第35話 呟き

 先帝に許しを得て、部屋に入る。先帝の傍に、翡翠でできた小物入れがある。いつも先帝はそこから一粒、大きな丸い丸薬を取り出して、噛まずに飲み込んでいる。飲み込むときは、顔をゆがめる。お世辞にも美味いものではないのだろう。

 雨流は先帝に拝礼してから、


「父上。丹薬のことなのですが」


 丹薬、の言葉を聞いた途端、先帝の目の色が変わった。傍付きの内官を呼んで、小さく要件を伝えると、内官が声を張り上げて、


「今日は先帝はお身体の調子がお悪いゆえ、お帰りくださいませ」

「し、しかし、先帝! 丹薬は毒なのでございます」


 先帝がまた、内官に耳打ちする。


「いくら皇帝陛下でも、先帝のお薬の口を出すことはお許しにならないと仰せです。二度同じことがあれば、それなりの措置をなさると仰せです。さあ、お帰りを」


 なにかがおかしい。雨流はそう思いながらも逆らうことはできず、みすみす先帝の宮を追い出された。


「誰かが糸を引いている?」


 そうなれば、美連しかいないだろう。美連が先帝に毒を盛っていることは間違いない。だとしても、先帝から丹薬をもらわない限りは、証拠も出ない。手詰まりだった。雨流は仕方なく月花の月の宮に戻ることにする。土産に、厨房に寄って月餅をもらってから、雨流は取り繕った笑みを貼り付けて、月花のもとへと帰るのだった。



「先帝は、丹薬など知らぬと申している」

「そんな……確かに、架 美連さまが丹薬の話をなさっていたはず」


 隠すということは、なにか訳があるに違いない。なにか、ひとには言えないわけが。美連が怪しいことは、雨流も賛成だ。しかし、美連は曲がりなりにも大学士である。美連が先帝を殺す理由はなんだろうか。皇帝である雨流に毒を盛るのならわかるのだが。


「ひとまず。ソナタはしばらく安静だ」

「ええ、もう動けます。動かないと毒も代謝されないので、そろそろ動きとうございます」

「ならば、わたしが手を取ることを条件とする」

「え、ええ!? なんで」

「ソナタ、手足のしびれはまだ残るのであろう? ならば、ほら」


 手を差し出されて、月花は顔を赤らめた。まるでこれでは、本当の夫婦のようではないか。月花が赤面したのを見て、雨流がにやりと口の端をあげた。


「なんだ、照れているのか?」

「な……そうやってからかうのはよしてください。病み上がりなんですよ」

「そうだな。ほら、行くぞ」


 まるであっさりと手を取られて、月花はよろめきながら立ち上がった。雨流は月花の腰に手を添えて、もう片方の手で月花の手をぎゅっと握っている。心なしか熱い。月花の体は折れそうなほどに細い。しかし、程よく引き締まっているし、何より胸が大きいことに、今気づいた。気づくとそこにばかり目が行ってしまって、よくもこんな女性と舞踏などできたものだと自分に感心する。


「それで、どこに行く?」

「はい、厨房に」

「なにしに?」

「今日の分の毒見です」

「本当にソナタは。食べ物のことしか頭にないのか」

「はい? だって、毒見をせよと命じたのは、陛下ですよ?」

「それもそうだな」


 平穏な日常が、戻ったかに見えた。



 日に日に雨流の立場が悪くなる。宰相や諸侯たちは、雨流があのアルミの器を使って、毒を盛ったのだともっぱらのうわさだ。確かにあれは毒ではあるのだが、しかし、あれは銅の食中毒であって、アルミの毒ではない。それを知るのは雨流と月花のみである。銅だろうがアルミだろうが食中毒だろうが、毒には変わらない、というのが宰相や諸侯たちの言い分だった。いまだ朝廷に参内しない宰相たちは一定数いて、このままでは雨流の政務が滞る。


「アルミの食中毒であれば、神経毒が出るはずだ」

「それは誰が進言したのです? まさか、あの寵愛している皇后に?」

「だ、だったらなんだというのだ」

「ああ、本当に嫌になる。陛下、陛下は皇后さまに騙されているのです。どこの出身とも知れない皇后さまが、陛下や先帝を殺めるために嘘を吹き込んだのやも」


 ぐっと黙り込む雨流を見て、宰相や諸侯がニタニタと笑った。趣味の悪い。


「であれば、わたくしが証明します」


 政務室に現れたのは月花である。内官が雨流の窮地を知らせるや、走ってその場に駆け付けたのだ。まだ病み上がりで、しかし体の震えはもう止まっていた。


「ここにいる誰かが、先帝にアルミを盛っているのは明らかですのに。そのうえ、陛下がわざと食中毒を起こしたと? 見てみなさい。このアルミの器は腐食しています」


 月花は手に持ってきたアルミの湯飲みをその場に掲げる。乳酸飲料を並々注いだ器を傾けると、そこには大きな傷と腐食の跡が見て取れた。その腐食した器をぐるりとかき混ぜて、月花は一思いにそれを飲み込んだ。


