第4話
二年の間に状況は大きく変わった。ジジィはオーナーを引退し、おばちゃんも店長を辞めた。ミカが二店舗とも引き継ぎオーナーになった。エリは結婚をしダンナの転勤に伴って他県へと引っ越していった。そういう訳で、すっかり自信をつけた圭太に店長を言い渡された。ミカも信頼してくれたのだ。なんだか夢のような展開で悦子と章太郎は『引き籠り卒業お祝い』をしてくれた。だが不安もあった。あの一筋縄ではいかない村田村と新たにバイトとして入ってきた遠山ユリの存在だ。アルバイト募集をネットで見てウエブで応募してきてのだが、面接はジジィがした。引退したといっても暇だから何かと口を出すのだが、「頼むぞ」のひと言で連れてきたうしろ向きの女は店内に入るなりササササササッと姿を消し、どこへ行ったんだと探すとバックヤードの奥の積み重ねたダンボールの隙間から目だけ見せているのだった。
圭太の瞼に自分の過去がフラッシュバックする。頭がクラクラとし自分もあの場所へ戻りたいと思うのだ。いかんいかんと深呼吸をして話しかける。「仕事しにきたんだろ、そこにいたら何もできないぞ」
彼女の言い分はこうだった。「ネットの募集案内を見て親がこのコンビニがいいって勝手に応募した」というのだ。「ネットの応募なんてどこにもあるだろ」と思ったのが間違いだった。そのネットの募集を実際に見て驚いた。
アルバイト・パート募集の次に書かれていたことばは『引き籠っていてもなんとか前へ進みたいと思っているあなた、人にもまれて後ずさりする自分を打破したいと考えている君、当コンビニはそんな人たちを応援します』とあるではないか。そして『引き籠りから店長になった圭太君』としてVサインをして笑顔でレジに立つ圭太の写真が掲載されているのだ。
たんに驚くというより驚愕と憤慨で全身が震えた圭太はダダッと走り出していた。勝手に人の写真を載せやがってと裏の家へ行く。ドアを開けて「くそジジィっ」と叫ぶと「なんだなんだ」とのどかな表情で玄関まで歩いてくる。「あのネットの写真はなんだ」と抗議をするが予測していたらしく「ほれ見てみぃ」と紙の束を差し出した。
「なんですか、これ」と気勢をそがれて受け取って見てみると、プリントアウトしたアルバイトの応募用紙なのであった。
「みんな苦しんでいるんだよ、引き籠りたくて引き籠っている訳じゃない、世に出たいと思っているんだよ、手伝ってやろうじゃないか」
そりゃ確かにと思うが自分はたまたま偶然でこういう結果になったのだと圭太は考えている。だがジジィたちはそうは思ってないようだ。奥からミカが顔を出して、説明するから来いという。
リビングへ行く。そこでジジィとミカから聞いた話は、まあなるほどと思う内容であった。
「圭太が初めてじゃないんだぞ」とジジィ。
「確かに偶然だったんだけど」とミカ。
大学生の涼介はずっと勉強ばかりしてきて念願の国立に入ったものの交友関係を持てない自分に気がついたという。それまでも多少とも苦手だという意識はあったが深くは考えていなかった。目標の大学に入ることが第一だったからだ。ところが部活に入りたいと思っても怖気づいてしまうし、アルバイトはもちろんボランティア活動も怖さが先立って参加できない。でもいつまでもこれじゃダメだと思い、ちょうど募集していたこのコンビニへ来たのだという。
「なんでうちだったかというと、客が少なさそうだったからだって」
圭太はなるほどと感心した。前もって調査していたのか。
「わしが鍛えてやったさ、うちのコンビニの特徴の一つである二十四時間勤務が始まったのは彼が最初だ」
得意気に言うジジィを圭太はムカつきながら見た。
「涼介はやる気があったからよかった、でもその後応募してきた翔太とかユリとか賢人とか、チエや洋介とかは、みんな人見知りで喋るのが苦手で、不器用だし、手際も悪いし、まあ結局は同じようなタイプだったんだけど大変だった、それでもわたしたちが根気よく、かつ優しく愛を持って接したから、みんなきちんとした社会人になって巣立って行ったわ」ミカは遠くへ目をやり懐かしそうに語った。「だから圭太が最初じゃないのよ、でも自分は引き籠りだって頑固に主張したのはあんたが初めてだったわね」
「そういう訳だから、この辺の近所の人たちはみんな知っている、市の広報の載ったこともあるんだ、だから圭太も安心してここで頑張っていいんだぞ」
優しく愛を持ってなんて、少なくともぼくはそんな接し方されてないぞと思いながら店に戻った。ともかくあいつをきちんと働いて役に立つバイトにしなければならない。店長としての責任は重い。バックヤードの奥へ行ってダンボールの中に潜むユリに話しかけた。
「さ、仕事するぞ、ぼくがいい方法を教えてやる」
わたしは人が苦手なんですと言うユリを「だいじょうぶだから」と優しく諭し、まずダンボールの世界から出した。そして仕事の第一歩、まずレジへ連れて行こうとするとうしろ向きに歩いてくる。
「なんで前を向いて歩かないの」と圭太が聞くと
「前ばかり歩いていられないんです、後ろにも歩かないと人生のバランスがとれないんです」と言う。
バランスとはなんだと疑問が湧き「ユリの人生ってどういう人生なの」と聞かずにはいられない。
「わたしは」とユリは答えた。「夜空の星になりたいんです、一点に留まっていればきっと輝きだすってそんな気がするんです、だから前へ前へと進んでばかりいるとダメなんだと思うんです、同じ分を後ろにも歩いてバランスをとり、中心点を護らないと、そのうち道を踏み外して落ちてしまうってそんな気がするんです」
