変貌

花望いふ

第1話

 長らくご無沙汰しております。お変わりありませんか。突然のお手紙、失礼します。

 私の身に起きた不思議な出来事を真っ先にあなたにお伝えしたいと思い、こうしてペンを走らせている次第です。興奮で少々文字が乱れておりますが、お許しください。

 さて、その不思議な出来事というのは一体何なのか、とお思いでしょう。

 驚かないで聞いてくださいね。娘が、河童になってうちへ帰ってきたのです。


 それは、今朝のことでした。

 寝ぼけ眼をこすりながら階段を降りますと、玄関の引き戸の向こうに黒い影が佇んでいるのが見えました。こんな朝っぱらから誰なのだろう、なぜ呼び鈴を鳴らさないのだろう、と首を傾げながら私は「どちら様」と声をかけてみました。しかし、返事はありません。普段の私ならば不審に思って容易に戸を開けたりはしなかったでしょう。

 しかしこのときは、親の勘とでもいいましょうか。どうしても開けねばならないような気がしましたので、私は迷うことなく解錠して戸を開けました。

 そこにぬらりと立っていたのが河童だったのです。思いもよらない訪問者に、私は声も出せないままに足の力が抜け、三和土で強かに尻を打ちました。

 現実の河童とは、絵なんかで見るような愛らしさなどは少しもなく、世にも恐ろしい容貌をしているものなのですね。

 全身の肌はくすんだ緑色。手首には黒ずんだ紐が巻き付き、その先にはこれで肌を裂かれたらひとたまりもないだろうと思うほどに鋭利な爪が長く伸び、赤く汚れています。頭頂部には白い陶器皿のようなものが埋め込まれており、その周囲からはごわついた髪がバサバサと生えていました。

 その姿を見た私はまだ自分が夢の中にいるのではないかと思おうとしました。だって、河童は想像上の生き物。その河童が、生身となって我が家に姿を現すなどありえないことですから。

 しかし、強くつねった腕の痛みと、河童から漂う生臭い匂いが、現実であることを示していました。

 身体をわなわなと震わせる私を見て河童は、徐に口を開きます。

「……お母さん、怖がらないで」

──お母さん。

 河童は確かに私を〝お母さん〟と呼びました。

「こんな姿で怖がらせてごめんなさい。会いたかった……!」

 そう言いながら突然、泣き出すではありませんか。

 瞬間、私の中の恐怖がほどけていくのを感じました。目の前の河童が、恐ろしい化け物ではなく、哀れな子どもに見えたからでしょう。身体の震えはいつの間にか止まっていました。

 這うようにしてそろりそろりと河童に近付き、泣きじゃくるその顔を覗き込んだ私は思わず「あっ!」と声をあげました。そこには、忘れようもない愛しい者の面影があったのです。

 そのとき、私は確信しました。この河童は紛れもなく自分の娘であると。


 ここまで読んだあなたはきっと、私の精神が不安定になっているのではないかとの疑念を抱かれるかもしれません。現実離れしたことを書いている自覚はありますし、そう思われても仕方がないでしょう。

 でもどうか、この手紙を破り捨てずに最後まで読んでください。

 もう少し事の次第を詳細に明かすためには、まず河童が現れる前のことからお話しした方がいいでしょう。

 

 十二年前、私は友人の紹介で知り合った六歳年上の男性と結婚しました。次の年には女の子を出産。その日がとても美しい月夜だったこともあり、夫は彼女に月子と名付けました。

 月子は名前に違わぬ、美しい赤ん坊でした。ふくふくとした手足は白く、微笑を浮かべたような寝顔は神々しささえありました。月子はあまり泣かない子で、泣いたとしてもそれはしおらしい泣き方をしたものです。ところが、生まれて九ヶ月が経った頃。

 雨がしとしとと町に降り注ぎ、蛙がやかましく合唱する平和な晩のこと。落雷かと思うほどの激しい泣き声が家中に響き渡りました。

 月子の初めての夜泣きでした。私はその声に飛び起きて月子のそばへと駆け寄りました。

 いつも穏やかに眠っているはずの月子が、顔を真っ赤にして苦しそうに泣いている──初めて見るその姿に私は狼狽えました。すぐに抱き上げましたが、私の腕から逃れようともがくかのように月子は泣き続けます。お乳をあげようとしても嫌がり、まだ汚れてもいないオムツを新しく替えてみても当然、効果はありませんでした。

