第12話 帰還なき召喚

その一言に、光太郎の背筋が凍りついたように感じた。


そう呼ばれるのは、どこか懐かしい響きがあった。慌てて声の主を探すが、そこにいたのは、光太郎の知る誰とも違う女性だった。


黒い空気に包まれたその人物は、全身を黒衣に身を包み、周囲の空間を歪ませるような錯覚さえ覚えさせる。


「クヒヒ……私はザクナ。ザクナ・クダリオ。以後、お見知りおきを……」


「……な、なんか他の先生と比べてすごい若いな……」


光太郎は小声でリリーに囁いた。


「闇属性専門の主任教諭ですわ。飛び級で魔法学校を卒業した天才魔法使い。卒業後、すぐに教諭として迎えられたのですわ」


「すげー……何歳?」


「18歳と聞きましたわ」


「マジ?高3で先生か……ってそれほど歳が変わらない人に少年って呼ばれてる?」


ザクナ先生は光太郎とリリーの囁きを意に介さず、目を光らせながら問いかける。


「いいかね? ミアージ先生の報告書は私にも上がっている。君が持ち込んだ不思議な道具のこともね──それは後日見せて貰いたいものだが、改めて聴きたい。単刀直入に……君の地球とこちらの地球との一番のギャップ、つまり驚いたことは何かね?」


光太郎は迷わず答えた。


「魔法があることです」


ザクナ先生はにやりと笑った。


「いいねぇ! 実にいい答えだ! 我々の日常を真っ向から否定してくれる。では、日常的な話に移ろうか。さっきここに来るまでに、エアポータルを使ったろう? この世界では当たり前のツールだ。君の世界では魔法がないらしいが、高所への移動はどうするのかね?」


「えっと……エレベーターか、エスカレーターを使います」


「ミアージ先生! 聞きましたか? また出ましたよ、謎の単語が……エレベーターとエスカレーターとは何かね?」


「なんと言えばいいのか……エレベーターは、人を中に乗せて上下に移動できる箱です。エスカレーターは、動く階段みたいなものです。どちらも、建物の中にあります」


ミアージ先生の持つ羽根ペンが、紙の上で忙しく動き出す。その速度がどんどん速くなるのを見て、ザクナ先生のテンションもさらに高まっていく。


「上下に動く箱……動く階段、だと……! 面白い! 実に面白い!」


ザクナ先生は興奮した様子で、さらに光太郎を見据える。目は輝き、明らかにもっと聞き出そうという意欲が伝わってくる。


「それで、それらは何を動力にして動くのかね?」


「電気です」


光太郎が答えると、ザクナ先生はさらに身を乗り出してきた。


「デンキ……? そうか! 雷属性の副産物か!機巧術の類だな!」


ザクナは勝手に納得した様子で頷いているが、すぐにまた問いを重ねる。


「それで? その電気はどうやって生み出す?」


「発電所で……」


「ハツデンショ……?」


その言葉にザクナ先生は、聞き慣れない響きを反芻するように呟いた。そして顔を輝かせる。


「なるほど、響き的に電気を作る場所なのだろう? では、その電気の源は?」


「源……?」


質問の矢継ぎ早さに、光太郎は思わず言葉を詰まらせた。


「おいおいおい、まさか君たちは闇を利用してると言うんじゃないだろうな!? 無から有を生み出しているとでも! そうであったら面白いが!」


ザクナ先生は目を輝かせたまま、一方的に自分の妄想を膨らませている。


「これこれ、これではまるで尋問じゃ。ザクナ先生はちと休憩」


流石に校長先生が止めに入った。


「……はい、わかりました」


ザクナ先生は少し残念そうにしながらも、すとんと椅子に腰を下ろす。その動作は奇妙なほど整然としており、そのギャップに光太郎は少し面食らった。


こうして会議は折返し地点へと差し掛かる。


──円卓の会議は続いていた。校長先生は、時折頷きながら、光太郎の話を一つひとつ丁寧に聞いてくれていた。


光太郎は、自分がいた「日本」という国について、気づいたらこの世界に来ていたこと、そして、リリーと記憶を交換したことの経緯を簡単に説明した。


「ニホンか……はて、初めて聞く国の名じゃ」


校長先生が目を細め、興味深げに呟く。


「世界地図をくまなく確認しましたが、そのような名前の国は、現在にも過去にも存在しません」


ミアージ先生が冷静に付け加えた。


「やっぱりそうですよね……」


光太郎は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。この世界に日本がないのは、今更驚くことではなかったが、改めて異世界にいる実感が湧いた。


