1章 放浪の召使

西暦2023年グッドマン博物館。

二人の学芸員はグッドマン博物館の東に位置する『ワイルドウェストエリア』の一角である『アメリカンスクランブルコーナー』に訪れていた。


一人は新米の学芸員『エリザ・ライル』。

もう一人は天真爛漫な性格の『クララ』。


「……要するにその『赤いリボルバー』を巡ってガンマン達が奮起した時代

 ってこと?」


クララは目を輝かせてパチパチと手を鳴らした。


「わあすごいっ! エリザさんって纏める才能ありますねっ!」

「……クララさん、バカにしてる?」

「わあっ! ご、ごめんなさいっ! そんなつもりはなくてっ!」

「……ふふっ、分かってるわ、それじゃあ案内をお願いしていいかしら?」

「は、はいっ! もちろんですっ!」


二人の学芸員は『アメリカンスクランブルコーナー』に足を踏み入れた。

『アメリカンスクランブルコーナー』は『ワイルドウェストエリア』の一角。

と言ったがそれは少し語弊がある。

実際は『アメリカンスクランブルコーナー』が『ワイルドウェストエリア』の

8割方を占有しているのが入り口からでも分かった。


「……もはや”コーナー”というより一種の”エリア”ね」

「あっ! 気づいちゃいました? 私も”エリア”に変えたら? とは思ってるん

 ですけどねぇ……」


エリザの苦言に賛同するかのようにクララは深い嘆息を吐く。


「……ふ〜ん、興味深いわね」


エリザは足を一歩進めると、突如腕を引かれる。


「そ、その前に、エリザさんっ! い、一度全てのエリアを軽く見て

 おきませんかっ?」

「……あ、あらそう? 別に構わないけど……」

「やったっ! あ〜じゃなくて〜っ! じゃ、じゃあ続いて西のエリアに

 行きましょうかっ!」

「……中央のエリアは?」

「あ、あ〜それは後で詳しく紹介しますねっ!」


クララはエリザの腕を引っ張るようにして半ば強引に西のエリアに連れて行く。

どこか不自然に辿々しい。

クララは一刻も早くこの場から離れたいのか何かに追われているような焦燥感を感じる。


「ささっ! エリザさんっ! ここが『レストランエリア』ですっ!」


エリザはクララに導かれて館内の西にあるレストラン『バーキンズ・サルーン』へと足を運んだ。そこは調律されたカントリー・ミュージックが聴こえてくる。

床板や壁、天井がほぼ木材で作られ、一種のテーマパークのようでノスタルジーを感じる空間だった。


「突然ですがエリザさんっ! お腹、空きませんかぁ?」


クララは通販番組のMCのようにエリザを煽ってみせた。

エリザは突然のことで頭の整理が追いつかず、面を食らっていた。


「……え、え〜とぉ……アタシはだいじょう——」


「ググゥ〜」と、どこかで腹の虫が鳴った。


「……ク、クララさん? もしかして?」

「あ……え、えっへへ……ご、ごめんなさいぃ……」


クララは頬を赤らめてモジモジしている。

どうやらお腹が空いていただけのようだ。

エリザは杞憂だったと思うと同時にクララの羞恥心が愛おしくなり、

顔をほころばせた。


「……ぷっ、あっはは! 最初っからそう言えば良いのに……っ!」


エリザは声を震わせながら手で口を押さえた。

クララの方を見ると、まるで博物館の展示を興味津々に見つめる子供のように

真顔でまじまじと見つめてくるのでエリザは目を泳がせながら身なりを整えた。


「……な、なに? なんかアタシの顔に付いてる?」


クララはぽかんと口を開いた。


「エリザさんの笑ってるところ、初めて見ました……」

「……へ? そ、そう? クララさんの横で結構笑ってるつもりだったけど?」


クララはそれを聞くと惜しげに頭を抱えた。


「本当ですかっ!? うわぁ〜もっと見ておけば良かったなぁ〜……」

「……ふふっ、それはまたの機会ね、それじゃあご飯を食べましょうか?」

「は、はいっ!」


クララは目を見開いてメニューボードを吟味し始めた。


「う〜んここはやっぱりビーフシチューかなっ? ああっでもこの前のロースト

 ビーフもっ! う〜ん……」


エリザは「胃がもたれそうなメニューばかりだ」と顰蹙ひんしゅくするが当時のアメリカの世界観を再現してるとなればそこに口を挟むのは野暮だと思い、一つ乾き笑いをした。


