ROYAL FLUSH Part 1 Wandering Servant

西暦1888年7月18日

アメリカ合衆国ライナー州南東部『アングラー』。

ヘイディロック山を臨む家々が身を寄せ集めた山麓さんろくの町、降水量に関わらず年中地面は泥濘ぬかるみ、開拓時代はガンマンやカウボーイの拠点としてだけでなく、

商人や商売女さえも集い、栄えた。

「泥に負けずに成り上がれ! ピンチをチャンスに変えろ!」

そうやって謳われていた『アングラー』も時代と共に凋落ちょうらく

今は退役軍人や未亡人が集まり、『汚泥の町』と揶揄やゆされるほど落ちぶれた。


そんな俺も連邦局で『アンナ・ワトソン殺人事件』の特別捜査官として犯人を

3年間追っていたが、犯人は捕まっていない。結局、未解決事件として処理され

捜査は打ち切り。

遺族であるが浮かばれないまま8年が経った。

俺が公安の仕事に向いていないことに気づいたのはその時だった。

俺は連邦局を辞め、「何かを探す」という口実で親父の酒場サルーンを継いだ。


「——おいっ! バーボン! バーボンだよ!」


酔っ払いの赤ら顔の男、マイクは怒鳴った。

彼は開拓時代に身も心も置いてきたこの店の常連の客だ。

過去には苦楽を共にした仲間がいたそうだが、今は完全に疎遠らしい。

その後は酒に溺れ、今に至るってわけだ。

別に『アングラー』ではマイクのような耽溺たんできな男は珍しくない。


「ああ、悪い——ちょいと考えことしてたもんでな」


俺はマイクに急かされるように、後ろの棚からバーボンを取り出そうとした。

「ギィ」とスイングドアの軋む音と共に「ヂャラヂャラ」という金音が段々と

近づいてくる。

マイクは「ガハハ」と笑った。

おそらくそれは俺に向けた呆れた笑いではなく、その音の主に対してだった。


「おいおい、こんなところでガンマンごっこかぁ?」


始まったな……この男の揶揄からかいを兼ねた挨拶が。

俺は一つため息を吐いてから振り向く。


「ほら……飲め」


マイクの隣には黒のカウボーイハット、黒のコート、それから黒のブーツを履いた

「『漆黒のガンマン』と呼んでくれ」と言わんばかりの華奢な体格のガンマンがいた。

不思議と懐かしい感じがする。

鎮具破具ちぐはぐな丈の長いコートがガンマンに憧憬を抱いた子供にしか

見えないからだろうか。

——それとものことを思い出すからだろうか。

しかしこのガンマン、瀟洒しょうしゃ毅然きぜんとしている。

マイクは嘲笑混じりにガンマンのカウボーイハットをピンと指で弾いた。

ガンマンは依然と沈黙を貫いてはいるが、いつ銃を抜いてもおかしくない。

昔の俺だったら間違いなく銃を抜くだろう。

マイクは大きく舌打ちをすると、バーボンを奪い取り、50¢セント硬貨を投げた。


「チッ! つまんねー奴だなぁ! そんなん俺らの時代じゃ通用しねえ

 からなぁ!?」


まったくこの男は、なんて時代錯誤な人間なのか。

ガンマンはそれを見るや否や、帽子を直してからカウンターに身を寄せる。


「……パップスってのはあんたか?」


そう囁くガンマン。

男を狂わせてしまうような蠱惑こわくのハスキーボイスだった。

