銀の扉の向こう側

 先に目が覚めたのはウシトラだった。顔の上にククリの唾液が流れてきて、その不快感で目を覚ましたのだ。記憶が残っている限りでは横に並んで座っていたのだが、朝になってみると、ふたりはほとんど抱き合うようにして眠っていた。ウシトラは一瞬にして驚愕、不快感、性的興奮、苦悶、呆れの表情を通り過ぎてから、むっつりとした無表情で、ククリの下から抜け出した。そっと、起こさないようにしながら。心臓がバクバク鳴って頭が痛くなった。

 そのすぐ後にククリが起きて、ウシトラの涎の跡を笑った。ウシトラは事実を主張しなかった。こいつはなんて間抜けなやつだろう、と自分の内心で思えているなら、それで満足なのだ。

 どちらのものかはわからなかったが、ぐうぐうとお腹が鳴った。「地下に缶詰めがあった」とウシトラは思い出した。「とりあえず、朝ごはんにしましょうか」ククリが提案した。

 地下室に行ってみると、まず目に入ったのが稼働中の発電機だった。昨日の夜は停止していたのに――ウシトラがそう思いながら電灯のスイッチを入れると、何事もなかったかのように地下室は照らし出された。

「あーっ、なんですかこれ」

 部屋の真ん中に、蓋の開いた缶詰が大量に転がっていた。中の油やらなんやらが地面にしみ出して異臭を放っている。その山の中にうずもれているのは、腹をぱんぱんに膨らませた小人だった。割れた兜を脇に抱えて、グオオオ……と低い声でいびきをかいている。

 その瞬間、ウシトラとククリは言葉を交わさずとも心が一致した。

 ウシトラは小人の両足を掴んで逆さまに持ち上げた。

「――んんっ⁉ な、なんだぁっ?」

「なんだじゃねえだろ!」「なんだじゃないでしょう!」

 小人は目を白黒させて、ぶるりと頭を振った。「降ろせ、とにかく降ろしてくれ」

「おまえ、全部食っちまったのか⁉」

 木箱はすべて開けられていて、缶詰もすべて開いていた。木箱のうちひとつはゴミ箱の代わりに使われていたようで、うずたかく缶が積み上げられ、そして声の振動でからころと落ちていった。小人はうっぷと気分悪そうに口を押さえてから、「す、すまぬ……久々の食事だったもので、つい」と絞り出すように言った。

「降ろした方がいいかもしれません」

 小人の顔はみるみる青くなっていた。吐かれたら始末に負えない。ウシトラは彼をゆっくりと地面に降ろし、少し離れた場所で仁王立ちになった。

「聞かせてもらおうか。この場所がなんなのか――おまえがなんなのか」

 小人は地面に這いつくばったまましばらく呻いていたが、やがてふらつきつつも立ち上がり、そのまますとんと座り込んだ。「な、なんの話だ」

 ウシトラは銀の扉を親指で示した。「おまえはこの中から来た。そうだな?」

 小人はちらりと指先を目で追って、答えた。

「ああ、そうだ。吾輩はその扉を通って来た」

「この向こうには何がある?」

 小人は軽くゲップをして、慌てて口を押えた。「うう……。何、と言われても……?」

「〈ホール〉なのでは?」ククリが鋭い眼つきで言った。

 その視線に圧倒されたのか小人はこくりと首を縦に振った。「ああ。ひどく昔に、そのような呼び名を使うものが居た。ここに住んでいた……。あやつも、〈ホール〉と呼んだ……」

「どうすればここから出られる?」

 その質問は、小人にとっては予想外のもののようだった。彼は困惑の表情を浮かべた。「なぜ、吾輩がそんなことを知っていると思うのだ? それはおぬしら人間の領分ことであろう……。かつてこの城に住んでいた者は、こう言ったぞ。『おれはここに宝さがしに来た』――と。おぬしらもそうなのではないのか」

「宝探し?」

 ククリがすばやく反応した。「奇物――アーティファクトがここに?」

 小人は頷いた。「山ほどある。取っていく人間が少ないのでな……あの男も、とんと見なくなった……おかげで飢えるところだったわ」

 ククリとウシトラは顔を見合わせた。奇物が山ほど――そんな言葉を真に受ける理由はなかったが、それでもにわかに心躍る話だった。もしそれが事実なら――ウシトラは思った――モノモチの巣なんて目じゃない、大金鉱を発見したようなものなのではないか。

