時に抗う少女と贖罪

本をひらりひらりと捲り物語を奏でる音や現実に向き合い実直にタイピングする労働音が絶え間なく聞こえてくる。

そんな現代を包み隠すかのようにコーヒーの香ばしい香りが僕の鼻腔を突き刺した。

死への神秘も偶像も非科学も全てコーヒーと共に飲み干してしまおうと、コーヒーカップに手を取ると、それを見透かしたかのように杏夏が口を開く。

「秀くんは、一度死んじゃった時の記憶あるよね?」

「……確かに僕は一度死んだ記憶がある。でもそれはあくまで死を忌避した脳が生み出した幻想に過ぎない。第一、科学的に考えて無理があるだろ」

「私もその記憶について知っているのに?」

「ただのバーナム効果だよ。死の淵を彷徨った人間が、やれ臨死体験だの、幽霊を見ただのと喚くのは古今東西、さして珍しくないだろ。当てずっぽうでそれっぽいことを言えば、今みたいにタイムトラベラーを気取ることも難しくないはずだ」

僕は自分の中の何かを守るため、正気のない言の葉に詭弁という名の鎧を与え続ける。

現代科学全てを無に帰すような現象が僕の前で起こるはずがない。

だが、どこか杏夏を否定できない自分がいた。

「…新興宗教か?それともマルチ?或いは美人局?……命を救ってくれた所悪いが、そういうことならもう帰っても良いか?…金が欲しいなら10万までならバイト代から捻出する」

「違うよ。むしろ私が君に貢ごうか?……お姉さん君が望むならどんな事だってしちゃうんだから?…えへへ」

杏夏はか細くしなやかな手でさするようにして、僕の頬を精緻に撫でてきた。

彼女の温もりや息遣いがその裏腹にある意図を隠しているようで、僕は女を感じずにはいられなかった。

もう忘れたはずの母性に対する渇望感が僕の脳を揺らしているのを強く感じる。

発情と恐怖が混在した歪な感情を律し、僕は抵抗の意思を示すために杏夏を睨みつけた。

「私はあの場所で君を救うまでに7回時を戻したの」

杏夏は僕の濁った瞳を覗き込むかのように、底の深い碧眼でこちらを見つめ返してくる。

その真っ直ぐな瞳は、僕がかつて虚像を押し付けていた姫宮 杏夏そのもので、思わず見入ってしまう。

「…6回目の世界線で、息を引き取る直前に私の存在に気づいた君は『おじさんと侑芽にごめんんさいって言ってくれ。256万ある貯金も両親じゃなくて2人に託したい。番号は6025だ』って言ったんだよ」

杏夏はどこか儚げな絶望と希望が入り混じった表情をしてコーヒーを口に含んだ。

……確かに僕の幻覚や居候先のおじさんや侑芽従姉妹などに関しては、適当に口裏を合わせたり、ネットを駆使すれば何とかなるかもしれない。

だが、普段電子決済で全てを済ませている僕の貯金額や暗証番号を知っているのは、何か超常的な力が働いてるとしか思えなかった。

「……わかった。一旦は杏夏を信じることにする。それで、何が目的だ?察するにあの事故未遂現場に杏夏が居合わせたのだって、能力を使ったからだろ?」

かつて仲の良かった僕のことを8年ぶりに見つけて、命を救うだなんて必然性を感じざる得ない。

「…バレちゃったか。やっぱり秀くんは頭が良いね。うん、私はこの能力を使えるようになってからずっと時を戻して君を探し続けていたの。それでやっと君を見つけて助けたんだ」

「何でそこまで僕を……?」

杏夏の力があれば富、名声、力この世の全てが手に入る。

その力に踊らされず、僕を求め続ける意味がわからない。

「君が好きだからだよ…!説得力がないかもしれないけど、君の為ならどんな事だって出来るし、傷つく事だって覚悟してる。その、、えっ、えっちな事だって君が望むなら…いいよ?」

杏夏は二度と解ける事がないように、深く深く絡めるようにして僕の手を握った。

乙女の純情さといじらしさが僕の胸を刺す。

「つまりどういう事だ?」

「……贖罪させてくれないかな?君の背負っている呪縛を私にも背負わせて欲しいの」


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昔、僕を裏切った女子が何度も時を戻して付き纏ってくるラブコメ はなびえ @hanabie

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