色気のある声でそう囁くものだから、思わず身を引いてしまった。


「い、いかにも俺がパップスだが……」

「……そうか」


ガンマンは安堵したようにカウンターに肘を突いた。


「……『サラ・ヘイト』、この名を聞いたことはあるだろ?」


不意に帽子の隙間から上目遣いの彼の顔が見えた。

淡い青色の虹彩、左目の泣き黒子、整った鼻筋、艶やかな唇、頬の雀斑そばかすがあどけなさを残しつつも端正な顔立ちの美少年だった。


「お、おぉ…」


一瞬女かと思うくらいの秀麗しゅうれいな顔立ちで、俺は思わず恍惚こうこつとした。

いや、本当に女なのかもしれないが人間誰しもが何かしらのコンプレックスを

抱えてるもんだ。


「……彼女について知ってることを教えてくれ」


やけに高圧的で朴訥ぼくとつなガンマン。

尚更、悪ぶっているガンマンに憧れているようにしか見えないが、粗暴で無法者と化したガンマン達よりは彼の方がいくらか聡明そうめいに見えるのは確かだ。


『サラ・ヘイト』——《紅の荒野の女王》と呼ばれた『伝説のガンマン』だ。

「鮮血で染まった道の先には灰色熊グリズリーか『サラ・ヘイト』が居る」とはよく言ったもんだ。

アメリカ中じゃ知らない人は居ないだろう。


「カチャ……」

「ん? なんの音だ?」


俺の悪い癖だ。考え事をしていると周りが見えなくなる。

彼は手持ち無沙汰にアーモンドが入ったボウルに手を入れた。


「……気にするな、すぐに分かる」


ガンマンの背後には酔っ払いの男、マイクがいた。

マイクは顔を真っ赤にして「フンスッ」と鼻息を漏らし、興奮していた。


「——ホラ吹きビッチの話を」


何やら不穏な様子を感じ取った俺は、二人の間に割って入ろうとした。


「お、おい」


——が、遅かった。

棍棒のように振り上げられた空の酒瓶。

次の瞬間、彼の頭に酒瓶が勢いよく振り下ろされる。


「——すんじゃねえぞぉ!」


パァーン! パリンッ!

——うぉっ!





な、何が起こった?


「い、一体なに——」


恐る恐るカウンターから這い上がると彼はカウンターに肘を突き、右手には

リボルバーが握られ、その銃口からは硝煙しょうえんが燻っていた。

ま、まさかコイツ……あの一瞬で瓶を撃ち抜いたってのか?

でもどうやって? 彼の持ってる銃はシングルアクション式のリボルバーだ。

シングルアクションということは撃鉄ハンマーを起こしてから引金トリガーを引かなければ弾は

出ない。

俺が言いたいのは「いつ撃鉄を起こしたのか」だ。


……まてよ……あの時かっ!?


あの時に鳴った「カチャ」という音は撃鉄を起こした音だったってのかっ!

俺はゴクリと生唾を呑んだ。

割れた酒瓶と顎をカタカタと震わせて苦笑するマイク。


「は、ははは……お、おめえのせいで店に火が着いたらどう落とし前

 つけるってんだ?」


彼はホルスターに銃を仕舞うとマイクをギロリと睨みつけた。


「……そうだな、お前の首を売る、それでどうだ?」


彼はカウンターから離れるとヂャラヂャラと金音を立てて詰め寄った。

さっきまで真っ赤な顔をしていたマイクの顔が面白い程みるみる青ざめていく。

こんな華奢な体躯で大の男を圧倒するのは何なんだ?


