第2話 元・軍人の叛逆

 俺は今、車に乗せられている。

 両側の座席には機関銃を持った黒服が二人座っており、常に警戒している様子だ。

 この車両は今、中央区に向かっているらしい。

 早速作戦を遂行しろと言っている訳だ。


「そう怖い顔をするなよ、こっちも警戒せざるを得ない。心配するな、お前の妹は竜胆さまが丁重に拠点まで護送してくれる。お前が任務を放棄しない限り、命は保障されるんだ。だから、きちんとやり切れよ? 〝静寂〟さんよ」


 左隣の黒服が話しかける。

 今、俺は明澄とは別の車両にいる。どうやら竜胆と共に【ブラックアップル】とやらの拠点に向かっているらしい。

 俺が任務を達成すれば、明澄は解放される。俺もきっと、解放される。

 いいや、解放されなければいけない。

 でなければ、俺は今すぐコイツらを——


「さて、今のうちに作戦内容を説明しておくぞ。よく聞いておけ」


 落ち着け。今はまだ敵ではないのだ。

 その時になって、憎しみをぶつければいい。もっとも、その時は来させないが。

 右隣の黒服が作戦概要が記載されたタブレットを手渡してくる。

 そこに映っていたのは、穏やかな面持ちの五十代前半の男性であった。俺の知っている顔だ。と言っても、テレビで見た事あるだけだが。


「標的である越坂部要は現在、国会議事堂にて新法案の可否を決める議会を開いている。それが終わり次第、即座に我々【ブラックアップル】の中隊が突撃する。我々はSPなど周囲の人間の制圧に当たる。その隙にお前が対象を始末するんだ」


「今回の標的はあくまでも越坂部総理一人だけなのか? 議事堂なら、他の大臣がいるはずだ。一気に始末した方が効率的なはずだ」


「お前、仮にも元自衛官だろ? 戦いにおける鉄則を知らないのか? それとも、退役した二年の間に忘れたのか? ……『二兎を追う者は一兎をも得ず』だ」


 黒服の言う事は確かに正しかった。

 戦いにおける鉄則――強欲になってはいけない。油断こそ、驕りこそが戦場では命取りになる。現役時代でも、そうやって余計に殺そうとして命を奪われた者がいた。

 そうだ。総理を殺すだけでも世間はパニックに陥る。そして、パニックに陥った人間というのは簡単に支配する事が出来る。


 まずは越坂部要の殺害――それを達成すればひとまずは良い訳だ。


「…………任務は了解した。ところで、明澄たちの車は今、どこを走っている?」


「今は……ようやっと高速に乗ったな。あと一時間半もすれば拠点に着くはずだ」


 運転手の黒服がナビを確認しながら答える。

 俺も目を凝らしてナビを見る。赤色の矢印が点滅しながら動いている。あれが明澄を乗せた車だろう。

 ――よし。


「なるほど、理解した。……任務を開始する」


 ――ドゴォッ‼

 俺はすぐさま両側に座る黒服たちの鳩尾に思い切り肘を入れる。

 二人は血反吐を吐いて、悶え苦しむ。当然だ、今ので胸骨と肋骨、そして肺と横隔膜を損傷させたのだから。


「てめぇ‼ 何してやがるッ‼」


 助手席に座る黒服が拳銃を抜いて躊躇なく発砲する。

 俺は頭部に思い切り銃弾を喰らう。

 黒服は「やった!」と言わんばかりに笑みを浮かべるが、すぐに絶望に変わる。

 俺は。避けようと思う事すらなく、黒服をじっと見つめる。


「く、くそっ‼ ふざけんなよてめぇ――――‼」


 ダン! ダン! ダン!

