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「困るんだよね、君さ。運転荒いとかスピード出し過ぎとか、そういうクレームばっかなんだよねぇ」


「はぁ」


「はぁ、じゃないんだよ。それに、サイドミラーもまた擦ってたじゃない。修理代、給料から引いておくから」


「え、それって」


「口答えするんじゃないよ。瑠璃嶋クン、分かってるよね」


「……精進します」


「じゃあ、もういいから。ちゃんと夢も抜いておいてよね。ウチの会社ただでさえ人少ないんだから。当局に目をつけられるのはごめんだからね」


 上司の叱責を聞き流し、自分の席に戻る。ボールペン大の注射器――それはかつて魔法少女達が振っていた、魔法のステッキに酷似していた――を自分の手首に刺し、自分のを抜き取る。抜き取った夢は所定の回収箱に放り込み、ため息をつきながら運転業務の開始を待つ。


 瑠璃嶋ルルは大人になった。夢見町の一般的な労働者らしく、無気力に業務を行い、町に夢を納める。夢を抜いた後は飢餓感に苛まれるので、栄養ゼリーを飲む。だからと言って満たされた感じはしなかった。何を食べようが飢餓感が満たされることはない。それが分かっているから、ルルは栄養ゼリーばかり摂っていた。日々の喜びは帰宅して眠る瞬間だけで、これもまた、一般的な夢見町の労働者的だった。


「じゃあ、行ってきます」


 時間がきたので一応そう言って、ルルは待機室を出る。当然と言うべきか、返事はない。そういうものだと分かっていても、どこかで何かが削られていく感覚があったが、何が削られているのかは分からなかった。


 ルルは業務を開始する。業務の大半、ルルは無意識だと言ってもいい。もちろん、運転に必要な注意は払っているし、会計はしっかりと行っている。だが、そこにルルの個性のようなものが表出することはまるでなく、ただ同じように町中を行ったり来たりするだけだ。だから今日、ルルがのは、本当にたまたまとしか言いようがなかった。


『出たわねっ、この街を脅かす怪物、コアーク! みんな、この私が来たからにはもう安心よ!』


 ツインテールでピンク髪の少女が、パステルカラーの衣装に身を包んで、真っ黒い人型の怪物――コアークと対峙していた。性格にはコアークに憑りつかれた人間だったが、現在はそういったことにあまり意味はない。少女がその手に握ったステッキを一振り、ピピピピ、という気の抜けた効果音と共に、ハートマークのエフェクトをまき散らして桃色の光線が飛ぶ。


 照射を受けたコアークは間もなく発光して――ズガン。断末魔と共に嘘っぽく派手な爆発。上がる爆炎をバックに、ピンクの少女が言う。


『怪物に襲われても大丈夫。夢見町の平和は”私達”が守るっ!』


 ビシッとキメポーズで、突き出された人差し指はこちら側に向けられている。そうして、何人もの、それぞれがまったく同じ顔をした、皆一様にピンクの少女たちが画角の外からフェードインしてくる。可愛らしいソプラノの声は重なり合って、


『治安維持部隊、魔法少女機関・リリィシステムにお任せ! 何かあったら通報してね!』


 機械的に統率の取れた、計算ずくのハーモニーが終わるか終わらないかくらいの所で、ポップなロゴが映し出され、直後「彼女を忘れない」という追悼メッセージが挟まる。かつてダイアークと戦った魔法少女、リリ・ドリームへの目くばせ。天までそびえ、夜の暗雲を貫く摩天楼の巨大液晶に、15分に一度流れるCM。人が溢れ、怒号とクラクションうずまく繁華街の喧騒に負けないよう、平和を守る少女達の音割れした合成音声が交差点を満たす。


「ニセモンが……」


 瑠璃嶋ルリシマルルは歯噛みし、小さな声で悪態をついてアクセルを踏んだ。ぐん、と慣性が身体を固いシートに押し付けて、メーターが再び回転を始める。荒々しい始動に後部座席から、


「おい、ちょっと」

「やー、すみません」


 客の文句に反射的に、ミラー越しに愛想笑いを返しながら、目は逸らしていて、信号待ちの群衆が後方に過ぎ去っていくのを横目で見ていた。客は飲み会帰りのサラリーマンらしく、「頼むよ、頭ぁ痛ぇんだからさぁ」と腕を組んで顔を伏せた。恨むような視線が背中に刺さっても、ルルはただ、すんませんという言葉と薄っぺらな笑みを貼り付けたままにするばかりだ。


 と、散発的に遠くから銃声が鳴って、遅れて起こった爆発音にサイドミラーが震えた。客の男は眠ろうとしたところを邪魔されたようで、頭の位置が定まらず苛立ちまぎれにルルに、


