タイムトラベラー

にゃしん

タイムトラベラー

 会社の休憩室の一角で私は満腹状態となり、睡魔に抗えず、萎れるかのように机に頭を伏せた。

 誰しもテレビを観る者はいないので煩わしい思いをせず、目を瞑れば自然と眠りに落ちる。

 意識が切れ、自分のなかで数秒足らずの内に悪い予感がして慌てて頭をあげた。

 微睡みを感じつつ、寝過ごしたかと安物の壁掛け時計を見て、安堵のため息をつく。

 未だ昼休みの最中であった。

 しかしその猶予も残り5分と差し迫り、名残惜しそうに徒然に進む秒針を不安に見守る。

 明日は休みだ、と己を奮い立たせ、暖まったパイプ椅子に別れを告げ、大きく伸びをした。


 午後からの仕事に向け、腰にベルトを巻いて気合いを入れる。最近、ベルトの巻く長さが増えており、ダイエットの効果を実感している。妻も上機嫌となり、家の中は居心地が良い。

 担当の売り場に向かい、端末機を取り出した。

 そして一つずつ商品のバーコードをスキャンしていきながら、今季の売上とにらめっこをする。


「意外と売れてないなぁ」


 去年は好調だった商品も物価上昇や気候変動により、今年は売れ行きが抑えられている。逆に絶好調やダブルスコアを叩き出すような商品もあり、種々様々でやり甲斐を感じる。

 一喜一憂を繰り返しながらゆっくりと売り場を移動していく。


「ちょっとお兄さん」


 売り場の奥からしがれた声が聞こえてきた。

 生返事をし、視線を声の主に合わせるとシルバーカーを押し、座席には昭和の炊飯器を彷彿とさせる花柄をあしらったハンドバックをのせた老婆が立ってこちらをみていた。


「この商品なんだけどね」


 私が急ぎ足で向かう最中だというのに老婆は急かすように手にとる商品を上下に揺らす。まだ購入していない商品を雑に扱うのを止めさせに、急いで客の前に立つと、手の動きを止めた代わりに、飴玉でもあげようかという手つきでレールカーテンのランナーを渡してきた。


「今使ってるものと合うかしろ」


 その言葉で私の気持ちは辟易した。

 この職場で働きだしてからというものの、似たような質問を何千回と聞いてきた。

 耳にタコが出来る程、寝ていても夢に出てくる時さえある。

 決して客の前では出せぬため息を心の中で存分に吐き、不機嫌になっていた口角を努めて上げ、目元を緩めて尋ねた。


「大変失礼なのですが、お客様が使用されているメーカー、商品名等を教えていただけませんか?」


 この手の質問にはこの返しが一番良い。

 経験上、客は頭を悩ませながらも大抵は分からないと悪びれる様子すらみせずに自信満々に言うのである。

 そして稀に、申し訳なさを吹き飛ばすつもりなのか、面白くもない冗談を披露する者もいる。態度さえでかいならば多少の我慢もできるが、くだらなさを私に売る姿勢に嘲笑と乾いた笑いが合わさり私は立ち去りたくなる。


「そんなの知らないわよ。お父さんが買ってこいって。店員さんなら分かるでしょ」


 これもまた常套手段の一つであり、私のため息は深くなるばかりであった。

 店員は全知全能ではなく、むしろ知らない方がおおい。

 今やインターネットを駆使すれば、本職の方々の動画やブログ、SNS等で数多の情報が発信されており、それはかつては代金を支払ったり、弟子入りしなければ分からない技術もある。

 あくまで販売する側なので多くは求めないでほしい。


「すみません。情報が少なすぎて正確に商品のご案内をすることができません。申し訳ありませんが、分かる方とご来店頂ければ幸いです」


 下げたくもない頭を垂れる。

 ああ、あと何年こんなことを続けなくれてはならないのだろうか。

 おまけに接客だけが仕事ではない、現に少し前は商品の発注をしたり、掃除はもちろん売り場の管理もしなければならない。

 何が悲しくて会話のキャッチボールもできない客の相手をしなくてはならないのか。

 私は相手が諦めるまで似たような言葉で対応を続けた。

 客が諦めたのは接客開始から15分の事だった。

 さすがに鬱憤が溜まり続け、話し過ぎて喉の乾きを感じ休憩室に戻ろうとした。


「あーお兄さん」


 私は感情を殺して足を止めた。

 

「ちょっとこっちきて」


 私を呼んだのは70代の頭を五厘にした男性で、辛うじて白髪なのが分かる。

 対象的に髭は蓄えており、やはりこちらも白であった。

 三白眼に格好は普遍的なボーダーシャツと作業服のようなダボ付いたパンツを履いている。

 年相応というよりかは少し若さを意識しているのか定かではないが、少なくとも私にはそうみえた。

 男性について歩くと出入り口の外……軒下の商品の前までやってきた。

 しゃがみこんで指差しながら言う。


「この店ってN市のN店だよね?」


 私は耳を疑い、素っ頓狂な顔になってしまった。

 久しく聞いたN市の名は随分と前、それこそ何十年も前に合併する前の市の名前であった。N店は合併前の名前で、市名が変化しても名残として残っているだけである。

 もしかして昔この市に住んでいた人なのだろうか。

 転勤や引っ越しをした後、ここへ帰ってきたのだろうか。

 だったら分からなくもないが、真相は本人から訊く以外ない。 

客の前だというのに怪訝な顔で右上の屋根代わりとなっている波板の端を見つめる、考えながら意図を探る。


「えぇと?どういう意味ですかね」


 愛想笑いをしながら問う。


「いやね、この店がN店っていうからここはN市なのかなっておもって」


「ああ、そういうことですか。県外からいらしたんですかね。すみません、ややこしいですよね」


 無事答えがみつかりそうで安堵したところ、客は更におかしなことを続けた。


「いいや、昔からここに住んでるよ。2、3ヶ月に1回は買い物させてもらってる」」


 私の中の謎が深まり眉間にシワを寄せて表情を固定させた。

 客は機嫌が良いのか私が何か言う前に鼻歌を始め、商品棚の下部にある金属製の格子状になった排水溝蓋を選り好みしている。

 何か言ってやりたい気持ちが湧き上がるも必死に抑え込む。


「あ、あとね領収書。お会計のときに出してもらえる?」


「領収書ですね。可能ですよ、先に宛先を聞いといてもいいですか」


「○△会社って書いてもらったら。あ、前株ね」


 私は忘れぬようメモを取り始めた。

 それを書き終わるのを待っていたのか、客は最後に注文を追加してきた。


「それと住所なんだけど、N市で書いてもらえる?」


 この客は何も聞いていなかったのか。

 商品をカートにのせ、ご機嫌でレジカウンターまで進む客の背中を見つめたまま私は立ち尽くした。

 我に返ったのは先程まで客がいた場所に財布を見つけた時であった。

 慌てて拾い上げ、手渡そうと小走りで店内に入るも客の姿はなく、レジカウンター近くには商品が入った買い物カゴが邪魔にならないよう置かれているだけであった。

 レジ作業中のパートのおばちゃんと今しがた会計を終えた中年女性が慌てて入ってきた私に目を丸くして驚いていた。

 

「あ、ありがとうございました」


 中年女性が私を不思議そうにみながら退店した後、おばちゃんに今男性が入ってきてないかと尋ねる。

 首を振り、20分ぐらいレジ業務をしているが今の女性以外はこちらには誰も来てないといった。

 私は怖くなって、カゴを見つめた。

 彼はタイムトラベラーだったのかもしれないと勝手に想像し、腑に落とすことにした。


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