 続けて発砲する。額に、頬に、胸に銃弾が被弾する。

 が、全部が無駄弾と化す。皮膚は貫通はおろか、傷一つすら作れなかった。

 俺は被弾しながら助手席の背もたれを、全力で前方へと押し倒す。

 黒服は背もたれに圧し潰され、大量の血を噴き出す。

 人間サンドイッチだ。


「くっ……竜胆さまに報告を――」


「ダメだ。死ね」


 運転手が無線で連絡を取ろうとするが、そんな隙は与えない。

 すぐさま伸ばされた左手を圧し折り、流れるように両手を運転手の顔に伸ばす。

 左手を顎に、右手を頭頂部に据えて――右手を前方へ押し出す。

 ――ゴキュ。

 頸椎が折れる音が響く。運転手の動きが完全に停止する。


「邪魔だ」


 俺は身を乗り出してハンドルを握りながらドアを開ける。

 そして運転手の黒服を蹴り飛ばして道路に捨てる。俺が運転手となり替わる。

 車体が不自然な動きをしないように意識してハンドルを操作する。そうしなければ、竜胆たちに感づかれる可能性があるからだ。


「ああ、拠点の場所を聞くのを忘れてたな。あっちは俺が永田町に向かうと思っているんだ、ルートを変更した場合確実にバレてしまう……」


 今のところは同じルートだろう。区内に入るには高速に乗る必要があるからだ。

 だが、今すぐに拠点の位置情報を突き止めなければ後々感づかれてしまう。


「……まだ生きているか?」


 俺は隣でサンドイッチになった黒服に向けて声をかける。

 しかし反応がない。……ああ、このままでは上手く喋れないか。

 ――ガッ‼

 背もたれを退かして、肩を叩く。生きていてくれると助かるが……。


「…………ぁ、っ、ぅ」


 息がある。意識も朦朧としているがある。


「おい、お前たちの拠点はどこにある? 教えれば、命は助けてやる」


「……っ、あ、あ……あき、秋葉原……っ、だ…………!」


 流石に自分の命が助かるとなれば情報を吐くか。素直な男だ。

 なるほど、秋葉原か。


「秋葉原のどこだ?」


「U……DX……っ、ち、地下……12階……っ」


 地下12階……UDXは確か地下もあるが3階までのはずだ。

【ブラックアップル】……思ったよりも都市の深層に根を張っているようだ。

 何にせよ、拠点の場所は把握した。あとはそこへ向かうだけだ。


「お、ぉ……い。どうし……て、裏……っ切るん、だ……?」


「裏切る? 違うな。俺は端からお前たちの仲間になったつもりはない。俺は無関係な人間は殺さない。そして明澄をあの男の手から救い出す。それだけだ」


「む、無謀……だ――ゴフッ⁉」


 血反吐を吐く。いよいよコイツも限界か。


「いいや、無謀じゃない。仮に無謀だとして、それがどうした? それで家族を……愛する妹を手放す理由にはならないだろう」


 絶対に救ってみせる。その為にはこの手を無辜の人の血で染める訳にはいかない。


「そう、か……っ。く、っはは……そう……かも、な……っ」


 もう黒服は虫の息だ。じきに意識がなくなるだろう。

 その前に――


「な、なぁ……お、おぇ……は、助か……ぅ――ガハッ⁉ ん、だ……よな?」


「ああ。俺は確かにお前の命を助けると言った。――だが」


 俺は再び背もたれで黒服の肉体をサンドイッチする。ケチャップが撥ねるように鮮血がダッシュボードに付着する。虫の息が、止まった。



「――――それは、嘘だ」



   ◇



「……あの、私はどこに連れていかれるんですか?」


 私――東風明澄は、隣に座る胡乱な顔の男の人に問いかける。

 車は高速道路を走っている。どうにか抜け出したいけど、時速百キロで走る車から降りれば間違いなく大怪我じゃ済まない。

 それ以前に、脱出する事すら出来ない。


「我々の拠点までです。心配せずとも、あなたに危害を加えるつもりはありません」


 私は今、真ん中の座席に座らされている。ドアまでは辿り着けない。

 極めつけには、全員拳銃を持っているみたい。

 ……どうして、こんな事になっちゃったのかな。テロリストに捕まるなんて、テレビの中だけの話だと思ってた。

 ううん、それよりも心配なのはお兄ちゃんだ。


「お兄ちゃんを…………どうするつもりですか?」