おおっ。
圭太はその論法に感心し「いつからそんな考えを持ったんだ」と尋ねた。若いのにそんな到達点を発見するなんて、と感動してしまったのだ。
「もちろん、引き籠っている間にあれこれ考え、思考を巡らせ、この世界の不思議さ、人とは何か、宇宙とは何か、いろいろ考えた末のわたしとしての結論です」
「あのさ」と圭太は胸の底から湧き上がってくる高揚を抑えきれずに言ってしまったのだ。「ぼ、ぼくもマネしていいかな、ぼくにその論法を詳しく教えてくれないかな、そんなことよりぼくを弟子にしてくれないかな」
ユリは「マネなんて簡単に言わないで欲しい、後ろ歩きは簡単じゃないんです」
そう言うとレジのところまで、後ろ歩きでササッと行った。
圭太はそれが簡単に見えたのだが、実際にやってみると確かに難しいことがわかった。真っ直ぐ後ろへ歩けない。あちこちぶつかってしまう。「師匠、お願いします、ぜひご教授を」だ彼女は素っ気なく「自分で練習してください、やってればそのうち出来るようになりますよ」と言った。圭太は今はその厳しいことばを受け入れるしかなかった。確かに仕事に向き合うことが第一なのだ。レジの操作、接客の仕方、そして圭太が発明したカウンターの下に隠れて手だけを出して接客する技を教えた。商品の補充では後方のバックヤードのドアを薄めに開けて人がいないスキをついて五秒でポテトチップひと袋を置いてくる方法も伝授した。ユリは何度かやって気に入ったようで、その日のうちに後ろ歩きで五秒を達成した。
伊藤さんと木村さんが訝し気にこちらを見て「いいんですか、わたしたちは知りませんよ」と言ったが無視することにした。実際手だけだして失礼だというクレームとか、後ろ歩きで客とぶつかったりとかあったのだが、申し訳ありませんと頭を下げ、最後はジジィとミカの威光を盾にして振り切った。
ユリは圭太よりも勘がよく仕事の覚えも早かった。たまに様子を見に来ていたジジィとミカはそんな遠山を見て夜勤のシフトを命じた。
一年が過ぎた。夜勤で鍛えられたユリは今や圭太をしのぐほどの仕事ぶりだった。ユリは店には残らず、別の道を目指したいと言って辞めることになった。人が怖いと言ってサササササッと姿を消し、積み重ねたダンボールの隙間から目だけ見せていたあの日が嘘のようだ。
「いいじゃないか、わしもうれしい」とジジィが言い、「で、別の道って見つかっているの」とミカが聞いた。
「まだです、でもなんとか普通に働きながら見つけたいんです」
「夢はあった方がいい、頑張るんじゃな」ジジイがそう言ってユリの手を取り労った。ミカも「ユリちゃんならだいじょうぶよ、頑張ってね」と優しいことばを掛けた。だが圭太はユリに言わずはいられない。「ぼくはユリのあの中心点論法を指示していたし傾聴していたし、今でも後ろ歩きを極めたいって思っているんだ」
ユリが困惑気味に「だから」と聞く。
「ときどき連絡とっていいかな、ぼくは今でもあの点に関してユリを師として仰ぎたいと思っている」
ユリが下を向いた。何やらブツブツ呟いたかと思うと「あのですね」と圭太を見て言った。「今こうしてなんとか克服してこの店を辞めていくわたしにとって、もうあの考えは昔のものなんです、わたしには必要ないものなんです」
圭太はそのことばが信じられなくて何かの間違いだと思ってしまう。「何言ってんだよ、それとこれとは別のことじゃ」
「別じゃないんです、わかりませんか、人が苦手で人見知りがひどくて人の後ろに隠れるように生きてきたから、だから言い訳みたいに考えてきたんです、今はもう必要ないし、むしろこれからのわたしには邪魔な考えなんです、店長ももういい加減に卒業してください、あんなことに囚われていたらダメですよ」
「じゃあ、もう夜空の星にはならないんだ」
「違います、ひときわ輝く星になるためにここを出てゆくんです、普通に働いて頑張って星になるんです」
呆然と立つ圭太を残して、ユリはジジィとミカに頭を下げ店を出て行った。
「ま、そういうことだ、おまえはまだここで頑張る必用があるな」ジジイが圭太の肩を叩き、店を出る。
「でも、あんたが店長でいてくれるなら、わたしたちは助かるけどね」ミカも圭太の肩を叩き、ジジイの後を追う。
「店長、ほら仕事ですよ、お客さんですよ」
伊藤さんに言われてカウンター内に入り、レジの前に立つ。接客をしながらそれでもあの中心点論法を極めたいと思う圭太であった。
一か月後、ユリが戻ってきた。客が入ってきて「いらっしゃいませ」と言うレジに立つ圭太の目の前で、ササササササッと後ろ歩きで店の奥へ行き、バックヤードのドアに姿を消した。えっ、なんだ、と驚いて伊藤さんと顔を見合わせ、バックヤードへ行くと、積み重ねたダンボールの隙間から目だけを見せていた。
「どうしたんだよ」と問う圭太に
「ダメです、世間は厳しいです、まだまだ夜空の星は遠いことがわかりました、。もう一度ここで修業させてください」
圭太はニンマリほほ笑んで「もちろんいいよ」と言った。その眼には二人仲良くササササササッと後ろ歩き姿が浮かんでいた。
了
コンビニ・セラピー 小島蔵人 @aokurakou1
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