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頭がぼうっとする。体がほんのりと熱い。酔いが回りはじめているのかもしれない。楓につられて二杯目のレモンサワーを呑んでしまっていた。目を瞑ってぐいぐいとジョッキを傾けていく楓の様に、頼まずにはいられなくなってしまったのだ。酒の味も居酒屋の雰囲気も好きではないが、こうして幼馴染と話をするのは悪くなかった。ほとんど、楓がしゃべっているだけだが。
「話聞いてる?」
楓が頬杖をついて言う。眠そうな顔をしていた。
「うんうん。聞いてるよ」
返事はしたものの、楓の話はきちんと頭の中には入ってこなかった。昌也の思考は別のところを漂いはじめる。
前回地元に帰ってきたときのことだ。
横断歩道で信号待ちをしていた。同じように目の前で信号待ちをしている人物に見覚えがあった。名前を思い出すことはできないが、小学校のクラスメイトのはずだ。クラスが同じときはよく一緒に遊んだことも覚えている。久しぶり、と声をかけようとした。名前は会話をしているうちに、思い出すかもしれない。そう考えたのだが、声をかけることができなかった。
信号が青に変わる。クラスメイトが進み出す。背中が遠くなっていった。再び信号が変わり赤となる。昌也は動けずにいた。クラスメイトが見えなくなるまで、背中を目で追っていた。
どんな会話をすればいいのか、わからなかった。思い出話も高校や大学の話も、このときは意味のないように思えた。久しぶり、と声をかけて黙り込んでしまう。そんな気まずい時間を味わいたくなかったのだ。
結局のところ、クラスメイトとはそういう関係だったということだろう。楓とは会話ができた。そして、よかったと思っている。人にはそれぞれの関わり方がある。どんな会話をすればいいのか、わからない関係。そう考えると胸が痛んだ。
昌也には身近に一人、そういう存在がいた。祖父である。
中学校に入ったときくらいから、話をするのが難しくなった。祖父から話しかけてくるのを待つようになった。祖父のことが嫌いになったわけではない。ただ、話すことが思い浮かばないのだ。祖父も無口なほうだった。部屋で二人きりになると、つまらないテレビ番組を流していることが多かった。テレビから人の声はしているが、意味をなさない。テーブルを挟んで祖父と昌也が座っている。それぞれ、テレビと向き合っている。ただただ、時間が過ぎるのを待った。
家族で食卓を囲んでも同じだ。祖父は黙々とごはんを食べていた。それが、仕事だと言わんばかりに。父が祖父に話しかけることもあったが、簡素なものだった。
テレビを見ていても、食事をしていても、どうしても祖父の存在が気になって仕方がなかった。
祖父と過ごす時間で救いだったのが、将棋だ。ときどき、指すことがあった。家族で指すことができたのは、祖父と昌也だけだった。
将棋を指しているあいだは、余計なことを考えずに済んだ。会話も将棋のことが中心だ。苦にならなかった。
昼から夕方まで指していることもあった。口数が増えるわけではなかったが、顔つきや手の動きは違うように見えた。
祖父は将棋を指すことを楽しんでいたのだろうか。いまさらになって、昌也は気になった。
体が揺さぶられる。
「おーい。起きてるか」
顔を上げる。楓が覗き込んでいた。昌也は欠伸をする。腕を上に伸ばし、伸びをした。どのくらいの時間が経ったのだろう。
「寝てたかも」
おでこに痛みが走る。痛い、と思わず声が出た。楓がデコピンしたらしい。これで起きた、と笑いながら問いかけてくる。再び、欠伸が込み上げてくる。さっきよりも大きな欠伸が出た。
「もう一発いる?」
「大丈夫です」
昌也は自ら頬を両手で叩いた。
「そろそろ帰ろうか」
そう言って、帰る仕度をはじめた。
テーブルには空のジョッキが並んでいた。
会計を済ませて、店を出た。
「途中で寝るなんて、ないよね」
「だから、おれ酒は弱いって言ったじゃん」
「それでもさあ」
楓は文句を言いつづける。笑っているので、怒っていないことはわかった。口をひらく度に、長い髪の毛が揺れた。一瞬、笑顔の中に子どものころの楓の面影が見えた。しかし、そのうち思い出せなくなるような気がした。いまの楓の姿に馴染んできてしまっている。この街並みだって、きっと忘れてしまうだろう。
まだ、頭がぼうっとする。ふと空を見上げる。星が煌々と輝いていた。昔はもっと星がたくさん見えた。空はよく見えるのに全体的に薄く黒かった。星はどこへ消えてしまったのか。
「無視すんな」
楓の声が辺りに響いた。
記憶の故郷 Lugh @Lughtio
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