ヘアゴムの価値
水面あお
第1話
素朴でパッとしない地味な女性だった。
目立った愛嬌はない。
洒落っ気もなく、シンプルな装いを好み、常に落ち着いている。
いつもダークブラウンの髪を、黒のヘアゴムでひとまとめにしていた。
そんな彼女に強く惹かれたのは何故なのか、今でもよくわからない。
出会いは職場だった。
彼女とは本の話をきっかけに仲良くなった。
趣味が同じだと話が弾む。
何時間でも語り合えそうだった。
いつからだろうか。自分の視線が彼女を追っていることに気づいた。
「こんなわたしで、ほんとにいいの?」
勇気を出して告白したとき、そう訊き返された。
自尊心がそこまで高くないのだろう。
その控えめなところも含めて、可愛らしいと思った。
やがて、私たちは籍を入れた。
妻は料理が苦手だった。
私が横で教えながら作ると「お店みたいに上手にできた」と大層喜んだ。
私は機械音痴だ。
パソコンの細かい操作に手こずっていると、妻は「こうすると速いよ」と円滑な操作方法を勧めてくれた。
私も妻も決して完璧な人間ではない。
けれど、二人一緒なら困難にも立ち向かえた。
だから、完璧でなくたってよかった。
補い合えばいい。
私たちは一緒にいるのだから。
いろんな映画を見た。
たくさんの料理を作った。
あちこちの書店を巡った。
妻の笑う顔をみるたび、私も笑顔になった。
長い時を共に過ごした。
私たちは幸せだった。
机の上に黒のヘアゴムが置かれている。
百円くらいでいくつも入っているものだと、昔言っていた気がする。
このヘアゴムをつける人はもういない。
私の髪は短い。
そのうえ、毛量は徐々に減ってきている。
ヘアゴムは不必要だ。
それなのに捨てることができなかった。
たかが数十円程度だろうか。
あれから随分経つというのに、こんな些細なものですら感傷に浸ってしまう。
ヘアゴムを手にのせ、そっと包み込んだ。
ヘアゴムの価値 水面あお @axtuoi
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