第9話 ひどい仕打ち

 ここからが、私の地獄だ。


 三年になった春、あの一件があってからというもの、私はミカエラの顔を上手く見ることが出来なかった。

 自身の不甲斐なさを加速させ、そうして彼女に対して、笑顔を向けるのが難しくなったんだ。


「…それじゃ、先に行くよ」

 妹は軽く返事をするだけだった。


 本当は、彼女と共に登下校をしたい。私にとっての唯一の愛、その人と共に甘い時間を過ごしたかった。ただ、私は拒絶されたのだ、と。私ではなくあの男を取ったのだと、若い時分に思っていたよ。


 夏になる頃、学内で行われる闘技会の話が私の元にも来た。一年、二年と私が連覇をしていたのだが、今年は学徒会長としての仕事に追われ、日々の鍛錬をこなすので精一杯だったからか、少し自信はなかった。

 それと裏腹に、周りの目は三連覇を期待していたよ。


「…こんなものに、出ている暇は」

 私の頭は、ミカの事でいっぱいだった。約束を忘れろと言われても、私はそのために生きてきたのだから、どうしても無理だった。

 魂の分離ではなく、もっと安全な方法を模索していた。


 部屋をノックする音がしたんだ。


「あの、こちらにシルヴィア・スカーレッドは居りますでしょうか」

 妹だった。


「…ミカ!?」

 私は思わず呆気にとられたよ。そんなことも厭わずに彼女は私に笑っていた。


「へぇ~、この子が会長の妹さん?」

「かっわい~!!ねえ、お茶飲んでいかない?」

「あ、あの…私姉さんに用があってきたのですが…」


 学徒会員に囲まれてたじろいでいるミカを見て、ようやく我に返ったよ。皆を持ち場に戻してから、私の机の前へと進ませた。


「み、ミカ…どうしたんだい、急に…」

 動揺が表れていた。彼女がまさか、私の元を今更訪れるとは思ってなかったから。

「お話があって来たのです」

 泰然として私に対していた。


「話、って…ハッ!場所を変えないか!?家ではダメだろうか」

 私は周りの目を気にした。公共の場で彼女が悪魔の話を持ち出すとは思えなかったが、それでも用心に越したことは無かった。それほどに、私は過敏になってしまっていた。


「…では、また家で。先に帰ってお待ちしておりますので」

「…ッ」

 私は一瞬躊躇ったが、意を決して彼女に向かった。

「五分待ってくれ。私も帰るから」

 久々に二人で帰っていたというのに、言葉を交わすことなく家の門を潜った。



 家に着いてから、気持ちを落ち着ける為に私は自分で茶を淹れた。テーブルへと運ぶ手は震えていたよ。


「それで…何を…?」

 必死に取り繕ってミカに問うた。ミカは態度を変えずに答える。

「今度の闘技会、姉さんも出場されますよね?」

「ああ…一応出るつもりだが…」


「私も、出場するつもりです」

「…!?」

 驚きがそのまま顔に出たのだと思う。彼女もまた、そこまで驚かれるなどと思っていなかったのかもしれない。

「どうされましたか?」

「…なんで、君が…」

「実績のためです。私は銃士団に入る必要がありますので」

 やさしく言う。


「そんなのは、ダメだ…私は、君を戦わせたくない」

「そうは言っても、私が自分で決めたことですから」

 本当に…?

「ええ、本当です」

 嘘を、つく時の顔だった。


「…じゃあ、私は辞退するよ。丁度会長の仕事も多くてね」

「それは駄目です」

 そう言って私を制するように手を掲げた。

「姉さんを倒すことに意味があるのですから」

 言っている意味が分からなかった。


「それは、どういう…」

「姉さんは闘技会で既に二連覇を果たしています。その姉さんを打ち倒すことが出来れば、これ以上ない実績でしょう?」

「…つまり、踏み台になれ、と」

 生唾を呑んだ。彼女は私を道具と思っていた。


「いえ、違います。何よりも、全力の貴女を否定したい」

 目を見張ったよ。瞳孔が開いているのが、自分でも分かった。

「…わかったよ、私も出よう。その代わり条件がある」

「なんでしょう?」


「私が勝ったら、デューク卿の話は全てなかったことにしてもらう」

「な、にを…」

 その日初めて、私に動揺を見せた。

「これが吞めないなら、私は出ない。まあ出たところで私が勝つのだが」

「…分かりました。それで全力の姉さんと戦えるのなら、甘んじて受けましょう」

 私へ、憎らしいと言わんとする目で訴えていた。

「私からも、条件があります」


「私が勝てば、今後私のことに口を出さないでください。もちろん、デューク卿に関しても、です」

 私は、とても迷ったよ。しかし、

「…了承しよう」

 肯くことしかできなかった。





 闘技会当日、私は順当に勝ち進めていた。

 16ブロックに分けられバトルロワイヤルを行った後、勝った者たちでトーナメント形式の戦いを行い、勝者を決める。私とミカは、別のブロック。奇しくも、勝ち進めれば決勝で当たることになっていた。


「次、か…」

 すでに準決勝を終え、決勝へと駒を進めた私は、ミカの試合を見ていた。

「この短期間で…いや、まさか、ずっと鍛錬していたのか…」

 妹の成長速度は凄まじいものだった。四年前、私がまだ実家に住んでいた頃にはまだ剣を振るのも難しい程非力だったのに、いつの間にか同世代の実力者たちをいとも簡単に倒せるほどになっていた。


