星に願いを


ある冬の日、冷たい風が町を吹き抜ける中、玲奈は薄暗い部屋に一人、ピアノに向かって座っていた。鍵盤の上に光る星のような音符が、彼女の心をかき鳴らす。しかし、その音は、どこか心の奥底に沈んだ哀しみを映し出すだけだった。


玲奈は幼い頃、家族と共に音楽の魅力に包まれていた。母は歌い、父はギターを弾き、弟の奏太そうたと一緒に彼女はピアノを弾いていた。9年前、あの日が来るまでは……


―――それは凍えるような冬の夜、家族で車に乗っていた時のことだ。視界を白く染める雪の中、けたたましいブレーキ音と共に強い衝撃。

次に気が付きた時には病室の白い壁に囲まれていた。

そんな自分の状況の把握もままならぬままに家族の姿を探すが……

後に医師から告げられた言葉はまるで遠い世界の出来事に聞こえた。「ご両親は……」。

その後の言葉は玲奈の耳へは届かなかった。しかし、彼女の心は深い闇へと突き落とされたのだ。

母の優しい歌声、父の温かい手、それらはもう二度と戻ってこないという現実が玲奈を襲った。


それでも幸いと言うべきか大きな怪我を負わなかった玲奈は弟よりも早く退院すると、優しい祖父母の家に引き取られることとなる。

何をするにも無気力な人生、だけどそんな彼女を支えてくれる祖父母がいた。

そして遅れて退院してきた弟が家に来る頃には自分を取り繕い、態度では自分もう大丈夫だと示すようになった。

それでも、部屋に1人いる時だけはかつての思い出に触れるように1人で座るには広い椅子の上に座りピアノへと手を伸ばす。

そこからは悲しいメロディを響き、以前に弾いていたような明るさは存在しない。


そんな玲奈の心には、未だにその日の光景がこびりついていた。事故の瞬間、家族を亡くした悲しみは、取り返しのつかないほど深い傷を残した。何よりも、もし自分がピアノをやっていなければ事故に合うこともなかった、後悔の念が玲奈の心を蝕み続けた。


「もう一度、あの日のように…」


玲奈はそう呟くも、目の前の鍵盤には黒い音符たちが浮かんでは消える。音楽を愛することはできても、その音楽がもたらす幸せを感じることはできなくなっていた。





そんなある日、玲奈はタウンホールで行われる地域の音楽会に参加することを決意する。それは弟からの「もう1度、姉さんの幸せそうにピアノを弾く姿を見たい」という想いに答えるためだ。


もちろん、言われた時には躊躇した。

なにせ、あの日以降にピアノの大会へ出場することもなければ、小中学校で開かれた音楽会でピアノを引く役も断っていた玲奈にとって久々の広い場所での演奏が恐ろしい物に思えたから。

もちろん、ピアノとは毎日のように触れ合っているしいざとなって失敗することはない。恐れているのは、弟が言うようにはピアノが弾けないだろう、という現実だ。

それでも……かつて、自分が立ったあの輝かしいステージでの気持ちを思い出すことが出来れば、という希望と、大切な家族の優しさに応えるために歩を進める。


そうして舞台に立った時、玲奈の心は不思議な感覚に包まれた。観客の視線が彼女を迎え、期待でいっぱいの空気が流れる。


(私は、演奏を楽しんでほしい……)


かつての記憶を呼び戻して玲奈は心の中で静かに誓う。鍵盤に触れるたびに、亡き家族を思い出し、音楽の中にその記憶を蘇らせていく。彼女は自分の手で哀しみを奏で、同時にその哀しみを少しずつ解放していった。


音楽が終わる頃、会場には静寂が訪れ、やがて拍手が湧き起こる。無事に演奏を終えてその中に、一人の男性の胸を打たれたような顔があった。


舞台を降りたあとの玲奈は、その緊張をほぐすため楽屋へと足早に向かった。しかしその最中で年老いた1人の老人が姿を現す。彼は静かに拍手を送りながら、彼女に近づいてきた。


