ブックタワーを攻略せよ!

森陰五十鈴

ジルダの焦慮

 最近、お嬢様は読書に夢中になっているようだった。

 娘を可愛がっている旦那様と奥様は、これを歓迎した。キーラお嬢様が読んでいるのは少女趣味の娯楽小説。だが、本を読む――活字に触れるという行為そのものが素晴らしいものであるとのお考えだからだ。ちなみに、系統は違えど旦那様も奥様も読書を嗜んでおり、ルベット家には本がたくさんある。

 しかし、キーラが奥様のお部屋に置かれているブックタワーを制覇することを宣言したときは、密かな騒ぎになった。騒いだのは、ジルダ奥様や、アリエッタをはじめとするメイドたち――すなわち女性陣のみであったが。


「困ったわ。キーラったら、本当に私の本を読む気なのかしら」


 私室に集まった一部メイドたちに囲まれて、ベッドの上に腰を下ろしたジルダはおろおろしながら部屋の一角にあるブックタワーを眺めた。おしゃれなものを好む女主人の部屋にあるそれは、やはり見た目が重視されている。美しい木目と深い色合い、さらにニスを塗られて光沢を放つシックな木製の板が、ポールを中心にして螺旋状に配置されている。その各段には、横積みにされた美しい想定の本。背表紙には読むだけでうっとりできるような美しい言葉タイトル。奥様の許可を得て本を眺めたメイドたちは憧憬し――同時に頭を抱えた。

 ジルダもまた、娘と同じく乙女嗜好だった。詩趣ポエトリーなタイトルが示すのはみな、ロマンス小説だったからだ。本に関心のある婦人ならば、誰もが憧れるようなものばかり。アリエッタだって、もし貸してもらえるというのであれば、貸してほしい――そんなものばかりだった。

 ただし、その中には刺激的なものも含まれていた。聖職者や高潔なお嬢様であれば渋面ものの刺激物だ。

 なるほど、ジルダが娘に本を貸すのをためらうのも無理はない。


「よくこのようなものを……堂々と飾っておけましたね」


 眉間を揉みながらも失礼ながらアリエッタが意見すると、ジルダはバツが悪そうに俯き、唇を尖らせて、上目遣いでメイドたちを見回した。まるで少女のような拗ね方である。


「だって、旦那様は私の本に興味がないし。表紙からは中身は分からないもの」


 確かに、ジルダの愛読書には、直接的なタイトルのものはない。人によっては詩集かと勘違いしそうなものが多かった。中身をじっくりと読まなければ、バレることはないだろう。アリエッタたちが気づいたのは、ひとえに評判を知るが故――関心の対象だったからだ。

 メイドたちは一様に肩を落とした。


「ひとまず……奥様が倒錯的な嗜好の持ち主でないことに安心いたしました」

「そうじゃないでしょ」


 現実逃避をしかけたアリエッタに、同僚のメイドが突っ込んだ。


「まあ、お嬢様には読ませられない本を片付ければ良いだけでしょう」


 彼女の発言に、アリエッタとジルダは頭を振った。彼女は奥様付きのメイドから、娘をよく知るジルダや、お嬢様付きのアリエッタの心痛を理解していないのかもしれない。


「無理よ……。あの子、そういうところは目敏いのよ」


 仮にいくつかの本を抜き出して。キーラは高さの低くなった本の山に、きっと気が付く。これまでは母親の部屋に遊びに来た程度で、ブックタワーをインテリアの一つくらいにしか見ていなかったであろうけれども。そして、気が付いてしまったら、きっとその訳を尋ねる。ここで誤魔化しなどしたら、キーラの好奇心をかえって搔き立てることになるだろう。が、正直に駄目な理由を言っても、それはそれで興味を持つ。

〝なんとなく〟の違和感に気が付き、一度気になると追及してしまう。そっとしてほしいことに目を瞑っていてはくれない。子どものような無邪気な聡さと好奇心がキーラの魅力であり、一方で非常に手に負えないところなのだ。


「では、こっそりと本を並べ替えておくとか」


 例えば、キーラに下の段から本を読ませる。一段制覇したら、次の段へ。そうやって、上へ上へと読み進めさせる隙を狙い、刺激的な本を少しずつ密かに制覇済の段に移せば。キーラはその本をすでに読んだものと認識して、気にすることはないかもしれない。

 そのメイドの提案は、なかなか良いように思われた。キーラは目敏いが、記憶力が格別に研ぎ澄まされているわけではない。読んでいない本のタイトルを一冊一冊把握しているなんてことは、さすがにないだろう。


「うう~ん……そうねぇ」


 それでもジルダは気が進まないようだった。誤魔化せるかもしれないが、確実な手段ではない。万が一のことが起きたときに、それはそれで面倒くさい。それに、下手な誤魔化しをして、旦那様に密かな趣味がバレてしまったらと思うと、怖いのだ。


「だったら、やはり正直に」

「今からでも隠してしまうのが一番なのでは」


 ああすれば、こうすれば。メイドたちは議論を交わすが、ジルダが納得するようなものは出てこない。さんざん頭を捻る女性陣のもとに、部屋の扉をノックする音が届いた。


「お母様、ご本を貸してくださいな!」


 奥様の私室は、たちまち阿鼻叫喚の巷と化した。

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