砂漠のママ

真花

砂漠のママ

 風が砂を孕んで、太陽が掠れている。

 二週間働いて稼いだ金から生きていく分を引くと、ちょうど一回分になる。だから俺はここに来ることだけを楽しみに毎日自分を擦り減らしている。

 町と砂漠の境目に隠れるように建つ家の二階で一時間を過ごして、階段を降りたら、吹き込む砂に耐えるように少年が壁にもたれて立っていた。前にも見たことがある。少年は俺のことを一瞥して、興味がなさそうな、少し悲しそうな顔をして砂漠の方を向いた。俺は満足していたから無視する余裕があった。だが、同じ理由から声をかけた。

「ここで何しているの?」

 少年は斜めに俺を見上げて、唾を吐いた。

「何も」

 太陽が砂のヴェールを貫通して俺達に射す。

「焼け死ぬよ? 中に入りなよ」

 少年は視線を砂漠かその上の空に向ける。

「ママがお仕事の間は、入っちゃいけないんだ」

 俺の胸がチクリと刺される。それが俺が仕事の相手だったからなのか、他にも相手がある仕事だからなのか、それとも、そのために少年が太陽に焼かれているからなのか、分けられない。今日は砂の多い日だ。きっと仕事も多い。胸がまた刺される。虫刺されのように腫れて、痒くなる。俺は少年の隣にしゃがむ。目線が少年の方が頭半分高くなる。

「それでここにいるのか」

 少年の足には砂がまとわりついている。俺の足もすぐそうなるだろう。

「どうってことないよ」

 少年は強がりと言うよりも、諦めの匂いを言葉に炊き込んでいた。それは媚態を過度には振るわずにさっぱりとした「ママ」とよく似ていて、「ママ」の感触が俺によみがえる。

「俺はいつか、ママをここから連れ出す」

 少年は、ふぅん、と寝言に返事をするような声を出す。それとももう少しちゃんと何かを言ったのが砂に掻き消されたのだろうか。

「俺は本気だよ。今はまだ生きるので精一杯だけど、いつか、必ず」

 少年はまた、ふぅん、と言いかけて、俺の顔をじっと見る。

「いつかじゃママはおばあちゃんになっちゃうよ」

 俺は苦く微笑む。少年は表情を動かさない。

「じゃあ、なるべく早くだ。俺だってその方がいい」

 もしかしたら同じ話を他の男からも聞いているのかも知れない。その誰もが連れ出すことが出来ていない。チャンスが平等にあるのか、全員にチャンスがそもそもないのか、……分かることは誰もチャンスを掴んでいないと言うことだけだ。

「それで?」

 俺は気持ち居住いを正す。

「家族になるんだ。君もなるかい?」

 少年は目を逸らす。向こうにある砂漠に、空に、太陽に向かって言う。

「僕は自分の力で、いつかここを出る」

 それはまるで目の前の大人なんて小さな存在に対して言っても無意味だと表明するかのようだった。俺は大事なところで除け者にされて、力ずくで同伴しようと声を大きくする。

「いつかじゃ、おじさんになっちゃうよ」

 少年も強い口調になる。

「そんな遠いいつかじゃない。十年経っても僕はまだ若い。おじさんとは違う」

 ママとも違う、と聞こえた。

「俺だってお兄さんだよ」

 少年はどっちでもよさそうに首を振る。振ってから、遠くから来た思い付きをキャッチしたような顔をする。

「じゃあ、どっちが早いか競走だね」

 向こうから男が一人やって来た。俺達はその男が俺達の前を通過する足音に耳を澄ますように黙って、男は建物に入って行った。男の横顔が脳裏に焼き付いて、それが「ママ」の感触と混じって、胸の底がドス黒くなる。

「俺は急ぐことに決めた。見てろ、必ず連れ出して見せるから」

 俺の熱を逃すように少年は頷く。

「僕だって」

 俺はどうすればそうなるのか分からないが、とにかく早く連れ出せる状況に自分を持って行きたい。その駆動が胸の全部を巻き込んでいる。俺はしゃがんでいられず立ち上がる。少年からも覇気が漏れていたが、俺のような焦りはなかった。

「じゃあ俺は行くね。ここにいると色々掻き乱されそうだ」

 少年は表に出していたものを全て引っ込めて、元のつまらなそうな顔に戻る。俺を見ない。

「また来るの?」

 俺は下半身に付いた砂を払う。

「来るよ」

 少年は何かを考えて、言葉にしなかった。俺にはそれが、生きて行くための技とか、ツテとかを教えて欲しがっているように見えた。だが言わないのなら、俺も何も言うまい。黙った少年に俺は別れのジェスチャーをせずに、声だけをかける。

「じゃあな」

 少年は俺の顔を、他人ではない人を見るときの気楽さと慎重さで見る。

「またね」

 俺は町に向かって歩き出す。一回だけ振り返ると、少年は同じ格好をしていた。「ママ」の仕事が終わるまでずっとあそこにいるのだろう。俺は何かをしなくてはならない。だが、何をすべきか分からない。分からないまま二週間が経ったなら、俺も少年と同じで砂漠の前に立っていただけに過ぎない。

 風が吹いて、砂が頬を撫でて行く。どこまで行ってもこの町は砂漠の中だ。俺達は永久に砂漠の前から出られないのかも知れない。


(了)

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