「して、コタロー君に聞きたいのじゃが……」


校長先生がふと、語調を変えて問いかける。


「君はストラングス嬢の召喚獣になることに、納得しているのかね?」


その言葉に、教諭たちの視線が一斉に光太郎に注がれた。


「……」


光太郎は答えを詰まらせた。その隣では、リリーがじっと彼を見つめている。潤んだ瞳が、不安げに揺れていた。


その姿を見た光太郎は、リリーを安心させようと、小さく、しかし力強く頷いた。


「はい。俺は、リリーの召喚獣です」


「コタロー……!」


リリーは、安堵と感動が入り混じった表情で光太郎を見つめた。


光太郎の発言に、教諭たちの間にどよめきが広がる。


「君は召喚獣というものが、いかなるものか理解しておるのかね?」


校長先生の声が再び静かに響く。その問いには、どこか試すような響きがあった。


「正直、よく分かりません。でも……リリーと話し合った上で、自分で決めました」


「……君のいたニホンには、貴族や平民など、身分の明確な差がない。それでいて、誰もが平和に暮らしている世界だそうじゃの?」


校長先生は、話の核心に触れるように問いかける。


「そうです。俺のいた世界には貴族は本当に少ない人数しか残っていないと思います」


光太郎ははっきりと答えた。その言葉を聞いて、校長先生は感心したように頷く。


「凄いのう。まさしく理想郷じゃ。して、その理想郷から来た君が、今あらゆる権利を奪われているのじゃよ。それでも、いいのかね?」


「構いません」


その一言に、教諭たちはざわめき、リリーは息を呑んだ。


「なんと、言い切りおったわ……若いのう」


校長先生は微笑みを浮かべながら言う。


「リリーは良い子です。出会ったばかりですが、なんか……ほっとけないんです。俺は、リリーを助けたい」


光太郎の真剣な言葉に、リリーは目を潤ませながら頷く。


「帰りたくは、ないのかね?」


校長先生の静かな問いかけに、光太郎は沈黙した。


帰りたい──それが本心だ。しかし、今ここでその言葉を口にすれば、リリーにどんな影響を与えるか分からない。リリーを失望させたくないという思いが、言葉を飲み込ませた。


──そこにミアージ先生が、やはりという表情でリリーに声をかけた。


「ストラングス嬢……昨日はあえて聞かなかったが……君は召喚術の『帰還』を使えないのだね?」


リリーは一瞬だけ逡巡したが、静かに頷いた。


「……はい」


その言葉に、ミアージ先生は深く息をつき、目を伏せると机に手をつきながら頭を下げた。


「なんて事だ……これは私の責任だ。コタローくん、許してくれ……本当にすまない事をした」


その姿に光太郎は戸惑いを隠せない。


「ミアージ先生……?」


さらに、校長先生までもが同じように頭を下げた。


「それを言うなら、ひいてはワシの責任じゃ。君は職務を全うしただけじゃ。コタローくん、すまなんだ……」


「いや、ちょっと待ってください。どういう事ですか?」


光太郎は手を挙げて止めるように言った。


校長先生は顔を上げると、説明を始めた。


「このミアージ先生はの、ストラングス嬢に召喚術を教えていた先生なのじゃ。そして、それを任命したのがワシというわけじゃ」


「そしてコタローを呼ぶだけ呼んで、帰せなくなったのが私と」


反省する教諭達に続いてリリーも続く。


「ストラングス嬢!」


リリーが悪びれていないように見えたのか、ミアージ先生は声を張り上げた。


「ごめんなさいですわ。私も責任を大いに感じています。ただ、事実を確認したまでですわ」


リリーは落ち着いた口調で答えたが、その態度はミアージ先生をさらに苛立たせたようだ。


「事情は把握できた。やはり、君の進級を認める訳にはいかない。ヒトを、しかも異世界の何も知らない若者を呼んでしまうなど、言語道断です!」


普段は物静かなミアージ先生の怒声が、室内に響き渡った──。

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天魔鏖殺 反逆の救世主ゴルト 月光ナナ @GKNN

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