もちろん彼の危険を察知する能力と早撃ちの技術は素晴らしかった。

見事だった。

だが、何かが違う。

彼の技術がどうこうという話ではない。

獣、あるいは狩人のような気迫で相手を追い詰めている。


「……それで? 「ホラ吹きビッチの話」……だっけか?」


マイクの目に映るは狩人。

「このガンマンはマズい」と、本能で分かってしまったのだろう。

歯はガタガタと震え、全身の産毛まで逆立っているのだろう。


「な、なに本気になってんだよぉ……」


なんて声だ、情けねえ——マイクは今にも逃げ出したい気持ちが限界を向かえ、踵を返そうとした。

それを見逃すほどこの狩人は甘くなかった——いや、当然と言えば当然だが。


「……逃げるのか? 案外腰抜けなんだな」


マイクは踏みとどまると拳を握りしめ、振り返る。


「は、ははっ」


闘志に燃えた目に不敵な笑みを浮かべたマイクがそこにいた。

己の自尊心プライドや誇りを懸けて、この狩人と戦おうというのか。

追い詰められたネズミはネコを噛むと云うのはまさにこういうことなのか。


「いいぜ、来いよ、《決闘》だ」

「……引き金を引く覚悟がアンタにあるのか?」

「俺が青二才のガキに負けるとでも?」


お互い譲らず睨み合うが、マイクは啖呵たんかを切るかの如く俺に言った。


「おい、バーボンを寄越せ! ——酔いが冷めちまったよ」


まずいことになったな。

マイクはここ『アングラー』では《決闘》無敗の男。

いつも酒瓶を片手に持ちながら《決闘》で勝利を収める。

酔っ払ったフリをして相手が油断したところを撃ったり「相手の器量を図った」と騙って撃ったりと、とにかく「勝利」に拘るところだ。


だが、彼なら——《決闘》無敗のマイクを倒すことができるかもしれない。

俺は二人の《決闘》の行く末を見届けることにした。


後ろを見ると餌に釣られる魚のように酒場の客や野次馬が集まって来た。

二人は泥濘みに足を踏み入れると、互いに向き合った。

マイクはバーボンを飲んだ。「ゴクッ」という液体が喉を通る音がこちらまで

聞こえてくる。


「俺が嫌いなモンを教えてやるよぉ! 女のガンマンとぉっ! ガンマンごっこ

 してるオメエみてえな青二才のガキだぁ!」


マイクは彼の心臓に向かって指を突き立てた。


「この俺に殺されても文句はねえよなぁ!?」

それを聞いた彼は勝ち気な様子で手を前に出し、クイクイと指を折り曲げてみせた。

「……Dead men tell no tales死人に口なし……いいからかかってこい」


——静寂の睨み合い、見物人俺らは唾液が喉を通り、食道を経て胃液で

溶かされるのを感じながら見守った。中には気管に入り咽せた者もいた。


「——カチャ」


沈黙を先に破ったのはマイクの方だった。

震えた手が銃にかかったその瞬間、手を離す。

フェイントだ。この手はマイクの十八番。

銃に手を掛けたが抜いてはいないので、まだこちらは抜くべきじゃない。

いや、だが最初にけしかけてきたのはマイクの方であって……いや、それを考えるのは野暮だろう。


——突如マイクが両腕を上げた。


「おいおい、さっきのは悪かったよぉ!」


ふらつきながら手招きをする。

——やっぱり仕掛けてきやがったか、なんて白々しい奴だ。

対して彼はというとやや腰を落とし。

右腕はホルスターに収められた銃のグリップの真上に。

右手はやや脱力気味。

左腕は銃を抜いた瞬間に撃鉄を起こせるよう前に。

——所謂いわゆる「クイックドロウ」の体勢を崩さず、ジッと


「一緒に酒でも飲んでよぉ? 仲良くしよう——」


マイクは銃を抜いて撃鉄を起こした。


「ぜっ!!」


パァーンッ!


