リ・リ・リ:魔法少女を呼んで
前野とうみん
Prologue
これは、あたし、
全身が圧し潰されそうになる感覚を知っているだろうか。比喩ではなく、物理的な話だ。あたしは物理はぜんぜんできないけど、この身にかかる重さについては周りの誰よりも知っていた。
踏み込むペダルから、体を支えるカーボンのシートから、車体と一体になる感覚を。一瞬先と一瞬後が溶け合って、赤、緑、紫、ヘルメット越しに流れていく。タイヤが逃げようとするのを制するのはハンドル、手綱に伝わる振動は生命線だ。
これがスピードだ。これが極に至る道だ。260、270――迎えるのはルル・デスホイールの臨界点だ。
誰よりも速く。どこより夢に近い場所。辿り着くためならどんな力だって受け入れた。どんなことだってやった。友達も裏切った。色んな人を脅かした。子どもでは絶対到達させて貰えない200の世界を超えて。大人だって簡単には至れない、300の向こう側に行くために。
なにが天才か。ただのスピード狂がF1レーサーになれるわけがない。憧れた夢を見誤って、そのための技も力も、誰かを傷つけるために使ってしまった。だから逃げて、逃げて。
誰もあたしを救う必要なんてなかった。なのに、どうして。
「ルルちゃん――!!!」
どうして、お前はあたしに追いついて来れる。
どうして、あたしを放っておかない。
ダイアークの首領アクアクがくれたモンスター・マシンの魔法V6エンジンが絶えず火を噴き、喚き散らすのに。どうして、お前の声はこんなにはっきりと聞こえる。
「
「諦めないよ、わたしは……!」
可愛らしい魔法少女の衣装に身を包んだ少女のピンク髪のツインテールが、風に揉まれて激しく揺れていた。
これは決闘だった。ダイアークに身を落とすほどに『速さ』に憑りつかれて、あたしは引き返せなくなっていた。それでもリリは、あたしに追いついてきた。
夢見町、5番コンテナ埠頭。あたしが作った結界の、歪んだ宵闇で行われた約10キロメートルを駆け抜けるチキンレース。あたしは自分のマシンで、あいつは――マジで馬鹿げてる――魔法のホウキで想定されている速さを超えて、その先をジリジリと焦がしながら並走していた。
勝って、ルルちゃんの夢を取り戻すから。魔法少女リリ・ドリームは決まってそう宣言し、いつも大勢を救ってきた。なんて――眩しい。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!!!」
リリの言葉を振り払うように、あたしは叫ぶ。もう戻れないんだ。自分の弱さのために大勢の人を傷つけた。彼女たち魔法少女がいなければ、あたしはダイアークとしてもっと多くの人々の夢を奪ってしまうところだったのだ。あたしに、救われる資格なんかない。
「なんのためにここまで――っクソ!!!」
どうかあたしに構わないでくれ。もうたくさんだ。もう誰も傷つけたくない。もう放っておいてくれ。
一人になりたかった。誰もいない速度で、一人で終わってしまいたかった。
アクセルをさらに踏み込む。理性をぶっ飛ばす。280。この速度を超えればもう助からないという
隣を見ればそこにはまだリリがいた。もう息をすることもできない速さなのに。彼女は確かに普通の人間じゃないけど、それでもムチャクチャをやっている。
私は再び前に視線を移す――その時だった。遠く彼方だった終着点。コンテナの山が見えた。見えた瞬間。それはぐんぐんと大きくなっていく。あたしが見ていた光景は、もっと地獄めいていて。
死――。それは、目前に迫った”ゴール”に対する恐怖だった。
頭が真っ白になった。今まであたしが求めていた『速さ』が、あたしを処刑から逃さない拘束具へと変わった。300など所詮は言い訳に過ぎなかったのだと嘲笑われる感覚。たぶん、ただひたすらに、情けなく「助けて」と呟いていた。
そして、あたしと共に飛んでいたのは、どんな騒音の中でも、その言葉を決して聞き逃さないやつだった。
「助けるよ……。ルルちゃんも……! 夢の力は無限大。だから、夢を見ることを諦めないで!」
混濁する意識の中で確かに聞いた声。気づけば、ホウキとマシンに挟まれるような形で、リリは正面からマシンを止めようとしていた。またがるはずのホウキに両足で踏ん張って、とてつもなく危険な場所にありながら、リリはあたしに向かって、笑いかけていた。燃えるように赤い、大きな瞳が、あたしのことを捉えていた。
ぐぉん、ぐぉん。ゴールが迫る。考える間もなく、あたしは無心でブレーキを踏んでいる。終わりたくない。私が迷惑をかけたすべての人に謝って、今までしてきた悪いことのツケは全部払う。だから、だから――。
「手を放せっ!」
あたしはリリに叫ぶ。まっすぐに目を見て。これは拒絶じゃないと伝えるために。リリはあたしの勝算を察して手を放してくれた。このまま直線的にブレーキングしても間に合わない。彼女はあたしの夢も助けると言ってくれた。だから、私は私の技で、その言葉に応える――。
ハンドルを切る。前だけではなく、横のベクトルへ。ブレーキペダルを踏み、車体を滑らせる。ギャギャ、ギャ、ギャギャァッ。タイヤが大声をあげて地面を擦る。マシンは悲鳴を上げている。ぐるぐると景色が回る。遠心力に戻しそうになりながらもこらえてハンドルを握り続ける。けれどゴールは確実に近づいてくる。
あとはひたすらに祈るしかなかった。ごめん、こんなことになってしまって。後悔と、罪悪感と、感謝とを、総動員してマシンを停める。生きてみせる――。
バガァンッ! 衝撃と音とが同時だった。そして、自分が生きていることを知ったのも。
「ルルちゃんっ!」
頭と鼻から血が流れていくのを感じながら、リリに車からひっぱり出された。間もなく、ぼやけた感覚の中で、轟音と共に火柱があがるのを見た。あたしのマシンが燃えている。ごめんね。口をついて出たのは謝罪だった。何に――なにもかもに。
結界は消えた。夜が晴れて、静かな埠頭と潮の匂いが戻った。リリは何も言わずに、救急車がくるまで、あたしと燃えるマシンを見届けてくれた。それが、何よりも温かくて、ありがたくて、申し訳なくて、あたしはずっと泣き続けた。
これが、あたしとリリとの決闘の顛末。そのあともリリは仲間と一緒に病院にお見舞いにきてくれて、「夢、叶えてね」と笑ってくれた。
きっと彼女の心にはそれしかなかったのだ。世界中のみんなの夢を護るために闘っていた、ピンク髪の女の子。リリは果てしなく高潔で、美しかった。
そして、彼女たち魔法少女はダイアークの首領を倒し、平和な世界を取り戻した。
けれどリリが、みんなのもとに戻ることはなかった。
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