 熱もなく、何がそんなに月子を泣かせているのか、夫も私も見当がつきませんでした。ですから、医者にみせた方がいいだろうということになり、寝巻きのままに私たちは外へと飛び出しました。すると、家の前に番傘をさした一人の老婆が立っていました。

 白髪ばかりの髪を後頭部でぴったりと結った老婆は、腰が曲がっているものの、しっかりとした足取りでこちらへと歩いてきました。老婆の持つ鋭い眼光と異様な空気に当てられて、私は老婆が一体何者であるのか尋ねることさえ忘れて立ち尽くしておりました。

 その老婆は、月子を抱いた私の真ん前で立ち止まると、傘を持っていない方の手を差し出して月子の頬にそっと触れました。するとどうでしょう。月子はピタリと泣き止んだではありませんか。

 私は老婆に、月子がなぜこんなにも泣いていたのか、なぜ老婆が触れただけで泣き止んだのかを問いただしました。しかし、老婆は右の口角をいやらしく持ち上げてただ一言、

「いずれ、帰ってくる」

 と意味深な言葉だけを残して去っていきました。

 真夜中の出来事が嘘のように、翌日からは月子はまた大人しい赤子に戻りました。夫と私は念のために病院へ連れて行きましたが、医者は月子の体を隅々まで調べた上で「異常はない」という診断を下しました。

 そのため私たちは、あの日はたまたま虫の居所が悪かったのだということにして忘れてしまいました。

 しかし、あの夜から一年後。再び、月子は凄まじい声をあげて泣いたのです。昨年と同じ、雨が降る真夜中のことでした。

 私たちはすぐに病院へ駆け込みました。しかしやはり、異常はなし。朝を迎える頃には月子もすっかり泣き止み、すやすやと穏やかな眠りに落ちていました。

 この月子の異常な哀哭はそれから次の年もまた次の年も繰り返されることとなりました。繰り返されるうち、それは夏の雨の一夜にだけ起きること、朝になれば自然と泣き止むことがわかりました。言葉を話す頃になると「いやだ! いやだ!!」と泣き叫びながらうわごとを繰り返しては体を捻り、赤子の頃よりも更に手に負えない状態となりました。

 不安を拭いきれない夫と共に、いくつかの病院を回ってもみましたが、やはり健康上の問題はどこにも見つかりませんでした。

 原因もわからず、しかし毎年尋常ではない様子を見せる月子を、私は不気味に思うのと同時に、畏れを抱くようになりました。子を産むべきではなかったのだと後悔の念に苛まれることもありました。月子が真夜中に泣き叫ぶ度に、私は罰を受けているような気がしたものです。

 私は月子を畏れながら、しかし精一杯の愛を与えて育てました。毎日綺麗な服を着せ、外出の際は必ず手を繋ぎ、寝かしつけるときは頭を優しく撫でることも忘れません。周囲の人からはどこからどう見ても仲の良い幸福な親子に見えたことでしょう。ところが、私が愛するのと同じようには、月子は私を愛してはくれませんでした。

 月子が六歳の頃です。その夜も月子は呼吸が止まってしまうのではないかと思うほどに激しく泣いていました。布団のなかでひとしきり暴れたあと、ふっと目を覚ました月子が、怯え切った目をして突然、こう言い放ったのです。

「ママにころされるの。水の中にぶくぶくって」

 私は慄然とし、言葉を失くしました。月子を安心させるようなことも何ひとつ言えませんでした。

 月子の夜泣きはこの悪夢のせいであり、今思えばその夢は、娘から私へのサインでもあったのです。

 月子は成長するごとに少しずつおかしくなっていきました。

 最初は通学路にある川に怯えるようになりました。得体の知れないものがいるのだと訳のわからぬことを口走り、川の近くを通らなければならないなら学校には行かないなどと騒ぐのです。水溜りにすら恐怖を覚えるようで、雨の日は決して外に出ないと泣き、私の車の送迎なしには登下校すらできない有様になりました。

