君は餃子を食べなかった

泉田聖

君は餃子を食べなかった

 彼女の皿の上には冷めた餃子が乗ったままだった。


「餃子。嫌いだったっけ」


 不意に気になって尋ねてみた。

 いつもの中華料理屋。いつも通り二人で訪れた店内は、平日の夜ということも相まって閑散としている。フロアで暇そうに駄弁っている学生バイトたちのゲーム攻略の内容が聞えてくる程度には店は静かだった。


「いや、別に……急に嫌いになったってわけじゃないんだけど。最近、あんまりニンニク受け付けなくてさ」


 言いつつ彼女は皿の上に並んだままの餃子を箸で突く。

 ため息を零すと彼女は、餃子には目もくれずテーブルの真ん中に鎮座していたエビチリを口に運んでいた。僕の前に餃子の乗った皿を差し出してきて、


「もう食べちゃっていいよ。冷えてるけど」


「んじゃ遠慮なく。それにしても珍しいこともあるもんだな。大食漢で好き嫌いとかなかったのに。吸血鬼にでもなったか?」


「なにそれどういう意味?」


 そうやって僕を睨んできた彼女の耳にはピアスがずらりと並んでいる。エビチリを迎え入れる唇も、その奥の舌もどこかしら銀色に光っていて、見る人が見れば危険人物丸出しだ。異様に白い肌なんかは、まさしく昼間という世界から乖離した生活を送っている吸血鬼を連想させた。


「そのまんまの意味。ていうか、お前既に吸血鬼だったりしてな」


 思えば彼女は知り合った大学生時代から、どうにも昼間の活動が苦手だ。社会人になった今でこそ多少は解消——もとい社会に適応するしかなく、そういう風に矯正されたのだが。日中の仕事が向かない彼女は結局深夜のコンビニバイトに落ち着いた。

 それと彼女の吸血鬼じみた習性といえば、是が非でも寝袋で寝る所だ。僕としてはこのまま結婚まで考えているのだから多少なりとも夜は同じベッドで寝たいのだが、彼女は何故か頑なに寝袋で寝たがる。理由を聞いても「嫌だ。襲っちゃいそうだから」の一点ばり。僕として歓迎なのだが、彼女はどうにもそういう行為に積極的になれない節は昔から相変わらずだった。


 彼女が僕に譲った餃子を平らげると、ちょうど彼女も最後のエビチリを口に運んで、デザートの杏仁豆腐をするりと飲み込んでしまった。ちらりと覗いた八重歯はちょうど吸血鬼の牙を思わせた。


 会計を済ませて店を後にする。同棲しているマンションまでは徒歩十分もない。

 間にあるのは小さな公園くらいで、通りかかったときに突然彼女が僕を呼び止めてきた。


「あのさ。……さっきの話、なんであんなこと思ったの」


「さっきの?」


 僕というのは鈍感な人間で彼女が何のことを言っているのか、さっぱり合点がいっていなかった。「吸血鬼がどうとかっていう話」彼女が躊躇いがちに言って、ようやく納得した。


「別に大した理由はないぞ。単にニンニクが嫌いなんて吸血鬼みたいだなって思っただけだし」


「あっそ。幸せ者ね、相変わらず」


「ん? おう。そうだな——ってなんだよ急に」


 相槌していると突然彼女が抱き着いてきた。首筋に彼女の吐息がかかる。彼女はニンニクを口にしていないから、あの強烈な匂いはしない。今夜は珍しくあちらがその気なのかもしれない。気遣ってニンニクを口にしなかったのなら少し悪いことをしてしまった。

 厚い唇が傍に迫って心拍数が跳ね上がったのが直感できた。


「ただの栄養補給だから。そのままにしてて」


「……お、おう」


 彼女の背丈に合わせて少し屈むと耳元で小さく「余計なお世話」と𠮟責された。しかたないだろ。二〇センチも背が違うのだから。つま先立ち辛そうだし。

 そんなことを僕が思っていると、彼女が耳元で生唾を呑む音がした。


「ごめん、やっぱ我慢できない」


 そんな一言があった直後。

 僕の首筋に、彼女の歯が拙く触れた。

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君は餃子を食べなかった 泉田聖 @till0329

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