前編 消えない消えた傷

小さな、小さな、人間の手。

出来たばかりの小さな手。

これが本当に、私くらいの大きさになるのかしら?


女性型人工生命体、ポステア・プロダクタムがセプティマの警護と育成の任務に就いた日の記憶。


この、心臓を掴まれたみたいな

胸にのし掛かる重さは、一体何なのだろう。

検索しても、ヒットしない。


セプティマと名付けられた、人間の雛。

赤ん坊。

セプティマを抱きなから、オーバーライド続ける、言語、用語、知識。

赤ん坊、幼児、少年…………次々に変わる人の形容と、それに伴う生活様式の基本的変化のインプットする。


これが年月を重ねることで、言葉を話し、思考し、やがて――――子を成す。

その時まで、お守りするのが私の使命。


お腹が空いたと泣き、おしめが濡れたと泣き、眠いと泣く赤ん坊。

全くもって、目まぐるしい。

まるで、プログラムが役に立たない。


少しずつ、泣き方の微妙な違いのデータが加わり、対応を理解する。


セプティマが、言語を解するために、私がインプットを施さなくてはいけない。

彼の名前を教えるより、私の存在を教えるべきとのこと。

…………

「ポステア、だ。」

そう言うと、きゃっきゃっと笑っている。

何に教えられたわけでもないが、目の奥が熱くなり、胸が震える。

検索。

ヒット。

幸せ。

 

 気がついた時には、ポステアといた。

 彼女はいつも当たり前にいるから、

 それが当たり前と思っていた。

 何の、疑いもなく。 


セプティマ、五歳。

 

変わらないようで、

ほんの少しずつ変化する。

着実に蓄積されるデータ。


「あ、ポステア。あのね、みて!」

そう言って、撒かれた水。


水はまだ、地上には希少なものだが、邪気無く笑うセプティマには許容すべきだと判断する。


「みてみて、ほら!」

指差した先に、光が水の滴で分散し帯状に見えている。

虹、の発生。


「虹、ですね」

「きれいでしょ!」

きれい?汚れていない様子。

「……そうですね。綺麗ですね」


 家中にあるたくさんの本。

 殆どは、何が書いてあるかなんて、さっぱりわからないけれど、ぼくの背が届く位置に並べられた、絵がたくさんある本。

 かんたんな字で書かれていて、ぼくでも読める。


 にじ。

 空にかかる帯みたいだ!

 見てみたいなあ。

 へえ、お日様にみずをかければ見られるんだ。


 おみず。

 つかっても、いいかな?

 とてもだいじだって、ポステアがいってたけど。


「おみず。むだにしちゃった?」

 

懸念していたことを、セプティマの方から問いただされた。

私の使用分を充てればいいだけだから問題ない。

「いいですよ。綺麗なものを見せていただきました」


 水の滴は、ポステアの髪にもかかったけど、ちっとも気にしていなくて。

 髪にかかった、水の滴がきらきらと輝いて。

 ぼくは、虹よりもポステアが綺麗だと思ったんだ。


セプティマの表情筋が、笑顔を作る。

同じように返す。

検索。

ヒット。

楽しい。


最優先事項の敵弾頭の発射を確認。

撃墜準備。

今日、この個体は消滅する。

問題ない。

感情ユニットを付け替えるだけだ。

 

「おやすみなさい」

 と、いつものようにポステアはぼくを寝かしつけると明かりを消して、出ていった。


自室に戻り、感情ユニットを引き抜く、

再起動のシークエンスを開始する合図の音。

問題ない。

記録は……記憶は引き継がれる。

最小限の基本行動。

感情ユニットの情報を本部に送信、敵弾頭を破壊。

体内リミット。全解除。


 ものすごい早さで、走り抜けていくポステア。

 あっという間に闇に溶けて、その先から空へ流れる光を見たんだ。

「きれ……」

 細く流れる光に、なんだか涙が溢れて。

「あした、ポステアにおしえてあげなきゃ」

 ポステアは、どこにも行ってない。

 ぼくの側にいる。

 そう念じて、布団を被った。 


次の日、星の話をした。

流れ星が、下から走ったのだとセプティマが教えてくれた。

そんな星の軌道はない。

セプティマは何を見たのだろう。


七十二体目のポステアが、怪我をした。

前腕に20cm程の裂傷。

牛の搾乳の演習を怠業し、牛型模型の動作確認を怠っていた為の失態。

生活における、最低限の経験をさせなければいけないのに。

なのに。


 いつも、サボっていた牛の乳搾り。

 だってね、知ってるんだ。

 これ、本物じゃないよね。

 なんて腑抜けた気持ちで取り組んでいたからか、牛が暴れだした。  


「きゃー!たいへんなの!いたい?だいじょうぶ?」

 

セプティマが、血の恐怖からか慌てている。

身体ごと取り替える、人工生命体には傷のうちにも入らないけれど、それは極秘事項。


 ぼくのことはポステアが助けてくれたけど、腕から血が出てる!

 ぼく知ってるよ。

 おくすり塗って、包帯するんだ。

 でも、ぼくは上手に包帯できなくて。

 悔しいのにポステマは笑っていて…


セプティマが、飾りで置いてある薬箱の軟膏を塗り、ガーゼを張り、包帯を撒く。

止血にもならない治療の真似事。

検索。

嬉しい。

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