後編 傷のかたち

個体の消滅は九十を越えていた。

個体を変更する度に、私は前腕に傷をつけた。


「治らないね」

ポステアの腕を見て、セプティマが言う。

「そうですね。治らないですね」

治さないのだとは、言えない。

胸が、暖かい。


 真新しい傷。

 もう何回、こうして腕につく新しい傷を見ただろう。

 君が、君でないのは解っているけど、

 君に傷ついてほしくなんてないのに、

 傷を見る君が、とても穏やかで優しい顔をして。

胸が、苦しい。


個体の更新が、200に近づいた時、セプティマが成人し、娶ることが決まった。

子を成すことは、人類の希望。

優先事項。


 ポステアが、お嫁さんとか、子作りのことは教えてくれたけど。

 今までずっと、二人だったのに。

 もやもやする。


ノイズが這う。

傷の記憶。

消してしまおう。

新しい人生を歩むセプティマにはもう必要ない。

新しくなるポステマには必要ない。

傷の、暖かい記憶は、私に持たせておくれ。

新しい複製を用意するから。


 また、ポステアが、どこかに行く準備をしている。

「ねえ、ポステア、どこに行くの?」

 何度ともなく、繰り返した言葉。

 いつもは、別人みたいに無口なのに、

 なのに今日は

「どこにも行きませんよ。ここにいます」

 ポステアの顔に、いつもの優しい笑顔。

 きっと、何かが終ったんだ。


「知ってるよ。何処か行くんだよね。だからさ、帰ってきたら、ぼくのお嫁さんになってよ」

 多分、それはない。

 確信。

 だからこそ、言ってみた。


 ポステアは、ちょっと困った顔をして、

 それから、ぱあっと綺麗な笑顔を見せて


「そうですね。もし帰ってきたらお嫁さんにしてください」


 そう言った。

 何処かに行くことを、隠さないポステア。

 笑顔のポステア。


 ぼくは屋根に登って星空を見上げた。

 下から、細く走る光。

 怪我をするポステアにはもう会えない。

 ぼくの目から、壊れたように涙が溢れた 


「傷、治ったんだね」

結婚式の朝セプティマが言う。

記憶の検索をかける。 

該当箇所に不自然な欠落。

開けない、壊れたファイルの発見。


 白い、綺麗な腕を見てぼくが言った。

 ポステアは困っている。

 ポステアは何も答えない。

 ああ、違うポステアなんだ、と思った。 


セプティマとドウシィは子供を作った。

国民保存プログラムの遂行。


セプティマの赤ん坊の時と比較。

とても似て、それでいて非なるもの。

人の個体とは、こうも個性があるものなのか。


 お嫁さんのドウシィは可愛い、と思う。

 筒がなく優しい日々。

 でもドウシィは、プレマルジナの方が大事なのは感じた。

 ドウシィとやって来た、彼女のお兄さん。

 それは、多分ぼくがポステアが大切なのに、とてもよく似ていた。



セプティマとドウシィの子供が5歳になり子供は別のドーム移された。

仕方ない。

誰かといることは、知識、感情に偏りを生む。


 ドウシィはプレマルジナと、ここを出ていった。

 子供を生んで役目は果たしたから、と言っていた。

  

ドームの外は、まだ不安定な筈なのに、

それでも二人でいたいのだと。

プレマルジナが言った。

ドウシィが泣くんだ、ぼくが壊れるのを見たくないと。


そうしてまた、

変わらない毎日。

幸せな、毎日。

 

あれから出掛ける前のポステアに

「戻ってきたら、僕のお嫁さんになって」

と、言ったけれど、言葉なく微笑むだけで

 次の日には、当たり前にここにいた。


届かなかった言葉。

届けたかった言葉。

届かない、言葉。


いつの間にかしわくちゃになったセプティマの手。

私の個体は、もう千を越えている。


 起き上がることもできない身体。

 もう、殆ど目も見えず、耳も聞こえない。

 ポステアの笑顔は何一つ変わらない。


「お休みなさい」

セプティマの、二度と開かない目。


 いつもの、出掛ける前の一言。

 でも、今日出掛けるのはぼくだ。

 声にならない声。

 返したいのに、もう動かせない。 

 

虹、を見た。

星、を見た。

治せなかった、傷。

消去できない、壊れたファイル。


 君が、なんだったなんてどうでもいいんだ。

 君が、幸せであることを心から祈っているよ。


私の目から、滴が落ちた。

 僕の手に、滴が落ちた気がした。

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いたいけなほしくず ~第一章 セプティマとポステマ 砂生 @narlel-00

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