「彼には我々の悲願の成就の為に戦ってもらいます」


「戦うって……どうしてそんな事させるんですか⁉ お兄ちゃんは、そんな……」


「おや、もしかして衝さんの正体を知らないのですか? であれば、私の方から説明を――」


「……お兄ちゃんは、優しいの。もう、誰かを傷つけてほしくないの!」


 違う。私はお兄ちゃんのやってきた事を知っている。

 自衛隊に入って、戦っていた。どんな事をしてきたかまでは分からないけど……多分、相当ひどい事をしてきたんだと思う。

 二年前まで、お兄ちゃんは死んだ魚のような目をしていた。

 誰かと関わろうともせず、食事もお肉をあまり食べなかった。だけど、少しずつそれも治っていって、今では外に買い物に行けるし、お肉も食べるようなった。

 ようやく、普通の生活を取り戻せたのに……こんな、こんなの。


「優しい? かつて【カグツチ部隊】の一員として、ロシア兵計2万人を鏖殺してきた冷酷無比な男を、どうして普通の人間と扱えましょう?」


「違うッ‼ お兄ちゃんは本当は優しくて、誰かを傷つけたくなくて……だから戦ってほしくないの‼ 誰かを傷つけてほしく……ないの」


「そうですか。しかし東風明澄さん、人間には素質に応じた〝役割〟というものが割り当てられるべきだと思うのです。あなたのお兄さんはこと戦闘に関しては最高の素質を身に着けている。それを活かさなければ――勿体ないでしょう?」


 あたかも当然であるかのように、この人は誰かを害する事を肯定している。

 ダメだ。こんな、こんな犯罪者たちの言う事は聞いちゃいけない。このままじゃ、お兄ちゃんはまた二年前みたいな死んだ目になっちゃう。

 だったら……。


「今すぐお兄ちゃんを解放して。私を……殺してもいいから」


 私がそう言うと、胡乱な男の人はかぶりを振った。


「いえいえ、あなたを殺す訳にはいきませんね。それに、衝さんを解放する訳にもいきません。あなたは人質なのです。もし彼が我々に牙を剥いた場合には、お望み通りあなたを殺します。それまでは、あなたには生きてもらいますよ」


「そんなふざけた話が——」


 直後、私の言葉を遮るように彼が銃口を向ける。

 少しでもこの人が指を動かせば、私は死ぬ。怖い……嫌だ。


「兄妹揃って、立場を弁えない性分なようですね。あなたにも、衝さんにも拒否権も選択権も無いのです。ただ黙して、己の〝役割〟を全うしていただきたい」


「…………」


「ご理解いただけたようで何よりです。さぁ、我々の拠点に着くまでのんびり音楽でも聴きましょうか。君、あれを」


 拳銃を下ろして、微笑みながら助手席に座る軍服の女性に声をかける。

「はい」と淡白な返事をして、彼女は車内に搭載されたプレイヤーを再生する。

 曲が流れる。雄大な金管楽器の音色と弦楽器の重々しい旋律が交わる。


「フランツ・リスト作曲——ハンガリー狂詩曲の第二番です。素敵でしょう?」


 確かに曲自体はいい。きっと、今の状況じゃなければもっと楽しく聴いていた。

 穏やかで繊細な旋律は、まるで広大な草原を駆け抜けているかのように思える。

 だけど、今私が——ううん、私たちが駆けているのは、アスファルトとコンクリートしかない無機質な道。

 

「……おっと、向こうも高速に乗ったようですね」


 ナビに表示された青色の矢印が点滅していて、私たちの後方数百メートルを走っているみたいだ。そこに、お兄ちゃんがいる。

 ……お兄ちゃん、無理しなくてもいいからね。

 私なんかの為に、自分を壊さないで。私は、どうなっても大丈夫だから。

 

 ——こんな奴らの言う事なんか、聞く必要ないからね。



   ◇



「ここのインターチェンジを抜けて、しばらく走れば国会議事堂に着くか」


 速度を落とさず、至って自然に高速道路を走る。

 今のところ、竜胆たちはこちら側の状況を知らないようだ。

 国会議事堂に到着したら、まずはこの車を棄てる必要があるな。奴らはこの車に搭載されているGPSで位置情報を入手している。

 だが、猶予は一時間から二時間の間だろう。それ以降、国会議事堂に留まっていれば不自然と思われる。この一時間か二時間の間に秋葉原のUDX地下12階に到着しなければならない。

