涙石を集めて
石田空
その宝石には魔力が宿っていた
「まあ、綺麗な石! この子はこんなに綺麗な石を産み出すのね!」
初めて涙石を産み出したとき、ジュスタは母に頬擦りされた。
幸せな家庭で育ち、優しい両親、優しい世話役、優しい使用人たちに囲まれて、すくすく育った。
ジュスタの周りで涙石を欲しがる人たちはいなかった。むしろ心配されていた。
「いいかい、ジュスタ。世の中には悪い人たちがたくさんいるんだ。お前が泣いたら石を産み出すということを、家族以外には誰にも言ってはいけないよ?」
「マーヤにも?」
普段から身の回りの世話をしてくれる乳母の名前を挙げると、父は力一杯頷いた。
「駄目だよ。マーヤは悪気がないのかもしれないけれど、誰かに言ってしまうかもしれない。家族だけの秘密だよ」
そう父に口酸っぱく言われた。
今思っても、それは父の言う通りだった。
彼女が涙石を産み出すことは、両親と医師しか知らない。
涙石はただクリスタルのように透き通った結晶ではない。ひと粒だけで一年の魔力を賄えるほどの膨大な魔力を秘めている。魔法使い以外では魔石がないと大概の魔法は使えない。だから皆魔石を買い求めるのだ。
もしそれをひとりの少女が泣いただけで何十年分も賄えると知られたら、きっと大変なことになる。
だから父は信頼できる医師に頼んで涙石を流した。医師の治療用魔力に宛がってくれるのならば、助かる命も大勢いるだろうと。
そうやって守られて守られて育ったジュスタだったが、不幸が重なったのだ。
学校に行くための車が襲われ、そのまま誘拐されてしまったのだ。それだけでない。彼女は恐怖のあまりに泣き出したところで、彼女がポロポロと涙が固まって石が転がり落ちるのを見られてしまったのだ。
「この女……涙石を産み出すぞ!」
「なんだと!?」
彼女の産み出す涙石は、全部合わせれば何十年分もの魔力だ。それを金に換算すれば、何十年かは遊んで暮らせる財産になる。
学校の他の生徒たちとは別に、ジュスタは連れさらわれてしまった。
彼女は縛られ、何度も何度も殴られた。そのたびに涙石は転がり落ちた。でも何度も何度も痛みを与えられたら、心は彼女を守るためにどんどん痛みに対して鈍感になっていく。
それに気付いた盗賊は、彼女が痛がったら痛みが引くまで待つようになった。これでは生殺しで、いつまで経っても痛みは治まらない。
だんだん彼女の体のあちこちに、消えないみみず腫れが出来上がるようになった。
生かさず殺さず。そうやって彼女はどんどんボロボロになっていった。
彼女は窓ひとつない部屋に放り込まれたため、いったい何日何週間何ヶ月閉じ込められたのかがわからない。
元は快活な少女だったジュスタは、だんだん表情が濁り、目も虚ろになってくるのは、仕方のない話だった。
****
「お頭。これじゃいけません。こいつ、このままじゃ石を産みません」
見かねて盗賊団の頭に苦言を呈したのは、下っ端のヴィーノだった。
元々清楚なワンピース風の制服を着ていたジュスタは、部屋の埃のせいでどんどん薄汚れ、表情も強張っていくのだ。どんどん心が死んでいっているのがわかる。
それに頭は「ああん?」と首を捻る。
「殴ればいいだろうが。それともは……」
「いけませんって。涙石産み出すガキなんて、そう簡単に見つからねえでしょうが。たまたま当たりを引いただけなんすから」
「でもあのガキ、もう表情が死んでるだろ。これ以上泣かすとなったらどうする?」
「縄で縛って逃げ出せないようにしてから、普通に散歩させればいいでしょうが。死んだら元も子もありませんって。そもそも、大量に涙石を流通させたら、そこで他のバイヤーから怪しまれて通報されたら事ですぜ」
それはそうだった。
既にジュスタを数週間も泣かせ続けたおかげで、平民が質素倹約に努めれば生活できる程度には稼いでいるのだ。これ以上稼ぎを上げたら、バイヤーから通報されて騎士団の取り調べがはじまってもおかしくはない。
盗賊団も頭は悪いが馬鹿じゃない。捕まらないようにコソコソと動き回るのが彼らのやり口だ。わざわざ見つかりやすくするべきじゃないだろう。
「ならあのガキの面倒お前が見ろ。ちゃんと泣かせろよ」
「わかってますぜ」
こうして、ヴィーノがジュスタの面倒を見ることになったのだ。
