貴方を知って
月曜日の昼前だというのに、今日はなぜか人が多かった。都内にあるこの図書館が奏多の仕事場だ。
「椎名さん、今日なんか多いですね」
「月曜なのに、なんでこんな朝早くから来るんですかね」
「まあ、もうすぐ高校入試のとこ多いからかもしれないですね」
そうやって話しかけてきたのは、昨日奏多をミュージカルに誘った小井野さんだった。
まだ、昨日の余韻に浸っているのか客が途絶えるごとに昨日の話をしている。その話を右から左へ聞き流していると、ふと何か思い出したのか奏多の方に体を向けた。
「そういえば!椎名さん、菅原くんのことフォローしたよね!?」
「あー、まあ、はい」
「菅原くんのこと気になっている感じですか?演技、とても上手ですよね」
小井野さんは、本当にミュージカルや舞台のことが好きなようで、大河くんの出演しているおすすめを余すことなく教えくれた。ただ、顔が好きなファンとは違う、小井野さんと話すことは楽しかった。月曜日なのに、なぜか機嫌がよかった奏多のことも気づかれてしまった。
「私、大阪公演も行くんですけど椎名さん行きます?」
「行きたいのは山々なんですけどね。もうチケットとか売り切れちゃってますよね」
「え!行きたい!?私の友達まだチケット余ってるかもしれないから聞いてみるよ!」
慣れた手さばきでスマホの画面を操作する彼女を横目に、奏多は心の中でガッツポーズした。昨日、舞台のHPを隅から隅まで読んだが人気な公演だったらしく、チケットは全て売り切れていた。
SNSでチケットの売買が行われていたが、その投稿をしている人たちは女性が多く、こんなデカくて根暗な男が受け取りに来たら怖がらせてしまうと思い、踏みとどまってしまっていた。
だが、小井野さんの知り合いなら別だ。
小井野さんを通してチケットをもらえば、その相手に会わなくて済む。正直な話、コミュ障という欠点があるからというのもある。
とりあえず、次の公演も行ける可能性があると考えるだけで動悸がした。まるで、初めて恋をした少女のように胸が躍っている。
「椎名さん、友達がちょうど単番のチケットが余ってるって言っているんですけど…」
ほら!と言いながらスマホの画面を見せられた。よくあるアプリのトークルームで、チケットを譲るという趣旨の話をしている。
じゃあ、お願いします。と答えた。できたらチケットは小井野さん経由で、ということも言っておいた。譲ってもらう立場でありながら厚かましすぎるかもしれないと思ったが、奏多の性格を知っている小井野さんは二つ返事で了承してくれた。
日程を聞くと、三連休の真ん中の日で学生たちの冬休みも始まっているということだった。大阪なら夜行バスを使おうと思ったが、渋滞の可能性も考え飛行機で行くことにした。
小井野さんも同じ考えらしく、安く乗れる飛行機を教えてくれた。
推しがいる生活っていいですよ!と言い、彼女は別の仕事をしに行った。一人取り残された奏多は、カウンターに溜まった本たちを集め広い館内に足を運んだ。
奏多の仕事内容は、学校にある図書室や町にある図書館の司書と似たようなものだ。本の貸し出しと返却の対応、返された本を本棚に戻したり、本の場所を利用者に案内をするなどである。
司書の資格を持っているわけでもない奏多は、パートという立場だが特に不満はなかった。
元々、本は好きでよく読んでいた。自分の知らない世界を知れて、非日常を感じられるからだ。そんな、好きなものに囲まれて働けるこの仕事は奏多にとって天職だった。
コミュニケーション能力に問題があると直接言われたことはないが、言われなくても自分で理解している。
初めて話す人とはうまく話せないし、話そうとしても上手く発声できず、あ、という単語だけが無慈悲に空に放たれる。
そんな奏多は、社会でお荷物だったらしい。新卒で入った会社では、上手く馴染むことができず半年ほどで精神を病んで休職し、そのまま辞めた。
働かずもの、食うべからず。
ボーナスも出ることなく、辞めてしまい、一人暮らしをしている奏多の貯金はすぐに尽きてしまった。
そんなときに見つけたのが、この図書館の求人だった。
給料が良いわけではなかったが、なんとなく、ここが良いと感じた。
求人アプリからエントリーすると、次の日には面接の日程について電話がかかってきた。
人手不足だったらしく即日採用で次の週にはシフトを入れられた。その時奏多の指導についてくれたのが、小井野さんだった。彼女はまだ大学生で、アルバイトとして働いているらしい。
年下に教えられるなんて、新鮮だった。
年上のデカい男に教えるなんて嫌だろうな、と思っていたが彼女は嫌なそぶりを見せることなく今も対等に話してくれる。
やはり、ここは奏多にとって天職であった。
舞台の幕が下りたとき 守山ちひろ @chihiro07
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