「皇后さまのお気がふれた」

「飲んだところでなんの証明になるのやら」


 じわじわと汗をかく。アルミの毒の味は、脳みそにぎんぎらと響くような、舌を刺すような味でとてもまずい。この舌には、無味無臭の毒ですら味を感じさせる。どんな成分でも月花にわからない食べ物はない。

 やがて月花の手が震え、舌がもつれてその場に倒れた。


「皇后さま!」

「医官だ、医官を呼べ!」

「ああ、芝居も甚だしい」

「そうだな、先帝の丹薬に、アルミがあるなどとうそを吹聴して」


 今、なんて?

 目がぐるぐると回って焦点が合わない。今の発言は誰のものだろうか。月花は「先帝にアルミを盛った」とは言ったが、「先帝の丹薬にアルミがある」とは言っていない。この場にいる誰かが、やはり誰かが先帝にアルミを意図的に飲ませている。丹薬を渡していた美連以外に関係者がいる?

 手足をけいれんさせる月花のもとに、医官が走り寄る。


「こ、皇后さま、また、このようなことを」

「また?」


 宰相の一人がかみついた。しかし、雨流が首を横に振ったため、医官はその先は言わなかった。医官が脈を診、目と手足を触って確かめる。あの時と同じだった。あの村で魚を食べたときと同じ。違うのは、これが一過性の中毒ということだろうか。


「し、神経毒です。アルミの中毒の症状でございます」

「では、本当にあの時の中毒がアルミによるものだったら、腹痛や下痢、吐き気ではなく、神経麻痺が?」

「いや、だが……だとして、しかしわたしたちは被害者だろう? あの乳酸飲料を飲んでひどい目に遭ったのは私たち宰相ではないか」

「うーむ、なんとも言えませんな」

「今からでも皇后さまを廃妃に」


 雨流は玉座を降りて月花を抱き上げた。くたりと腕がぶら下がる。この皇后は、なぜこうも無茶をするのだろうか。見ていてハラハラする。守れなかった自分に腹が立つ。


「皇后を廃妃になど。次に口にしたら、誰であろうと斬首に処す」

「ああ、陛下のご寵愛は度が過ぎる」

「ですな、皇后が自ら毒の証明をするなど」


 抱き上げた月花を大事に運んで、雨流は月花を月の宮に連れていく。ゆられながら、月花は雨流に面影を見た。昔、助けた男の子。月花が初めて作った菓子を食べてくれた、あの男の子。なぜ今まで、忘れていたのだろうか?



 思えば、疫病騒ぎからまだひと月もたっておらず、立て続けに毒に犯されるなど正気ではないと雨流は思った。しかし、それも月花らしいとも思ってしまう。月花はただ、雨流の無実を証明したい一心で、このようなことをしたのだ。根幹には、食べ物を謀略に使う人間への怒りがあるのだろうが、危うい娘だと雨流は思う。


「月花」

「ん……陛下?」


 今回はすぐさま対処がなされたため、月花の解毒はそう時間はかからなかった。月花が重たい瞼をようよう開けて、雨流を見て笑っている。手足の震えは軽くなり、しかし、月花の体は氷の様に冷たかった。雨流が月花の手を握り、体を温める。そばにいる鈴や華女官は泣きそうな顔で月花を見ていた。


「こ、皇后さま、よかった、よかったです」


 鈴に「大丈夫だよ」と笑いかけてから、月花は雨流の方を見た。雨流まで泣きそうな顔をしていて、なんだかおかしかった。


「大丈夫です。死なない程度の量も、この舌はわかるんですよ」

「だとしても、ソナタは体を張りすぎなのだ」

「申し訳ありません」


 月花が弱弱しく笑った。またしばらくは、毒出しの茶や煎じ薬、料理が続くだろう。月花はそれは少し気が進まなかったものの、これでしばらくは雨流の毒の件は議論されないだろうと安堵していた。自分は雨流の役に立てただろうか。眠い、体がだるい。月花の目が、ふと閉じられる。


「ソナタを後宮に連れてきたのは、間違いだったのかもな」


 眠った月花に向かって、雨流がつぶやいた。

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皇帝の寵妃は謎解きよりも料理がしたい〜小料理屋を営んでいたら妃に命じられて溺愛されています〜 空岡 @sai_shikimiya

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