額の十字架
帆尊歩
第1話 神とあがめられた少女と、神殺しのネルの物語
少女は、逃げも隠れもしない。
堂々と神殺しの前に立った。
その涼やかな顔も、立ち姿も、慈愛にあふれた目元も、それは神その物だった。
少女はゆっくりと両腕を開くと、何かを受け入れるように前を見つめた。
美しかった。
そして額に輝く十字架。
そこにネルのボウガンの矢が打ち込まれる。
矢は少女の額の十字架を貫き、後頭部に矢尻が十数センチ出た所で止まった。
音もなく、少女は膝から崩れ落ちた。でも少女の顔は苦悩から解き放たれた喜びに満ちていた。矢を放った神殺しネルは、涙を流し泣いていたが、次の瞬間、ナイフを出したかと思うとそのまま自らの首に刺した。
その姿に、ネルは、少女の事を心から愛していたんだなと僕は思った。
僕が少女と出会ったのは十日ほど前だった。
朝起きると物置からかすかに物音がした。ネコでも迷い混んだかと見にいくと、美しい少女がうずくまっていた。
その少女の額には十字架が見えた。
彼女はクロスだ。
なぜクロスがうちの物置に?
一瞬面倒なことになったなと僕は思った。国家公認の神様だ。クロスに何かがあれば、首が飛ぶ。自分の家に神様を迎えるなんて光栄なことではあるが、クロスに関しては、遠くから拝む程度が良いくらいで、横にいられたら、それは気をつかう。
「君はクロスだよね」僕は恐る恐る尋ねた。
「ええ」
「でも、なんで額の十字架が現れているの」普段は隠れているはずだった。
「追われているからかな」
「誰に」
「神殺しに」
「そうなんだ」
この国ではランダムに選ばれた女児が、神になる。額に普段は見えない十字架の入れ墨をされて、子供の頃一時期、神として崇められる。
国家の祭壇に朝から晩まで座らされ、入れ替わり立ち替わり、拝みに来る人々に向かって頷き、慈愛のまなざしを向ける。
たったそれだけ。
信仰とは何でも良いのだ、大事なのは信じる心だ。豪華な祭壇に座らされた信仰の対象があればそれだけで良いのだ。
任期が終わっても、神であることには違いはない。
一生神であり続ける。ただ普段は額の十字架は見えないので、普通の生活を送る事が出来る。
任期の終わった彼女たちクロスには、神として絶大な庇護が国家よりもたらされる。
本人の同意なくして体に触れればその場で懲役刑だった。怪我でもさせよう物なら、死刑になる。だから祭壇から降りたクロスには誰も近寄らない。それは両親すらもだった。だから祭壇を降りたクロスは、自分がクロスであることをまわりに知られないようにひっそりと生きて行かなければならない。
自分の迂闊な言動や行いで、簡単に人が死ぬ。
それは善良なる少女には耐え難いストレスになる。元々国家より神に選出されるのだから善良なる少女達である。
「警察に行こう。そうすればクロスは保護されるでしょう」
「保護された後は?」
「後?」
「その先に何があるの?」
「何って」
「このストレスと重圧は一生続く。生きることに喜びも楽しみもない。まるで神様という牢獄にいるような物」
「だからって神殺しから殺されても良いと言うことはない」
「学校でクロスであることが知れると、途端まわりから人がいなくなる。たとえ昨日まで親友だったとしても」
「そんな事って」
「中学に入ってすぐの時、一人の男の子が私にちょっかいを出すようになった。きっと彼は私に気があったのね。私の気を引きたくて私を虐めていた。あるとき彼が私を突き飛ばしてしまった。私は転んで足を捻挫した。その時の悔しい思いと怒りで、私の額に十字架があらわれて、私がクロスである事がばれたしまった。次の日、彼と彼の家族は町からいなくなってしまった」
「それは?」
「分からないわよ。でも最悪のことが頭をよぎった。その日から誰も私に寄ってこなくなった」
「孤独という事?」
「そうね。でも神は自ら命を絶つことは出来ない。だから」
「だから」
「だから神殺しがいるのよ」
「もしかして、殺されたいの」僕は彼女の目を見た。
でも彼女は答えない。
そして随分時間が経ってから、彼女は重い口を開いた。
「神殺しは、捕まれば極刑。でもそれを覚悟の上で、神殺しは存在している。だから私達クロスは神殺しに、感謝をしているの」
「そんなバカな」
「神殺しのネルは、私のために神殺しになってくれた。私を殺すために」
「ネル。それが君を殺そうとしている、神殺しの名前なの」
「ええ」
「君はネルに恨まれているの?」
「逆よ、きっとネルはわたしの事を愛してくれている。そして私も」
「そんな、愛しあっているから殺すなんて」
「クロスとはそういう存在なのよ」
「君のために僕には何が出来る?」
「あなたに出来ることはないわ。それともあなたが私を殺してくれる?」
「いやそれは」
「意地悪言ってごめんなさい。時間ね。そろそろ行くわ、ネルが待っている」
少女の後ろ姿は、神その物だった。
額の十字架 帆尊歩 @hosonayumu
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