 だが、出られなければ意味はない。それを思うと、ウシトラはいまいち喜び切れなかった。

 ククリは違っていた。彼女は明らかに興奮しており、もしも奇物が豊富に埋まっているのなら、きっとここから出る手段もある、と確信しているようだった。

「それだけじゃない」とククリは熱弁した。「例の〈地上帰還〉に似た奇物を使って、自由にここと地上を行き来できるとしたら、どうです? ここで拾った奇物には報告義務が課されないってことにもなりますよね。となると、いくらでも隠し持てるのでは?」

 その大胆な発言にウシトラは気圧された。真っ向から法律に抗うと言っているのだ。もしかすると彼女は人間社会の秩序にあまり興味が無いのかもしれない――そう考えると、ウシトラは不安になった。なぜならウシトラも、社会のどうこうということには、大して興味を持っていないからだ。しかし、その手の潜在的アナーキストがふたり揃ったときに起こってしまう化学反応については、はっきりと恐れを持っていた。べつに世の中を掻き乱したいわけではない。

 それでも、彼も奇物が欲しかった。管理局が買い戻しを許さないような、自分のための奇物が。それだけではない。もっと大きな夢もあった。今までは手の届かない空想でしかなかったが、もしかすると――。

「あっ! 逃げる!」

 ウシトラとククリがぺちゃくちゃと話しているうちに、小さな騎士は戸を塞いでいた木箱をどかしていた。ククリの声を聞くと、小人はびくっと跳ね上がって、猫のように把手にぶら下がり戸を開いた。

「待て!」ウシトラが飛びかかるが、小人は振り子運動で躱し、ウシトラの頭を蹴って地面に降りた。そのまま、暗がりに開いた扉の向こうへ、颯爽と走り去っていく。二、三個の密封された缶詰を抱えて。

「あの野郎、隠し持ってやがった」ウシトラは後頭部を摩りながら苦々しく言った。

「昨日はわたしの騎士になりたいって言ってたのに」

「飯を食って冷静になったんじゃないか」

「これだからロマンチストは信用できません!」

 言った後で、また二人の腹がぐうと鳴った。

「どうする。食べられそうなものを探すか」

 ウシトラは空の缶詰の山を指さした。ククリはキッと顔をしかめた。「床に這いつくばって残飯を漁れと? 絶対にいやです」

「よし、空腹で動けなくなる前に追いかけるぞ」

 ウシトラは赤い箱からもう一本の懐中電灯を取り出すと、それをククリに投げ渡した。

 銀の扉の向こうは鍾乳洞の広間だった。扉の位置はかなり高い位置にあるようだったが、すぐ手前が踊り場になっていて、そこから左側へ向かって、鉄骨を打ちこんだだけの下り階段が伸びている。明らかな人工物にウシトラは一層深まる疑念を感じながらも、それを意味のある言葉として思い浮かべることはできなかった。一歩踏み込むと、肌に張り付くような粘ついた冷気が漂っているのがよくわかった。シャツにベストという簡素な服装のウシトラは、まるで裸で立っているような気分だ。

 ククリは怖気づかなかった。彼女の辞書にない言葉が、少なくともひとつわかった――それは「躊躇」だ。鉄骨を跳びはねるようにして降りていくククリに続いて、ウシトラもゆっくりとついていった。広間の底に辿りつくと、冷気は一層強く、なにか空気自体が重々しいような気がした。懐中電灯に照らされる呼気は白く輝いている。いまこの瞬間にも、自分の活動可能時間が刻一刻と減っているのだと思うと、ウシトラは引き返したいとはまったく思わなかった。こんな未知の世界に接しているのに、死因が餓死では笑い話になってしまう。

「〈ホール〉なら魔物が潜んでるかもしれない」ウシトラは小さな声で言った。「警戒して進むんだ」

 ククリはうんうんと頷いて、小走りで奥へ向かった。ウシトラは絶叫しそうになりながらその後をついて行った。「地面に穴が開いてたらどうする……!」ククリのすばしこさと来たら、自分の靴に羽根が生えていると思い込んでいるかのようだった。

 細長く、曲がりくねった一本道が続いていた。やがて三叉路に出て、ククリは「右が良いでしょう」となんの根拠もないお告げを出し、そっちへ行った。ウシトラはもうちょっと悩みたかったと思いつつも、ククリの決断力にありがたみを感じはじめていた。

