第13話 お互い様
「いらっしゃいませー」
1週間後。
俺はカラオケ店にいた。
今回は客としてではなく、店員として。
「ここにお名前をお書き下さい!」
受付で俺の隣に立って元気な声を出しているのは朝倉さんだ。接客モードに入っている時の彼女は、ワントーン声が高い。
しかし、客を見送った後は怠そうな表情に戻る。前も言ったかもしれないが、美人の表情差は怖いんだよなぁ。
その上、現在時刻は深夜0時半。大学で出会った完璧なお顔を維持するのは難しいらしく、目の下のクマを隠しきれていない。
あまりにも疲労感が身じみ出ている。
まあ、疲れているのなら、お客様ならともかく、俺なんかの前で表情筋の無駄遣いをする必要はないかと思い直す。
聞いたところによると、朝倉さんは夜勤だけでなくも夕勤もしているらしい。
生活サイクルが心配になってくるが、事情があるんだろう。本人が良いと思っているのなら、俺ごときが口を挟む問題ではない。
「あ。そうだ。掃除の手順も教えておこう。一緒にきて」
「うん。でも、受付に人いなくなっちゃうけど良いの?」
「良いよ。深夜帯はそんな混雑しないし。ちょちょいと教えちゃうよ」
この、良い意味でのテキトーさは生きやすそうだ。
羨ましい。
さっきまでカップルが使っていた301号室に入ると、性交後特有のムワッとした匂いがした。
「あー。またか。腹の立つ」
カラオケ部屋が、そういうことに使われることもあると噂では聞いていた。
俺は朝倉さんが感じている嫌悪とは対照時に、そんな噂が実際にあるのかと感動した。
都市伝説が本当だったと確信できた感覚というのか。 フリーメイソンの本部に潜入できた。みたいな興奮を覚える。
いや、それは大袈裟か。
ウンザリ顔でも、朝倉さんは仕事だからとテキパキとやることの説明をしてくれる。
「後は換気。この部屋の客、ヤッた上にタバコまで吸ってやがるから大事。10分後に窓を閉めにきてくれる?」
「了解」
タバコの匂いは気づかなかった。両親が1人ともベビースモーカーだったから、匂いに慣れすぎて感じ取れていないのだろう。
「ん。じゃあ、受付に戻ろうか」
そう言って動き出した途端、バランスを崩した朝倉さんが後ろ向きに倒れかける。
このままでは頭部を強打しかねない。
自分の体質のことをゴチャゴチャ考えている暇はない。すぐに朝倉さんを抱き抱えた。
社交ダンスみたいな体制で力を込める。
吐き気と頭痛が襲ってくる。しかし、今は目の前の人が大事だ。
身を挺した甲斐があり、朝倉さんに怪我ができることなく支え切ることができた。
安全を確認してから、すぐに離れる。
「貧血かな。とりあえず、スポドリ買ってくる」
「うん‥‥‥ごめんね」
いつになく、しおらしい。
この人は偉そうにしてるくらいで丁度いいのに。
「謝る必要なんかないでしょう。お互い様」
そう言って、自販機に向かう間、俺の体調も最悪だった。
なんとかスポーツドリンクを買って、部屋に戻る。
「‥‥‥なんか、君の方が具合悪そうだけど」
「あ。いやえっと‥‥‥」
「大丈夫。ののから聞いてるよ。女性に触れたら具合悪くなっちゃうんでしょ」
「‥‥‥うん」
スポドリを1口飲んだ後、朝倉さんは付け加える。
「君の体質のこと、ののが私に喋ったのは怒らないであげてね。あくまで君が信頼できることを示すためと、私を安心させるために言ったことだから」
「そんくらいは分かるよ。ありがとう」
フゥゥゥゥ。
と、大きく息を吐いて、朝倉さんは話題を変える。
「‥‥‥っていうか、助けてくれてありがとう。顔色悪いよ。なんか持ち歩いてる薬とかある?」
「あぁ。ロッカーにある」
「じゃあ、それ持ってくるからここで休んでて。ここのスタッフ用のロッカー、鍵をかけられないのが不満だったけど、今初めて良かったと思ったわ」
軽い笑顔で言う。それは営業スマイルとはほど遠い、雑な笑顔だった。
お言葉に甘えて、少し休ませてもらおうと目を閉じる。
「‥…‥ののは平気なのに、私は無理なのか」
部屋を去る寸前、朝倉さんが何か言った気がしたがよく聞こえなかった。
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