「……あ、あははっ……よ、よく食べるわね……」

「うんっ! 決めたっ! エリザさんはどれにしますっ!?」

「……アタシはクララさんと同じものでいいわ」

「それじゃっ! 早速オーダーしに行きましょうっ!」

「……ええ」


二人は注文を終えて席に着く。

エリザは辺りをキョロキョロと見回してからクララに疑義ぎぎの眼差しを送った。


「……博物館に酒場ってアリなの?」

「えへへっ! ここは初代館長のこだわりポイントらしいですよっ!」

「……へえ、初代の?」

「はいっ! ここは実在した酒場をモデルに作られてるんですよっ!」


クララはどこか誇らしげに辺りを見回す。

その瞳はワイルドウェストに憧憬を抱いているようにも懐古しているような

眼差しにも見える。

「誇り」や「憧憬」等という一括りの言葉にしてはいけないと思うほど高尚の瞳をしていてエリザは遺憾と羨望の眼差しをクララに送り返した。


クララは囁くように言った。


「実は……閉館した後の2時間だけお酒を提供してるんですよっ」

「……へえ、博物館なのにお酒も飲めるのね?」


エリザは目を丸くしながら、クララの話を聴いていたその時。

白い丸皿が二人の目の前に置かれた。

クララは目を輝かせて「おぉ〜っ!」と感嘆してみせた。

食に詳しくないエリザもこの時ばかりは生唾を飲み込んだ。


まず先に芳しい牛肉の香りと薫香くんこうするローズマリー、そして

オリーブとガーリックの香ばしい匂いが鼻腔内の細胞を刺激する。

ロゼワインのような色の赤身が肉汁をしっかりと閉じ込めており、食欲がそそる。


「はぁ〜……なんて美味しそうっ!」

「……素敵なランチね、ここに来る価値は十分にあるわ」


クララはローストビーフを飢えた犬のようにがっつく。

エリザはフォークで肉を丸めてから淑やかに口に運んだ。

ガーリックの利いた牛肉の旨味と香草の香りがスッと鼻を抜け、思わず唸る。


「んー! おいひー!」

「……んっ……うん、美味しいわ」


エリザはカウンター裏の棚の陳列された酒瓶一つ一つに目を向けた。


「……これは確かに、お酒が欲しくなるわね」

「それならまた夜に来ますかっ? 私は飲めないですけどっ」


クララはやはり未成年だったようだ。

この時、エリザはクララに対して思うところがあった。


「それなら、僕と一杯どうです?」


よく通る男の声だった。

自信に満ち溢れた魅力的な紳士の声だった。

エリザとクララは声のする方に顔を向ける。

シルクハットに黒スーツ。今時こんな格好の男がいるのか甚だ疑問だが、今まさに目の前に「紳士」が椅子に腰掛けていて、こちらの様子を伺っている。


「……あら、こんにちは、紳士さん」


エリザは毅然に挨拶するが、男を見たクララは席を立ち上がった。


「ちょっ、ちょっとエリザさんっ! やめてくださいっ!」

「……え、知ってる顔なの?」

「知ってるも何もっ! この方は博物館の展示品の80%を寄贈してくださって

 いる『アイザックス』さんですよっ!」


焦燥の念に駆られた少女クララを見かねたアイザックスは落ち着いた口調で諭す。


「ミス・クララ……彼女は知らなかった……それだけだろう? それと……正確

 には79.62%だよ」


エリザは拝むように一礼をすると、クララも合わせるようにして頭を下げた。


「……これは失礼したわ、ミスター・アイザックス」

「はっ! はわわ……お、お見苦しいところをすいませんっ!」


アイザックスは微笑んでから立ち上がり、悠然とした歩みを進めてエリザの目の前に立ち、胸ポケットに手を入れた。


「僕はただのコレクターさ、今ここでかしこまる必要はないよ」


アイザックスは胸ポケットから手を引き抜いた。


「僕だって君に会えてすごく嬉しいんだ……エリザ・ライル……」


アイザックスは裏があるかのような怪しい笑みを浮かべていた。

その手には一枚の名刺が握られていた。


「君……僕と飲む気はあるかい?」

「……さあ? できることはやってみるわ、アイザックス」


アイザックスは納得したように微笑むとその場を後にした。

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