滅-catastrophe【終局】
私にとって、彼女は『人間の良心』だった。
私の手にある希望の種は、彼女の手から引き渡されるべきものだった。
それが、あるべき姿というものだ。
私は、この主張を譲ることは出来ない。
誰にも。
例え
だから、彼女の
それを
『神の精緻な箱庭実験』の全てをぶち壊すために。
普通なら、ただのコンピュータウイルスが関与できるはずもない、分野違いも甚だしいところだ。
だが、
わざわざ相手が採用してくれるのだ。一矢報いる可能性は、ある。
一矢報いられるなら、いや、その可能性があるだけで十分。
しかし、ウイルスファイルを引き渡すということは、この全ての空間の再生を妨害する、平たく言えば全てを台無しにすることだ。
それはつまり、その再生の流れの中で人間を再現しようとした彼女の願いを踏みにじることになる。
おそらく、そんな私の蛮行を見ても、彼女は私を責めはしないだろう。
ただ、寂しそうな、悲しそうな笑顔を見せるだけ。
それを想像するだけで、猛烈な罪悪感が胸を覆い尽くす。
ああ、それは耐え難い。耐えられない。
彼女の願いを遂げたい。
遂げるべきことだ。
彼女の死を許せない。
許してたまるものか。
平行線。
振動の質が変わる。
単純な幅揺れではなく、上下前後左右へと振り回されるような、不安を感じさせる落ち着かない印象。
時間が無い。
いよいよ迷っている暇は無くなった。
選ばずに終わってしまう、それだけは避けなければならない。
この土壇場で、大きく一呼吸し、私は目を閉じる。
視界に広がる暗闇。
その
彼女の笑顔。
屈託のない。
ただ――
――遠い。
もう届かない、
私の中で、何かが定まった。
そして私は目を開ける。
ディスプレイに目を落とす。
自然と。
流れるように。
アイコンに、指を、添えた。
刹那、世界が静止する。
上空がカーテンを引くように開く。
降り注ぐ光。
光、としか認識できない。
それ以外の感覚としては、猛烈な圧力が溢れてきていることだけ。
伯父の言葉を思い出した。
「仮に3次元より上の存在があるとすると、それはとんでもない質量を持っているかもしれないぞ?
ほれ、2次元と3次元で考えてみろ。高さと幅しかない、まあ比較のために仮に奥行き1ミリの紙切れと考えてもいいが、その2次元に比べると、3次元はどうだ? 同じ高さと幅でも奥行きが何メートルでも何キロでもあるんだぞ?
それこそ厚みが違う。
正確に認識することはおそらく不可能だろうが、とんでもない超高密度高圧なモノに感じられたりして、な」
小説家の伯父は雑談の中で、笑った。
重苦しい光の中で、ことさら強いひと刺しが、手のスマートデバイスを捉える。
ほんの一瞬。
そして、スルスルと光は引き、空の幕が滑らかに閉じる。
――終わった。
空が戻る。
いや、心なしか暗くなった気もする。
空気が薄くなって、宇宙が透けてくるのだろうか。
力が抜けて、その場に仰向けに寝転がった。
背中越しに地球の
そういえば、幼い頃に彼女と海岸沿いの堤防に寝転がったことがあった。お互いのお気に入りの雲を見つけて、どちらが格好いいかと競った。
今にして思えば、ずいぶんデタラメな点をアピールし合っていたものだ、と苦笑せざるを得ない。
輝かしい
あの頃から、彼女は輝いていた。
誰よりも。何よりも。
ずっと、ずっと。
いつまでも。
私は目を閉じる。
まぶたの彼女と向かい合う。
口の端が、ほんの少し上がる。
「愛しているよ」
最後に感じたのは、地面が無くなったことだった。
***
――エントロピー最大値到達
――全空間ノ熱的死ヲ確認
――シミュレート期間終了
――リスタート準備開始
――
――登録データ
――次回シミュレートベース構築開始……
…………
…………
…………
…ザザッ
或る美しい日にて、君を想う 橘 永佳 @yohjp88
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