「素晴らしい演奏だった。君の音楽には、痛みと気持ちが詰まっている」


そんな感想を口にしたのは、自分を作曲家を名乗る幸田という男であった。

幸田の言葉は、玲奈の心に深く響いた。

不思議に彼の目には、彼女が抱える哀しみが映し出されているようにも感じた。


そして彼は玲奈の音楽に惹かれた事に加ええ、玲奈の持つ素晴らしさについて巧みて語る。あまりに褒めるものだから、玲奈も少し照れてしまう。

そうして玲奈が口をつぐんだままその感情を抑えていると、幸田がとある提案を持ちかけてくる。


「君に1曲、弾いて貰いたい曲がある」


発せられたその言葉に玲奈は頭を悩ませた。

先程、観衆を前に音楽を楽しんで欲しいと思っていたにも関わらず、弾いている自身はそれを楽しむどころか胸を痛めた。

弟の、そして昔感じた気持ちの再燃を期待したがそれは叶わず、自分が失った物を改めて認識した。

このまま音楽に苦しみ続けることで、いずれ音楽そのものを嫌いになるのではと思うと、それが恐ろしくて仕方がなかった。

そんな恐怖心が未だ過去に縛られたままの心が反応し、気持ちを吐露することへ繋がる。


「私の家族が亡くなった日から、音楽を奏でることが…苦しくて」 そう呟く声は震えている。


しかし幸田は優しく頷き言葉を返す。


「私もかつて愛する人を失った。だが音楽は、その思いを込めるための最高の手段だ。そしてまた、君の抱える物も音楽によって取り払う事ができるだろう」


そう語ると彼は若い頃に書かれた作曲未完の楽譜を取り出し、その曲を完成させるための手伝いを玲奈に依頼する。


「この曲は、私の亡き妻へのレクイエムなんだ。そして私は君の演奏が加えることでこの音楽が完成すると思っている」


幸田の持つ楽譜は色褪せているが、埃は一切ない。それは彼にとってそれ楽譜がいかに大切なものかを示していた。


そんな大切な物に自分が関与していいのか迷いはあったものの、結局は幸田から感じる本気と、音楽を愛す玲奈の心が後押しとなりその申し出を受けることに決めた。


それから2人は、幸田の古いアトリエで合うこととなる。

そうして、玲奈は曲へ取り組む中で、少しずつ自分自身を取り戻していく。彼女自身もまた曲に亡き家族との思い出を音楽に注ぎ込み、自身の哀しみを乗り越えるために演奏するのだ。

幸田の導きのもと、曲を弾いていると、玲奈は次第に曲のメロディに心を奪われていった。亡き家族との思い出が、音楽を通じて蘇ってくる。彼女はその感情を大切にしながら、練習を重ねた。


「音楽は、ただの音の集合じゃない。感情の塊で、人の心を癒やす力があるんだ」

幸田は玲奈に向かって言った。

彼の言葉は、彼女の心の中に新たな希望の光を照らした。


ある日の練習中、玲奈は特に感情が高ぶった瞬間があった。彼女は心の底から流れる悲しみと愛を込めて演奏した。その瞬間、曲が生き生きとして、彼女自身もまた新たな感情に満たされたのだ。


幸田は彼女の演奏をじっと聴き、目を閉じてその音楽に浸りこむ。彼は自分の未完成な曲に玲奈の感情が加わることで、そこに座る玲奈の姿に自分の影を重ねて見ているような感覚を覚えた。


「その旋律は、君の心から生まれたものだ。

君が家族を思う気持ちが伝わってくる」


幸田はそう言って玲奈を見つめ、彼女の頑張りを認めた。



そうして幸田の妻へと向けたレクイエムは着々と完成に近づいて行くと、それが終わったら今度は自分に作曲について教えて欲しい、と玲奈は申し出た。

幸田が愛する人に込めた音楽を弾いたことで、彼女もまた愛する人の為に曲を作りたいと思ったのだ。

幸田はこれを快諾すると、多くの楽譜を持ってきた。そのどれもが、幸田が妻に送ったであり、それらの曲も簡単にだが演奏させて貰う。曲から、幸田が込めたであろう強い気持ちを感じると、玲奈は非常に感銘を受け、自分もこのような音楽を作りたいと思った。


それから、幸田の妻へ向けた曲の終わりへと向かう。最初は緩やかに、序盤から中盤にかけては熱烈な愛を感じるパートが続く曲だが、それは平和で美しい音へと移行する。だが、終わりに近づくに連れてどこか胸が苦しくなるような、そんな悲しい雰囲気を醸し出す。

そして、最後の最後は悲しさがありながらも、強く美しい愛を叫んでいるかのような音で終わる。

これは幸田とその妻の人生を描いた曲なのだろう。そして最後は先に居なくなってしまった妻への愛を叫ぶような……、玲奈は改めて幸田という人間に対して尊敬の意を覚えた。


「ありがとう。君のおかげでようやく、妻へ向けたレクイエムが完成した。きっと天国にいる妻も喜んでくれるだろう」


そうして、目頭を抑えた幸田が感謝を述べると、「さて、今度は作曲について教える番だ」と口にした。


そうしていざ、曲を作り始めると、玲奈は自分の感情を音符に込めることの難しさを実感した。それでも幸田の指導のもと、彼女は自分の心の奥底にある思いを探り、それを音楽で表現しようと懸命に努力した。