そうは言っても、彼女は窓のない部屋にずっと入れられていたのだから、いきなり日の光のある場所に連れて行ったら目が潰れてしまう。
ヴィーノはジュスタの部屋に「入りますぜ」と入ったとき、彼女は無反応だった。また殴られるのかと思ったらしく、肩を丸めている。殴られるとき、できる限り感情を殺して筋肉を緩めたほうが痛くないからだ。それにヴィーノは首を振った。
「今日はお頭から許可もらえたんで、散歩に行きましょう。ただ、逃げられたら困るんで、目も腰も縛りますが」
「……外、出られるんですか?」
彼女の声は、恐怖で強張っていたせいか、食事はかろうじて摂っているにもかかわらずカスカスに掠れてしまっていた。
ヴィーノは頷いた。
「ええ。外出ましょう」
こうして彼女は目隠しをされ、ロープを腰に巻かれた。てっきり腕を縛られたり首を縛られたりして、罪人や犬の散歩のように連行されるのかと思っていたから、拍子抜けだった。
ジュスタは目隠し越しに、久し振りに日差しを浴びた。ずっと薄暗くて埃っぽく乾燥した場所にいたため、温かな日差しは目隠し越しにも心地がよかった。
「……温かい」
「そいつはよかった。それじゃ、ちょっと目隠し取りますよっと」
そう言ってヴィーノから目隠しを取られた。
途端に日差しの気持ちいい花園に来ていたことに気付く。カモミールの花が咲き、蜂がぶんぶんと飛び回っている。
「綺麗……」
「そいつはよかった。ところで、あんたを泣かせないといけないんだが」
「あ……」
途端に彼女は身を強張らせた。まだ外に出してもらえただけで、盗賊団から解放された訳ではない。久々の温かい日差しで緩まった筋肉が強張る。
それにヴィーノは「あーあーあーあー」と声を上げる。
「なにもそこまで怖がらんでも。痛いとは言っても、お頭やお仲間みたく、恐怖なんか与えませんって。ただ、涙石はもらわにゃならんので」
「……はい」
でも彼女は涙を流したくても、女優でもないのに力を入れたら出るものでもない。彼女が頑張って涙を流そうとしている中、ヴィーノは手を掴んだ。それにジュスタは違和感を覚える。
(あれ……?)
盗賊たちに乱暴にされ、少しずつ心を削っていった彼女にとって、彼の手はどうにも盗賊と違う気がするのだ。たしかにお世辞にも手入れが整った手とは言わないが、豆のできる部分や乾燥している部分が違う。
それに彼女が違和感を覚えている中、ヴィーノは彼女の手の甲に皮のベルトを押し当てた。皮のベルトで、彼女の手の甲を叩いたのだ。
「痛いっ……!」
悲鳴を上げ、彼女の涙がポロリと零れる。途端にコロリと石が出来上がった。彼女の手の甲は赤くなってしまった。
それにヴィーノは「あーあーあーあー」と言いながら、ポケットからなにかを取り出したのだ。白いそれは、どうも軟膏のようだった。
「すいやせん。痛くなければ涙を流せませんし。でもこんな綺麗な体に、これ以上消えない傷はつくりたくないですねえ」
そう言いながら、彼女の手の甲に軟膏を塗りたくった。いい匂いがするのは、薬草を練り込んであるからだろう。気のせいか、痛みはすぐに引いてしまったのだ。
「すごい……」
「そりゃもう。それじゃ、ノルマは達成したんで戻りましょうか」
「……はい」
ジュスタはどうにも訳のわからないヴィーノにロープを取られながら、歩きはじめた。
逃げられないだけで、体は比較的自由にさせてもらっている。引っ張られて痛い思いもさせられない上に、助けてくれる。
これがいったいどういう意味なのか、何度考えてもジュスタには理解できなかった。
****
それからも、ジュスタはヴィーノに連れられて、花園でベルトで叩かれて涙を溢して涙石をつくり、それを回収された。
だんだんジュスタは、彼の気持ちがわからなくなっていった。
(いい人なのかしら……悪い人なのかしら……)
いい人なら、逃がしてくれるだろうに。彼はジュスタを自由にさせてくれているだけで、逃がそうとはしなかった。
しかし悪い人ならば、彼女が殴られるたびに痛み止めや軟膏をくれる訳もなく、最近は彼女が薄汚れているのを気にして、お頭と交渉して彼女に没落貴族のものとはいえども、古着の服を着せてくれたり、ブラシで髪をとかしてくれたりする。
