝や落ち葉を踏みしめながら道をしばらく進むとひらけた場所があります。そこには大きな池があり、そのほとりが私の秘密の場所でした。気分が沈んでしまう日も、眠れない夜も、私にそっと寄り添ってくれる場所。たった一人の特別でないことを知った日も私はそこで静かに泣きました。

 あれは、隣家の庭から金木犀の香りがふんわりと香る季節のことでした。

 その日も先生は夕方ごろ我が家を訪問されました。母は仕事で家にいませんでしたが、いつものように先生を応接間にお通しし、他愛もない会話を少ししました。そのあと私は先生を森へ誘いました。いつか、街の方で生まれ育った先生は森に入ったことがないと話されていたことを私は覚えていたのです。

 先生は私の誘いに好奇心半分、遠慮半分といった様子を見せましたが、私が強くお願いすると、天秤は好奇心に傾いたようでした。

 そして私たちは森へ行きました。池を前にして先生と私は肩を並べて座ります。

 先生の横顔。捲り上げたシャツから覗く血管の浮き出た前腕。骨ばった指。体の線は細いくせに、体のひとつひとつのパーツは驚くほど男らしく、私の胸は高鳴りました。

 優しい先生。大好きな先生。私が見つめるのと同じ熱量で私を見て。

 想いが溢れた私はそうして、先生に口づけをしました。そっと唇を離すと、呆気に取られ、ちょっとお間抜けな顔をした先生の、可愛いお顔。私は再び、先生の唇に自分の唇を押し付けました。先生は予想通り、私と距離を取ろうとなさいましたし、こんなことは良くないことだと困ったように仰いました。そこで私は泣きながら「先生のことが好きなんです」と告白しました。短い付き合いの中で私は、先生が涙に弱いことを知ったのです。そして、あまり押しに強くないことも。

「多くは望みません。ただ思い出をください」と、私は泣きながら着ていた白いワンピースを脱いで、先生に迫りました。そのとき、先生の瞳にわずかに欲情が生まれたのを、私は見逃しませんでした。


 多くは望まないと先生には言いましたが、あれは嘘でした。体の関係を持てば先生が私に情愛を持ってくださるはずだと根拠もなく信じていたのです。きっと先生の方が、私に思い出以上のものを求めてくださるに違いないと。

 しかしその後、先生の訪問の頻度は見るからに減っていきました。訪問時間も極めて短く、以前のように家に上がってさえくれなくなりました。先生を憎らしく思う気持ちもありましたが、それよりも恋しさの方が勝っていました。

 先生に会うためにも学校へ行こう。そう考え始めた頃、私は自分の体の異変に気が付きました。ひと月も遅れている生理。微熱。食欲不振。異常な眠気。

 症状を調べ、妊娠の可能性が浮上したとき、私は途端に恐ろしくなりました。確信を得るのが怖くて検査薬を使うことも病院に行くこともできませんでした。私は、先生の特別になりたかっただけ。子どもがほしかったわけではないのです。

 私の母は未婚です。母は、当時恋人だった父の、薄れかけていた愛情を取り戻すために私を産みました。しかし父は私を認知もせず、母を捨てました。

 あのとき、母と自分が重なってとても苦しかった。だから私は、現実を受け入れられず、部屋に篭り続けました。

 目を背けていてもお腹はだんだんと膨らんでいき、私に現実を突きつけてきます。幸い、私のお腹は大きくなったとはいえあまり目立たず、ゆとりのある服を着ていれば妊婦だとはわからないほどでした。そのため、母は私の妊娠に気付きませんでした。先生にも妊娠の疑いを持った日から一度も会わず、そのうちまた春が訪れ、担任は代わり、先生と顔を合わせる機会もなくなってしまいました。

 そして、ある日の深夜。私は激しく痛むお腹を抱えて森へ行きました。雨がひどく降っていましたが、私はこの子を産むなら先生と行ったあの池のほとりで、と決めていたのです。

 そうして望み通りの場所で産まれてきた赤ん坊は、顔をくしゃくしゃにして泣き声を上げました。その声は、生まれたことを後悔しているような悲痛さを感じさせました。この世に勝手に産み落とされた哀れな私の子。私の、娘。

 私は彼女を優しく抱き上げ、空を仰ぎました。雨が私たちの上に降り注ぎます。それは祝福のようでも呪いのようでもありました。

 私は泣き続ける娘の小さな腕に、澄んだ青空のような色のリボンを結んであげました。先生がくれたクッキーの袋についていたものです。

 この子の存在を先生に告げれば、先生の更なる特別になれたでしょうか。その可能性もあったのかもしれません。でも、先生にはっきりと捨てられてしまうのが怖かった。せめてあの日のことを思い出にした方がどんなに美しいだろう──。

 そう考えていた私はいつの間にか、娘と共に池に身を沈めていました。死んでも構わなかったのです。なのに、私は死に到達するまでの苦しさに耐えきれませんでした。体は勝手に水面に向かって泳ぎ出していたのです。自分の生への執着にほとほと呆れる思いでした。池から出たあとになってやっと、自分が娘を手放してしまっていることに気付きました。しかし、池に戻る気力も勇気ももうありませんでした。だから私は体を引きずって逃げるように森を去りました。

 私は娘を殺しました。そんな私に森は味方であり続けてくれました。身ごもっていたことも、産んだことも、殺めたことも、全ての罪を隠してくれたのですから。

 もしも赤ん坊の遺体が見つかってしまったら。そんな不安もありましたが、それも杞憂に終わりました。

 遺体は誰にも見つからなかったのです。当然です。娘は、河童になっていたのですから。


 あの頃の私は幼かった。周りを浅ましいと嗤いながら、私が何より浅ましい人間だったのです。

 あなたにずっと謝りたかった。

 先生。八代先生。ごめんなさい。

 あなたを騙すような真似をして、あなたに関係を迫り、あなたの子を勝手に産んで、そして殺めました。

 先生、ごめんなさい。

 許してほしいなんて思いません。

 でも、先生。わかってください。私はただ、あなたのことが好きだったのです。そして今もその気持ちは変わりません。心の奥深い場所にしまっていた思い出が、娘が帰ってきた今、鮮やかに蘇ってくるのです。

 先生、会いたい。

 娘は帰ってきました。あの日私が殺した娘は、私を恨むことなく「会いたかった」と言って帰ってきてくれたのです。

 娘はきっと、父親であるあなたにも会いたいはずです。

 先生のことについて少し調べました。昨年、離婚されたそうですね。奥様との間にはお子様もいらっしゃらなかったとか。このタイミングで私たちの娘が現れるなんて、どうしても偶然だとは思えません。先生、私は今更あなたの愛を得たいなどとは思っていません。ただ娘には、あなたによく似た娘にだけは、あなたの愛を与えていただきたいのです。




追伸


 月子が遺体となって見つかりました。

 落ち着いたら、娘と共に先生に会いに行きます。

 

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変貌 花望いふ @hanamochi_ifu

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