時には行き詰まり、何度も自分に出来るのか、と頭を悩ませたが幸田は常に励ましの言葉をかけ続けた。


「焦らなくていい。音楽は心から生まれるものだ。君の気持ちに正直になればいい」


そう言われ、玲奈は深呼吸をして自分の心に耳を傾けた。彼女は家族のことを思い浮かべた。自分に音楽のキッカケを与えてくれた母親、いつも優しく支えてくれた父親、両親を亡くした後もずっと支えてくれた祖父母、そして大切な弟の存在がそこにはあった。

そんな家族を思う玲奈の気持ちが少しずつ旋律となって現れ始めた。


何日もの試行錯誤の末、玲奈は自分の想いを込めた曲を短いものだが、完成させることに成功した。幸田に聴いてもらうと、彼は静かに目を閉じて耳を傾けた。


曲が終わると、幸田はゆっくりと目を開け、優しい笑顔を浮かべる。


「素晴らしい。君の家族への愛が伝わってくるよ。この曲には君らしさが溢れている」


その言葉に、玲奈の目に涙が浮かんだ。自分の気持ちが音楽を通じて相手に伝わったことへの喜びによるものだ。


幸田は続けた。「音楽は言葉以上に人の心に届くことがある。これからも君の気持ちを大切に、音楽を続けて欲しい」と。

玲奈は、幸田からの教えにただひたすら感謝した。


―――そしてこの日、 玲奈は奏太と祖父母を自室へと呼ぶと自分の作り上げた曲を聞いて欲しいと頼んだ。

そんな玲奈からの頼みを断ることは無く、3人は玲奈が築き上げる旋律に耳を寄せる。


家族を想って生まれた演奏に以前のような悲しみはなく、どこか胸を温かくするようなものが伝わる。そしてなによりも、曲を弾く玲奈の顔には柔らかい笑顔があった。

玲奈は再び、音楽がもたらす幸せを感じたのだ。そしてそんな姉の姿を見て、奏太もまた笑顔を浮かべた。



「たらりらり〜」


玲奈はこの日も、作曲をしていた。

ただし、家族に向けてのものではなく幸田への感謝の気持ちを込めたものをだ。

今回ばかりは1人で曲を作ることになるが、1度の曲を作った経験を活かし、自分の気持ちを素直に音にして現す。


そして再び気持ちを音をしていると、1つの提案を思いついた。彼が奥さんへと向けて作ったレクイエムには『星に願いを』という有名な楽曲のフレーズが入っていたことを。

もしかすると彼にとってあの美しい曲は大きな意味を持つそんな曲なのかもしれない、と考えた玲奈は『星に願いを』の音をアレンジとして加えることを決め、再度作曲へととりかかる。


そうして、数日かけて完成させたその曲を何度か家にあるピアノで練習すると、幸田へ感謝を伝える為にアトリエへと向かった。


アトリエに着くなり、玲奈は挨拶をする。

―――が、返事は無い。

もしかして外出をしているのだろうか、と思考を巡らせるが…この時の玲奈はなんとも言えない嫌な胸のざわめきを感じた。

そんな自分の直感に従い、扉に手をかけると不用心ではあるが開いたので急いで中へと入ると、そこに床に倒れ込み意識を失った幸田の姿を見つける。

彼の様子を見るなり、即座に119番へと連絡を入れる。


救急車が到着するまでの間、玲奈はできる限りの応急処置を施した。幸田の顔色は青ざめ、呼吸も浅かった。 パニックになりそうになる気持ちを抑え、冷静に状況を判断する。幸田の脈を確認し、意識がないことを再確認する。


救急隊員が到着すると、玲奈は状況を詳しく説明した。


病院で幸田の容態を医師から説明される。幸田は脳出血を起こしていた。そして幸田の意識が戻るかどうかわからない、という医師の言葉を言われた時には、玲奈はかつてのような絶望感を覚えた。

数日間の不安と心配の日々が続いた。


ここ数日、幸田の病室に立ち入ったのは玲奈だけだ。幸田の家族については既に亡くなった妻の存在しか知らないが、もしかすると子供やその他親族も存在しないというのでは、ということを玲奈はどこかで察していた。