「リリィシステム、ありゃいったいなんだってんだ。俺たちの納めたモンであんな馬鹿げたものを作りやがって」

「はあ」


 勘弁してくれ。運転中のルルは目も耳も塞げない。そして自分はタクシー運転手で、相手は客だった。情けなく、愛想笑いと曖昧な返事をすることしかできない。


「まあでも昔よりかマシか。怪物相手に警察は意味ねえ、頼りになるのは3人……4人だっけか? の魔法少女だけ。明らかにいつも手が足りなかったし、手遅れだったんだよ。ビームが使えても、平和が守れないんじゃ意味ねーし」

「……」

「いや……昔の方がよかったか……? 結局怪物は現れてんじゃねえか。そりゃ町は発展したさ。ってのは確かに大したもんだ。けど、ならなんで俺はこんな生活してんだ? ――俺は、何になりたかったんだ?」


 男の目にはいつの間にか自己愛色の涙があふれている。煙草を吸い始めた男に、ルルは黙って少し窓を開けた。が、外の臭気も煙草の臭いも変わらなかった。


「そうだ、ぜんぶ魔法少女のせいだ。10年前にあいつらが……あいつが、リリ・ドリームがしくじったからこうなったんだ」


 やめろ。そう叫んでいた。つもりだった。あたしを救ってくれた彼女を、小さな身体に見合わない大きな力で、高潔に悪に立ち向かった英雄たちのことを、お前がどれだけ知っている。そう言い返せるなら、ルルはここにはいない。実際にはルルが声を発することはなく、想像上の反撃はまったくもって無意味だった。


「それが、魔法少女どもが町のトップだぁ? ふざけんな! この町をこんなにした張本人どもが偉そうに。 何が『彼女を忘れない』だ、全員あの時に死んじまえば――」

「――お客さん」


 急ブレーキ。ルルが踏み締めたペダルに、後部座席の男はぐえっと声を上げる。


「てめえ」

「3800円です」


 ルルは吐き捨てるように言った。「魔法少女のファンか? クソが」などと言いながら、携帯端末で運賃を支払った男がタクシーから降りる。町はずれにある集合住宅地だった。10年前から団地だった土地に、大量の流入者に対応するため増設に次ぐ増設を繰り返した超密度建築。


 彼もまた、この鬱屈とした街に飲み込まれたごく一般的な住人の一人にすぎず、この手合いはルルもすさまじい頻度で相手をしている。


「……こんなの、ばっかりだ」


 そして毎回、ルルは言い返すことができない。子供の頃――デス・ホイール・ルルだった頃なら、後先考えずに言い返して、どんな争いになっても一歩も引かなかっただろう。今はと言えば、それが良いかも悪いかも考えることをやめ、鬱々と後悔と憎しみを貯め込んでしまうのが日常だった。


 怒気を孕んで激しく騒がしい繁華街と違い、大量の人間が暮らすはずの住宅地は、死んだように静かで明かりも疎ら、時折聞こえてくるのは赤ん坊の鳴き声だけの23時だった。酸性雨の垢が残るフロントガラス越しに夜空を見上げても、スモッグの天蓋は低いままで、最後に見た星空を思い出すことはできなかった。


「なにやってんだろ、あたし」


 ルルは大人になった。涙すら出なくなっていて、誰に向ければいいのか分からない怒りの行き場はどこにも無かった。それが嫌で、アクセルを踏んでいた。ペダル越しに伝わる路面の感触、速さが作り出す重さ、ちらつく夢のかけら――瑠璃嶋ルルは、レーサーになりたかった。


 叶えられなかった夢を振りほどくように、ルルは路地の奥へと入っていく。特別危険地域に指定されていたが、近道だった。今日はもう、早く家に帰って眠ってしまいたかったのだ。たかが5分ほどの時間短縮、リスクに見合わない行動だった。暗い裏路地の、弱々しい街灯がまばらに通りすぎていく。自暴自棄とも、ゆるやかな自殺衝動ともいえるものがルルを突き動かしていた。


 だから、反応が遅れた。


 ダムン。車体の上で黒い影が跳ね、前方に転げ落ちる。


 やった。やってしまった――と思ったが、それよりも早い違和感がルルの思考を書

き換えた。


 今、影が上から落ちてこなかったか。


 その気づきが頭を支配した瞬間のことだった。ルルが跳ねた影が、歪んだボンネットの向こうで、逆再生のようにむくりと立ち上がった。その動きは非人間的で、人型ではあるが、顔は街灯に照らされても真っ黒いままだ。