彼がどうしてこんなことをするのかがわからず、とうとうジュスタは尋ねた。
「あなたは誰? どうして私を助けてくれるんですか?」
そう尋ねた。
身長はジュスタとヴィーノはほぼ変わらない。ジュスタは小柄ではないが大柄でもなく、ヴィーノもまた似たようなものだった。骨っぽい体であり、ラフなシャツとスラックス姿で、髪も短く切り揃えられている。
それにヴィーノは肩を竦めた。妙に仰々しい。
「いい人が女の子ふん縛って連れ回す訳ないでしょ。こういうのはいい人とは呼びませんぜ」
そう言った。
ジュスタはなにかを言おうとしたが、ヴィーノがヘラヘラ笑ってはぐらかせてしまうため、それ以上追求することもできなかった。
彼がいると嬉しい。彼がいると怖いところでも我慢ができる。
こういうのは、吊り橋効果と言い、恐怖を一緒に体験してくれる人がいるとその人に安心して好きになってしまうものだが、錯覚らしい。もう錯覚でもいいんじゃないかと思っているのは馬鹿げていると、なによりもジュスタが一番自覚している。
****
そんなある日、唐突に盗賊団が騒がしくなった。
最近は古着とは言えども可愛いドレス、食事も前まで食べていた歯が折れそうな硬いパンではなく野菜たっぷりのスープを食べれるようになったジュスタは、その音に唖然としていた。
「騎士団だ! 荷物をまとめろ!」
「ずらかれ!」
ドタドタドタドタ。
その足音の忙しなさに茫然としている中。
「いたか!?」
「いない!」
盗賊団とは別の声が聞こえはじめた。それにジュスタは震えはじめた。
今までは盗賊団は力で屈服させてくるような乱暴者ばかりだったが、それでもヴィーノに守られたおかげで痛いだけで済んだ。
もし魔法使いに捕まり、延々と泣き続ける薬でも飲まされて一生縛られたらどうしよう。
逃げたくても、彼女の部屋には窓がない。壁も分厚くて破れない。彼女はただ、震えて部屋の隅で固まっているしかできなかった。
やがて、ドタドタと床板を踏みならす音が消えた。
「ジュスタ、大丈夫か!?」
「……ヴィーノ」
パッと彼女を閉じ込めた部屋を開けたヴィーノを見て、ジュスタは困った顔をした。
いつもの盗賊らしい小汚いシャツとスラックス姿が一転、かっちりとしたシャツにジャケットの騎士団服に変わっていたのだ。
「……あなた」
「ああ、すまない。潜入捜査で盗賊団にいた。集団誘拐の中、君ひとりだけ見つからなくって探していたんだよ。涙石が流通するようになって、その流れがおかしいから調査をしていたら君が見つかった。すまなかったね。ずっと痛かっただろうに……調査が終わって騎士団が盗賊団を潰す名目ができなかったら、こうして君を解放することもできなかった」
途端に、ジュスタはポロポロと泣きはじめた。
コロンコロンと石が飛び散り、それにヴィーノはぎょっとする。
「盗賊団はもう壊滅したから! 君をちゃんと家にまで送り届けるから! もう泣かなくてもいいんだよ?」
「……あなたがいなかったら、私が私じゃなくなっていました……もう痛いのも怖いのも嫌です……でもあなたがもっと悪い人で、私を悪い人に売り飛ばしてしまったらどうしようと……私は心が狭いんです……」
「それは当たり前だろう。怖い想いをしたのだから……頑張ったね」
ジュスタはポロポロ泣きながら、大きく頷いた。
ひとまず彼女は車でヴィーノに送られていった。その中で、ジュスタはひとつの涙石を彼に手渡した。
「……こんな大きなもの。いただけない」
ヴィーノは涙石の価値がわかるのだろう。これを魔石として使えば、最低一年は買い足さなくてもいいくらいのものになる。ヴィーノが首を振るのに、ジュスタは微笑んだ。
「いいえ、受け取ってください。いつか、これで指輪をつくって持ってらしてね?」
「……逆プロポーズは、考えたことがなかったなあ」
ヴィーノは少しだけ頬を赤くした。
誘拐された商家のご令嬢が、騎士により助け出された。
これだけでも充分物語として美しかったが。
大きな透明な魔石でつくった指輪とカモミールの花束を持って彼女を迎えに来るのは、彼女が卒業する年まで待たないといけない。
<了>
涙石を集めて 石田空 @soraisida
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