■超越怪異 遭遇譚■

カカオオレ

1.天体観測

あれは、私が旅行で九州のある地方を訪れていた時のことです。

その日は、ニュースでも取り沙汰されるほど、とても暑い日でした。

もう陽も沈みかけていたにも関わらず、蝉の声は止む気配がありませんでした。


宿に戻る前に散歩をしようと道を歩いていると、妙な場所を見つけました。

さっきまで耳をつんざくように鳴いていた蝉が、そこでは全く鳴いていなかったんです。

しかも、その辺りは明らかに気温が低かった。

どうやらその冷気は、山の上の方から来ているみたいでした。

気になった私は、冷気の源を探しに道に沿って山を登っていくことにしました。


陽が完全に沈み、空が暗くなるまで歩き続けていると、小さな廃公園に出ました。

冷気はこのあたりから漂っているようで、半袖では少し肌寒いと感じるくらいの寒さでした。


気味の悪さを感じながら公園を見てみると、切り立った崖の傍に、やけに真新しい天体望遠鏡が置いてありました。

滑り台やシーソーは錆びてボロボロなのに、これだけはほとんど目立つ汚れがありませんでした。

崖の下はなかなかの高さがあって、落ちればただでは済まなさそうなので気を付けて近寄ったことを覚えています。


双眼鏡がある公園はたまに見ますが、天体望遠鏡がある公園は初めて見たものですから、試しに覗いてみたんです。

私は学が浅いもので星座なんかは全く分からないのですが、それでも星を眺めるというのは存外楽しくて。

夢中になって覗いていたんですが、ある時急に何も映らなくなったんです。

視界の中は真っ黒で、さっきまで見えていた星が一つも見えない。


それに気づいたとき、私は尋常でない威圧感を感じました。

誰かに睨みつけられているかの様な居心地の悪さです。


異常なほどに寒いにも関わらず、汗を背筋に伝わせながら望遠鏡から目を離しました。

その時、何も映らなくなったこと、視線を感じたこと、すべての原因が分かったのです。



それは、でした。


夜空に浮かんでいる、巨大な眼球のような物体。

白目に当たる部分は澄み切った空のように蒼く光り、瞳孔は全てを飲み込むように黒かった。

望遠鏡は何も映さなくなったのではなく、奴の真っ黒な瞳孔を映していたのです。


、とでも言うのでしょうか。

私はその眼から、一瞬たりとも視線を外すことが出来ませんでした。

首を動かすことは出来ても、奴を視界から外せない。

手で目を隠すことも、瞼を閉じることも出来ません。


その時、いつの間にか一歩身体が前に出ていたことに気づきました。

それが無意識に奴に近づこうとしていた…させられていたのか、たまたま気づかずに動いただけだったのかは、今でも分かりません。

とにかく、慌てて足を戻そうとしたんです。

しかし、それも出来ない。

奴に近づくことは出来るのに、離れようとすると金縛りのように身体が言うことを聞かなくなるのです。


この時点で私には、あの眼を見続けることと、あの眼に近づくことしか出来なくなっていました。


少しずつ奴の瞳孔が大きさを増していっているのが分かりました。

それに比例するように、私の本能がしている警告はどんどん激しくなっていく。


嫌でも理解しました。

こいつの影響下から、早く離れなくてはいけない、と。


けれど、私は既に望遠鏡の前に出てしまっていました。

私と奴の間に視界を遮ることが出来るものは何もなく、あるのは切り立った崖だけ。


私には、一つしか方法が残されていないと思いました。

でも、それが成功するかも分からない。

…それでも、やるしかなかった。


覚悟を決めるように握った拳に力を込めて。


私は、全力で奴に近づいて。


そのまま、崖に飛び降りました。




…。


目が覚めた時には、既に辺りは少し明るくなっていました。

すぐに空を見ましたが、奴はおらず、あるのは見慣れた日の出の風景でした。

崖から落ちた衝撃で気を失って、強引に奴から視線を外すことで、難を逃れられたんです。

それから私は一目散に宿に走り、荷物をまとめてすぐに新幹線に乗って自宅へ戻りました。

新幹線でニュースを見ましたが、空飛ぶ蒼い目玉なんて報道は、何一つありませんでした。

きっとあの姿は、魅入られていた私にしか見えていなかったのだと思います。



● 



…これが、私の身に起きた事の顛末です。


もし崖に落ちても気を失っていなかったら。

もし奴の不思議な力が、気絶してる相手にも視認を続けさせるほど強力なものだったら。


そう考えると、今私がここに居られるのも奇跡のようなものです。


奴は、なぜ私の前に現れたのでしょうか。

公園に居たのが行けなかったのか、望遠鏡を覗いたのが行けなかったのか、はたまた別の理由があったのか。私には全く分かりません。







あれから私は、星を見上げることが出来なくなりました。


私が星を見るように、星も私のことを見ているかもしれないから。





第一話     天 体 観 測      終

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