第二話 セッションの前に
「ようタケル、ようやく来たね」
アランさんが言う。
「うん、二重の意味でね」
応えるタケルさんは今年で48になる、日系三世のパイプスを愛する音楽愛好家で、実業家でもあり、ここスコットランドで音楽療法の施設を数か所運営している。
「これこれ、ヒーニーさんのパイプス。12年待った
大きなケースの留め金をゆっくり開き、中を示す。見事としか言えないパイプスが姿を見せた。だがパイプスの魅力は見た目ではない。ホイッスルのみを得意とする私にもわかっていることだ。それに、長い納期のことで一喜一憂するのもまたアイルランド伝統音楽『あるある』である。
「ついでに、ハーティさんに頼んでたローホイッスルも届いたんだけど、
アランさんがふくふくと笑いながらこう言う。
ローホイッスルとは、ティン・ホイッスルをそのまま長く太くしたような笛だ。尺八のような
「いいじゃあないか。
「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいよ」
「ところで、ハーティさんの新作が気になるね。もう出てたんだっけ?」
「いや、俺が頼んだのはあえて旧モデルなんだけどね」
「ほう」
ここら辺、完全なマニアによるトークであるが、腐っても私は音楽、ことにホイッスルを嗜む店員だ。これくらいついていける、はず……!
「新作はノン・チューナブルのモデルしかなくてね」
「そうなんだ」
「うん。それに、前のモデルのほうが、
「長く演奏するのに、それは大事だな」
「ああ」
メアリーさんのコンサーティナがコロコロと弾けるようなフレーズを流し始めた。いわば楽器の慣らし運転である。
「よかったら、僕のシルヴァーのロー管も試してみてくれよ。
スロー・エアーとは、アイルランド伝統音楽の中でも若干特殊な部類に入る。クラシックで言えば、無伴奏チェロソナタが近いかもしれない。伝統歌を、たいていの場合無伴奏でしっとりと『聴かせる』ジャンルの音楽である。テンポやリズムの取り方も、そしてメロディの各部分さえも文字通り十人十色、それが一番のチャームポイントだ。
「じゃ、後でちょっと試させてもらうとするかな」
「どうぞどうぞ」
「ところでエレンさん」
私はラガーのパイントをタケルさんのために入れながら(これも彼のいつものやつだ)、
「はい」
「お持ちのティン・ホイッスルですけど、スラ―ンチェ製でしたよね?」
私の愛用するホイッスルは、コリン・スラ―ンチェさんが一から手作りをされている
「え、あ、はいはい、そうですそうです」
突然話題を振られてしまい、ちょっとドギマギする私であった。
「今度、私の娘が高校に入るんで、プレゼントとしてホイッスルを考えてるんですけど…やっぱり、安価で買えるものより、スラ―ンチェさんのほうがいいですかね」
スラ―ンチェ製ホイッスルは間違いない。これだけは確かに言える。ただ、完全無欠というわけではない。唯一の弱点があるとすれば、音が柔らかな反面、他のメーカー製のものと比べた場合、圧倒的に音量が稼げないのである。故に、セッションでは往々にして音が埋もれてしまう懸念があるのだ。
「ゆくゆくはセッションにご参加される、というのであれば、あえて高額なものを選ぶ必要はないと思いますよ」
「そうか、やっぱりそうですか……じゃあ、ギョッタさんとか?」
これもまたアイルランド老舗のホイッスルメーカーであり、ケルト音楽圏内でホイッスルを演奏するとなればまずこの製作者、というブランドである。一本につき、生ビール二杯程度という
タケルさんがパイプスの調整をはじめた。今鳴っているのは、アイリッシュ伝統音楽でもっとも重要といえる音・D(ドレミのレにあたる音)だ。しばらくロングトーンを鳴らした後、E、Fシャープ、G…といった具合にスケールを上下する。
「いいねタケル、豊かな
嬉しそうに眼を細めるアランさん。
「完璧だ。これが俺のところに来るまで」
突然遠い目になるタケルさん。
「いったい俺はいくつの曲を覚えることが出来ただろうか」
「七、八百は行っただろう」
「まぁ、大概のセッションの曲は演奏できるけれどね。まだまだレパートリーが増えてない、──そう感じるよ」
タケルさんは謙遜をしているが、その実力は本場アイルランドのレジェンド級の奏者が太鼓判を押しているくらいだと聞いているし、事実、セッションのときに聴く彼のパイプスの演奏は素晴らしいとしか形容できない。公演は数知れず、もちろんCDアルバムやレコードも何枚と出版している。何より、短期的な記憶力が抜群だ。一度聞いたメロディーは忘れないとのことで、その日のセッションのうちに新しい曲を完全に憶えるという特技をお持ちなのである。
「じゃ、ちょっと
タケルさんのパイプスが音を
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