 右の道を進むと、すぐに道幅が広くなってきた。当たりの雰囲気だ。

「止まれ」ウシトラはククリの服の襟を掴んで止めた。

「なんです」喉が詰まって苦しそうにしながら、ククリは小声で言った。

「耳を澄ましてみろ」

 ククリが言う通りにしてみると、なにか声のようなものが聞こえはじめた。かすかだが、たしかに人間の声である。

 それはこう言っていた。


 「たすけてくれ、たすけてくれ……」


「人間です」ククリが飛び跳ねて言った。ウシトラはその両肩を掴んでふたたび屈ませた。「あの小人かもしれん。おれたちを騙し討ちするつもりかも」

「なるほど。慎重に行きましょう」

 ウシトラは、懐中電灯を握る手を頻繁に持ち替えた。指先が冷たくなってまともに持てなくなってきたのだ。常に片方の手を脇の下に入れて温めたが、徐々にわき腹が冷えることのほうがつらく感じだした。気温はおそらく、摂氏4度よりも低い。いま、魔物に襲われたら、立ち向かえるかどうか……。


「たすけてくれ、たすけて……」


 声はすぐそばまで近づいていた。ふたりは一層息をひそめて、懐中電灯であたりをくまなく照らした。そのまま歩いていると、道の途中が少しだけ膨らんでできた小部屋が見え始めた。なにか真っ青に光るものがある。

「青水晶だ」ウシトラは言った。「【嵐の喉】にも埋まってる、光る結晶物。あれを砕くと、奇物を動かすエネルギーになるんだ」

「その下にあるのは?」ククリが懐中電灯を向けた。

「風化した人間の死体だな」ウシトラが答えた。「たぶん。そう見えるが」

 ククリは「うっ」と声を出して後ずさった。そのとき――

「たすけてくれ! ああ、人間だ。人間だ!」

 ククリはワーッと叫んでウシトラにしがみついた。「魔物です! 魔物!」

 ウシトラはククリを引き剥がしながら身構えた。

 青水晶のすぐそばには、たくさんの物が散らばっていた。鞄、剣、服――。そしてウシトラが指摘したとおり、風化した人間の死体。それは一そろい残っている人骨だった。身体は頽れているが、頭蓋骨は綺麗なまま座っている。それが突然口を開けて、「たすけてくれ!」と叫び始めたのだった。

「おちつけ!」ウシトラは両名に向けて言った。そして一方に指先を突き付け「そこの骸骨、おまえはなんだ」

「おお――これは失礼! わたしはスケルツォ。徘徊物ハイカイブツですよ! おっと、あなたがたもそうなのでしょうが。コココ……」頭蓋骨は笑う時だけ上手く声を出せないようで、歯をかみ合わせておもちゃのような音を鳴らした。「とにかく助かりました。すこしお力をお貸しいただきたいのですが」

 ククリは「不動くん、説明を」と静かに言った。

 だが、ウシトラにもわからなかった。大昔、〈嵐の日〉に死体が蘇った、という話は聞いたことがある。しかし、現代の〈ホール〉では、死体が意識をもって生き返るという現象は聞いたこともなかった。もちろん、人間の死体に見える魔物についても、聞いたことがない。彼の言う「徘徊物」という言葉の意味も、まったくわからなかった。

 つまり――ただの怪奇現象だとしか、説明ができない。

 ウシトラはぞっとしたが、ククリの手前、事態を掌握しているような雰囲気だけは出しておいた。

 そのとき、彼は骸骨の傍に置かれている物に気がついた。厚手のコートだ。それに――武器もある! 柄が妙な形をした長剣だ。洞窟で取りまわすには難しいかもしれないが、何も持たないよりましだろう。

「……ちょ、ちょっと? 紳士殿? なにをなさっているので?」

「着心地を確かめてる」コートを羽織ると、自分の身体がどれだけ熱を発していたのか、ありありと実感した。「この剣もいいな。軽くて振りやすい」

「わあ、この鞄、いろんな物が入ってますよ」

「お嬢さん?」頭蓋骨は辛抱強く呼びかけた。

「ありがとう。これで小人を追いかけられそうだ」

「あなたのこと忘れません」

「それはよかった!」道を進んでいく二人を見送りながら、骸骨は朗らかに言った。「ええ、ええ、もちろん、見ず知らずのおふたがたの役に立てるのが、わたくしの喜びですとも。わたくしのコートも、剣も、商売道具も、すべて持って行ってください。お達者で。お元気で! わたしはここで助けを待ち続けますから。どうせ命は無限に続くのです!」

