第3話「準備期間」

拝啓、母上様

初夏の季節が到来しジメジメとした暑さが気になる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。私は今、そんな暑さが微塵も感じられない遥か彼方の遠いところまでやってきてしまいました。文字通り遥か遠くに。いきなり月まで連れてこられて、意味のわからない世界情勢を聞かされた上でそこの宇宙探検隊に入れと言われる始末です。

「そんな危ないもの断ってしまえ」と意志の強い立派な方であればそう言われそうなものですが、私という人間は何とも矮小な人間でございまして、威勢よく仲間になれと言われた次第には、他に就職先もなく退路を絶たれている男のフリーズした脳がYESと信号を送り出してしまったのでございます。

特にあの30代後半くらいの優男の勧誘のセリフは今思い返せば非常に危ない橋を渡ってしまったのではないかと後悔の念が拭えません。実は彼そのものが地球外生命体で、いずれ穢れが溜まってモンスターになるとかそういう展開だけは勘弁したいものです。

とはいえ、そんなこんなであなたの息子は無事社会人として自立することが叶いました。というか社会どころか宇宙の世界へ大股で足を踏み入れてしまいましたが。ちなみにこの宇宙産業開発研究機構、通称JAIXA とかいうどこかのパチモン企業のような団体に所属が決まったその日に自動的に大学は中退、そのまま入所という形になりました。手塩にかけて育てたあなたの息子の最終学歴は自動的に高卒になったので描いていたキャリアへの後戻りはもうできません。文句はあの男に言ってください。

とりあえずそんなこんなな急展開ではありますが、自堕落な生活を改めこの社会で生きていこうと思います。それではまた。


P.S.もしそちらで神様に会うようなことがあれば私に神の御加護を授けてくださるようお伝えください。そうでもしないと生きていけないような、そんな世界な気がするので。



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「ふぅ。恒例の儀式とはいえ気休めにもならんな」


そう呟きながら母へのメールを書き終えた俺は、そっとパソコンを閉じる。

ちなみに母は10年前に他界しているので、このメールが母へ届くことはない。人生の岐路に立った時、こうして定期的に母への現状報告として現状をまとめる、いわば俺にとっての一種の通過儀礼のようなものだろうか。願わくば母に今の現状が届いていれば幸いだが、ほとんど自分の現状整理と覚悟を決めるためのものである。前回書いたのは大学に進学が決まった時だったか。

そういえば急に進路が決まったとなると普通の人であれば親族への報告が必要かと思われるが、俺はそんな必要もなかった。親族という親族は母が死んでから高校卒業まで面倒を見てくれた自分の祖父くらいのものだが、俺が大学3年の頃に老衰で他界してしまった。ちなみに父親はというと母が死んだ際に行方不明になった。当時親戚からは母を探しておかしくなってしまったのでは、と囁かれていたが奴はそんなやわな男ではない。元から正真正銘のアホだからな。爺さんに預けて俺を預けてそのまま「無限の彼方にさあ行くぞ」とか宣いながら姿を消した。爺さんからは罵詈雑言が浴びせられていたが、俺はあの親父に一人で育てられるんじゃないかと思っていたから内心ほっとしたものだ。まあ、もし見つけたらボコボコにするが。

というかこれ俺の場合はたまたま親しい人がいないから大丈夫だが、普通に家族がいる人間だった場合はどうなるのだろうか。こんな重要機密を知ったとなると足を洗うにも一苦労だろう。説明とか工作とかめちゃめちゃ大変だろうことは容易に想像がつくが。


「まあここに呼ばれる時点で身元はしっかり洗っているからね。そもそもそういう人間関係の心配がない人の中から適性のある人間をセレクトしてオファーを出してるから問題ナッシングってわけさ」


面接官として知り合った男はそう言った。


「あの、しれっと部屋の中に入ってくるのやめてもらえませんかね。心臓に悪いんですけど。というか心も読まないでください。ほんとどうなってんすかそれ。」

「いやいや失礼。ちょうど呼びに来たのだが、見たところ切りの良さそうなタイミングだったからね。ちなみに心を読む云々は重要機密なのでノーコメント」

「さいですか。もう突っ込みませんけどね。」

「僕がいうのも何だけどだいぶ慣れてきたじゃないか。今の方がいい感じだ」


この男の名は西条嶺二というらしく、何とJAIXAの研究室長兼宇宙探索チームの日本支部局局長という肩書を持っている。若いのに随分とお偉いさんで以前の俺からすれば天上人に近い存在ではあるのだが、彼の性格上こうして時折現れてフランクに接してくるので、こちらも慣れてくるとこのような雑談をするくらいには話せるようになっていた。「メンバーとのコミュニケーションは僕にとっても最優先事項だからね。そこから得られる価値は計り知れない」というのは彼の談だ。事情を知らない俺からすれば、こんな一般人のペーペーからどんな価値が生まれるのか是非とも教えて欲しいものだが。


「ところで御用があったのでは?」

「そうだったそうだった。ようやく手続きと諸々の準備がたった今終わってね、晴れて我々の一員ということさ。軟禁生活もこれにて終了だ、おめでとう!」


実はあの面接でここに所属することを決めた後、大学の登録削除やら入所手続きやらで面接を実施したビルの別室で3日間過ごすように命じられた。そのほかにもいろいろ準備があると言っていたが、まさか歓迎会でも用意してくれるのかしら。というかこのビルの構造は月に繋がっていたり、宿泊施設があったりどうなっているのだろうか。俺の泊まっている部屋は一般的なホテルの一室くらいの大きさはあるし衣食住困らない仕様ではあるのだが、なかなかに3日間こもりきりというのは精神衛生上良くない。柄にもなく一人暮らしの大学生がよくやりがちな筋トレも始めだす始末だ。1日で飽きたけど。


「やっと外に出れるんすね。そろそろ限界だったんすよ」

「まあこればっかりはしょうがない。一企業の所属とはいえ国家プロジェクトが霞むような規模の秘匿性があるから大目に見てくれたまえ」

「逆に世界の進退が絡むことなのに3日で終わる方が怖くもあるんですが」

「ま、細かいことはどうだっていいさ。ちなみにこれからは僕のことは好きに呼んでくれたまえ。一応上司ではあるけど、対等な存在として扱ってくれて構わないよ。何なら恋愛相談でも乗ってあげようか?」

「いや、遠慮しておきます…」

「なんだ釣れないな」


あって数日の男に恋愛相談なんてできるか。いやまあ、相談するほどの女性経験は人生を通してもほとんどないんだけど。

そもそもこの胡散臭い男に恋愛への興味なんてあるのだろうか。この人話し方はフランクだけど目の奥で何考えてるのかわからなくてたまにちょっと怖いんだよな。なんかこう、研究対象として見られている感じがする。


「名残惜しいが雑談もそこそこにしておこうか。目的の場所に向かうとしよう。せっかく準備してくれたのにあまり待たせても良くないからね」

「なんかさっきから準備準備って言ってますけど、これから何かするんですか?」

「うん、ちょっと遠出しよう。だって気になってしょうがないだろう?」

「えっと、まさかとは思うんですけど、その行く場所って…」

「向こうの世界」


どうやら歓迎会はやらない文化らしい。


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渡る世界を鬼は征く 木君 @kikkun

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