最終話 忘れていたこと

曲を長い間合わせたり、あるいは時にソロをお願いしたりされたりして、セッションは二時間半ほど続いただろうか。ふと、タケルさんが「じゃ、今日はここまでにして…新しい参加者さんがいらっしゃるということなので、彼女に一曲、合わせる曲を選んでもらいましょう」


怖じ怖じと出てきたのは、年の頃17,8といった多感極まりない年代の、日本で女学生が着ていることの多い制服をまとった金髪碧眼へきがんの美少女だった。手には、奮発ふんぱつして買ったか、買ってもらったと思しき、私と同じモデルのスラ―ンチェ製ホイッスルが握られている。


「わ、わわ、わたし、サリーナっていいます」


サリーナという少女がおどおどしながら自己紹介した。


「セッ、セッションは…あの…初めて……なんですぅ…」


消え入りそうな声のサリーナちゃん。顔が真っ赤だ。もう、ちゃん付け確定でよくないか。


「はじめまして、サリーナさん。何か知っている曲、ありますか?」


私がたずねる。


「えっ…えーっと……あの……」


「そんなに緊張しなくても誰も噛みつかない、大丈夫大丈夫」


メアリーさんがフォローに入ってくれた。


「スロー・エアーが…大好きで……」


私のセンサー(そういうものがあるんですよ、読者諸君!)がピクリと反応した。彼女とならうまい飲み物がめそうだ。


「ほう」


と、私。


Sí Bheag, Sí Mhór小さい丘、大きい丘、っていう…やつしか……吹けなくて…」


「オキャロランをご存じという事、素敵なことですよ。ぜひ合わせましょう」


と、ヴィクターさん。

この楽曲は、スロー・エアーには間違いないのだけれど、比較的テンポやリズムが一定なため、セッションでも合わせやすい部類に入る曲なのだ。


震える手でホイッスルを安定させるサリーナちゃん。やがて、メロディーが起こされる。立ち上がりこそ心もとなかったけれど、数小節進んだころには立派なホイッスルによるエアーが耳に心地よい状態となった。ふと、足元を見ると、パブの証明をきらびやかに反射させるレザーの靴が目に入る。


(そういえば店長、靴が何とかって言ってたよね…)


彼女の演奏に合わせながら自問自答する私。

やがて、曲が終わりを迎え、みんなの顔に笑顔と安堵あんどがひろがった。

サリーナちゃんがぼそりと、


「エ、エレンさん…」


(どうして私の名を?)


と、ここで彼女が驚きの行動にうって出る。腕を空高くのばし、紐らしきものを引っ張ったのだ。パン、という乾いた音に続き、垂れ幕がさがってきた。その文面を見てみると…!


”エレン、お誕生日おめでとう!”


「やられた!」


思わず素っ頓狂な声をあげる私。


「何をやられたのかな?」


ふり返ると、花束を持った店長が入り口に立っていた。


「遅くなってすまないね。このサリーナは私の娘なんだ」


「ええっ!?」


店長に娘さんがいたとは知らなかった! こんなに可愛いなんて…!

舌なめずりをしそうな私の視線に気づいたのか、メアリーさんが肘で私の横っ腹をつつく。


「おめでとうございます、エレンさん」


と、メアリーさん。


「あ、ありがとうございます」


「めでたいなぁ、今日は全部俺のおごりだ!」


アランさんが嬉しい事を。


「おめでとうございます。いやー、それにしても年々お美しくなりはるなぁ、あなたは」


と、頬を指で掻きながら言うタケルさん。

私はお礼が出来ないほど顔が紅に染まっていることだろう。


「これは私からのほんのお気持ちです」


なんと、ヴィクターさんがティラミスのケーキを用意してくれていた!


「なんで私の好物を…?」


「サリーナちゃんに教わったんですよ。付き合いが長けりゃいずれ分かりますって」


と、ヴィクターさんが言った。ついでにスマホを取り出す。


「おっと、ジャックからも祝電ですよ。おめでとう、ですって」


「ありがとうと、よろしくお伝えください」


スマホを仕舞しまいながら、


「はい。ところで我々も随分エレンちゃんとのお付き合いが長いですが、エレンちゃんはちなみに、心に決めた人とかは…?」


からかうような店長に、私はわざと怒った顔つきをして、悪戯口調いたずらくちょうでこう言った。


「もう、そろそろ閉めていいですか、店長」




< 了 >

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アイリッシュ・パブと、音楽と 博雅 @Hiromasa83

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