——硝煙が舞う。

弾丸は胸を貫いたのか、はたまた残留したのか定かでは無いが焦茶色の

ジャケットからジワジワと血が滲み、男は左手を胸に当て、歯をカチカチと

震わせ、しばらく立ち尽くすと力なく前に倒れた。


「ク……ソがッ……キが……」


——俺は震えた。

人は目に潤いをもたらすために「瞬き」をする。

その時間は約0.1秒〜0.15秒ほどだという。

《決闘》は「より正確な射撃」ではなく「より早い射撃」の方が重要だ。

《決闘》の一連の動作は——


「銃を抜く」→「撃鉄を起こす」→「照準を合わせる」→「引き金を引く」


ガンマン同士の《決闘》では「銃を抜く」前にあらかじめ「照準を合わせておく」。

川に石を投げる時だって、着水する地点を大まかに予測できるのと同じことだ。


(「照準を合わせておく」)「銃を抜く」→「撃鉄を起こす」→「引き金を引く」


口で言うのは容易いが、実際にやってみると明後日の方向に弾が飛んで

行ったり、「引き金を引く」のが速すぎて自分の足の指が消し飛ぶこともある。

彼は一連の動作を同時に行い、文字通り「瞬く間」に終えていたのだ。

見物人の大半は、彼が何をしたのか分からなかったはずだ。


——まさに刹那の一閃。


先のマイクの「仲良くしようぜっ!」の「ぜっ!」で銃に手を掛けて抜いた瞬間、ガンマンは既にいて銃をホルスターに仕舞っていた。


——神業だ。


《決闘》を終えた彼は俺に一瞥いちべつすると、顔を帽子の影に落として

歩み寄ってくる。

彼は横を通り過ぎる時、呟いた。


「……『サラ・ヘイト』のことを教えてくれ」


俺の体はいまだに震えていて、しばらくその余韻に浸っていた。




店の裏へ行くと彼は壁に寄りかかって待っていた。

コイツは何を思うのだろう。俺は煙草に火を付けた。


「見事な早撃ちだったな、カウボーイ」


彼への称賛は空しくもスカされ、彼はぶっきらぼうに言った。


「……『サラ・ヘイト』のことについて詳しく聞かせてくれ」

「その前に一ついいか? 俺はお前が流浪の身とは思えないんだ」


余計な詮索はしないというのが酒場を営む上での暗黙の了解だが、

今はプライベートだ。

彼は黙秘するように沈黙を貫いた。凍りついた空気は俺の性に合わない。


「はっ、まあいい……それで、彼女についてだが——」


彼は期待するでもなくただじっと黙っていた。


「残念だったな、『サラ・ヘイト』は7年前にもう死んでるんだよ」

「お前だって彼女の遺言は知ってるはずだ」


彼はどこか遠いところを見てから真っ直ぐな眼差しでこう答えた。


「……俺は、『サラ・ヘイト』を殺す」

「ふん……墓でも暴くか? 棺に入った彼女を見ても同じことが言えるか?」


自分でも馬鹿げたことを言っているのは分かっている。

だが冗談を交えるほど口達者ではない彼のどこかに惹かれて買い被ってしまう。


『サラ・ヘイト』が愛用していた二ちょうの《紅き回転銃リボルバー》は彼女の死後、

行方不明だ。

あの『サラ・ヘイト』が使っていた銃——おそらく高値で取引されるだろう。

その内一挺は彼女の娘が所持しているらしいが、実の娘に対して多くの敵を作るなんて母親のすることじゃない。

実の娘なら平穏を願うものじゃないのか?

『サラ・ヘイト』のような狂人に狂わされた娘が気の毒だ。

こう言った点から、そもそも彼女に娘がいたのかどうかすら怪しい。

と議論されている。

「ホラ吹きビッチ」と言われてしまうのも無理はない、あの時ばかりは少し

マイクに同調している自分もいた。


その彼女の妄言に踊らされ、儚い夢を見たガンマンやアウトローは再び台頭し、一時期の『開拓時代』を取り戻したかのように思えた。

しかし、最近になって名乗りを上げるガンマン達は「やれ赤いリボルバーだ」の

異口同音、はっきり言って食傷気味だった。


——だが、このガンマンは違う。

おそらく本気で彼女を殺そうとしているんだ。

俺は紫煙ため息を吐いた。


「はぁ……ここから北に行ったところに『ブルーウォール』っていう交易の町がある」

「そこの小高い丘の上に『サラ・ヘイト』の墓があるはずだ」

「……分かった、ありがとう」


彼は一つ返事をする——不思議なやつだ。

「殺す」と言ってた割に彼女の「死」は受け入れるのか。


「本気で彼女を探してんならこっから北にまっすぐ進んだ『パッショ』に

 行ってみろ」

「……『パッショ』?」

「別名『賞金稼ぎの町』さ、町の奴らに彼女のことを訊いてみろ」

「……ありがとう」

「——そうだ、もしよかったらアンタの名前を教えてくれ」


彼はどこか遠いところを見た。


「なに、心配すんな……お前は伝説を討ち取る気なんだろ? 

 ——記念だよ記念」

俺はキザにウィンクを彼に送ってみる。

ガンマンは「勿論」と言わんばかりに頷いてから呟いた。


「……ラストだ」

「そうかい、覚えておくよ、ラスト」

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PHANTOM NEMESIS 1 LAST TRIGGER 同胞 小枝 @Koeda_Harakara

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