 この人間はコアークに憑りつかれて怪物化している――かつてのルルと同じように。であるが故に、ルルは怪物化した存在の力も、自身の無力さも理解している。即座にアクセルを踏んで車体で突き飛ばそうとするが、片手で止められてしまった。


 まだ手は残されていないかと考えたとき、なぜ目の前の怪物が自分の元へ突き飛ばされてきたのかに思い至った――


「そこまでよ!」

「見つけた!」

「もう悪さはさせないんだから!」


 天から降り注ぐ英雄の声。怪物とタクシーの間に、かつてルルのことを救った少女が3体舞い降りた。白を基調としたフリフリのドレスを着て、皆がお揃いの、ハートをモチーフにしたステッキを持っていた。そして全員が同時に動揺の挙動をする姿には、一切の生気を感じられない。糸で操作する操り人形のようにぎこちない動きで、3体の魔法少女は怪物に向かってステッキを構える。人工的で下品なピンク色のビームが放出されると、怪物の黒い表皮が泡立ち、ぶすぶすと音を立てて崩れ落ちていく。


 リリィシステム。かつて世界を救った魔法少女、リリ・ドリームを模して造られた人工魔法少女人形群。その動力は、夢見町の住人から納められた、夢の力。


 かつての魔法少女と違い、怪物化した人間は癒着したコアークを分離することなくされ、消滅させられる。現役の魔法少女がいなくなった今となっては、このやり方でしかダイアークの残滓を葬ることができないのだと主張するのが、リリィシステムを運用する管理者であり、この町の長であり、かつてリリと方を並べて戦った魔法少女の一人、ロロ・ピースフルこと狼楼ろうろうロロだった。


 冒涜的だ、とルルは思う。リリィシステムと実際に出くわしたのは初めてだった。本物を知っているからこそ、あの頃のままの姿を模して造られ、平和のためとはいえ人々を浄化して回る姿を醜悪だとしか思えなかった。


「大丈夫ですか?」

「お怪我はありませんか?」


 感情のこもっていない合成音声がルルに近づいてくる。怪物を処分した後、リリィシステムは周囲の安全確認を行い、他にコアークに憑りつかれた人がいないかを確認する。ルルはそう聞いたことがあった。


「大丈夫、コアークの飛沫は浴びていないし……」


 そう返すルルだったが、ここでリリィシステムたちが静止していることに――じっとこちらを観察していることに気づいた。リリィシステムが行っているのは怪物化反応の検知である。であれば、まさか。


「クラスAの怪物化反応を検知、速やかに浄化活動を開始します」

「そこまでよ!」

「もう悪さはさせないんだから!」


 リリィシステムたちはルルにステッキを向け、夢の力をチャージし始めた。かつてルルがダイアークの幹部であったことを検知したのだ。


 絶望に、諦念にため息をつき、座席にもたれかかる。夢の力は無限大。かつて絶体絶命で自身を救った言葉を思い出す。なるほど、夢を見ることを諦めてしまった自分を、夢の力で動く人形たちが殺そうとしている。これが終わりなのか。これで――。


「助けて……」


 こんな時になっても、他人に助けを求めていた。情けなくて仕方がない。夢を失い、鬱々とした日々を生きているだけの自分があんなに嫌だったのに、まだ生きようとしている。頭を抱えて、運転席で縮こまる。助けて。今殺されそうなあたしを。涙が止まらない。助けて。あたしの夢を。もう、声も出なかった。ただただ祈る。助けて、助けて、助けて――!!!


 パァン。


 それは、魔法少女から鳴るはずのない音。驚きに顔を上げると、リリィシステムの一体が倒れていくのがスローモーションで見えた。


「緊急事態発生、正体不明の――」


 バァン。間違いなく、それは銃声だった。もう一体、リリィシステムが頭を打ち抜かれて機能を停止する。残された一体は周囲を警戒して辺りを見回すが、程なくしてもう一発銃声が鳴り、最後のリリィシステムも倒れた。


「夢を見ることを、諦めないで」


 声のする方を見れば、薄暗い路地から小柄な人影が現れる。ロングコートをはためかせ、ゆっくりと登場したその少女の髪はピンクのツインテール。コートの中から覗く衣装と、なにより、その燃えるような赤く大きな瞳に覚えがあった。


「凛戊……リリ……?」

「……ルルちゃん?」


 街灯に照らされた彼女の右脚には、義足めいて魔法のステッキが収まっていて、右手にはピンクの立ち姿にまったく同化しない、黒く、無骨な拳銃が握られていた。




 しかし、彼女は間違いなく、魔法少女リリ・ドリームだった。

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リ・リ・リ:魔法少女を呼んで 前野とうみん @Nakid_Runner

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