第三話 パイントを飲みながら

「じゃ、Sláinteカンパイ」「乾杯」「Cheersチアッズ


面々の挨拶あいさつがパブに木霊こだました。


「おっ、やっぱり遅れてきた」


と、アランさん。


「たった30分じゃないか、アラン」


ヴィクターさん──やや禿げかかった、好青年に見える、全身をチェックの柄でコーディネイトした細身の男性──がギターのハードケースを持って立っていた。


「そういうとこだよ、ヴィクター」。


「どういうことだってば、アラン」


笑い合う二人。長年親交を深めあってきた仲ならではの他愛無い光景だ。


「今日は新しいギターかい?」


「いや、ケースだけハードのに新調したんさ」


「なるほど」


ヴィクターは大学でギターを教えている、筋金入りのギタリストである。得意なジャンルはアイリッシュ伝統音楽にとどまらず、クラシックやジャズ、それにメロディックデスメタルにも造詣ぞうけいが深い。


「また、伴奏してくれるとは嬉しいわね」


と、メアリーさん。


セッションではヴィクターはひたすら伴奏にてっしているが、その伴奏を侮るなかれ、彼のその伴奏にかかれば、どんな初心者でも上手に聞こえるように、ヴィクターは奏者に合わせ、あるいはリードし、あるいは後からしっかりと支える。そんな卓越たくえつしたスキルを持つギター奏者なのだ。


「そういえばいつものメンツに一人足りないね。ライソも返ってこないよ」


ヴィクターが思い出したように言い出した。


「ジャックはトラック事故で病院送りになったよ。本日未明にね」


タケルが答える。


「あのマッチョが!? マジで?」


「ああ。命に別状はないけど、腕を骨折したらしい。幸いホイッスルは吹ける」


ふう、とため息を漏らすヴィクター。


「そりゃ不幸中の幸いってやつだな」


「そうだね」


ここで私は久方ひさかたぶりに発言した。


「早く良くなるといいですね」


「優しいね、エレンさんは」「そうだね」


と、タケルとヴィクターさん。


「ときに、君のホイッスルコレクションは何本になった?」


タケルさんが訊いてくる。


「えっと…ギョッタさんのがDかん,C管が一本ずつ、スラ―ンチェさんのがD管のアルミ、それに…そう、ハーティさんのローDが一本……ドーグさんとこのブリキのやつが、色違いと仕様しよう変更込みで3本」


ティン・ホイッスルは『増える』ことで、アイルランド伝統音楽界隈かいわいでよく知られている。気が付けば、テクニックよりも笛のほうが数をしてゆくという摩訶不思議まかふしぎな現象が往々おうおうににして起こるのだ。私とて例外ではない。


「──マイケルさんの真鍮ブラスのやつとアルミのが一本ずつでしょ……ほかに…それくらいかな?」


「はは、だいぶコレクションも増えてきたようだね」


とヴィクターさん。


「今日はどうだろう、君から始めてみないか」


「え、ええっ、いいんですか」


「君は仮にもここのママのご身分だ。接客ならなんなら私が合間に代わりをつとめてあげるさ」


「じ、じゃあ… "Old Torn Petticoat" (古く破れたペチコート)を」


E-EF / GFGA / Beee / Beee (ミーミファ、ソファソラ、シミミミ、シミミミ)……


私は記憶を頼りに吹いてみる。いわゆる装飾音符オーナメンテーションは極力控え目に入れている。これが私のスタイルなのだ──師と仰ぐホイッスルの名手、ルチア・シルヴァーさんから受け継いだ『言語』でもある。音と音を区切る『カット』や『タップ』、音を上げ下げする『ロール』や、ロングトーンの最中に遊びの音を入れる『クラン』といったテクニックは、この音楽にれこんで7,8年経つ私でもまだまだ容易ではない。だが、これが何より楽しいのである。何なら、メロディを追うだけでも面白い。「焦らずとも、長年っているとテクニックは後からついてくる」とタケルさんには教わった。


メロディも絶対不変である必要はない。私は詳しくないけれど、ジャズのような若干のアレンジ(インプロビゼーション)に近いところがあるのではないか、と思う。いや、むしろ、伝統的に『耳で覚え』て、『声で吟遊リルトする』ことからはじめるこのジャンルは、口承文学に近しいものがあるのだろう。そのため、演奏ごとに新しい、地域ごとのメロディの『方言』を覚え、それを『自ら会得し』、『伝える』ことができる、それが Irish Traditional Music, アイルランド伝統音楽の大きな魅力だと言えるだろう。


私のはじめた曲目チューンがひとしきり終わると、タケルさんが見事に次につないでくれた。この繋ぎをどうするかがセッションでの腕の見せ所かもしれない。8分の8拍子の『リール』や、8分の6拍子の『ジグ』といった曲のジャンルを極端に変えても雰囲気が微妙になるし、かといって同じキー、同じ調子ばかりでは繋げている間に飽きが生じてしまう(もっとも、意図してそういう繋ぎをする事も当然ある)。一人での独演ソロとはまた違ったがあるのだ。


「難しいですね、セッションは」


私が一息いれて言う。するとメアリーさんが、


「何をおっしゃいますやらエレンさん、素敵なイントロでしたよ。Eでのロール、だいぶ上達したんじゃありませんか?」


「そうですかね…」


今度はヴィクターさんがこう言う;


「そうですって。そうそう、有名どころのスロー・エアー、どうです?」


私は指を頭にやって数秒考えた後、


「"She Moved Through the Fair" とかですか?」


と提案する。


「いいですね、よろしくお願いいたします」


と、タケルさん。


このは、私が最も好きなスロー・エアーの一曲だ。悲恋の歌であり、特に伝統的な歌唱法・シャンノースで歌われると、その歌詞の内容もあいまって、誰もが涙するであろう。私は、稚拙ちせつながらも、できるだけ原曲・元のことばを意識しながら、それをメロディーに反映させつつ、曲を演じ終えた。

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