舞台の幕が下りたとき

ちひろ

出会い、鮮明に

出会いは鮮明だった。


 ほぼ無理やり連れてこられたその舞台の中心で「役」を演じる姿は、奏多の心を奪い、掻っ攫っていった。

 演目はよくあるミュージカルで、身分の違う二人が惹かれあい、駆け落ちする、そんな物語。

 そんなありきたりな設定なのに、今日は一段と物語が輝いて見えた。それはきっと、彼が演じているからなんて思うのは、彼の演技に見惚れてしまっているからかもしれない。

 劇場いっぱいに響く声、まるでその役が自分の本当の姿と言わんばかりの演技、すべてが奏多を惹きつけて、離さなかった。

 気が付けば演目は終わり、幕が下りようとしていた。カーテンコールが起こり、今回の舞台の主要メンバーたちが舞台袖から出てきた。

 当然彼も、主要メンバーの一人だった。役名と自分の名前を並べ、今回の舞台に来てくれた観客たちへ一言ずつ送る。

 彼の番がきた。一歩踏み出し、軽く息を吸う。響いた声は、演じていた時よりも少し低いように感じた。

「えーと、まずは、こんばんは。今回この役を演じさせていただいた、菅原大河です」

 菅原大河。それが彼の名前だった。こんなにも、人の名前に興味を持ったのは初めてだった。

 彼の一言一句を逃したくなかった奏多は、隣で一人ひとりを詳しく紹介してくれている同僚の言葉をシャットダウンした。

 全員の挨拶が終わり、演者たちには目一杯の拍手が送られた。奏多も彼に、精一杯の拍手を送った。


「奏多くん、今日は着いてきてくれてありがとう!」

「いえ、そんな、俺も舞台とか興味あったんで、誘ってもらえてよかったです」

「楽しんでくれたみたいでよかった!申し訳ないだけど、この後友達と会う約束しちゃっているから、ここで解散でもいいかな」

「大丈夫です。では、また仕事で」

 うん、じゃあね。そう言って彼女は颯爽と去っていった。

 すっかり日も落ち、冬の寒さに体がまだ慣れないというのに、北風は容赦なく奏多の体を突き抜ける。すれ違う人々が体を寄せ合いながら、帰路に着くなか奏多も駅へ足を向けた。

 マナーモードにしていたスマホをカバンの中から取り出し、届いていた通知に見向きもせず、奏多は自分が唯一使っているSNSで彼のアカウントを探した。

 舞台が終わって、まだ一時間も経っていないというのに、今回の舞台に足を運んだファンへ向けた感謝の言葉と共に写真が更新されていた。

 『東京公演へ来てくださった皆さん、ありがとうございました!次は、大阪公演になります!ぜひ足を運んでもらえると嬉しいです!』

 そのコメント欄には、彼のファンであろう人達が感謝の言葉、大阪公演に行くという趣旨の言葉、そしてなにより多かったのは顔を褒める言葉だった。

 まあ、一投稿に長々と感想を書くのはキモイか、と思い彼の名前を単体で検索した。少しは、奏多と同じように彼の演技に心奪われた人がいると思っていたが、それは奏多の幻想に過ぎなかった。奏多は落胆しながらスマホの電源を落とした。

 確かに、彼の顔は人を惹きつけ魅了するほどの美しさだった。形の良い眉に、くっきりした二重、大きな瞳には舞台のスポットライトが反射し、光を宿していた。

 その瞳が奏多だけを映してくれようものなら、影が光を求めるように、彼は奏多の存在を昇華してくれるだろう。そうやって、彼を神格化してしまうほどに魅せられてしまった自分に気づき、その愚かさに自嘲した。


 SNSなんて興味を持つことすらなかったが、菅原大河の情報をいち早く手に入れられるのは、やはりインターネットだろうと考えた奏多は、家に着くなり手当たり次第のSNSをインストールした。


 どれだけ時間が経ったのだろうか。

 時計を見ると、短い針が6を指そうとしていた。

 朝の寒さに身震いし、布団を抱き寄せたが帰り着くなり着替えもせずインターネットの海をさまよったせいか、体は完全に冷え切っていた。

 オールなんていつぶりだろうか。彼のSNSを最近のものから古いものまで、すべてに目を通した。

 菅原大河が演技の仕事を始めたのは、高校生の時らしい。その時から整った顔立ちをしていた彼はスカウトされ、今の事務所に入ったらしい。最初は、モデルをしていたが偶々受かったある舞台で端役だったのにも関わらず、光るものがあった彼は今は、舞台を中心に活動しているらしい。と、ここまでがSNSを通して得た彼の情報だ。

 まだまだ知りたいことはたくさんあるが、世界は残酷に時を進める。

 寝不足のせいで、ベッドに沈みゆく体を起こし、風呂に向かった。

 シャワーを浴び、着替えを終えたところでスマホのアラームが鳴った。鳴りやまることのない無機質な板に手を伸ばし、音を止める。

 電源が付いたことで、ロック画面が顕わになる。いつもは通知の少ない画面だが、今日はいつもにまして、いやいつもの2倍ほどの通知が画面を埋めていた。

 奏多のスマホに来る通知と言えば、数度しかいったことのない店でほぼ強制的に入れられた公式アカウントからの定期的な連絡と仕事仲間からの業務連絡くらいだ。

 賑やかな通知欄を埋めていた名前を見て、思わず笑みがこぼれた。すべてが菅原大河の投稿を知らせる通知だった。起きたことを報告する、芸能人でよく見る投稿だったが、それを大河がしているというだけで奏多の心を潤した。

「大河くん、この時間に起きるんだ…俺と、一緒…」

 不意に漏れ出た声は、今日の第一声だったからか、掠れていてなんとも気持ちの悪いものだった。そして、大河くんとなんとも親しげに名前を呼んでいる自分に驚いた。まあ、大河くんが好きだということを誰かに言うつもりはないので良しとしよう。

 時計を見れば、家を出る時間が迫っているのに気づいた。朝ごはんとして常に冷蔵庫に入れているゼリー飲料を手に取り、そのまま胃へ流し込んだ。

 いつもはこの時間が一番憂鬱だったのだが、オールしたのにも関わらず体は軽く清々しい気持ちで家を出た。

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舞台の幕が下りたとき ちひろ @chihiro07

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