「引き返しませんか?」しばらく先でククリは言った。

 ちょうどウシトラの良心も疼いていたところだった。

 引き返すと、骸骨はころりと転がって二人を発見した。「ああ! 戻って来たんですね! あれから何年経ちましたか? おふたりともお変わりないようで。いや、すこし背が低くなりましたか? 頭と足が逆さになっていますよ」

「おまえの頭が逆さになってるんだよ」ウシトラは元の方向に戻した。噛みつきやしないだろうなと不安に思いながら。

「どうすればあなたを助けられますか?」

 骸骨のスケルツォは「おお、神よ!」と感激して、骨の並べ方をふたりに伝授した。根気のいる作業だったが、ものの三十分ですべての作業は終わった。きちんと並べ終えると、なにか不思議な力が発動して、人骨がふわふわと浮かび上がった。それは風に吹かれてばらばらになり――「ああ、せっかく並べたのに!」とククリが叫んだ――そして独りでに組み上がって、成人男性の骨格標本になった。

「おっと!」スケルツォは恥骨の部分を両手で隠した。「お見苦しいものを失礼。お嬢さん! 鞄から服を出していただけますか? たしか替えがあったはず」

 ククリは鞄の中を覗き込んで、そこから折り畳まれた服を取り出した。スケルツォは引っかかったり転んだりしながらぐだぐだと着替えた。「ふう、これで良し、と」最後に鳥の羽根を差したカトルマン・ハットを被って、身なりは整った。チューリップのように膨らんだ袖や、ブーツから零れるズボンの裾からすると、彼の姿は吟遊詩人のように見えた。

「本当に助かりました、紳士淑女のおふたがた」彼は恭しくお辞儀をした。「自分がいつからだったのか、もはやよく思い出せないくらい昔から、ずっとばらばらだったのです。ここは寒くて、通りがかる人もいないし、この世に音楽というものがなければ今ごろただの魔物になっていたところです。ほら、ラララ……」骸骨は意外なほど豊かな美声を上げた。肉が無いという致命的な欠点を、骨を利用した新たな発声法で克服しているらしい。「こんな具合に、暇さえあれば歌っていたのです」

 ウシトラはピンときた。「もしかしておまえ、ここに『お宝』を探しに来たとかいう男なんじゃないか?」

 ククリはあっと声を上げた。「なるほど。探索者の男が道半ばで死亡。その後、〈ホール〉の力で魔物になって蘇生した、と」

 その推理を聞いて、スケルツォはカタカタ鳴った。「わたくしは一介の徘徊物、以前も以後も無く、この迷宮を彷徨う存在です。仮にそのかたがわたしの過去だったとしても、もはやなんの繋がりもない、まったく別の存在といえましょう」

「さっきから言っている、徘徊物っていうのは?」

 ククリが尋ねると、スケルツォは腕を組んで唸った。「なんでしたかな。もう、よく覚えていませんが。こうやって毎日陽気に暮らせているのは、わたくしが徘徊物だからだということは覚えています。そのせいで、ほかの魔物には狙われてばかりいますがね」

「おれたちは小人を追ってきたんだ。あいつ、おれたちの飯を盗んで行ったんだよ」ウシトラが腹の虫を気にしながら言った。「なにか知らないか? あの小人と知り合いだったりしないか?」

「小人ですか。小人……。ううむ、わかりませんな。おそらく徘徊物でしょうが。しかし、わたしの前を通らなかったことは断言しましょう」

 それだけわかれば充分だった。ウシトラとククリは道を引き返すことにした。スケルツォは「そのコートと剣は差し上げます」と自分から進言してくれた。その上で鞄だけは返してほしそうにしていたが、ククリがむっつりした顔で、「わたしにもなにか寄越せ」と言いたげに睨みつけるものだから、スケルツォは根負けしたらしかった。彼はククリから鞄をやんわり奪い返すと、そこから一本の木の棒を取り出して、彼女に手渡した。「これと交換です」ククリは、こんな木の棒を貰ってもなにも嬉しくないと思ったが、一応感謝の言葉を述べた。スケルツォはふたりの幸運を祈ると、踵を返し、鼻歌を歌いながら道の向こうに去っていった。最後に少しだけ気になる言葉を残して。

「くれぐれも、あまり奥へ行かれませんように。今は《夏》――わかりますか? すべての生命の盛りです。普段は眠っているものも目を覚ましている……」

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