 そのうちお湯を溜めた浴槽にまでも身を竦ませる始末。私は月子の恐怖症に頭を抱えました。

 何がきっかけでそうなってしまったのか、月子に尋ねたことがあります。そのとき月子は「全部、ママのせい」と言ったのです。「ママのせいで私は死ぬのだ」と。

 私が月子に何をしたというのでしょう。

 月子から時折投げられる恨みがましい視線に、心臓は冷えてゆくばかりで、月子とどう接すればいいのか最早わからなくなりました。

 一方、夫は月子に対して私が感じるような不気味さや畏怖は何も感じないようでした。一緒にいる時間が私より少なかったからというのもあるでしょう。そのため夫はひたすらに月子を溺愛しておりました。

 月子にとって夫の存在は私よりも大きなものだったに違いありません。私がどれだけ彼女の身辺に気を配り、お世話をしたとて、月子は夫の方ばかりに懐いていましたから。

 夫が亡くなったのは、去年の秋のことです。交通事故でした。私は夫が亡くなったという知らせを聞いたときも葬儀のときも、涙をこぼしませんでした。それは気丈に耐えていたというわけではなく、夫を失った悲しみが少しも湧いてこなかったからなのです。

 月子も私の冷酷さに気付いたのでしょう、そのことで私を責めました。目に涙を湛え、悲しくはないのかと静かに怒りをぶつけてきたのです。

「悲しいに決まっているじゃない」

 と言った私の言葉はあまりに空々しく響きました。

 その数日後のことです。月子が消えたのは。

 警察に知らせると事は大掛かりになり、誘拐の可能性だとか、事故に巻き込まれた可能性だとかで周辺の捜索も行われました。しかし月子は見つかりませんでした。二週間が経ち、一ヶ月が経っても、半年が経っても、月子の行方はわからないままだったのです。悲しみはありました。しかし、どこか身のうちに安堵感のようなものも漂っていました。そして、月子はもう帰ってこないのかもしれない、という確信めいた思いが持つようになりました。


 知っていますか? 河童の正体は、子どもの水死体だという説があるんです。江戸時代には、貧しさから子どもの間引きをせざるを得なかった家庭が多かったのだそうです。他の子どもに間引きの事実を隠すための嘘として、河童という妖怪が生まれたとのこと。しかしその嘘は真を生み、河童はもはや想像上の生き物ではなくなったのでしょう。

 私はこの説こそ正しいと、娘が帰ってきた今、強く思うのです。

 私はあのあと、河童になってしまった娘に驚きはしたものの、お風呂に入れて体と髪を丁寧に洗ってあげました。おかげで生臭い匂いは消え、髪の毛はサラサラになりました。血ようなものが付着していた長い爪も、洗うと真っ白になりました。今までどれほどの苦難を味わったのだろうと思うと胸が痛みました。その長い爪は、生活しやすいよう慎重にカットしてやりました。

「本当はもっと早く帰ってきたかったけれど、自分の居場所がなかったから」

 娘は寂しそうにそう言いました。

 朝食に甘い炒り卵と塩昆布のおにぎり、じゃがいもと玉ねぎの味噌汁、きゅうりの浅漬けを出すと、娘は嬉しそうに食べてくれました。お腹いっぱいになったからでしょう。今、娘は眠っています。

 彼女の寝顔を見つめながら、私は今度こそちゃんと愛したいと思いました。


 ここであなたに、私の罪を告白しなければなりません。

 先ほど、夫の死を悲しむことができなかったと書きましたね。それは私が、夫を愛してはいなかったからなのです。

 夫は自分のことよりも私や月子のことを優先的に考えてくれる優しい人でした。惜しみない愛と、金銭面においても何不自由ない生活を与えてくれました。

 にもかかわらず、夫を愛することができなかったのは、私の心の奥底にどうしても忘れることのできない男性がいたからでした。

 少し、思い出話をしましょう。

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