「悪魔に関して、自分でも勉強していたんだな…」

 私は、ミカの何も知らなかったと、恥ずかしい気持ちになったよ。しかしそれでも、私もこの勝負は負けられなかった。


 やがて、ミカも決勝へと進んだ。



「よく、ここまで…」

「姉さん、私ね。頑張ったんだ」

 哀しそうな顔を浮かべていた。

「そうだね、それでも」

 剣を妹へと向けた。

「私も、負けられないんだ」


「そうですね、もう、言葉は要らないでしょう…参ります」

 妹もそれに合わせて剣を向けてきた。開始の合図が、鳴ったんだ。


 瞬間、剣が交差する。凄まじい気迫で私へと突っ込み斬りつけてきた。激しい金属音が鳴ったよ。

「…ッぐ!」

 力はやはり私の方が強かった。だけれども、速さは彼女が優っていた。

「…そこっ!!」

 素早く剣を振り抜き、私の胴へと突き立てる。咄嗟に剣を振り抜いてそれをはじき距離を取った。すかさず距離を詰めてもう一度。


「はああああ!!!!」

 一撃一撃が、とても重かった。私には、抱えきることが出来ないほどに。



 幾度打ち合っただろうか、覚えてはいない。途中から降り出した雨がいっとう強く私たちに当たっていた事だけは感じていた。

 打ち合っていく中で私には、ミカの必死さが痛ましいほどに刺さっていた。そうして私の、真剣さを揺らがすことになった。


 私はどうにも、彼女を傷つけることが出来なかったんだ。


 強者は打ち合いの中で、互いの心を読み取ることがある。実力が拮抗するならば尚更で、まさにそれが丁度、私たちだった。私は彼女の、本気で勝ち取りたいという想いを感じた。


「…ッ!貴女は…!!」

 ミカもまた、私の心を読んでいた。きっと、苦しかっただろう。

「私を見てよ!!!」

「ッ!?」

 必死な声だった。私もそれを聞いて、フッと力を込めた。今までで最も強い一撃が、彼女へと振りかかった。数メートルほど彼女は吹き飛んだよ。


「ッ、ミカ!!」

「…敵に情けをかけるなんて、余裕なんですね!」

 ミカの怒りはもっともだった。そうして今一度私へと剣を振った。

「わかってる、これは勝たなきゃいけないんだ!!」

 私も、全霊をもって彼女へと応えようとした。互いの剣が交差する。最後の一撃になるものだった。


 私の頭に、あの男の顔が、ちらついたんだ。



「は…?」

 私の身体が吹き飛ばされ、仰向けで倒れ伏したのを確認して、試合終了の合図が鳴った。ミカの拍子の抜けた声が、最後に聞こえ、私は意識を落とし、そうして目を覚ました時には、救護室で寝かされていた。


 この先は聞いた話だから、詳細は不明瞭ではあるのだが、


「…ッ、ふざ、けるな!!!」

 ミカは倒れている私に激昂していたそうだ。今すぐ斬りかかって私を殺そうとしていたと聞く。

「これだけ、これだけ!!!近づいて!!貴女は、まだ!!!!!」

 私へと罵詈雑言を投げていた。先生が三人がかりでようやく止めることが出来たと言っていたよ。


 救護室に運ばれていく私に、冷ややかな目を向けていたらしい。


「…そうですか」

 それを聞かされた私は、何も考えられなかった。直ぐに救護室を後にして、家へと帰ったが、妹の姿は無かった。

「ミカ…」

 私は自室で自分の過ちを悔いた。彼女の本気を感じ取っていながら、最後の最後に手を抜いてしまった。たとえそれが、忌々しい男のせいだとしても、自分自身の過ちであることは、明白だった。


 すまない、と何度も、ただ零すだけだった。


 翌朝、私は一睡もすることなくリビングへと向かった。ミカは既に、朝食を済ませた様子だった。

「…おはよう、ミカ」

 私は恐る恐る、彼女へと声をかけた。

「昨日の試合のことなんだが…本当にすまない。謝ってどうなるものでもないというのは、重々承知の上だが…」

 言い訳を並べようとする私に、冷たい声音を見せた。

「姉さん、もういいです」

 顔を上げた私を、侮蔑する目で見ていたよ。


「…姉さんが、私を見たくないのであれば、それでいいんです」

「私も、自分の道を進んでいきたいですから」

 何を言っているのか、当時の私には理解が及ばなかった。ただ彼女に対して贖罪の意識だけが頭にこべりついていた。


「わ、私が…君を、見たくない…って」

 言葉が上手く紡げない。口がおぼつかなかった。

「だから、もう良いのです」

 冷ややかな声を続けていた。


「勝負は、私の勝ちですね。条件は覚えておいでですか?」

 ああ、と声を洩らすことしかできない。否定したかったのが本当の気持ち。しかし、約束は約束、これを不履行にすれば、きっと私は、彼女を二度と目にすることは、出来ないだろう。


「では、今後一切、私に口出ししないでください」

 わかった、という言葉が、喉に詰まって出てこない。沈黙がそこにあった。

「…今まで、ありがとうございました」

 そう言って部屋を後にした。そこには、私だけが残っていた。


 それから、妹と言葉を交わすことは全くなかった。


 そうして卒業を迎え、私は銃士団へと入団することになったんだ。

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七つ国 井底之吾 @cat8_cafe

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