しかしそんな玲奈もまた学生という身分であり、時間を縫ってはこうしてお見舞いに来ることしか出来ない。

それも間柄はたった数ヶ月、一緒に曲を作ったり、作曲を教えてもらっただけの物。

だが、玲奈にとって大切な音楽に再び彩りを取り戻してくれた恩人でもある。

だからこそ、そんな彼に自分は何をしてあげられるのかと思い詰めた。


それから玲奈が考えた末に思いついたのは先日作った曲を聞かせることであった。

かつて幸田が教えてくれた『音楽にある力』を信じ、それが彼を救うことに繋がることを祈った。


幸田の病室で、玲奈は完成させた曲を流す。『星に願いを』のアレンジが、どこか物悲しい雰囲気を醸し出している。だが、そんな悲しい雰囲気を包み込む温かさがこの曲にはあった。


数日後、奇跡的に幸田は意識を取り戻した。しかしそれと同時に自分がそう長くないであろうことも自らの死期を悟った彼から告げられた。

それから幸田と顔を合わせる場所は完全にアトリエから病室へと変わってしまった。


病室へと通う様になった頃、季節は最初に出会った冬から夏へと巡り変わっていた。


時間がある限り、新しく曲を作り、それを持って見舞いに行く。そんな玲奈だが、高校三年生という多忙な時期ということもあり、近頃では将来への不安や、幸田に関する心配に押しつぶされそうになっていた。そしてそれは作曲へも影響を与え……


「曲の雰囲気が、最初に出会った頃のようだ」

幸田は新しくできた曲を聞くとそんな感想をもらす。

「……最初に出会った時、この曲のような、君の音楽に詰まった苦しいくらいの痛みがこもった部分に惹かれた。それは妻へ贈るレクイエムにピッタリだと思ったからだ。

……君の弾くピアノには感情がとてもよく現れている。だから君が最初に作ってくれたような、家族への愛が伝わる優しい曲を聞いた時に心優しい君らしさを感じた。

しかし、この曲を弾いた今の君はかつてのように苦しんでいるように思う」


図星をつくような幸田の言葉が、玲奈の胸にチクリと刺さる。自分によって幸田にこのような顔をさせてしまったのが不甲斐なかった。

そうして暗くなってしまった玲奈の表情。

病室に沈黙が流れるが、幸田がそれを打ち破り言葉を綴る。


「『星に願いを』私が最も好きな妻との思い出が詰まった曲だ。私は作曲家として幾つもの曲を手にかけて来たが、これを超える曲を聴いた事はないと、ハッキリと言える。

そんな妻の愛した最高傑作と言える曲に私は憧れた。そして少しでも似せるために、そのメロディを取り入れるようになった。

だが、そんな私の作る曲で越えられるはずもなければ、いつしか作る曲は全て似た者ばかりとなった。いつしか、本来の自分を忘れたんだ。しかし亡くなる直前に彼女は言ってくれた……『貴方の作った曲が、この世のどんなものよりも好きだ』と。そう言われて、再び自分の曲の意義を理解して、後悔した。似せる必要なんかなかったんだ。彼女が聞いて、愛してくれる曲こそが私の曲であり、私は私が思うままの曲を作ればよかったのに、自分の曲に自信を持てなかった自分を憎んだ。私が長年求めた答えは近くにあり、どうしてもっと早く気づけなかったのだと、後悔した。……君の作る曲は、君が生み出す旋律は美しい。私は君が君であれることを願う」


玲奈は、幸田の言うことに何を言うでもなく、ただ耳を傾けていた。


玲奈は、病室へと通い、作った曲を聴かせる。その温かい曲は心を癒す。

幸田は最後の瞬間まで、安らかにあった。

そして幸田が空へと羽ばたいて行った日、玲奈の家では心を掴まれるように切なく、美しく、だけど優しい音が響いた。



ある冬の日、冷たい風が町を吹き抜ける中、玲奈は明るい部屋に一人、ピアノに向かって座っていた。鍵盤の上に光る星のような音符が、彼女の心をかき鳴らす。その音は、どこか悲しさを孕む一方、大きな優しさに包まれていた。

県外の音大を目指すことにした玲奈は学業に励んでいた。

とは言っても、ピアノと勉学は両立である。

毎年この季節になると、思い出す事がある。だがその思い出は辛い思い出ではく、愛おしい人達の思い出だ。

その日、玲奈は作曲をしていた。

冬の夜空に輝く星を見ながら、愛おしい家族を書いた歌を、そして……恩人へのレクイエムを―――


•*¨*•.¸¸Fin•*¨*•.¸¸♬︎















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星に願いを ゆずリンゴ @katuhimemisawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画