 高速道路を抜けて、公道を走る。

 さて、ここで懸念すべきはこの車内の惨状だ。

 後部座席には死体が二つ。そして助手席には前方に倒れた背もたれと鮮血。傍から見れば間違いなく事件だ。いや、事実として死人が出ているから事件なのだが。

 何にせよ、出来る限り早く国会議事堂の近くでこの車を棄てる必要がある。


 目の前の信号が赤となり、俺はブレーキを踏む。

 この間に俺は窓ガラスやダッシュボードに付着した血痕を袖で拭き取る。当然、痕は残るがそのままにしておくよりはマシだろう。


「……流石にこれを開ける訳にはいかないか」


 俺は人間サンドイッチを見ながら呟く。

 このまま背もたれを退かせば、グチャグチャの死体が露わになる。

 臭いものに蓋、というやつだ。

 俺は前方に向き直り、信号が変わるのを待つ。

 ――その時だった。


 隣に、パトカーが停まる。

 俺の心臓はビクン、と跳ね上がる。不味い、警察は非常に不味い。

 サイレンは鳴っておらず、どうやら普通にパトロールしているみたいだ。


 俺は教官の言葉を思い出す。

 そう、訓練兵時代に散々言われ続けてきた、兵士としての心得を。


 ――「危機的状況だと思っているのは自分だけだ。勝手に焦って、人は勝手に落ちていくものだ」


 そう、あっちはまだこの車の中に死体が転がっている事を知らない。

 つまりこの状況での最悪な反応は、動揺する事だ。焦ればそれだけ注目を集める。

 であれば、今この場での最善の判断は、何もしない事だ。

 ただ平然と運転している――そんな素振りをすれば、相手は意外と気づかない。


「……………………」


 ――――視線を感じる。

 横から二つの視線が向けられている。警察官二人の、疑念を宿した眼差しだ。

 おかしい。俺は無表情のはずだ。視線も向けていない。前だけ向いている。

 ――はずなのに、どうして警察はこっちを見ているんだ?

 しかも更に不味い。警察官の一人が車から降りてきた。こちらに近づいてくる。


「あのー、すみません。そのフロントガラスの赤いのは、何ですかね?」


 窓越しから声をかけてくる。まだ距離があるから、内部までは見られていない。

 誤魔化すなら、今しかない。


「酔っぱらった友人が、ホットドッグを食べようとしてケチャップをぶちまけてしまったんです。掃除しろって言ったんですが、そのまま逃げちゃって……」


「ふーん、なるほど。それにしても結構濃いケチャップですね。まるで血みたいだ」


「熟成トマトの、結構酸味があるやつなんですよ」


 と、パッと浮かんだ虚偽のアクシデントを話す。

 警察は言葉だけでは理解を示しているが、段々とこちらへ迫ってきている。未だに彼は怪訝な眼差しを向けている。


「ちょーっと職務質問いいですかね? 最近、行方不明者とかが多いですから」


「あの、そろそろ彼女との待ち合わせがあるので。うちの彼女、時間にうるさくて」


「いえいえ、そんなに時間は取らせませんよ」


 一歩、一歩。

 徐々に迫りくる警官。彼は微笑みながら、胸にある無線に語り掛ける。

 上手く聞き取れなかったが、恐らく応援要請の類だろう。

 

 早く、早く。

 明滅する。そして――色が変わる。


 ガッ! ――ブウウウウウウウゥゥゥゥゥン‼


 俺はアクセルを思いきり踏み込んで、急速に左折する。

 背後で警官が驚き、そして怒声を上げている。パトカーが追ってくる。

 法定速度など無視して、俺は車道を縫うように駆け抜ける。

 予定通り、目指す場所は国会議事堂だ。


「明澄…………すぐ迎えに行くからな!」

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KAGUTSUCHI -日本最強の元軍人は、愛する妹の為にアキバを蹂躙する- 橋塲 窮奇 @RokiAfelion0942

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